71話 なにゆえ少女は
飛び跳ねる植物が存在することも珍しかったが、確固たる意思を持つ個体がいるとは予想もしていなかった。頭の上に乗った球根から、名前を欲しいと懇願されるとは、誰も思うまい。
熟考の末に、セフィとユグという名前を付けた穣司は、彼女達の旅路が平穏無事に進むように願った。これで怪我することなく、山脈を越られるだろう。
もしも他国で魔物扱いされていたとしても、シュケル国民ならセフィ達を無下に扱うことはない。それにリリアンヌ達が作っている村は、他者を尊重する者ならば、どんな種族でも歓迎される筈である。一先ずイェル村に立ち寄ることを勧めたジョージは、彼女達と別れを告げた。行く先は彼女達が向かう先と正反対だ。
ガレ場を抜けた先の森林は、華やかな新緑で彩られていた。
獣道を歩く穣司は、鼻歌を歌いながら、森林浴を満喫する。日陰を通り抜ける風は薄寒いが、木々の隙間から差し込む陽光の暖かさが丁度良い。鳥が歌うように囀り、獣の鳴き声まで聞こえてくるのは、春らしさを感じられる季節だからだろう。棲息する生物達の姿は見えなかったが、自然の恵み待ち侘びていたのか、森は目に見えぬ賑わいを見せていた。
「ここで昼飯にしようっと」
ピクニック気分で適当な岩に腰を掛けた穣司は、背囊から最後の食料を取り出したところで、セフィ達を思い出す。
穣司が持っている食料にはドマテスがある。もしやこの植物も意思を持っているのではないか。そう考えると不安になった。試しに頭の上に乗せて、心の中で「こんにちは」と告げるが、当然のように返事はない。
「ははは……流石に考えすぎか。さて、シュケルで買った食べ物も、これで最後になるな」
ずんぐりとしたクメッキとドマテス、ペイニルを交互に齧って咀嚼する。
この食べ合わせは元の世界でも馴染みのあるものだ。物価の高い国で食事を安価に済ませたい時だけでなく、長距離移動の際には食料を買い込んでおくこともあった。
それに今回は徒歩で国境越えだ。交通の要所なら両国の通貨を使用できる場合もあるが、人や物の流れがない辺境ではその限りではない。おそらく両替商はいないだろうし、現地通貨を手に入れる手段はない。たとえ売店があっても金がなければ、どうしようもないのだ。
とはいえ持ち込み禁止の食べ物は不明である。ゆえに穣司は食べきれる量だけしか買っていなかった。
「ん?」
食事の最中、違和感を覚える。
何者かの視線――監視されるような気配があった。ガサガサと物音が聞こえ、音のする方を向くが、茂みが揺れているだけだった。猫科の動物と思しき唸り声が聞こえるが、その姿を見せることはない。
「匂いにつられてやってきた野生動物かな?」
口笛を吹き「おいで」と呼び掛けてみるが反応はない。正体不明の動物は、茂みを揺らしながら、森の奥へと消えていく。目で追いかけると、その先には洞窟のようなものが見えた。
「あー、なるほど。あそこに住んでいるのか」
警戒して様子を窺っていたのだろうか。ならば追い掛ける必要はない。縄張りを荒らしてしまったのなら、早々に立ち去るべきなのだ。とはいえ一目だけでも動物の姿を見てみたかった穣司は、しょんぼりと背中を丸める。
「どんな動物だったんだろう……見てみたかったな」
後ろ髪を引かれる思いで背囊を背負う。
襲われても怪我を負うことはないが、無理に刺激させることもないと、ゆっくりとその場を離れた。
獣道を進む。しかし獣の唸り声は止むことはない。虎視眈々と狙われているのだろうか、と周囲を見渡しても獣は姿を見せなかった。
「ふふ……襲われたら撫でまわしてやろっと」
にやりと口角を吊り上げ、穣司は背中を見せる。
小走りで立ち去れば、隙だらけの獲物に映るに違いない。もしも背後から飛び掛かられたら、抱き締めてやろう。そう画策しながら走ったが、攻撃を受ける気配はなく、むしろ唸り声との距離は開いていく。そして森を抜ける頃には、動物の気配は完全に消えていた。
森の境界を越えた先には、広大な草原地帯が広がっていた。
なだらかな谷の幅は広く、傾斜も緩やかである。谷というよりは丘という表現が相応しく、小さな川が流れている風景は牧歌的だ。牛の鳴き声が聞こえてきそうな、長閑な佇まいにジョージは思わず嘆息する。
