73話 足跡と憶測
小さな背中を追い掛けるアディルは、モルルの思惑に察しがついていた。人が住んでおらず、人間種が寝泊まりをしても窮屈に感じない大きさの建物には、一つしか心当りがない。ただそれだけのことなら、村に住んでいる者なら誰にでも分かることだ。しかし、それなら彼と置き去りにする必要はない。
「あのさ、モルル。集会所に向かっているんだよね」
「うん、よく分かったね」
小走りで先頭を切っていたモルルは立ち止まる。
「僕だってこの村に住まわせてもらっているからね。それくらいは分かるよ。でもさ、なんで彼と一緒に行こうとしなかったのかな。……もしかしたら彼に聞かれたくない話をしたかった?」
「……まあ、その通りだよ。でもね、皆もジョージのことが気になっているでしょう? だから皆の意見を聞きたいってワケ。……さあ行くよ」
ばつが悪そうに笑ったモルルは、再び走り出した。アディル達は無言で追従する。
ジョージという男をどのように扱えばいいのか。そういった類いの話し合いがしたいのだろう。村人に危険を及ぼす人物なら、置き去りにするわけにはいかないが、彼はそういった危険とは対極の存在だ。いや、被害を受けるばかりの悲惨な人生を送っていたとも考えられる。
しばらくもしないうちに集会所に着いた。
アディルにとって馴染みのある建物である。遥か昔は教会として使われていたと口伝に残されているが、その名残は殆どない。礼拝の対象となるような像はなく、片隅には台座だけが物憂げに佇んでいるだけだ。誰も教会として利用しておらず、普段は集会所として役割を果たしている。
そんな場所を有効活用しているのがアディルだった。
村に居候させてもらっている礼として、空いた時間を利用してアディルが教鞭を取っている。辺境の村は識字率の低さが著しい反面、乾いた砂に水が染み込むような吸収力も備えている。いずれ世界に変革をもたらす才人が、埋もれている可能性だってある。
アディルはそれに期待していた。とはいえ打算だけなく、勉学に勤しむ生徒の成長が楽しみでもあった。国境付近の集落ともなれば、母国語のみならず隣国の言葉まで喋れれることは、珍しいことではない。しかし喋れても字が書けないのはあまりに勿体なかった。加えるなら魔術の基礎を教えれば、自らの身を護る助けにもなるだろう。
中に入っても普段と代わり映えはしなかった。
高い天井のおかげか圧迫感はなく、張り替えたばかりの床は新しいが、石造りの壁は年代を感じさせる。派手な装飾はなく、机と椅子が並んでいるだけで、もちろん寝台はない。だが、取り敢えず雨風は凌げるだろう。
「それでモルルは何を話し合うつもりだ?」
腕を組み、壁に背中を預けているサルバドールが尋ねる。
「もちろんジョージのことよ。皆だってあの人が悪人じゃないことくらいは分かったでしょ? きっとね、その逆だよ。あの人は裏切られてばかりの人生じゃないのかなって思うもん」
悲しげに目を伏せるモルルに無言で同意する。
ジョージが疑惑を向けられた時の態度が物語っていた。
潔白の身であれば無実を証明しようと躍起になるものだ。しかし彼はそうではなかった。どこか諦めているように乾いた笑みを浮かべ、誰に聞かれるまでもなく解決方法を先回りして提示していた。一体どれだけの経験を積めば、あのように達観できるのか。
「憶測だけで他者の人生を語るものじゃないよ。でも……正直に言うと、僕も似たような印象を受けた。本来なら疑惑を向けられたら反論するものだよ。それなのにジョージは、無実を証明することを諦めていた。……まるで何度も冤罪を着せられたことがあるみたいに」
憶測で他者を評価するのは教育者として失格だ。だが今まで出会ったことのない種類の人間に、アディルも戸惑っていたのだろう。言ったそばから憶測で語っていた。
「ま……そうだな。俺も似たような印象だ。奴は無類の動物好きだと言っていただろう。もしかしたら人間種でありながら人間不信なのかも知れん。だから獣人種の住んでいるシュケルを訪れていたんだろう。人間種のような薄汚さとは無縁の国だからな。……いや、いま愚痴ることではないか」
宙を眺めていたサルバドールは、憎悪を纏わせるような口振りになっていた。しかし冷静になったのか一拍置いてから言葉を続ける。
「子連れの雷豹と言えば、恐ろしい動物として知られている。俺なら単独でも倒せなくはないが、並の冒険者程度では返り討ちに遭うだろう。……だがな、奴はそんな魔物に可愛いと言っていた。俄には信じられんが、嘘を言っているような気配もない」
