第18話 セイロン島失陥
三式戦闘機『飛燕』
最大速力1050キロ。
航続距離1800キロ。
武装・・・30ミリ4門。
備考
日本空軍の新鋭機(五式戦闘機『蒼雷』)より1世代遅れた型。
西暦1946年 2月13日 ウナラスカ島沖 第5艦隊 旗艦『瑞鶴』 艦橋
「勝ったな」
夕季はニヤリと笑っていた。
それは他の人が見たら、悪魔の微笑みだっただろう。
そして、その視線の先には日本軍によって蹂躙されている米軍ウナラスカ島上陸軍の姿があった。
時は遡り、6日前の2月7日。
第5艦隊は夜間に敵艦隊を攻撃できる位置まで接近し、攻撃隊を放った。
ここまで来ると、流石の米軍も夜襲を警戒していたらしく、夜間戦闘機を数十機上げていたが、流石にジェット機での夜襲は予想外だったらしく、あっさりと五式空対空誘導噴進弾によって駆逐された。
そして、その隙に米機動部隊まで接近した四式艦上攻撃機『流星』の編隊は四式空対艦誘導噴進弾を発射してアメリカ級空母を2隻大破させた。
これにより、ウナラスカ島攻略部隊の所属空母は全滅してしまった。
だが、当然の事ながら米軍の被害はこれに留まらなかった。
その後、夕季は第5艦隊に付随していた第3戦隊(金剛、比叡、榛名)と第5巡洋戦隊(最上、三隈)に輸送船団及び上陸部隊攻撃を命じた。
だが、米軍はなんとかこれを阻止しようとしてウナラスカ島攻略部隊の中で残ったアイオワ級の1隻を中心に迎撃活動を行う。
その結果、巡洋艦最上を大破させ、比叡を中破させるが、多勢に無勢、アイオワ級1隻は大破炎上し、後に沈没した。
他にも護衛艦艇が一部を残して全滅するなど、米軍の被害は致命的と言っても良かった。
これにより、アリューシャン列島の制海権は再び日本海軍の手に落ちた。
ちなみにこの戦いは、後に第三次アリューシャン沖海戦と呼ばれている。
だが、何事も良い話ばかりではない。
これより更に4日前の2月3日。
第4艦隊の生き残りである1隻の吹雪型駆逐艦が米潜水艦の攻撃を受けて撃沈されてしまったのだ。
その艦は大破していたので、沈没するのは仕方なかったとは言え、貴重な吹雪型駆逐艦を失ったのは痛い。
更にこれの意味するところは、米潜水艦の魚雷問題は解決したという事でもある。
ますます油断は出来なくなった。
だが、それを考慮してもアリューシャン列島の制海権が現時点で日本側にある事は疑いようの無い事実である。
これによって米軍ウナラスカ島上陸軍は逆に陸海空から攻撃を受ける事になった。
更に第5艦隊と合わせて幌筵島から出港していた日本軍のアラスカ部隊撤収船団が2月10日に無事にアラスカから日本軍を撤収させ、その2日後の2月12日、未だ日本軍が確保していたダッチハーバーにその部隊を上陸させると、状況は米軍にとってますます不利となっていった。
「これで北の戦いは当面終わりだな」
夕季はそう読んだ。
その考えは当然だろう。
アラスカから部隊を撤収させ、アリューシャン列島に居る米軍も、もうすぐ駆逐される。
更に言えば、米軍は太平洋には既に稼働空母はエンタープライズしか居なくなっている。
それにオーストラリアが参戦したという情報も既に入っている。
それ故に、次は北方ではなく南方、トラック、ソロモン、ニューギニア、この辺りが戦場になる。
夕季はそう予測していた。
◇西暦1946年 3月2日 アメリカ合衆国 ワシントンD・C
ウィルキーは血圧が高くなりそうな報告を次々と受けていた。
太平洋艦隊の9隻の空母の内、5隻が沈没し、2隻が大破、1隻中破をして、無傷な空母がエンタープライズだけという有り様だった。
