第21話 それぞれの苦悩
大和型戦艦
防御機構・・・多層式水中防御方式(史実大和はバルジ)。対46センチ防御78パーセント(史実大和は52パーセント)。
基準排水量8万5000トン。
機関・・・ガスタービン。
最大速力32ノット。
搭載機ヘリ6機。
武装・・・46センチ3連装滑空砲3基9門。10センチ連装高角砲16基32門。40ミリ連装機銃20基40門。20ミリ単装機銃50基50門。VLS×192基。
備考
主砲の砲配置は史実大和と同じ。多層式水中防御方式を採用しており、魚雷にも強い。また対46センチ防御に関しても史実大和の50パーセント増しとなっている。
西暦1946年 7月15日 オーストラリア キャンベラ
カーティンは戦火の足音が目の前に迫ってきたのを感じていた。
時は遡り、7月3日。
日本軍は秘密裏にブーゲンビル島及びショートランド島へと上陸。
ブーゲンビル島のブイン、ショートランド双方に飛行場を設けた。
そして、その翌日である7月6日には航空隊が進出。
現在、ニュージョージア島の米航空隊と中部ソロモンにて殴り合いを続けていた。
「更にニューギニアではラエも陥落。これで北部ニューギニアは完全に日本軍の勢力下だな」
ラエは7月10日に陥落し、日本軍の支配下となっていた。
これにより、ニューギニア北部は完全に日本軍の支配下となり、オーストラリアの危機は1歩近づいた形となった。
「おまけにアメリカ軍は先の戦いから臆病になっているな」
ソロモン沖海戦でエンタープライズが沈没した事で、アメリカ海軍は空母部隊をガダルカナルより後方に下げ始めていた。
どう見てもビビっている様子の為、共に戦うオーストラリア政府は本当にアメリカを頼りにして大丈夫なのか、と疑問を持ち始めていた。
カーティンもその1人ではあったのだが、今更後には引けない。
日本はオーストラリアが『世界の敵』呼ばわりした事にかなり怒っている。
そして、現在、曲がりなりにも優勢なのは日本軍の方。
生半可な条件では講和すらしないだろう。
その懸念は間違っていない。
実際、転移メンバーは当面、オーストラリアと講和をするつもりは更々無かった。
今、講和をして後々アメリカと戦っている中で横から殴られたら堪らないからだ。
講和をするのは、少なくともソロモン・ニューギニアが陥落してからの話だった。
場合によってはオーストラリア東海岸の都市を火の海にする事も考えられていたが、それはなるべく避けたい。
アメリカと戦争をしている以上、そんな事に弾薬を割きたくは無いのだから。
「どうすれば良いのだ・・・」
カーティンは頭を抱えていた。
◇西暦1946年 7月31日 アメリカ合衆国 ワシントンD・C
悩んでいるのは、何もオーストラリアだけではない。
第三次世界大戦、あるいは第二次太平洋戦争の当事国であるアメリカもある問題に悩まされていた。
「西海岸の連中め!!」
ウィルキーは口汚く罵る。
そう、西海岸の各州では厭戦気分の広がりから、軍の活動を(反政府とまでは言えない範囲で)妨害する者が出てきたのだ。
これらの活動は軍の活動にそれほどの影響を与えている訳ではない。
今のところは。
だが、今後、無視できない範囲に拡大してくる可能性も否定できない為、こうして大統領の元まで報告が上がってきた訳だ。
「・・・やはり敵の潜水艦の排除を早急に進めなければならんな」
口汚く罵っているとは言え、彼も一応は民主主義で選ばれた大統領だ。
西海岸の住民の苦労は理解しているし、同情もしている。