子連れの雷豹の生態に詳しくないアディルも、その恐ろしさは噂に聞いたことがあった。獰猛で人に懐くことはない危険な生物だ。人間種あるいは冒険者組合が魔物と指定しているほどである。とはいえ人間種が勝手に決めた分類に素直に従う気にもなれない。
「まるで伝承みたいだよね。確かヴィントも動物から好かれやすかったって教わったもん」
クロース村に伝えられている偉人の名前がモルルの口から出る。サルバドールは懐かしむように表情を緩めた。
「フッ……ああ、そうだな。山脈を越えるところも似ている」
数百年前、シュケルの女性に恋をした商人の名が、リムザフェル・ファン・ヴィント。
動物から好かれやすかったらしく、商人らしさのない純朴な青年だった、と口伝が残っている。クロース村の宝、つまり養蚕業を営めているのも、かの商人のお陰なのだという。
「だがな、それだけで全てを信用するつもりはない。いくら動物から懐かれるとはいえ、武器も持たずに旅をするとは考えられない。奴には何かある筈だ」
遠い過去に思いを馳せるようなサルバドールは、気持ちを切り替えるように凛とした表情を作る。
「武器がいらないような物凄い魔術師だったりするんじゃないの? だってね――」
「いや、武器を媒介にした方が魔術の効果も高まるだろ。それに凄腕の魔術師が杖を使うのが常識じゃないか。アイツは武器を買う金もなくて、船に乗る金もない、騙されてばかりの貧乏人だろ。絶対に凄い奴なんかじゃない」
喜色を湛えるモルルを遮るようにトリトスが断言する。
得意気に口角を吊り上げる表情は、どこか勝ち誇っているようにも見えた。
以前、アディルが教えた内容が含まれており、その指摘も一部は正しいが、不正解が三つある。
一つは、常識とは時代の流れと共に覆されるもので、魔術や魔道具、武器も進化していくと教えた筈だった。杖が使われるのは常識と言っても過言ではないが、魔術に特化した剣もあるし、懐に護身用かつ魔術用の短剣を忍ばせていることもある。それに最近は魔術特化型の銃を用いることも増えているのだ。
二つ目は、魔力を増幅させる杖もあるが、一般的には補助具として扱われている物が多い。しかし熟練の魔術師ならば、杖の有無は問題にならない。エルフ族が良い例だ。生まれながらにして魔術適性の高い種族なら、武具がなくとも驚異的な魔術を扱える。それに広い世界にはエルフとは別種族でも、同等以上の魔力を備えた者が生まれることもある、と教えた筈だった。それは贈物と呼ばれているとも。
三つめは、燻っている火種に油を注ぐような態度だ。これは魔術の知識とは関係なく、嫉妬心に駆られたトリトス自身の問題だが、話し合いを円滑に進めるためには、間を取り成すしかない。
「あっそ。じゃあアンタには教えてやんない」
しかしアディルが間に割って入ろうとする間もなく、モルルは不機嫌そうに視線を逸らしていた。
「なんの話だよ。……あのさ、さっき話とは別問題なんだから、そんなに怒らないでよ。まさかあんな奴の肩を持つの?」
「はー? 怒ってませんし。そっちこそ突っ掛かってこないでよ」
「いや、怒っているし。なんだよ、アイツに何かあるの?」
「別にいいじゃない。アンタからするとジョージは凄い人じゃない、それでいいでしょ。はいはい、話はこれでおしまい」
意思疎通を放棄したモルルはパンパンと手を叩き、無理やり話を終わらせた。
「はぁ……まったく、夫婦喧嘩は終わったか? ならば話を続けたいんだが」
やれやれと言わんばかりにサルバドールが首を横に振る。
「そうだね。でも、その前に村長の家にトリトスを行かせていい? 一応、許可を取っておかないとだし」
「何でアイツのために僕が行かなきゃいけないんだよ」
「だってアンタが騒いだせいで、ジョージに迷惑かけたんだもん。トリトスが行くべきでしよ」
「あ、あんなところを歩く方が悪い。それに不審者だって見つかってないんだからな」
「はいはい、そうですね」
アディルとサルバドールは溜め息を吐く。
モルルの言い分は尤もだ。村の公共施設に見知らぬ人間を泊めるのだから、村長に話を通すのは当然だろうが、私情を混じそうなトリトスが適任だとは思えない。モルルは嫉妬に燃えるトリトスを厄介払いしたいのだろう。とはいえ同じ気持ちはアディルにも僅かにある。それにモルルが言いかけた言葉も気になっていた。
「僕はね、トリトスが行くべきだと思うよ。……事の発端はなんだったのか思い出してほしいな。森を巡回する理由は、村人が心配だからってだけじゃないよね」
愛する者がいるのに、他の女性に手を出すのはいかがなものか。恵まれた環境のトリトスを考えると、つい言葉に力が入る。