「動物とは会えなかったけど……いいね、この雰囲気。」
小さな川が流れる先に、集落らしき建物が見えた。塔らしき建造物もいくつか立っている。
「さて、あそこを目指してみますか」
目的地が決まれば行動は早い。
緩やかな谷を大股で歩き、程よい勢いで下りていくと、あるものが目に映った。強い緊張感で、心臓が警鐘を鳴らす。
清流の岩場に小さな子供が仰向けで倒れていた。
滑落したのか。あるいは更に上流から流れされてきたのか。嫌な想像に急き立てられ、穣司は音を置き去りにして、谷を駆け下りる。
即座に子供の下まで行くと、嫌な想像は杞憂だったことに安堵する。
僅かに耳が尖っている幼い少女は、穏やかな表情で寝息を立てていた。亜麻色の二つ結びの髪には艶があり、汚れが付着しているようには見えない。刺繍の施された黒いベストと白いブラウスには擦り傷がなく、履いている赤色の長いスカートに破れはなかった。身につけている白色のエプロンには使用感はあるが、泥塗れということもない。滑落した様子はなく、迷子になって泣き疲れて眠ったようにも見えなかった。傍らに置かれている背負い籠を見て状況を判断するなら、仕事の手伝いの最中に、麗らかな陽気に誘われて昼寝しているようにも見えた。
「ああ、良かった。寝ているだけか。しかしなんでこんなところで小さな子が寝ているんだろう。まさかセフィが寝かせた……とか?」
元の世界による判断基準なら、少女の外見年齢は小学校に入学するかどうかの幼さだ。子供特有の残酷さでセフィ達を追い掛けた結果、返り討ちに合い、眠らされたのだろうか。
「憶測で考えても仕方がないか」
ともあれ小さな子供を放っておくわけにいかず、穣司はその場に背囊を下ろす。
なにしろ第一村人との出会いだ。起きたら村まで案内してもらう体で、少女が目を覚ますのを待つのも悪くない、とローブを脱ぎ、タオルケット代わりに少女に掛けた。
せせらぎを聞きながら、のんびりと待つ。
手持ち無沙汰に背囊を開けて、穣司は茶葉を取り出した。乾燥させた植物なら持ち込めないだろうか、と買っておいたものである。
能力で創り出した水を浮かべて沸騰させる。
浮かんでいる熱湯に茶葉を投入する。ポットを持っていないため、正しい作法で蒸らせないが、細かいことは気にせずに数分待った。
そして茶葉が混じらないようにカップに注ぐと、豊かな香りが立ち込める。思わず肺を満たしたくなる香りだ。
砂糖を入れずに紅茶を口に含むと、自然な甘味が口の中に広がった。適当に入れただけでもシュケル産の紅茶は、味と香りが抜群に良い。流石はお茶の名産国である。
ふと視線を感じて、幼い少女を見やる。
いつの間に起きていたのか、ローブをぎゅっと握り締め、訝しむような目付きで、じっと見つめられていた。明らかに警戒しているが、鼻はひくひくと動いている。
(見知らぬオジサンが傍で紅茶を嗜んでいたら、そりゃまあ怪しいよな。……そういえば言葉は通じるのかな。隣国の言葉なら多少は通じそうなものだけど、こんな小さな子供だと無理かな)
物は試しだと言わんばかりに、穣司はシュケルの言葉で、ゆっくりと話し掛ける。
「えーと、こんにちは。シュケルの言葉、分かるかな?」
「しゅける?」
驚きの表情を浮かべた幼い少女は、すぐに顎に手を当てながら思案していた。
その仕草は妙に大人じみていた。それが可愛らしく、穣司は頬が緩むのを自覚する。
「オジサンはね、シュケルから来たんだよ」
山の向こうを指しながら穣司は言う。
「シュケルから来たの? なんで?」
「良かった、言葉は分かるんだね。オジサンはね、旅をしているんだよ」
「それだけ? 他には?」
「うん? そうだよ。ところで君のお父さんや、お母さんは、どこかな。きっと心配、しているよ」
身振り手振りを交えながら話す穣司に、幼い少女は成る程と手を打った。訝しむような表情が消え、にんまりと笑顔を見せる。
「あのね、ぽかぽかして、きもちいいから、おひるねしていたの。だからね、へいきなの」
先程までとは違い、舌足らずな声で幼い少女は言う。おそらく警戒心が解けたせいなのだろう。
