第15話 日米停戦
吹雪型駆逐艦
基準排水量3800トン
最大速力35ノット。
巡航速力18ノット。
武装・・・10センチ連装高角砲4基8門。99式艦対艦誘導噴進弾4連装ランチャー4基16門。40ミリ連装機銃10基20門。20ミリ単装機銃20基20門。24連装対潜迫撃砲4基96門。
備考
この世界での特型駆逐艦。対空兵装は秋月型と殆ど変わらないが、対艦ミサイルを装備する事で対艦性能が上がっている。
◇西暦1940年 10月17日 大日本帝国 帝都
「敵機動部隊が動き出しましたね」
岡辺が言う。
「そりゃあ、動くだろう。あれだけの事をしたんだから」
遡る事、11日前の10月6日、日本はアラスカに上陸を始めた。
上陸した兵力は5個師団(約7万人)。
後続の3個師団(約4万人)も1ヶ月後には到着する。
アラスカ、それも10月という季節ゆえに冬季戦装備は十分に備えられており、日本軍の機械力と合間って、順調に進撃を続けた。
当然、アメリカも反撃するように増援部隊をアラスカのアンカレッジに送り始めたが、日本軍潜水艦によって妨害され、物資も兵隊もあまり送り込めていなかった。
また、陸戦でも敗北を続けていた。
なんせ、戦車は日本軍はティッガーIとも殴りあえる100式戦車やシャーマンと互角の97式戦車まで居る。
対して、この世界の米軍は戦車開発は少し早まっていたものの、それでも最近M3戦車が先行試作型が完成した(史実では1941年1月)という程度のものであった。
つまり、米軍はM4どころか、M3すらも量産体制が整っていなかったのだ。
更にアラスカという土地ゆえに、そのM3に劣る戦車すらも満足に無かった。
これで日本軍に勝てる筈もなく、米軍は悉く敗北していき、米軍は苦肉の策として、史実で日本軍がやったような火炎瓶攻撃やアンパン(地雷を戦車の前まで持っていき、それを踏ませる事で戦車を撃破する方法)をやり始めたが、効果は無かった。
前者は史実のノモンハン事件を知っている転移メンバーによって、エンジンをディーゼル機関に変えた事で殆ど効果が無く、後者は初めはそれなりの効果を挙げたが、歩兵が戦車の横に随伴し始めた事で、戦車の前に持っていく前に射殺されるようになった。
こうして、米軍は悉く撃破されたのである。
その報告に焦った米軍は機動部隊を動かした。
トランジスタで解析したところ、空母が4隻居ると出ていた為、迎撃に赴く第1航空艦隊(蒼龍、飛龍、紅龍、洋龍、隼鷹、飛鷹)も油断は出来なかった。
そして、もう1つ問題があった。
北太平洋の海は南太平洋の海と違い、航空機が飛ばせない環境がよく起こるのだ。
その為、彩雲だけでなく、松型駆逐艦もピケット艦として出していたが、それでも穴はあったので、索敵には十分な注意を払わなければならなかった。
「ところで、イギリスだが・・・あれはもう駄目だな」
有村がイギリスの現状について言った。
イギリスは内乱に加えて、ドイツの侵攻を受けるというまるで史実の中国のような感じになっていた為、国としては殆ど機能していなかった。
英連邦諸国も、徐々にだが本国と距離を置き始めており、大英帝国は既に崩壊寸前になっていた。
いや、むしろ崩壊していると言っても間違いではないだろう。
それほどイギリスの状況は悪かったのだから。
「あの世界帝国がこうも呆気なく滅び去るとは・・・益々前世の経験が役に立たなくなってきましたね」
青木が感慨深げにそう言った。
イギリスは曲がりなりにも20世紀中盤まで世界帝国として君臨していたのだ。
それがこうもあっさり滅びられると、戸惑うのも当然の話だった。
まあ、最も戸惑っているのはこの世界の人間だろうが。
「仕方ないさ。史実と今回の第二次世界大戦を見れば分かるように、有名な国は次々と消えていったからな」
史実の第二次世界大戦、特にヨーロッパ戦線では、1ヶ月でポーランドが消え、その8ヶ月後にはオランダ、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、フランスが相次いで消える、または属国となった。
この世界ではそれがもっと早まっており、更にソ連が半ば消えかけて、ロシアが存続しているというなんとも混順とした世界となっている。
それを考えれば、第二次世界大戦は複雑怪奇と言えるだろう。
「そう言えば、アメリカは来月には選挙ですよね?どうなるんでしょうか?」
史実ではこの選挙でルーズベルトが3選目を果たした事を知っている岡辺は選挙の様子が気になるようだった。