「うぅ……それは……」
トリトスが街で起こした醜態は、アディルも先程まで知らなかったことだが、村長には伝わっていてもおかしくはない。おそらく失った信用を取り戻そうと、トリトスは見回りを買って出たのだろうと簡単に察せられる。しかし私情で他者の安息を奪おうとするのは見過ごせない。
「村に居候している僕が言うべきことじゃないだろうけどさ、ジョージの件は客観的に述べるべきだと思うよ。彼は山脈を越えてきただけの旅人だ。一先ず不審者とは関係がないようだし、ただ寝床を貸すだけの話だよ。村長からの信頼を取り戻したいなら、事実だけを伝えた方がいいと思う」
偏った情報でジョージを陥れようとしても、いずれ事実は明るみになる。その時は二度と信用を取り戻せないだろう。
それに気付いたのかトリトスは押し黙り、思案を巡らせている。やがて「……分かったよ」と呟き、集会所を後にした。
アディル何度目か分からぬ溜め息を吐く。
集会所内は沈黙が流れていた。
なぜ話し合いをするだけで、こうも時間を無駄にしてしまうのか。自らの心の内で燻っている怒りに気付き、もう一度溜め息を吐く。
「アディルにはあんなことがあったって言うのに、嫌な思いさせちゃったよね。ごめんね……少し冷静じゃなかったみたい。……私ね、トリトスを追い掛けるよ。あんなんでも私の旦那様だからさ、ちょっと心配ってワケで」
モルルは頭を下げると、悲しげな苦笑を漏らした。引き留めるわけにもいかず、アディルは小さく頷く。
後ろ姿を見送り、雑念を追い出すように、深く呼吸をする。冷静じゃなかったのはモルルだけではない。
「……モルルは知っているのか」
サルバドールから尋ねられたアディルは、振り向くことなく「全てではないけどね」と返す。
他者に全てを語ることなどできない。語れば語るほど、どうにもならない現実に突き付けられるのだから。
「……そうか。おそらくトリトスは失うことの怖さを知らないんだろう。お前も気にするな……というのは無理な話だろうが、あまり深く考えるな」
サルバドールから背中を叩かれる。
慰めてくれているのだろう。アディルの過去を知っているからこその言葉だ。深く考えてしまえば、嘆きに囚われてしまう。だからこそ、淀んだ空気を掻き消すような明るい声を出す。
「そういえばさ、モルルは何を言おうとしたんだろうね。ジョージが凄い魔術師かも知れないって感じだったけど」
「まあ、そうだな。いくつか気になってたことがある」
アディルの心中を汲んだのか、サルバドールは他愛のない雑談に答えるような口調だった。顎に手を当てて、考えを巡らせている。
「……奴の立ち振舞いは隙だらけでな、いつでも首を切り落とせると思っていた。だがな、俺の剣は絶対に届かないとも思えてしまうんだ。この妙な違和感がどうしても拭えなくてな」
「サルバドールほどの剣の使い手なのに?」
「いや、それほどでもないさ。我が師には遠く及ばない。まあ、それはともかくだ。奴には他にもおかしなところがある。漂わせている魔力が極端に低いというべきか、まるで力を抑えているようにも感じられた。……俺が純血のエルフなら、その正体に気付けるのかも知れんが」
他者の魔力を知覚できる者がいるエルフ族。その血が混じっているからこそ、サルバドールは何かを感じ取ったようだ。
「力を抑えている、か……。ジョージはどんな人生を歩んできたんだろうね。きっと相応のことがあったんだろうけど」
「さてな、流石に奴の過去までは分からん。だが、強い魔力を持つ者を利用しようとする輩はいくらでもいる。もしも人間種の贈物持ちだとしたら、その能力を解明しようとする機関が出張っても不思議ではないからな」
「……それなら逆に安心なのかな。僕達が何もしなければ、ジョージはただの旅人だろうし。今の段階でも悪意を撒き散らすような人には見えないし」
「おそらく俺が追っている者達や、例の不審者とは無関係だろう。だがな、それは奴の言い分に嘘がないことが前提だ。謀られていることも念頭において、俺はしばらく見極めさせてもらおう。……ま、何もなければ帰らせてもらうさ」
森に現れた不審者。
草臥れたローブを纏い、杖を手にしていた男だ。自らを咎人と名乗ったと聞いている。「あの御方から見放された私には、やらなければいけないことがある」と言い残したらしかった。犯罪組織に見捨てられ男が、信用を取り戻すために良からぬことを企てているとも考えられる。
サルバドールが追っている組織と繋がりがあるのか不明だ。しかし21年前を境に地下に潜った組織本体を探すには、どんな小さな情報も必要になるのだろう。




