第17話 第二次太平洋戦争
西暦1945年時点の日本の国力と人口
人口8100万人(史実では7100万人)。
経済レベル・・・史実1950年代後半の日本クラス。
技術レベル・・・史実1950年代後半~1960年代前半。
西暦1946年 1月31日 オーストラリア キャンベラ
「そうか。アメリカが勝ったか」
オーストラリア首相カーティンは秘書官からの報告に頷いた。
1月の中盤から終盤にかけて、3つの海域で日本海軍とアメリカ海軍が戦ったが、その内2つの海域で勝利を手にしたらしい。
そして、日本海軍の空母を合計4隻撃沈したとの事だった。
アメリカ海軍もかなりの打撃を被ったらしいが、勝利した事には間違い無いし、なによりアメリカならば多少の損害を受けてもすぐに復活する。
なので、実質的にこれは日本軍の負けなのだ。
この認識は間違ってはいない。
いくら日本が資源を自給できるようになったと言っても、いきなり工業力が魔法のように沸いてくる訳ではないのだ。
よって、補充能力にもかなりの制限があり、引き分け、あるいはそれに近い状態ならば日本の負けなのだ。
つまり、それは言い換えると、毎回圧勝と呼ばれる状況で無い限り、日本は最終的に結局負けてしまうのだ。
平成日本風に言うならば、『なんという詰みゲー』といった感じだろう。
(我が国もアメリカに立って動くべきか?)
聞けば、ドイツもアメリカ側に立つ動きがあるという。
そして、日本海軍は大打撃を受けて暫くは機能不全。
これはアメリカ側に立つ絶好のチャンスだとカーティンは考えていた。
何故なら、日本海軍は大打撃を被ったがために、暫く再編成の為に動けないので、宣戦布告しても此方に手を出す余裕は無いであろうから。
もう少し様子を見てから参戦するという手もあったが、それでは各国から戦後に白い目で見られてしまうだろう。
となると、今が好機だった。
「すまんが、外務大臣を呼んできてくれ」
こうしてカーティンは参戦を決意した。
しかし、後にカーティンはこの決断を盛大に後悔する事になる。
何故なら、この時から1ヶ月も経たずに、日本軍の反撃が始まるからである。
◇西暦1946年 2月4日 大日本帝国 帝都
「これは・・・ちょっとヤバイかもしれませんね」
青木がそう言って頭を抱える。
見れば、他の“3人のメンバー”も同様の様子だった。
ちなみに夕季は居なかった。
この日の会合は夕季が最前線に出張っていった為、4人で行われていたからだ。
さて、転移メンバーが悩んでいる問題についてだが、ここで1つおさらいしておこう。
オーストラリアが調べた通り、海戦は1月に3つの海域で行われた。
北太平洋、ミッドウェー沖、インド洋の3つの海域である。
そして、1つ1つ説明する。
まず北太平洋からだ。
1月18日、北太平洋に現れたアメリカ艦隊はアメリカ級2隻、エセックス級4隻、アイオワ級4隻を中核とした艦隊であり、後方には攻略部隊である輸送船団も居た。
攻略地点はウナラスカ島。
ここにはダッチハーバーという良好な港が有るからだ。
そして、これを迎撃する為に出撃したのは、ダッチハーバーに駐留していた第4艦隊。
空母隼鷹、飛鷹、戦艦天城、赤城を中核とした艦隊だ。
他にも護衛として第3巡洋戦隊(妙高、那智、足柄、羽黒)、吹雪型駆逐艦8隻が付随していた。
そして、司令官は角田覚治中将であった。
角田覚治中将はまともにやれば此方が負けると判断しており、基地航空隊と連携しての夜間空襲を行う決断をした。
基地航空隊に2式空対艦誘導噴進弾が配備されていた事もあり、結果的にはこの攻撃は成功し、アメリカ海軍は第4艦隊とウナラスカ島の基地航空隊によるダブルパンチを受けてエセックス級空母2隻が沈没、アイオワ級1隻が小破し、他にも護衛艦艇に損害が続出した。
そして、明けた1月19日に昼戦が始まり、空母機動部隊同士の殴り会いとなった。
結果、アメリカ軍はエセックス級空母を更に1隻撃沈され、もう1隻のエセックス級空母が中破、アメリカ級空母1隻が小破した。
だが、日本海軍の代償も大きく、空母隼鷹が沈没し、飛鷹が大破、巡洋艦妙高が小破した。
第4艦隊は一時撤退しようとしたが、その前に敵の第2破攻撃が行われ、この空襲で飛鷹は沈没し、戦艦赤城が中破する損害となってしまった。
しかし、空襲はなんとかこれで終了した。
この一連の流れは、後に第二次北太平洋海戦と呼ばれる事になるが、結果的に敵は作戦を続行したので、アメリカ軍の戦略勝ちである。