だからこそ、その西海岸の住民を苦しめている一番の原因である日本軍潜水艦を排除しようと考えていたのだが、これが思ったより上手く進まなかった。
当然だろう。
日本軍の潜水艦は全て高速潜水艦構想や戦略原潜構想に則った近代艦ばかり。
特に前者の高速潜水艦はアメリカ軍の装備ではなかなか捉える事は難しかった。
とは言え、不可能と言う訳ではない。
実際、第一次太平洋戦争ではその高速潜水艦にしてやられた戦訓から高速潜水艦に対する対潜装備も充実し始めていたし、その対抗策も練っていた。
実際に開戦から7ヶ月が経ったこの期間で撃沈した潜水艦は6隻にも昇る。
しかも、アメリカ側は知らなかったが、その内の1隻は伊400型の5番艦伊404である。
以上のように、アメリカの対潜技術もなかなかのものである事が分かる。
しかし、逆に考えれば、半年も掛かってやっと6隻という具合であり、効果的なものとは言い難かった。
「しかし、何故これほど手間取るのだ?此方の対潜技術も上がっているのに」
もっともな疑問である。
だが、その答えは凄く簡単だ。
日本軍潜水艦の速力が速すぎるのだ。
一般に第二次世界大戦頃の潜水艦とは、水中速度は最大でも10ノットに届かないのが普通である。
当然、この時代のソナーはそれに対応するように作られている。
だが、日本軍の潜水艦は比較的旧式の艦ですら15ノット、最新の艦では18ノットの水中速力が出せる。
つまり、10ノット以下の速力に対応するように作られているこの時代のソナーでは、日本軍の潜水艦への対応は殆ど無理なのだ。
もっとも、それは通常の列強の場合であり、先の戦いで痛い目を見たアメリカ軍や転移メンバーが居る日本ではそのような事はない。
が、それでもこれだけの(この時代基準での)高速を出せる潜水艦を捕捉するのは、アメリカ軍でもなかなか困難だったのだ。
更にそれに加えて静粛性も高いとあっては、5隻も撃沈できたこと事態が凄い事だった。
「しかも、我が軍の潜水艦はあまり戦果を挙げていない」
これも事実だった。
勿論、アメリカも自軍の潜水艦に戦果を挙げさせる為の努力はしている。
魚雷の改善に静粛性の向上、潜水艦の潜航時間の向上などだ。
だが、残念な事に、日本軍のような高速潜水艦は未だ開発段階だった。
それ故に、米潜水艦は今度の第二次太平洋戦争でも日本軍の駆逐艦や哨戒機にカモにされていたが、流石に性能が向上していた事もあり、それなりの出血を日本に与えていた。
もっとも、日本からしてみれば大した被害では無かったし、アメリカの方が潜水艦によって大打撃を受けているという現実は変わらなかったが。
「やはり中部太平洋侵攻は無謀だったか?」
ウィルキーは今更ながらこの作戦を承認した事を後悔していた。
ちなみに中部太平洋侵攻作戦とは、マーシャル・ギルバート侵攻作戦の事を指している。
特にマーシャル諸島はミッドウェー、ウェーク島、ギルバート諸島などへ増援を送る為の拠点や西海岸で活動している日本軍潜水艦の拠点としての役割も担っている重要な場所であった。
つまり、このマーシャル諸島を占領された場合、日本軍の戦争遂行計画に多大な悪影響を与えてしまうのだ。
日本軍としてはなんとかして守りきらなければならない拠点である。
史実では日本軍に見捨てられて、あっさりと陥落したマーシャル諸島であったが、この世界ではマーシャル諸島の重要性は比較にならない為、日本軍は全力で守りきるつもりでアメリカ軍に向かってくるだろう。
もっとも、それらの事情が日本側に存在すると推測したからこそ、アメリカもこの作戦に踏み切ろうとしているとも言えたが。
