第7話 崩壊の足音
秋月型駆逐艦
基準排水量3200トン。
機関・・・ガスタービン。
最大速力32ノット。
巡航18ノット。
武装・・・10センチ連装高角砲4基8門。40ミリ連装機銃10基20門。20ミリ単装機銃20基20門。24連装対潜迫撃砲4基96門。
備考
戦時量産艦とは別枠で造られた艦隊用護衛艦。史実秋月型比べると艦全体が大型化している(ちなみに史実秋月型の基準排水量は2700トン)。そして、砲力は殆ど変わらないが、対空火力は増強されている。更に史実秋月型に有った魚雷発射菅は無く、変わりに対潜迫撃砲が搭載されていて、対潜能力も高い。
◇西暦1939年 6月12日 大日本帝国 帝都
4月半ばに始まった朝鮮事変は意外にあっさりと終わった。
第3艦隊の母艦機を前にレーダーも無く、殆ど無警戒と言っても良かった中華民国軍はあっさりと崩壊し、散り散りとなった。
そして、5月19日に釜山から上陸した日本陸軍二個師団によって完全に朝鮮半島から駆逐される事となった。
だが、これで終わりでは無かった。
遅れ馳せながらも中華民国軍を止めようとした在中米軍が朝鮮半島に進撃した時、第3艦隊はこれを中華民国軍と間違えて攻撃してしまったのだ。
当然、米国は日本に抗議したが、この抗議はイギリスの口添えによって実質黙殺されてしまっていた。
イギリスからしてみれば、元々の原因は中華民国軍の暴走に有るのだから、根本的な原因を作ったアメリカの方が悪いと思っていた。
また、第二次世界大戦が起こっている中で、1人だけ金儲けをしている事が気に入らないという感情も存在していた。
その為か、イギリスは日本を擁護し、逆に中華民国軍の蛮行を阻止出来なかったアメリカを非難していた。
まあ、前者については実際に被害を受けた身としては当たり前の意見だったが、当然アメリカは納得しなかった。
それどころか、朝鮮半島に上陸した日本陸軍の二個師団と武力衝突すら起こしていた。
これは最終的にアメリカ政府によって在中米軍側の行動は止められ、終息したものの、朝鮮事変は日本とアメリカの関係にしこりが残る形で終結してしまった。
それから半月後、夕季は日本に戻り、転移メンバーの会合に参加していた。
「先の朝鮮事変でアメリカの態度も硬化してきた。・・・もしかしたら、場合によってはアメリカと一戦を交えるかもしれん」
春川の言葉に転移メンバーは凍り付いた。
アメリカとの関係については転移メンバー達も憂慮していたが、流石にそこまでは考えていなかったからだ。
「一戦を交える?アメリカの態度は確かに硬化していますが、一戦を交えるとは、まだ決まった訳では・・・」
「いや、有り得るな。確かに政府は渋々ながらも納得したかもしれないが、世論の方はどうかな」
有村の言った事は正しかった。
実際、今、アメリカでは在中米軍の兵士が殺傷された事を聞き、日本への報復を望む声が微妙に高まっていた。
21世紀程に情報社会では無いこの時代では、朝鮮事変の詳細など知る術は無かったのだ。
ただ、今の段階では戦争までには発展しないと思われた。
なんせ、今、宣戦布告を行えば、日本の位置の関係上、まず間違いなく満州は蹂躙され、今までやって来た満州開発はパーになる。
だが、報復の声が高まっているのも事実な為、本格的では無いにしろ、何らかの軍事的制裁やもしくは経済的制裁を日本に課してくる可能性があった。
「まあ、そうでしょうね。あれだけの被害でしたから」
夕季がそう言って、日米の損害を思い出す。
朝鮮事変時の武力衝突によって日米両軍は甚大な被害を受けていた。
日本側の被害は死傷者583名(内、戦死者203人)。
実質、2~3個中隊が壊滅した計算である。
それに対して、米軍の被害は死傷者1027名(内、戦死者463人)。
