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悠遠の旅空に~半神のバックパッカー~  作者: ビール汁
フォルティス大陸――中部諸国
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74話 タルール料理と旅の思い出

 住めそうな家に心当たりがある。

 そう言ってモルルはアディル達を引き連れて去っていった。

 人が住んでいないのだから、おそらく放置された家屋なのだろう。それも四人で向かうくらいだ。大掃除が必要なことは簡単に推測できる。


 積もり積もった埃。張り巡らされた蜘蛛の糸。

 室内は(かび)臭く、淀んだ空気が漂っているだろう。

 掃除に悪戦苦闘する四人の姿を想像してしまい、穣司は申し訳なさが募る。

 一緒に掃除をした方がいいのでは、という気持が込み上げるが、勝手な行動はするべきではないと、内なる自分も語り掛けてくる。余所者に見せられない物があってもおかしくはないのだ。待てと言われたのだから、大人しく従うべきなのだろう。そう結論した穣司は、長時間待つ覚悟を決める。


 待つことは苦ではない。天候に恵まれているのなら尚のことだ。

 日本で生活していた時は時間に追われることもあった。

 ただ、そういったしがらみから抜け出せば、長時間待たされることにも順応する。バスや列車、船や飛行機。出発までの待ち時間や乗り換えで暇を持て余すことは多く、正確無比なダイヤが組まれていない国では、乗車時間が遅れることも多かった。

 そのお陰なのだろう。穣司は待つことに、さして不満を覚えない。綿密な予定を組んでいないこともあり、時間と心にはいつだってゆとりがあった。ぼんやりと景色を眺めながら、漫然と過ごすだけで、時間は過ぎていくものだ。


 ――その筈だったが、予想は大きく外れていた。


 川沿いでは長時間待たされることなく、モルル達は程なくして戻ってきたのだ。埃まみれということもなく、その姿には変化がない。

 集会所に向かう途中で「何をしていたんですか」と穣司は尋ねる。

 モルルは「村の公共施設である集会所を利用する許可を村長から得ていた」との旨を気まずさを滲ませながら答えた。心なしか憐憫の情まで向けられている。


 話し合いは難航したのだろう。

 余所者が公共施設で寝泊まりするのだから、快く思われないのも無理はない。村長がどのような人柄なのか不明だが、もしも排他的な人物ならば、首を縦に振らせることは難しい筈だ。不審者の件もあり、突然の来訪者に対して神経質になるのも当然と言える。

 だからこそモルル達は四人掛かりで挑んだのだろう。地元民であるモルルやトリトス以外の説得だけでなく、アディルやサルバドールの意見も必要だったのだ。

 それ故にモルルから憐れみの視線を感じたのかも知れないな、と穣司はますます申し訳なさが募る。


 トリトス達からの疑いが晴れたとはいえ、そこまで奔走してもらうことではないのだ。それが罪滅ぼしだとしても過剰である。それに村長の許可を得るのなら、本人が頭を下げるのが筋というものだろう。


 それでもモルルは必要以上に明るい表情を見せた。

 集会所に入るなり「そうだ、夕食は皆で楽しもうよ」と名案が浮かんだと見せつけるように手を叩たのだ。


 その健気な姿が痛々しい。

 ゆえに穣司は提案をやんわりと断った。

 もちろん夕食というのは魅力的であるし、家庭料理や郷土料理こそ、旅の醍醐味だ。その土地で育まれた独自の食文化こそ触れるべきである。しかし疲労感が窺えるような表情を見せるモルルには、ゆっくり休んでもらうべきだろう。


「お腹も減っていませんし、俺のことは気にせずに楽しんでください。こんな立派な集会所を紹介してくれただけでも有難いことなので、これ以上は贅沢になってしまいます」


 そう伝えたが、結果は却下である。せめて手伝いでもと申し出るが、それも却下だ。「いいから、いいから。ここで待ってて」と強引に言いくるめられ、集会所に取り残されたのだった。