しかし、北の戦いはまだ終わりでは無かった。
1月22日、敵の攻略部隊がウナラスカ島に上陸した。
だが、一足先にダッチハーバーで補給を終えた第4艦隊(艦艇の修理をする時間は無かった)は、その攻略部隊を攻撃する為、ある作戦に打って出た。
それは部隊を2つに別けて、一方が囮となっている間にもう一方が襲撃するというものである。
ただし、向こうには空母が存在して、此方にはもはや存在しない為、必然的に夜戦となる。
そして、囮となる部隊は第4艦隊の内、戦艦天城と第3巡洋戦隊である。
残りの戦艦赤城、吹雪型駆逐艦8隻が輸送船団への突撃を担当する。
当初は赤城も囮とする案があったが、中破している為、囮部隊の足手まといになると判断されて却下された。
また敵の輸送船団の護衛艦艇は幾分か、輸送船団近郊に残るであろう事が予測された為、その為の打撃力も必要だと考えられたのだ。
そして、この作戦は成功した。
囮部隊にアイオワ級4隻を主軸とする打撃部隊は見事に引っ掛かり、これを撃破する為に動き出した。
囮部隊は打撃部隊に向けて99式艦対艦誘導噴進弾を発射して、先制攻撃を加えた。
この攻撃により、アイオワ級戦艦2隻が大破、1隻中破、1隻小破の損害を与えたが、その後の海戦は悲惨なものだった。
まず天城が比較的戦力が残っていたアイオワ級2隻の集中攻撃を受けて大破、後に沈没した。
ちなみに撃沈された隼鷹から、天城に旗艦を移した角田覚治中将も天城と運命を共にしている。
次に巡洋艦那智も砲撃を受けて弾薬庫が誘爆し、轟沈した。
足柄も砲撃を受けて大破、その後に打撃部隊の護衛艦艇からの滅多撃ちの攻撃を喰らってこれまた沈没。
妙高は護衛艦艇と撃ち合って善戦したものの、足柄と同じように滅多撃ちにされ、戦闘海域から離れた後も数時間は持ったが、結局、沈没した。
しかし、唯一、羽黒だけはどうにか小破という他の艦より少ない損害で戦線を離脱できた。
そして、本命の方だが、突入は無事に成功して、敵輸送船団を襲撃し、多数の輸送船を撃破する打撃を与える。
この時に受けた損害は、一時、アメリカ軍が撤退を決断しそうになった損害だったと後に語られている。
だが、突入部隊も無傷では無かった。
輸送船団に張り付いていた護衛艦艇により、戦艦赤城が大破した。
しかし、艦の心臓部である機関は無事であり、戦線離脱を行う事が出来た。
他にも吹雪型駆逐艦1隻が沈没し、2隻が大破した。
だが、この大破した2隻も、機関は無事であった為に、戦線離脱を行う事が出来た。
この一連の海戦は第二次アリューシャン列島沖海戦と呼ばれ、アメリカの戦術的敗北で終わった戦いであった。
しかし、アメリカ軍のウナラスカ島攻略作戦はそれでも続行された。
ここまで大損害を受けているのに何故?と思われるかもしれないが、これは政治的意味合いが強い。
これまでアメリカ軍は戦略的に一度も勝利した事が無かった。
なので、第一次太平洋戦争以来、国民の軍に対する不信感というものがこびりついてしまっていた為、それを払拭する為に作戦は続行されたのだ。
まあ、第4艦隊の残存艦艇である戦艦赤城と巡洋艦羽黒、吹雪型駆逐艦7隻は撤退を行っているので、海上での脅威はもう無くなっていたが。
そういう訳で、ウナラスカ島は現在、危機的状況にあったのである。
しかし、海戦は北太平洋だけでは無い。
次にミッドウェーでの戦いを説明する。
ウナラスカ島上陸日と同日の1月22日、ミッドウェーにはエセックス級空母2隻とエンタープライズ、攻略部隊が侵攻してきた。
だが、ミッドウェーは最前線と目されているだけあり、最新鋭兵器が優先的に配備されていた。
結果、四式爆撃機と四式空対艦誘導噴進弾の攻撃によって、エセックス級空母1隻が沈没、もう1隻が大破した。
そして、残ったエンタープライズと護衛艦艇は大破したエセックス級空母を曳航しつつ撤退したが、その大破したエセックス級空母は展開を始めていた日本軍の潜水艦によって追撃を受け、撃沈された。
この一連の海戦を第二次ミッドウェー海戦と呼ぶが、これはアメリカが戦術的、戦略的双方の点において、敗北した戦いであった。
そして、一番問題なのが、最後のインド洋だった。
1月25日、此方にはエセックス級空母6隻、アメリカ級空母1隻、北太平洋、ミッドウェーに勝る多数の攻略部隊という艦隊が押し寄せた。
これを迎撃するために、インド洋・セイロン島コロンボに配置されていた第8艦隊が出撃した。