だが、先にも書いたが、この作戦に投入できる兵力は少ない。
故に、失敗する可能性も高い。
「延期すべきか?・・・いや、そんな事は出来ない」
既に厭戦気分は広がりを見せており、もしこの戦争が長期化でもした場合、ウィルキーは失脚するだろうし、政権も吹き飛ぶかもしれない。
そう考えると、短期決戦。
これが一番だ。
少なくともウィルキーをそう考えていた。
だからこそ、日本侵攻の為の最短経路である中部太平洋侵攻を画策した。
仮に日本侵攻までは無理でも、マリアナ諸島を陥落させられれば、B29を使って日本本土に原爆を撃ち込めるという打算も含めて。
問題は相手にその目論見が粉砕された場合、どうするかであったが、アメリカは、いや、ウィルキーはこの問題点に敢えて目を瞑っていた。
「頼む。成功してくれ」
ウィルキーはそう祈っていた。
◇西暦1946年 8月16日 大日本帝国 帝都
この日も会合は開かれていたが、この日の転移メンバーの顔は明るかった。
ちなみに夕季は弾薬などの補給の為に本土に戻った第2艦隊の代わりにニューギニア攻略支援を行う為、新設された第5艦隊を率いてパラオに行っているので、ここには居ない。
「南太平洋の米軍は全滅。これでソロモンの制海権は我々のものになったと言っても過言ではないな」
有村がそう言ったが、それは事実だった。
これより3日前の8月13日。
南太平洋にて、1つの海戦が起こった。
参加兵力は米軍がエセックス級空母4隻(内1隻は7月に大西洋インド洋から回航された)にアイオワ級戦艦2隻、巡洋艦8隻、駆逐艦20隻だ。
対して、日本軍が第4艦隊、すなわち、空母白鳳、紅龍、洋龍の3隻に第2戦隊(長門、陸奥)、第2巡洋戦隊(鈴谷、熊野)、吹雪型駆逐艦8隻だ。
そして、例によって夜戦となり、夜間に互いの艦載機が飛び交う戦場となった。
だが、夜戦に基本的に不慣れな米軍は苦戦を強いられてしまい、その結果、第一撃の米軍の被害はエセックス級空母2隻沈没、2隻大破だった。
他にもアイオワ級戦艦1隻中破、巡洋艦1隻大破、1隻中破、そして、駆逐艦が2隻沈んだ。
だが、日本軍も無傷では無かった。
空母洋龍が沈没し、紅龍が小破、更に吹雪型駆逐艦が1隻沈むという米軍に比べれば被害は少ないが、それでも手痛い打撃となった。
だが、それでも制空権が日本の手に落ちた事は明らかであり、日本軍による追撃戦が行われた。
そして、日本軍による第2撃が始まり、結果、米軍の被害は最終的に以下の通りとなった。
沈没・・・エセックス級空母3隻。巡洋艦2隻。駆逐艦3隻。
大破・・・エセックス級空母1隻。アイオワ級戦艦1隻。
中破・・・巡洋艦2隻。
小破・・・アイオワ級戦艦1隻。巡洋艦3隻。
この被害により、米軍は南太平洋に展開していた全ての空母が全滅してしまい、南太平洋の制海権は日本側に落ちる事となった。
そして、第4艦隊はそのままトラックに戻った後に補給後、再度南太平洋にてソロモン攻略戦の支援を行う予定である。
「しかし、空母の数がやはり心許ないな」
春川がぼやくが、それもその筈。
現在日本は大鳳型空母2隻と翔鶴型空母2隻、雲龍型空母3隻(雲龍、天城、葛城。それぞれ3月、5月、7月に竣工)、蒼龍型空母1隻を保有していたが、アメリカは6月にエセックス級空母2隻を新たに戦列に加えている為、現在の保有空母はアメリカ級3隻とエセックス級5隻(その内、1隻は現在大破しているが)だった。