「……もしかして気分転換したかったのかな」


 潮が引いたように静寂が訪れた室内は、夕暮れ前の落ち着いた光が差し込んでいた。何かしら像の名残と思われる台座の傍らに背囊(ザック)を下ろし、穣司は空の彼方を眺めて、独りごちる。

 夫婦喧嘩の件もあり、気を紛らわせたかったのだろうか。

 もしもモルルが気を病んでいるのなら、せめて夕食の時間は楽しく過ごせるように、会話を弾ませるべきなのかも知れない。


「モルルとトリトス……仲直りできるといいけど」


 笑い話になるような旅の失敗談なら、いくつもあるのだ。

 どんな話をしようかと穣司は考えながら窓から離れた。


 集会所の扉を開け、玄関の短い階段に腰を下ろす。

 人口が少ない村なのか、人の姿はまばらだ。そして誰もが幼児の姿をしている。成人しているのか未成年なのか判断することは難しい。


「ん?」


 ふと視線を感じた。

 気配を辿ると、建物の陰から顔を半分だけを覗かせている少年がいた。

 少年と目が合う。すると慌てるように頭を引っ込められる。しかし好奇心には勝てないのか、すぐに顔を覗かせた。だが、それでも恥じらいにも勝てないようで、目が合った瞬間には顔を隠していた。

 それが幾度なく繰り返され、ある種の遊戯のようになっていた。見知らぬ者に興味はあるが、照れ臭くて声を掛けられないのだろう。その可愛らしさに思わず失笑する。


「やあ、こんにちは」


 実際のところ少年なのか定かではない。が、穣司が無意識に発したシュケル語での挨拶は、子供を相手にするような声調で、手を振った。


「――ッ! コ、コニチ……ワ?」


 少年の一人は一瞬、驚いた顔を見せた。言葉を理解しているのだろうが、返ってくるシュケル語は拙い。だからなのだろう、恥じらいを覚えたのか、脱兎の如く走り去った。


「ありゃ、逃げられちゃった……」


 不審者と思われただろか。

 反応を窺う限りでは、恥ずかしがり屋の子供のようにも見える。臆すことなく近づいてくる積極的な子供もいれば、そうではない子供もいる。個性とはそういうものだ。

 それでも――あのような子供とも仲良くなれら、と穣司は思う。


「ま、そのうち仲良くなれるかな」


 一瞬だけ、心の最奥で眠らせている記憶が揺らいだ。

 人攫い。不審者。外見が子供のタルール族とハーフリング族。それらから嫌でも結びついてしまう想像を、頭を振って掻き消した。

 元の世界も異世界も、綺麗なことばかりではない。だが、美しいモノは何処の世界だって同じだ。平穏を享受する人々、そして無邪気な笑顔を見せる子供達。

 まずはモルル達の自然と湧いてくる笑顔が見たい。そして次はあの少年だ。そう考えると心は凪いでいった。



 ◆



 トリトスが一人でやってきたのは黄昏時だった。ミトンのような厚手の手袋を着けて、茶色の壺の取っ手を掴んでいた。壺の大きさはサッカーボール程だ。

 小走りで顔をひきつらせているのは、その壺が熱を持っているからなのだろう。そう察するよりも先にトリトスは「熱いから、早くっ」と言い放った。

 何を言いたいのか、すぐに分かった。集会所の外で待っていた穣司は扉を開けると、トリトスは机の上に壺をそっと置いた。ミトンをしていても熱かったのか、手をバタバタと振った後、一仕事終えたように「ふう」と額を拭う。