だが、第8艦隊の戦力に問題があった。
第8艦隊は空母蒼龍、飛龍を中核にして、第4巡洋戦隊(青葉、衣笠、古鷹)、秋月型駆逐艦8隻という比較的旧式艦で構成されている。
そして、コロンボに居る基地航空隊も主力は太平洋に殆ど配置されていた為、旧式の96式爆撃機が主力だった。
それでも指揮官である吉良俊一中将はなんとかして敵艦隊を撃破しようと奮戦したが、なんとかはならなかった。
それでも第8艦隊はエセックス級空母1隻撃沈、もう1隻を中破させるという損害を与えたものの、数の暴力には勝てず、空母蒼龍、飛龍が沈没。
ちなみに吉良俊一中将も、この攻撃の際に戦死している。
巡洋艦も衣笠が沈没、古鷹が大破し、青葉も小破した。
他にも秋月型2隻撃沈され、1隻が大破した。
そして、第8艦隊は撤退しようとしたが、そうは問屋が卸さず、すぐに第2波攻撃が来た。
この攻撃で機関の出力が落ちていた古鷹に攻撃が集中し、沈没した。
だが、この犠牲によって、他の艦はどうにか逃げる事が出来た。
ちなみに大破した秋月型1隻はどうにか逃げる事に成功している。
この海戦はインド洋海戦と呼ばれる事になるが、日本軍が空母2隻沈没、巡洋艦2隻沈没、駆逐艦2隻沈没なのに対して、向こうが空母1隻沈没、1隻中破、更に日本側がインド洋の制海権を喪失した状態では、どちらが勝ったか一目瞭然だった。
以上が3つの海域の海戦の結果であった。
「ミッドウェーは兎も角として、北太平洋とインド洋は不味い状況だな」
有村の言った通り、米軍が北太平洋ではウナラスカ島に上陸、インド洋ではセイロン島に1月29日に上陸している為、地上戦に突入している。
しかし、ウナラスカ島には一個師団1万1000人が配備されていて、現在も粘っていたが、それとは対称的にセイロン島には、日本陸軍は1個連隊2000人程度しか配備されておらず、他にスリランカ陸軍が2万人程居る程度だった。
ちなみにスリランカ海軍は上陸の1日前に起きたセイロン島沖海戦でエセックス級空母を1隻中破、アメリカ級空母1隻小破の戦果を上げながらも全滅している。
「それとアラスカも問題ですね」
青木が言った。
そう、アラスカも陸路からだが攻勢を受けている。
幸い、その前に設置した地雷原などの置き土産によってその侵攻は足踏みをしていたが、厄介な状況にあるのは間違いなかった。
「しかし、忌々しいのはオーストラリアだ。此方の苦境を知るや、宣戦布告してきた」
春川が吐き捨てるように言った。
オーストラリアはこの2日前の2月2日に日本に対しての宣戦を布告していた。
理由は『日本の行動は世界の治安を乱す行為の為』だそうである。
まあ、正直言えば、オーストラリア海軍など、日本海軍からしてみればゴミ同然なのだが、オーストラリアが宣戦布告してきたという事はオーストラリア配下にあるソロモン諸島、ニューギニアにアメリカが入るという事でもあり、油断は全く出来ない。
しかし、ここで問題が1つ浮上してくる。
それはニューギニア、ソロモンへの攻撃の拠点となるトラック諸島があまり整備されていないという点である。
理由は簡単である。
必要性が無かったからだ。
この世界では南東攻略作戦が存在しなかった為、日本は北太平洋と中部太平洋を中心に攻勢を行ってきた。
だが、それ故に史実では南東攻略の拠点となったトラック諸島の整備は後回しにされており、それどころか第一次太平洋戦争前と殆ど変わらないとという有り様だった。
「急ぎトラック諸島の整備を固める必要が有りますね」
「ああ、その通りだな。まあ、インド洋と北太平洋はあいつらに任せればなんとかなるだろ」
春川は両海域で暴れるであろう2人の提督を頭に浮かべ、そう言った。
西暦1945年8月15日時点での大日本帝国海軍在籍艦
空母・・・翔鶴型2隻(翔鶴、瑞鶴)、隼鷹型2隻(隼鷹、飛鷹)、蒼龍型4隻(蒼龍、飛龍、紅龍、洋龍)。
戦艦・・・大和型2隻(大和、武蔵)、加賀型1隻(加賀)、長門型2隻(長門、陸奥)、天城型2隻(天城、赤城)、金剛型3隻(金剛、比叡、榛名)、扶桑型1隻(山城)。
巡洋艦・・・伊吹型4隻(伊吹、鞍馬、鈴谷、熊野)、高雄型4隻(高雄、愛宕、麻耶、鳥海)、妙高型4隻(妙高、那智、足柄、羽黒)、利根型2隻(最上、三隈)、青葉型2隻(青葉、衣笠)、古鷹型1隻(古鷹)。
駆逐艦・・・陽炎型5隻(残りは建造中)、吹雪型24隻、秋月型11隻、松型35隻。
潜水艦・・・伊400型潜水艦3隻、伊200型潜水艦52隻。