つまり、太平洋艦隊は壊滅したと言っても過言ではなく、少なくとも3ヶ月は米軍はまともに動ける状態ではないという事だ。
更に海兵隊、陸軍合わせて2万5000人の兵士がウナラスカ島に閉じ込められてしまっている。
もしこれが殺られれば、少なくとも半年間は太平洋で活動できない事になってしまう。
何故なら、アラスカ、ウナラスカ、ミッドウェー、インド洋と戦線があまりにも広くなっている。
更にオーストラリアが参戦した事で、ソロモン、ニューギニア方面も最前線となってしまっている為、流石のアメリカでもこれだけの戦線にこれ以上の陸上兵力増派はきつい(不可能ではない)のだ。
「・・・しかし、インド洋では我々は有利に事を進めている」
インド洋に投入した7隻の内、現在行動中なのは4隻。
アメリカ級が1隻にエセックスが3隻だ。
そして、スリランカへ上陸したのは陸軍3個師団、合わせて4万5000人。
ただでさえ制空権を取られているのに、その半分ほどの陸上兵力しか居ない日本・スリランカ連合軍ではあまりにも不利だった。
事実、既にセイロン島の3分の2を占領されており、このまま増援が無ければ、あと1ヶ月程でセイロン島は陥落するだろう。
「しかし、ドイツは何をしているのだ!!」
ウィルキーは密約を結んだにも関わらず、全く参戦する気配の無いドイツに悪態をついていた。
ドイツは現在、ロシアとの国境に兵力を集めてはいるが、その集め方からは、どうもやる気というものが感じられない。
「奴等が動けば、西側から日本に圧力が掛かるというのに!!」
それは事実だった。
確かにドイツがロシアへ攻め込めば、戦略上、ロシアは日本と手を組まざるを得なくなるだろうし、ロシアが攻め込まれれば、日本もある程度の援軍をロシア方面に送らざるを得なくなる。
そうすれば、勝手に日本の国力が疲弊してくれる為、アメリカにしてみれば願ったり叶ったりなのだ。
だが、ドイツは現在、動く様子はない。
まるで、攻め込めのを嫌がっているかのように。
「大丈夫だ。・・・・・・大丈夫の筈だ」
ウィルキーは自分にそう言い聞かせていた。
しかし、ウィルキーは知らない。
インド洋で日本軍が反撃しないのは、ただその為の準備が整っていなかっただけだという事を。
そして、ドイツが動かない理由がウィルキーの不安通りだったという事を。
◇西暦1946年 3月8日 大日本帝国 インド洋 深夜 第3艦隊 旗艦『翔鶴』 艦橋
「いよいよですな」
「ああ、やっと好機が来た」
参謀の言葉に山口は答える。
何故突然第3艦隊がこんな行動を起こしたかと言うと、先日、情報部からある情報が届いたからだ。
曰く、『米軍はアッズ環礁の占領の為に、部隊を一部そちらに割いた』というものである。
山口はこの情報を聞いてチャンスだと考えた。
今までは敵空母が4隻も集まっているせいで攻撃を躊躇っていたが、敵が分断されるならば、此方にも攻撃の機会はある。
彼は評判通りの猛将であったが、史実では『将来の連合艦隊司令長官間違いなし』の逸材と言われただけあり、無謀ではなかった。
敵の空母が4隻も居るのに対し、此方は翔鶴1隻。
真正面から行けば、勝負は火を見るよりも明らかだった。
よって、機会を待ったのだ。
そして、その機会はやって来た。
「しかし、本当に宜しいのですか?セイロン島の敵ではなく、アッズ環礁の攻略部隊の方を目標にして」
「問題ないだろう」
そう、第3艦隊の目標はセイロン島の部隊ではなく、アッズ環礁攻略部隊であった。
これは簡単だ。
幾ら敵が分断されるとは言え、セイロン島攻略が本命である事は何も変わらない。
よって、必然的にアッズ環礁の占領部隊はそれより少ない。