「それはなんですか? 壺なのは分かるんですけど」


 蓋の閉まった壺を眺めながら穣司は尋ねる。


「夕食の時になったら分かるって」


 トリトスは得意気な顔で鼻を鳴らした。

 食欲を刺激するような匂いを漂わせているのだから料理に間違いない。ただし容器は壺だ。


「おまたせー」


 続いてやってきたのはモルルだ。蓋のされている底の浅い四角い籠、つまりバスケットを抱えて集会所に入ってくる。中身は焼きたてのパンなのが匂いで分かる。

 その後ろを追従するように入っきたのはサルバドールだ。無言だが食器類と酒瓶を持っていることから、夕食会に参加する気はあるのだろう。だが、一人足りていない。


「あれ、アディルさんは?」


 穣司は扉の外に首を出して、左右を確認する。


「ああ、アディルは嫁さんと二人きりで食事がしたいそうだ。悪気はないんだが、食事の時はいつもそうだから、気にしないでやってくれ」


 貼り付けたような笑顔を見せるサルバドールに違和感を覚えながらも「それじゃあ仕方がないですね」と穣司は返した。

 アディルは自らを愛妻家と称していたのだ。無理に付き合ってもらうこともない。


 食事の準備ができるとモルルは「太陽の恵みに感謝します」と両手を広げた。この地特有の作法なのだろう。穣司は見よう見真似で手を広げた。そしてその後でこっそりと机の下で両手を合わせて、心の中で「いただきます」と呟く。


「これはなんて食べ物ですか?」


 舟型の形状をしたパンを指しながら穣司は尋ねる。縁には土手があり、パンの中心に乗せられた玉子と、きつね色に焼かれたチーズが零れ落ちないようになっている。厚めの生地のピザのようでもあるが、トマトソースは塗られてない。


「これはね、ハチャリっていうの。タルールの家庭料理の一つなんだよ。遠慮しないで食べてね」


 モルルに促されて、穣司はハチャリを手に取った。


「おお、いいですね。家庭料理は久し振りですよ」


 ハチャリを口に入れて、噛み切る。表面のチーズはカリっとしていて香ばしいが、中身はとろりとしていた。伸びるどころか滴り落ちそうになる。癖がなく優しい甘味と塩気、そしてミルキーな風味。パンの食感も丁度良く、固まる一歩手前の卵黄が、口の中でチーズと絡み合ってくる。

 穣司は思わず目を見開て唸った。そして目尻が下がっていく。

 調味料や香辛料をふんだんに使っていない素朴なパンだが、素材の味がしっかりと生きている絶妙な味だ。ここ数日は質素な食事をしていたせいか、舌が喜んでいるのが分かった。もっと頬張りたい。そんな欲求を堪えて、ゆっくりと咀嚼する。


「ハチャリって美味しいんですね。なんというか素朴なのに贅沢な味というか。……これはモルルさんが焼いたんですか」


 穣司が尋ねると、苦笑を浮かべたモルルはゆっくりと首を振る。


「僕だよ僕っ! どうだ、美味しいだろ? 特別なチーズ(ペイニル)と新鮮なコロロ鳥の卵を使ったんだから、美味しいに決まっているんだけどね。タルールの男は美味しいハチャリが焼けて一人前なんだ」


 したり顔で腕を組むトリトスは鼻を膨らませていた。


「じゃあ今度はカヴァルー食べてみてよ。これはね、私が作ったんだよ」


 モルルは言いながら壺の蓋を開けると、湯気と共にトマトの香りが立ち込めた。木製の皿に注がれる赤いスープはとろみがあり、野菜と茸、そして肉類を煮込んだトマト料理のようだった。こちらにもチーズが乗っているが、今にも溶けそうになっている。


「見るだけで美味しいって分かりますね。これもタルールの家庭料理なんですか?」


「んー、家庭料理なのは間違いないんだけどね、ハチャリとは違って、特別な日やお祝いの時に食べたりするかな。それに今はトマトドマテス)が旬の時期でもあるから丁度良いんだよ」


 笑顔を見せるモルルに穣司は頷く。

 なるほど、行事食のようなものか。普段通りの料理でないのは、罪悪感の現れだとも思えるが、単に来客をもてなしているだけとも受け取れる。

 穣司にはどちらにも感じられたが、追及するのは野暮に思えた。それに夕食の場は和やかな雰囲気だ。モルルとトリトスの仲は、穣司が気を遣うほど険悪ではない。知らぬ間に仲直りしたのだろう。