此方は1個大隊が壊滅した計算であった。
戦術的には日本の勝ちだが、軍事的にもあまり意味の無い戦闘であったし、政治的にはマイナスなので、少なくとも転移メンバーにとってはちっとも嬉しくなかった。
だが、一方的に殴られたままで居ろと言う訳にもいかないので、そういう意味では外交的に効果が有っただろう。
あまり慰めにはならないが。
「暫くの間は米国との外交関係に気を配った方が良さそうですね」
曲がりなりにも日米は戦火を交えた者同士。
暫くの間、日米外交は冷えきったものとなるだろう。
まあ、これに関しては仕方がない。
米国民のみならず、日本人ですら怒っている者は居るのだから。
一先ず、アメリカについての話を終え、転移メンバー達の話題は欧州戦線に移った。
「連合軍は漸くリビアに侵攻したようですが、ドイツ、イタリアは既に防備を固めていた為、なかなか攻略に手こずっているようですね」
青木がアフリカ戦線の状況について説明する。
イギリス軍は漸くリビアに再侵攻するだけの兵力を集めて、リビア侵攻作戦を開始していたが、早速躓く事となっていた。
ドイツ、イタリアも馬鹿ではない。
撤退した以上、撤退先であるリビアの防備を固めるというのは当然と言えば当然の行為だった。
「アフリカ戦線の躓きは地味に痛いです。おまけに近頃はイギリスの国内で反戦運動が起こりかけているようです」
開戦以来、イギリス軍はノルウェー侵攻や海軍の強襲作戦を除いて、これといった戦果が挙げられていない。
しかもその海軍の戦果も、4割近くが実質日本海軍の戦果であった。
そんな状況の為なのか、イギリス国内では反戦運動が起こり掛けていたのだ。
まあ、無理も無かった。
開戦からもう少しで2年が経つが、イギリス軍の被害が史実よりも大きいせいか、子供や夫を失った家族から戦争反対の声が大きくなっており、イギリス政府も完全な無視は出来ない段階に来ていたのだから。
これがもし、史実のように海上交通路が壊滅などという事態になれば、今頃革命が起きていただろう。
「このままの状況が続いたとしたら、イギリスはどれだけ持つ?」
「・・・だいたい半年から1年ぐらいかと」
青木の返答は予想以上に深刻なものであった。
これは言い換えると、半年から1年以内に何らかの成果を出さなければ、革命の危険性も有るという事だ。
そして、それは同盟を組んでいる日本にとっても無関係ではない。
仮にドイツとイギリスが停戦した場合、日本とも停戦を選ぶかどうかは微妙なところだった。
何故なら、イギリスが停戦という事は、当然の事ながら欧州のイギリスの拠点を日本は戦闘目的で使う事が出来ない為、場合によっては太平洋まで撤退するしか選択肢が無くなってしまうからだ。
そして、交戦状態のままであれば、日本の船や部隊を攻撃しても問題は無いという事になる。
まあ、その逆もまた然りだが、イギリスが停戦する以上、日本からのドイツ攻撃は不可能だった。
もし有るとするならば、イギリスが再び戦争を再開するか、この前、岡辺が言ったようなロシアルートしか無い。
「う~ん、しかし、日本からは打つ手が無い。第二次遣欧艦隊はUボートを次々と血祭りに挙げているが、それでもそれが精一杯だ」
有村の言ったように、第二次遣欧艦隊は新型機である98式対潜ヘリによってUボートを次々と血祭りに挙げていた。
この戦果により、最近では通商破壊どころか、海上封鎖を行う艦艇への攻撃も低調であった。
だが、第二次遣欧艦隊が戦果はそれだけであり、全体の戦局を覆すまでには至っていない。
おまけに海上封鎖を行うイギリス海軍は青息吐息といった感じになっており、もし第二次遣欧艦隊が抜ければ、海上封鎖に穴が空くかもしれなかった。
「問題はそれだけじゃ有りませんよ。独ソ戦もです」