そして、弱い敵から叩いていくのは戦術の常策でもある。
(それに、アッズ環礁に派遣される部隊の詳細も分からんしな)
これが1つの問題だった。
『敵がアッズ環礁に部隊を差し向けた』という情報は入っていたものの、肝心の規模については全く分からなかったのだ。
そして、アッズ環礁に差し向けた部隊の規模が分からないという事は、セイロン島付近に残った敵の部隊の詳細も分からないという事でもある。
下手にセイロン島に殴り込むより、分派された敵を攻める方が良いのは明らかだった。
「さて、太平洋じゃ、有栖川の奴も頑張っていると聞くし、我々も頑張るとするか」
山口はそう言いながら戦いへと備えた。
◇西暦1946年 3月19日 ドイツ ベルリン
この日、リッペンドロップ外相は3月8日に起きた第二次インド洋海戦の詳細を伝える為にヒトラーの元へと訪れた。
「そうか。日本が勝ったか」
だが、それに対するヒトラーの言葉は淡々としたものだった。
3月8日に起きた第二次インド洋海戦は日本海軍の勝利に終わった。
と言うより、アッズ環礁占領部隊は空母も居ない極小規模な部隊であった為、ほぼ一方的ななぶり殺しに等しかった。
第3艦隊の夜間空襲により、アッズ環礁占領部隊は文字通り全滅。
米軍は少なからず被害を負った訳だが、戦局に大きく関わる程のものでもない。
ちなみに余談だが、第3艦隊の指揮官である山口多聞はこのあまりにも物足りない戦闘に激怒していたという。
「しかし、宜しいのですか?参戦しなくて」
「構わん。だいたい、我々が参戦してやる義務が何処にある?向こうが勝手に勘違いしただけだ」
そもそもヒトラーはこれ以上、ロシアの領内に攻め込む気は更々無かった。
占領地の統治や安定で忙しかったからである。
だが、それを素直に言うと、ドイツは息切れしていると思われるので、まだまだ攻め込めるというプラフをアメリカ大使に向けて張っただけである。
それをアメリカはドイツはロシアに攻め込む気があると勝手に勘違いしただけ、というのが本当のところだった。
つまり、今やっているロシア国境への兵力増強もあくまでポーズであり、アメリカから支援を出来るだけむしり取る為の口実でしかなかった。
「しかし、参戦しないと、アメリカからの援助が途絶える可能性が有ります。また約束である以上、国際的な立場も・・・」
「援助の為に戦争をするのは本末転倒だ。それに約束と言っても、“誰が”文句を言うのかね?」
確かにリッペンドロップの言う通り、国家の同士の協定や条約などの約束を破るというのは極めて問題のある行為だ。
何故なら、それらを破るというのは国の信用を失わせる行為であり、それが後々とんでもないしっぺ返しが返ってくる可能性が高い。
だが、それは正当な条約や協定の場合であり、密約の場合は話が別だ。
密約は表向き、殆どの国が知らない筈の条約であり、約束を破って『そんな条約知らねえよ』と言ったとしても、その国の国際的立場は殆ど変動しない。
何故なら、殆どの国が知らない筈の条約であるが為に、密約の相手国以外、どの国もその条約破りについて、突っ込む事が出来ないからだ。
そして、日米開戦前にドイツがアメリカと結んだのは正当な条約ではなく密約。
正当な条約でさえ破るヒトラーが密約を遵守する義理はないというのが本当のところだった。
だが、流石になにもしない訳にはいかない。
「アメリカにはこれまで通り技術供与という飴を与えておけ。それで宥めろ」
ヒトラーは出来るだけ支援を受け取る為にアメリカにドイツからの技術供与という飴を与えて宥めていた。