「では、いただきます」


 口に入れた途端、煮込まれまたトマトの濃厚な味と、ほのかな酸味が口に広がった。思わず唾液が溢れそうになる。そしてチーズの風味がコクとまろやかさを際立てている。鶏肉に似た食感の肉の味も良く、旨味がカヴァルーを包んでいた。


 トマト料理。いや、違う。これは間違いなく、鶏肉の煮込み料理なのだ。そう理解してしまう程には、肉の旨味が穣司の舌に主張していた。

 料理が美味しい。それだけでその土地に思い入れが増える。シュケル料理は美味しいものばかりだったが、ハチャリもカヴァルーも間違いなく、この異世界旅行の記憶に残る味である。庶民の味こそ、楽しみなのだ。

 穣司の目尻が下がっているのは、言うまでもない。つい無言になり、カヴァルーに夢中になる。会話を楽しもうと考えていた筈が、旨い料理の前では儚くも崩れ落ちていた。


「すみません、あまりに美味しかったので、つい夢中になってしまいました。モルルさんは料理上手なんですね」


 穣司は苦笑を浮かべた。


「フフ、ありがとう。見てる私が嬉しくなるような食べっぷりだったよ。まだまだ残っているから、おかわりをする?」


「ぜひ、お願いします。こんなに美味しい家庭料理なんて滅多に食べられないですからね」


 おかわりを木皿に注ぐモルルは、相好を崩していた。何故かトリトスも自慢気な表情だ。

 サルバドールは夕食が始まってから何も語らず、葡萄酒とも思える色の酒を飲みながら、穣司を観察しているようだったが、穣司が美味しそうに食べる姿に興味を持ったのか、木匙で掬ったカヴァルーを口に運び、満足そうに大きく頷く。


「確かに、旨いな。……お前さんは、家庭料理に、飢えているのか?」


 片言のシュケルの言葉でサルバドールから尋ねられる。


「うーん、そうですね。飢えているってのは大袈裟かも知れないですけど、似たようなものかも知れませんね。家庭料理ってそうそう食べられるものではないですからね。貴重だと思います」


 豪華な宮廷料理には元から興味がない。ドレスコードが必要になるような店に行きたいという気持ちは皆無だ。地元民が食べられないような高級料理ではなく、地元民が好む庶民食を味わうからこその、旅の醍醐味なのだ。しかし家庭料理というものは、家に招かれることがない限り、食べる機会は少ない。親から子へ受け継がれる伝統でもあり、家庭によって微妙に味付けが違うのも面白味の一つである。貴重という言葉に嘘はない。


「そうか。つまらない、ことを聞いて、悪かったな。お前さんさんは……いや」


 サルバドールは最後まで言葉を紡ぐことなく、目を伏せた。


「そう、なんだ。……あのね、私の料理だったら、いくらでも食べてくれていいからね」


 モルルは悲しそうに笑った。


「ハチャリでいいなら、また今度焼いてあげるよ」


 トリトスは妙に優しい口調だ。


(あれ? なんでだろう……哀れまれてるような。あ……そうか、俺が寂しい独り者だと思われているとか? ……まぁ、確かに結婚していてもおかしくはない年齢だし、間違ってはいないんだけどさ)


 時々、こうした目を向けられることはあった。

 なんで結婚しないの。バックパッカーしてたなら、海外で彼女の一人くらい作らなかったの。そんな言葉を耳にする度に、余計なお世話だと笑いそうになる。とはいえ自身の年齢を考えると、そういった疑問を持たれてしまっても当然だ。それに今の穣司は定職につかない、流浪者兼旅人である。そんな男を相手に結婚はおろか、付き合おうと思う女性はいないだろう。そういったことをモルル達が察して、哀れんでいるのだと考えられる。