ドイツは既にハリコフ・クルスク・スモレンスク・レーニングラードを繋ぐ線上にまで進撃していた。
このまま進撃すれば、間違いなく後2ヶ月程度でモスクワは落ちるだろう。
更に極東でも、補給が滞り始めたせいか、ソ連軍が浮き足だっており、ロシアの反撃を受けていた。
つまり、この時点でソ連は両方向から挟み撃ちに遭っているという笑うに笑えない状況が出来上がっていたのだ。
経緯としては自業自得だろうが、このままではソ連はイギリスの政治的理由とは違って、国家存亡的な意味で1年持つかどうか分からなかった。
「ドイツの勝利ははっきり言って時間の問題だな。仮にウクライナなどを取り返したとしても、ドイツ本土にまで進撃する体力は残っていないだろう」
「むしろ、そんな事をしたら、ソ連が空中分解するさ」
有村の言葉に夕季は苦笑気味に返答したが、目は笑っていなかった。
それはそうだろう。
ソ連とイギリスの状況から、罷り間違えば日本が単独でドイツを下さなければならない可能性も有るのだから。
もしそうなった場合、史実の日中戦争などとは比べ物にならない程の消耗戦となり、日本は急速にその国力を失うだろう。
そうなれば、転移メンバーがやって来た事も全てパーとなる。
「兎も角、我々は何らかの成果を短期間で挙げなければならないという事だ。問題はそれをどうするかだ」
有村はそう言ったが、転移メンバー達は何も思い付かなかった。
何をするにしても、日本との“距離”と言う壁がぶつかってくるからだ。
この壁は如何なる事をしても乗り越えられない。
何故なら、地球崩壊規模の地殻変動でも起こらない限り、日本と欧州の距離が縮まる事は無いからだ。
更にもう1つ問題がある。
先の朝鮮事変によって米国との関係が悪化した為、第三次遣欧艦隊の派遣がやりづらくなってしまった。
何故かと言うと、米国との関係悪化により、米軍の極東方面軍を警戒する必要性が出来てしまったからだ。
この状態ではイギリス救援は難しく、ましてや、主力である第一、第二航空戦隊を欧州に引き抜く事は絶対に出来ないと言って良かった。
それはそうだろう。
幾ら同盟国とは言え、自国を亡国としてまで救援する価値は無いのだから。
「・・・ここら辺の対応はイギリスに任せましょう。彼らも自国の世論ぐらい、分かっている筈ですから」
青木の言葉に転移メンバー達はゆっくりとだが、頷いた。
どのみち、日本がどういう対応を取ろうが、それで挙げた功績は日本のものになるので、イギリスには単独で解決して貰わなければならない。
手柄を譲るという選択肢も有るが、それでは日本側の軍部から反発が起こってしまう。
ここは大人しくしておくのが一番だった。
だが、事態は転移メンバー予想を遥かに越える速度で進行する事になる。
◇西暦1939年 8月5日 ソ連 ウラル
8月2日、遂にモスクワはドイツによって陥落した。
ソ連政府はその何日か前にウラルを臨時首都としていたが、そこに集まった閣僚の数は少なかった。
スターリンは勿論居たが、何人かの閣僚はスターリンによって粛正されたり、脱出が間に合わなかった者も居たのだ。
「ドイツはモスクワ占領後。どうやら、北方と南方に兵力を集中しており、中央集団は防備を固めているとの事です。またバクー攻略の他にフィンランド侵攻が計画されているとの情報もあり、当分はこのウラルが脅威に晒される事は無いかと」
「ふむ」
閣僚の1人からの報告にスターリンは唸りながら考える素振りをする。
そして、閣僚会議に出席していたある人物に向かってこう発言した。
「・・・同志ジューコフ。モスクワ奪還は可能かね」
スターリンが尋ねた男の名はゲオルギー・ジューコフ。
史実では名将の1人に数えられていて、極東・ヨーロッパ両方面で日独を苦しめた男である。