「微妙だな。出来るなら、公約上、ウィルキーに代わって欲しいが、そう思うときに限って上手くいかないからな。あまり期待しない方が良い」
夕季は前世での人生経験からそう言った。
「まあ、変に期待するのもあれですし、取り敢えずは期待せずにルーズベルト政権が続くと仮定しましょう」
「・・・そうだな。ところでアラスカだが、あの土地には石油や天然ガスが埋蔵されていたな」
「ええ。ですが、戦争中は取り出せないでしょう。一先ず諦めるしか有りませんね」
アラスカに石油や天然ガスが埋蔵されているのは史実が示すところだが、現段階では採掘器具などを持ってこれない為、諦めるしか無かった。
まあ、戦後、アラスカを領有する事になれば取り出せるのだが、それはあくまで戦後の話だ。
「さて、取り敢えずアラスカからの報告を待ちましょう」
青木はそう言った。
◇西暦1940年 10月30日 アメリカ合衆国 ワシントンD・C
「・・・」
ルーズベルトは報告書に書かれたあまりの損害に驚いていた。
アメリカ太平洋艦隊はアラスカに急行していたが、当然の事ながら日本艦隊の迎撃を受けた。
そして、第1航空艦隊と戦う前にワスプが日本軍潜水艦により魚雷3本を受け、大破。
エンタープライズも同じく2本の魚雷を受け、中破した。
両艦は戦列を離れ、本土に向かって帰路についた。
そして、10月25日、残りの2隻(ヨークタウン、ホーネット)は第1航空艦隊と交戦を行った。
この戦いは後に北太平洋海戦と呼ばれるようになるが、結果的に日本軍の圧勝だった。
そもそも空母の数も艦載機の数も負けている上に、その艦載機の性能もパイロットの技量も下、更に電探などの索敵システムも負けているでは、流石の米軍もどうしようも無かった。
日本軍の攻撃隊によって、ヨークタウン、ホーネットの両艦は沈没、護衛の艦艇にも多大な損失を与えた。
対して、日本軍の損害は第3巡洋戦隊(高雄、愛宕、摩耶、鳥海)の鳥海が小破、駆逐艦2隻が沈没、3隻が大破であった。
これだけでも、日本軍のワンサイドゲームだったのだが、話はそれで終わらない。
日本軍は追跡を行う為、第3戦隊(金剛、比叡、榛名。9月21日に改装が終わり、作戦に加わった。ちなみに第2戦隊の天城と赤城は第3戦隊と入れ替わりで改装を受けている)を中核にした艦隊に敵残存艦艇への追跡を命じた。
米軍はそれを迎撃する為、戦艦4隻を中核とした打撃艦隊を迎撃に向かわせたのだが、ここで日本軍は秘密兵器を投入した。
99式艦対艦誘導噴進弾。
速力800キロで飛ぶこのミサイルは対象の艦に当たると、1トンという爆発エネルギーを解放する。
これは吹雪型駆逐艦に搭載されているランチャーから打ち出されるが、改装された金剛型のVLSからも打ち出す事が出来る。
吹雪型に搭載されている16発が8隻なので128発、金剛型に搭載されているVLSは40、今回、全てが99式艦対艦誘導噴進弾なので、3隻合わせて120発。
この両方合わせて248発の99式艦対艦誘導噴進弾は全て敵艦に向かっていき、米軍打撃艦隊はこの猛攻を受ける事になり、結果、悲惨な光景が生まれた。
戦艦4隻の内、1隻は沈没、2隻が大破、1隻は中破してしまい、護衛艦艇に至っては全艦が沈むか、炎上して軍艦としての機能を喪失するかしていた。
248発も撃ったわりには少ない被害だったが、これには理由があった。
現代のイージス艦のようなミサイルを運用するに効率的なシステムを持つ艦艇が居なかったので、99式艦対艦誘導噴進弾の目標が被ったり、或いはセンサーが未熟だった弾頭が敵艦に向かう前に海に落ちてしまったりしていたのだ。
その為、数の割りに効果は挙げられなかったのだが、それで十分であった。
そして、止めを刺すべく砲撃戦を行おうとした時、第2~4の秘密兵器を投入した。
それはレーダー射撃と36センチ連装滑空砲、そして、成形炸薬弾頭だ。
現代で滑空砲というと、まず戦車を思い浮かべるが、実は戦車と戦艦のコンセプトは似ている。
なので、戦車でこの法則が成り立つならば当然戦艦にも成り立つと転移メンバーは考えたのだ。
その結果、生まれたのがこの巨大な滑空砲である。
更に成形炸裂弾頭を装備する事により、理論上、長門型や大和型の戦艦の装甲をも貫通出来るようになっている(致命的なダメージが与えられるかどうかは怪しいが)。
そして、これに更にレーダー射撃を組み合わせて、ただでさえ損耗していた米艦隊がどうなったかは言うまでも無かった。