「独りは気楽ですし、悪いもんじゃないですよ。……ま、それはともかくとして、カヴァルーはなんで壺に入っているんですか?」


 強がりだとしか思えない自身の言葉に、穣司は話の流れを変えようと、(かね)てからの疑問を口にする。


「昔の話になるんだけど、鉄製の調理器具は取り上げられちゃったみたい。だから壺で代用したんだって――」


 モルルの話によると、フォルティス大陸では、何処かしら戦争している国が多いらしかった。クロース村の定住する前のタルール族も、争いに参加するように命令されたようで、その外見の幼さから、敵国の油断を誘えると踏んだらしい。が、タルール族は戦争を否定した。というよりは、勇敢さの欠片もなく、戦いに怯えていた。そのためか怯懦(きょうだ)の種族だと揶揄されて、嘲笑われていた。結局のところ争いに参加することはなかったが、役に立たない種族だと判断が下された挙句、放逐されたらしい。その際に鉄などの所持品は全て没取されたとのことだ。そして辿り向いた地で、いくつかの試行錯誤を重ねながら、石窯で作る壺料理を完成させたらしかった。


『鉄が不足していたんだ。だから没収されたのだろう。そのような戦況は末期だからな。モルル達の先祖が放逐されて良かった……というのは言葉にすると相応しくないが、戦地から逃げられたのは幸いだろうな。それにタルールの怯懦(きょうだ)の特性を知らないことも幸いしている。……まあ、このことはモルル達も知らないだろうから、聞かなかったことにしてくれ』


 モルルの説明の後、サルバドールがオリエン語でぼそりと呟く。まるで見てきたかのような口ぶりだが、モルルの話を聞く限り、数十年前という感じではない。もっと昔の話のように聞こえた。


(何か知ってるのかな。でも、オリエン語だから、モルル達には聞かれたくないのかも)


 腑に落ちない点があるが、サルバドールはこれ以上は話すつもりはないという態度だった。誰にも視線を合わせることなく、木製のコップに注がれた酒を回すように揺らしてから、口にしている。


「なんの話をしていたの」とモルルに聞かれた穣司は、サルバドールが料理の美味しさを語ったと、咄嗟に誤魔化した。モルルからは特に気に留める様子は見られない。


「へへへ、そうなんだ。……ところでさ、シュケルの旅はどうだったの? 年に何回か獣人さんがクロース村に来てくれるんだけど、私達はシュケルに行ったことがないんだよね。だってほら、あんな山を越えるなんて無理だもん。それを軽々とやってくるから、あの人達って凄いんだなって思うの。どんな暮らしをしているのかなーってね」


 瞳を輝かせるモルルは、窓の外の薄暗くなった山脈を見つめた。


「暮らしと言われてても……きっと普通だと思いますよ。他の種族と同じじゃないですかね。ただし、真っ直ぐな人が多いなって思いました。尾を引くような陰湿さがなくて、獣人の人達から嫌な思いをしたことがないですからね。一言で言うなら、良い国だった……って感じです」


 獣人種から嫌な思いをしなかったのは紛れもない事実だ。ゴブリンやオークが受けた被害は痛ましい記憶だが、加害者は獣人ではない。とはいえ、それをいま口にする必要もない。


「そういえば、獣人がクロース村に来るって言ってましたけど、山脈に阻まれていても交流があるんですね」


「うん、昔から物々交換をしてるからね。私達は生糸で、向こうは砂糖をくれるよ。だから言葉も理解できるってワケ。でも寒い時期は流石に来ないから、そろそろ砂糖が恋しいんだよね。それでね、獣人さんとは世間話もするけど、それ以上のことはよく知らないの。だからジョージが経験したことを聞いてみたいの」


 そういうことなら、と穣司は旅の思い出を語りはじめる。

 まずは海で漂流していたところをオルハン達に助けられた話だ。巨大なクラーケンに襲われそうになるが、要領を得ないままクラーケンが逃げだしたこと。それから巨大な赤い龍に抱えられてフェアティアに向かったことを熱く語った。