セフィとは無関係なことに穣司が安堵していると、幼い少女は浮かんでいる紅茶の塊を凝視していた。
「なあにそれ?」
幼い少女が疑問を口にした後、聞き取れないような声量で何かを呟いた。「本当に何それ、どうなってるの」と言ったようにも聞こえたが、おそらく気のせいだろう。穣司は何事もなかったかのように返事する。
「お茶だよ。飲む? ……あ、いや、知らない人から、飲み物を、貰ったら駄目、かな?」
「ううん、へいき!……あのね、おさとう、もってる?」
「持っているよ。いっぱい入れようか?」
はにかんだ幼い少女は大きく頷いた。
多めに砂糖を入れたカップに紅茶を注いで渡すと、幼い少女は満足そうに口をつける。そして口に含んだ瞬間、表情を一変させた。
「……何これ?」
子供らしからぬ凄みのある声で幼い少女は呟いた。
身近な大人の真似でもしているのだろうか。穣司は吹き出しそうになる。
「美味しくなかったかな?」
「え? あ、ううん、そうじゃないの」
はっとした表情を浮かべた幼い少女は、舌足らずな口調に戻っていた。それから逡巡するような素振りを見せて、言葉を続ける。
「……とてもおしいかったから、おどろいたの」
満開の花のような笑顔を見せる幼い少女は、再び紅茶に口をつけた。
少しずつ飲んでは、ほぅと息を吐く。そして拳を何度か握りしめ、自身の肩を揉みほぐすような仕草を見せる。
この地特有の作法なのかも知れないな、と穣司は漠然と考えながら少女が飲み干すのを待ち、浮かべていた紅茶を茶葉ごと蒸発させる。
「わたしはね、モルル」
飲み終えた幼い少女は、満足そうな表情を浮かべながら、何の脈絡もなく言った。おそらく自己紹介されたのだろうと判断した穣司は「オジサンはね、ジョージだよ」と返した。
「ジョージはね、これからどうするの?」
モルルは髪を揺らしながら首を傾げた。
「村を行こうって、思っているよ。ほら、あそこに見える村だよ」
「あそこはね、わたしがすんでるの。くろーすってむらなんだよ。ジョージもいっしょにいこ?」
「へぇ、クロース村かあ。じゃあ一緒に行こうね」
ジョージは背囊を背負い、身支度をする。モルルも同様に籠を背負っているが、ローブが気に入ったのか握り締めたままだった。
「後で返してね」
「えー、じゃあ抱っこして」
どんな交換条件なんだ、と穣司は思わず吹き出した。
とはいえ事案にならなければ、子供を抱き上げるくらい問題はない。少々変わった一面を持っている少女だが、甘えたい盛りなのだろうと考えば、可愛らしいものだ。
「じゃあ抱っこするよ」
「うん!」
モルルを抱き上げて、川沿いに下っていく――その時だった。
「おーい」と声を張り上げる幼い少年と二人の男が、谷を駆け下りていた。
「どうしたんだろう」
穣司は呟く。しかしモルルは返事することなく、鼻を鳴らして三人組から目を逸らした。状況が呑み込めない穣司は、男達が下りる姿をぼんやりと眺める。
声を上げている幼い少年は、モルルと同じ年の頃だ。格好が似ていることを考えれば、同郷の子供だろう。
その後ろを駆けているのは、40代後半と思しき白髪混じりの男だった。濃緑の外套を纏い、腰には剣を携えている。耳が長いが、ダークエルフ程ではなく、肌も白い。
残りの男は中学生になりたてといった容姿の少年だ。まだまだ幼さが残るが、青年期に入りつつあるといったところだろう。
三人共、尖った耳なのが特徴的である。モルルと同じ村人だと推測するのは容易だった。
川まで下りてきた幼い少年は肩で息をしていた。後ろの二人は平然としているが、品定めするように穣司を睨み付けている。
「どうかしたの?」
穣司が尋ねる。
すると幼い少年は、呼吸が整わないまま、敵意剥き出しで吠えた。
「ぼ、僕の妻に何をするんだ! この人攫いめ!」
その言葉と今の状況が結びつかず当惑する。
なるほど、確かに人攫いに見えなくはないかもしれない。が、妻とは一体どういうことか。まさかママゴトということはあるまい。穣司がモルルを見ると、彼女は悪戯っぽく舌を出した後に、耳元で囁いた。
「ごめんね。実は私……こう見えても大人なの」