「今の段階では不可能かと。なにぶん、兵器も兵力も十分な数が揃えられていません」
「では、何時奪還が可能になる?」
「・・・少なくとも、数ヶ月は不可能です。加えて、我々は極東でも戦闘を行っているので、そちらも考えれば、最低一年は此方からは動けません」
その言葉にスターリンは内心でガックリと来ていた。
まさかロシア侵攻の弊害がこんな形で返ってくるとは思わなかったのだ。
そして、この状況を日本人が聞いたら、まずこう言うだろう。
因果応報、と。
「では、同志ジューコフ。ドイツが此方に掛かってきたら、防ぐ事は出来るかね?」
「それは可能です。ウラルの工業地帯は身近に有りますし、ここはドイツ人に不馴れな土地が多いです。ウラルは陥落は無いと断言致しましょう。ですが」
「ですが?」
「はっ。現在、我々は穀倉地帯を奪われた事で、食料が不足気味です。人民はおろか、軍ですら満足な食事を取れない程ですから」
ソ連の食料事情はかなり不味い状況だった。
ソ連は広大な領土の面積を誇るが、穀倉地帯の殆どは国土の西部分に集中している。
だが、そこは現在、ドイツによって占領されており、当然の事ながらそこから食料は供給できない。
その為、既に数十万人の餓死者が出ていたし、その数は年内に数百万の単位に上る見込みだった。
「このままではソビエトは内部崩壊してしまう、か」
ドイツはソ連にとって時間が有れば勝てる相手だ。
だが、今は時間そのものが無い。
故に、ドイツに勝つなど夢のまた夢だという事をスターリンは自覚せざるを得なかった。
しかし、考えはあった。
「同志ベリヤ。反抗的な人民を極東に送る事は可能か?」
スターリンが新たに尋ねた相手はラヴレンチー・ベリヤ。
NKVD長官であり、スターリンが行った粛正の執行人という立場であった。
「可能です。同志スターリン。既に名簿は出来ています」
ベリヤはそう言ったが、スターリンは首を横に振った。
「それだけでは足りん。数百万人単位で送る事は可能かと聞いているのだ」
「は?」
流石のベリヤも驚いたのか、間の抜けた返事をしてしまった。
見れば、閣僚達も同様に思ったのか、顔を見合わせた。
「あの前時代主義者達に“非国民”を送り付ける。奴等は非国民どもの面倒を見ざるを得ない。曲がりなりにも難民だからな。そうして物資を浪費させ、進撃の手を遅らせる」
スターリンの案は早い話が、ロシアに余分なソビエトの人民を押し付けて、ロシアの侵攻を鈍くさせ、且つ自国民を減らす事によって自国の食料の消費量を抑えようという案だった。
ちなみに対象がドイツでは無いのは、ドイツが占領地にて、民族浄化運動に近い事を行っている事を知っていた為、押し付けようとしても、機銃で撃ち殺されるだけだと判断していたからだ。
「ど、同志スターリン。それは・・・」
流石にひいたのか、閣僚の1人が恐る恐るといった感じで反対しようとする。
当たり前だ。
スターリンの言っている事は同胞を売り渡す事そのものなのだから。
だが、スターリンは意に返さなかった。
「今の我々に“非国民”の面倒を見ている余裕は無い。よって、ただちにこの案を実行に移したまえ」
そういうスターリンの目は血走っていた。
ここで逆らえば、まず間違いなく粛正される。
そう感じた閣僚達は誰も反対する事が出来なかった。
かくして、スターリンの“思い付き”は実行に移された。
だが、ソ連の崩壊の足音は着々と近づいていた。
94式艦上爆撃機
最大速度449キロ。
航続距離2000キロ。
爆弾搭載量500キロ。
武装・・・12、7ミリ機銃一丁。
備考
現在(西暦1939年8月時点)の日本の主力艦上爆撃機。史実ドーントレスを参考にして造られている。その為、機体はかなり頑丈だが、運動性能はかなり低い。まあ、爆撃機に運動性能など求めても、あまり意味は無いが。