「おいおい、お前さんはあのオルハンと知り合いなのか!?」


 穣司の言葉の途中で、サルバドールが驚きの声を上げていた。モルルとトリトスは「誰?」と首を傾げている。


「シュケルで船長をしている人ですよ。俺は友人だと思っていますけどね」


「参ったなこれは。クロース村ほどの辺境だと、彼の偉業を知らないのか。そんなオルハンと友人だとは、な。……あ、いや、済まないジョージ。続けてくれ」


 我に返ったサルバドールから促され、穣司は話を再開する。

 シュケルでは同性の友人はいくつもいる。恩人のハリルいるが、最も親しみを覚えたのはザフェルだった。もちろん人柄という意味で好意を抱いている。他意はない。

 主観混じりで、ザフェルがいかに素晴らしい青年だったかを告げると、モルルだけでなくトリトスも顔を綻ばし、サルバドールは「アディルに聞かせてやりたいもんだ」と興奮気味に耳を傾けていた。


 次に語ったのは、リリィ・ノールズもといリリアンヌのことだ。名前を隠す必要があったのだから、本名を出すことを懸念した穣司は「とある人間種の少女」という呼び名で、森に向かう話を続けた。もちろんゴブリン達が受けた拷問ともいえる迫害を仔細述べることはない。夕食の話題には相応しくないからだ。だが、ゴブリンの風習や、リックスブリックスとリリアンヌの信頼関係については熱が込もる。話ながら思い出して、鼻がツンと痛くなる当然の結果だ。そして今は村を作り、幸せそうに暮らしていると告げた。他種族を迎え入れる獣人の懐の深さ語るのも忘れない。


 穣司は自分のことを多くは語らなかった。実は別の世界から来た人間で、今は借り物の力で神のような存在になった、と、上手く説明する自信はない。そしてなによりも漂流した時やシュケルでの出来事は自分が解決したとは思っていない。全ては良識のある現地人や動物によるものであり、自分が行ったのは傷を癒しただけのこと。――というのが穣司の認識だ。自身の功績のように語るつもりは微塵もなく、治癒魔法のことも、かすり傷を治した程度と控え目に伝えていた。


 あとは問題らしい問題はなく、シュケルでの生活は穏やかなものだった。窮屈な思いをすることなく、客車に乗ってのんびりと旅をする日々である。それらを話終わる頃には、食べ終わった夕食も片付いており、サルバドールが持参していた酒瓶も空になっていた。どうやら自分が飲むために持ってきたのだと、今になって気付く。ふと外を見ると夜の雰囲気は深くなっていた。


「凄い旅をしてきたんだね。ジョージってやっぱり凄いんだ」


「うん……侮っていたよ。そんな旅をしたら、ちょっとのことじゃ動じないよね。たとえ人懐っこいとしても、龍を見たことがあるなら、そこら辺の獣なんか怖くないだろうし」


 嘆息するように感想を漏らすモルルに、同意するようにトリトスも呟く。


「そうですかね? 友人が素晴らしい人ばかりってだけですよ。もちろんあの龍も賢くて可愛い子なんで、素晴らしいんですよ。俺の存在はオマケのようなものなんで、決して凄いもんじゃないです」


 人の範疇を超えた力を借りているとはいえ、自分が凄くなったわけではないのだ。多少のことに動じないのも、傷を負うことがなく、死ぬ恐れがない身体だからであり、精神を鍛え上げたわけでもない。オマケというのは的を射ているな、と穣司は上手いことを言った気がしていた。思わずしたり顔になりそうになる。