流石になにもしないのは、密約を結んだ関係上不味いと考えていたらしく、支援の変わりに一定の技術供与は行っていた。
だが、それも所詮はポーズであり、本当に参戦するつもりは更々無かった。
「・・・承知しました」
リッペンドロップは了承した。
彼もヒトラーの言った通り、支援の為に参戦するのは本末転倒と考えていた為に、ヒトラーの意見に内心では賛成していたのだ。
こうして、ドイツは動かず、第三次世界大戦は必然的に日米戦争に集約されていく事になる。
◇西暦1946年 4月5日 大日本帝国 帝都
セイロン島失陥。
この報告は日本中を駆け回り、関係者は対処に追われていた。
転移メンバーもその1つであり、今日も会合が開かれていた。
「やはり戦線の広さが問題だな」
先日、北方から戻った夕季が呟いた。
ちなみにウナラスカ島戦は3月12日に米軍ウナラスカ上陸軍が降伏という形で終結していて、彼の率いる第5艦隊は横須賀に帰還後、解散しており、再編成を待っている段階だった。
「瑞鳳型空母を全て売り払うか解体したのは間違でしたかね?」
「いや、あの時は戦争が再開するなんて考えていなかった。史実のような冷戦になると考えていたからな」
そう、あの時は転移メンバーの全員が史実の米ソのような冷戦になると考えていた。
その為、経済的建て直しを優先し、瑞鳳型空母などの戦時量産艦の殆どや旧式艦を破棄したのだ。
日米戦争となり、日本は慌てて雲龍型空母や竹型駆逐艦、伊300型潜水艦など、量産艦の他、原子力空母や原子力潜水艦などの生産体制を確立しつつあったが、それでも軍縮の煽りは大きかった。
「それは今考えても仕方ない。今は1週間後に始まるソロモン・ニューギニア攻略作戦を確認しよう」
夕季がそう言って地図を出した。
転移メンバーはセイロン島の奪回を一時的に諦めて東南アジアの防備を固める為にニューギニア、ソロモン諸島の攻略を目論んでいた。
そして、ニューギニア攻略の第一歩としてビアク島を、ソロモン諸島の第一歩としてニューブリデン島、ニューアイルランド島の合計三島を同時に攻略する予定だった。
投入兵力はビアク島にインド洋から戻った第3艦隊。
ニューブリデン島とニューアイルランド島には新設された第2艦隊及び日本空軍トラック航空隊をあてる予定だった。
「懸念されるのが敵空母だが、最低でも2隻は居るな」
1隻はエンタープライズ、もう1隻は第二次北太平洋海戦で中破したが、既に修理を終えたエセックス級空母だった。
しかし、流石に大破したアメリカ級空母の修理はこの期間では不可能と思われていたので、インド洋から空母を回す事も十分考えられていた。
「そこはなるようになるしか無いだろう。それより東南アジアは本当に大丈夫なのか?これ以上、敵がインド洋から進軍してくる事は?」
「それは無いだろう。陸上兵力が居ない」
有村に夕季が説明する。
情報収集の結果、アメリカはセイロン島に送った以上の陸上兵力をインド洋に送る余裕はないという事が判明している。
そして、幾ら空母が居ても、最終的に陸上兵力が居なければ、陸地の占領は出来ない。
当たり前の理屈であった。
「そうか。なら良いんだが・・・」
有村はそう言って引き下がった。
その後も確認作業は続いたが、最終的に問題ないとして、ソロモン・ニューギニア作戦は決定された。
そして、1週間後にソロモン・ニューギニア作戦は発動された。
五式戦闘機『紅雷』
最大速力1300キロ(マッハ1、05)。
航続距離2100キロ。
武装・・・30ミリ機銃2門、対空ミサイル2基。
備考
日本空軍の最新鋭機。日本空軍史上、初めて音速を越えた機体。