結局、空母に随伴していた護衛艦艇の一部はなんとか生き残れたが、打撃艦隊は戦艦から駆逐艦まで全て撃沈される事になった。
だが、最後の意地として対艦ミサイルで中破した戦艦が金剛に命中弾を与えて小破させたのは流石と言えるだろう。
ちなみに日本軍の対艦ミサイルの存在は喰らったアメリカ艦艇が全て撃沈されてしまった事でアメリカ側には察知されていなかった。
更に泣きっ面に蜂と言わんばかりに本土への帰路に着いていたワスプはその後、別の日本軍潜水艦からの魚雷を2本受け、撃沈された。
結果、アメリカに残されたのは中破したエンタープライズと護衛空母が数隻、そして、東海岸に残された戦艦が4隻という有り様だった。
よって、流石のルーズベルトもこの状況には絶句するしか無かったのである。
「これでアメリカ海軍は実質壊滅か・・・私も終わりだな」
覚悟していた事であったが、やはり8年も続けた大統領職を失うと思うと、やはり感慨深いものがある。
だが、負けた以上はどうしようも無かった。
そして、この1ヶ月後、ルーズベルトは選挙に敗れ、大統領にはウィルキーが就く事になる。
◇西暦1941年 1月3日 大日本帝国 帝都
大日本帝国とアメリカの戦争は案外あっさりと終わった。
大統領が交代したアメリカは日本との和平工作を行った。
日本もそれに応じ、ハワイにて会談が開かれた。
当初、アメリカは白紙和平を提案したのだが、当然の事ながら日本は拒否。
むしろ、現時点での停戦を提案した。
ちなみに期間は5年間となっており、その後も双方に不満が無ければ自動的に更新される。
何故、5年間かと言えば日本の原爆が完成するのが、だいたい1944年頃だからだ。
残りの1年は念のためのマージンである。
アメリカと熾烈な舌戦となったが、結局、アメリカは日本の提案を受け入れる事になった。
何故なら、戦争で得た領土な以上、しょうがない事だし、何処かを無条件に寄越せとか言われるよりはマシだからである。
それに気に入らないようなら、5年間待てば戦争を再開できる。
取り敢えずはそう納得する事にしたのだ。
そして、次に話し合われたのは日独戦争の仲介についてだった。
アメリカとしてはここで日本に恩を売っておきたいのと、巻き込まれるのはたまらないという思いから、是非ともやっておきたかったのだ。
これは日本側も渋々だが、受け入れた。
もはや大英帝国が崩壊している今、ドイツと戦争をする理由がこれと言って存在していない。
アメリカが仲介してくれるなら、それに越した事は無かった。
そして、第3に話し合われたのが、大英帝国や亡命政府の植民地についてだった。
アメリカの思惑として、今回の戦費の補填としてイギリスやその亡命政府の植民地の接収を行いたかった。
ただアメリカだけでは戦後に国際的に孤立してしまう為、日本を共犯者に巻き込みたかったのだ。
これは意外にも日本側も了承した。
日本は植民地を取るつもりは更々無かったが、それでも独立した国を日本の保護国にしたかった。
そうすれば、独自の市場を確保出来るからである。
協議の結果、日本はアジア植民地、アメリカはその他の植民地という分担となった。
かくして、大英帝国を始め、オランダなどの亡命諸国は完全に滅びる事になったのである。
そして、西暦1940年12月29日、ハワイ条約が結ばれ、日米は停戦する事となった。
「意外に呆気なく終わりましたね」
青木の呟きに転移メンバーは同意する。
この展開は予想外だったからだ。
「ああ。しかもニュースはそれだけじゃない」
「ええ、まさかソ連が崩壊するとは」
去る2ヶ月前の西暦1940年11月30日、ソ連の高官の一部がクーデターを起こした。
これだけなら何の不思議でも無いのだが、問題はその後だった。
なんと、ロシアとの合流を宣言してきたのだ。
その結果、史実よりも半世紀以上早くソ連は崩壊し、再びロシア帝国という名称となった。
これには転移メンバー全員が驚いたものだ。
「しかし、これからも忙しくなりますよ?東南アジア諸国の独立支援、国際的地位の確立、ドイツとの和平、軍縮。大雑把に言ってもこれだけの手間が有ります」
岡辺がそう言う。
それを聞いた転移メンバーは戦後も大変な事になりそうだな。
全員がそう思った
「良し!それではこれからも頑張るぞ!!」
「「「「おお!!!」」」」
かくして、転移メンバーはこれからも歩み出す。
理想の日本を求めて。
はい、これで第二次世界大戦編は終了です。次回は4年後の物語となります。