「でもさ、漂流するってとんでもない経験なんじゃないの? 一体何をしてたら海を彷徨うのよ。私は海を見たことがないから分からないけど、とんでもなく広いんでしょう?」


「陸地より海の方が広いので、とんでもなく大きいでしょうね。でも、彷徨っていた理由は、上手く説明できないです」


「そうなの? そこまで広いとは思わなかったけど……いや、それよりも、もしかしたら言いたくないことを聞いちゃったのかな、ごめんね」


「いえいえ、そうじゃないんですよ。説明するのが難しいだけで、言いたくないってことではないです」


 宇宙に近い場所から星を俯瞰したので、その広さを知っているとは言えず、好んでサーフボードに乗り、大海原を旅したとも言える筈がない。ともあれ、妙に心配されているのは居心地が悪い。


「それに海を漂うのは案外快適で――」


 言いながら常識外れな言葉だと気付き、穣司は慌てて訂正する。


「――いや、快適ではないですね。だって陸地が見当たらないのは、きっと怖いことですから。でも、自由を感じられるのは、良いことですよ。少なくとも窮屈な車内で、息苦しい思いをすることはないですから」


 定員を遥かに超えたバスや列車を思い出す。

 ぎゅうぎゅうに詰め込まれ、それ以上車内に人が入らないとなると、屋根に登る者や、扉にしがみつく者もいたのだ。


「車内って疾駆蜥蜴(ラプトル)の客車? そんなに……その……詰め込まれるようなことをされたんだ」


 怪訝そうな表情のモルルに、穣司は言葉を詰まらせる。

 先ほど言ったのは、元の世界でのことだ。この世界にも列車はあるだろうが、運行している姿は見ていない。疾駆蜥蜴(ラプトル)を走らせている以上、自動車の概念はないとも思われる。

 またしても説明に困る状況を自ら作り出していた。だが、疾駆蜥蜴(ラプトル)の客車でも通じるだろうと結論する。


「まぁ、そんなところです。慣れないと辛いでしょうからね。でも俺は機会を窺って逃げ出しました」


 エアコンが利かないため、窓は開けっ放しだ。埃っぽい空気が車内に入るが、それでも蒸し暑さが軽減されることはなく、かえって車内の臭いは酷くなる。不快感は増すだけだった。


「そうなんだ。……それは辛かったね」


「でも、思い返してみれば、いい思い出ですよ。二度と乗りたくないですが、外に出た時の解放感は、言葉にはできなかったですから。まぁ、シュケルよりもっと昔のことですけどね」


 逃げるようにホテルを探し、シャワーを浴びた時は空を仰ぐように感謝したものだ。それが水シャワーだったからだろう。冤罪で刑務所に投獄された映画の主人公が、脱獄した際に浴びた雨のように思えてしまい、蒸された身体が冷えていくのを感じると同時に、小さな自由を感じたのである。

 そのことを考えると超満員の乗り物は気後れする。いくら人外の力を得たとしても、精神的な疲労は変わらない。


 これは一種の笑い話のようなものであり、ちょっとした苦労自慢でもあった。「うわぁ」だとか「そんなの自分は乗りたくない」と苦笑を返されるのが、お決まりである。

 しかし――モルルは瞳を潤ませていた。トリトスも俯いて、顔を上げようとはしない。


「そうか、辛い、過去が、あったんだな」


 サルバドールから同情され、穣司は当惑する。

 羨望の眼差しを向けられる話題ではないのは確かだが、そこまで憐憫の情を向けられる話をしていない。一体どういうことだろうかと考え、あることに思い至る。

 長閑なクロース村では想像を絶する人混みかも知れない。もしもタルール族のパーソナルスペースが広いと考えるなら、見知らぬ人が密集するのは耐え難い苦痛だろう。まさに地獄のような空間だ。


「そんな辛い過去じゃないですって。こんなの笑い話なんですよ……あはは」


 笑って誤魔化そうとするが、室内の空気が沈んでいた。

 どうにか払拭しようと、穣司は背囊(ザック)から茶葉を取り出す。


「そうだ、食後のお茶しませんか。……もう食後にしては随時と遅いでしょうけどね」


 穣司は返事を待つことなく、沸騰した湯を浮かべてから、茶葉を入れる。その様子にサルバドールから息を呑む気配がしていた。

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