更に9月にはエセックス級空母が更に3隻、12月にはアメリカ級空母が2隻とエセックス級空母が3隻が竣工する手筈になっていた(もっとも、その内、アメリカ級1隻は5日前の8月11日に伊402の放った五式艦対地誘導噴進弾が偶然命中し、修理の為に完成が1ヶ月か2ヶ月ずれ込む見込みであったが)。
対して、日本は10月に笠置が竣工し、12月には阿蘇が竣工するが、逆に言えば今年に関してはそれだけだ。
つまり、このままでは数の暴力に押し潰されてしまう事は確定なのである。
「ですが、戦争はもう少しでしょう。西海岸では厭戦気分が広がっていると聞きますし」
西海岸で厭戦気分が広がっている事は日本も掴んでいた。
だからこそ、これを機会としてとっとと講和を行いたかったが、それにはもう何か1つ足りないと考えていた。
そう、相手の心を決定的に折るなにかが。
「ところで、アメリカが中部太平洋にて反攻作戦を行うという情報は本当ですか?」
岡辺が気になっていた事を尋ねる。
「ああ。情報局の間ではミッドウェーじゃないかって話だが・・・」
この時期、日本軍は米軍が中部太平洋侵攻を目論んでいる事は知っていたが、その具体的な位置までは知らなかった。
故に、日本側では、ハワイに拠点を構える米軍にとっては目障りなミッドウェーの奪還の可能性が濃厚と見られていた。
「ミッドウェーの補給を絶つ為にウェーク島も同時に攻略する可能性も有りますよ?」
日本軍はミッドウェーへの航空機の輸送を本土→小笠原諸島→マリアナ諸島→マーシャル諸島→ウェーク島→ミッドウェー島といった具合に、島伝いで行っていた。
故に、ウェーク島を取られてしまえば、ミッドウェー島への航空機輸送は困難になってしまうのだ。
アメリカがそれを見越して攻略を開始する可能性は十分にあった。
「その通りだな。しかし、その点は情報局でも懸念されてはいるが・・・今のところ海軍では横須賀の第3艦隊以外に対処出来ないのが、現実だな」
空母翔鶴を旗艦とする第3艦隊はいざという時の為に横須賀で待機中だった。
そして、第2艦隊が本土で整備中、第4艦隊がソロモン攻略支援、第5艦隊がニューギニア攻略支援に忙しい現実では、第3艦隊以外にミッドウェー、ウェーク救援に駆け付けられる部隊が居なかった。
「まあ、なんとかなるさ」
有村はそう言った。
実際、海軍の表方の支援はその程度でも、いざとなったら裏方であるマーシャル諸島の第6艦隊も使えるし、マーシャル諸島の航空隊も使える。
更に太平洋に展開している敵空母の数から、中部太平洋に本格的に此方に攻めてくるのは少なくとも10月以降と見られている。
その期間が有れば、此方も態勢を十分に整えられる。
有村はそう考えていた。
だが、有村を含めた転移メンバーは知らない。
アメリカの攻略地点がミッドウェーやウェークではない事を。
そして、攻めてくる時期は有村の予想より断然早いという事を。
現時点(西暦1946年8月15日時点)での大日本帝国海軍在籍艦
空母・・・大鳳型2隻(大鳳、白鳳)、翔鶴型2隻(翔鶴、瑞鶴)、蒼龍型1隻(紅龍)、雲龍型3隻(雲龍、天城、葛城)。
戦艦・・・大和型2隻(大和、武蔵)、加賀型1隻(加賀)、長門型2隻(長門、陸奥)、天城型1隻(赤城)、金剛型3隻(金剛、比叡、榛名)、扶桑型1隻(山城)。
巡洋艦・・・伊吹型4隻(伊吹、鞍馬、鈴谷、熊野)、高雄型4隻(高雄、愛宕、麻耶、鳥海)、妙高型1隻(羽黒)、利根型1隻(最上)、青葉型1隻(青葉)。
駆逐艦・・・陽炎型12隻(残りは建造中)、吹雪型21隻、秋月型9隻、竹型13隻、松型30隻。
潜水艦・・・伊400型潜水艦4隻、伊300型潜水艦12隻、伊200型潜水艦46隻。