63話 兄弟達は帰路につく
「はじめはあの冒険者の仲間だと思って、刃を向けちまったんだ。見た目は人間だったからな。でもな、そんなオレを怒ることもせずに、ただ優しく抱き締めてくれて、傷まで癒してくれたんだ。……それが妙に温かくて、安心感があってな。そこでオレはようやく気付いた。この御方は何もかも超越した、とんでもなく崇高な存在なんだってな……」
熱っぽく語るオークのザッグダレッグに同意するように、客車内のゴブリン達は首を揃えて頷いた。誰もが童心に帰ったかのように瞳を輝かせ、歓びを噛み締めている。
その光景に、フッと笑みを零しながら、ザフェルは「まぁな」と返事した。
「私は……私は光も音も奪われて……真っ暗な世界を歩いていたの。何も見えなくて……何も聞こえなくて、とても痛かった。……なにより怖かったのは、私の子供が見つからなくて。それで……ようやく見つかった子供は、足が切り落とされていて――」
言葉を詰まらせながら、涙目で語る母ゴブリンのマイロモクスは、自身の腕の中で安らかな寝息を立てる我が子を撫でた。ザフェルは小さな溜め息を吐き「そうか」と呟く。
「――心臓の音も小さくて……身体も冷たくて、ああ……死んでしまうって……とても怖かったの。……死は怖くないけど、それでもやっぱり子供が死んでしまうのは嫌だった。だから、どなたか助けてくださいと、心の中でずっと叫んでいたの。そうしたら、突然……そっと後ろから抱き締められたわ。音が聞こえない筈なのに『大丈夫だから』って優しい声が聞こえて……とても大きくて温かな力と、沢山の知らない言葉の知識まで流れ込んできたの。気が付くと目も耳も治っていて、子供の足も元通りになっていた。けど……私を抱き締めてくれた御方は、とても悲しそうにしていたわ。それに『ごめんなさい』って謝られて……」
その様子が手に取るように分かる。画家が居合わせたなら、身命を賭してでも、描きたくなるような美しさがあるだろう。
「……きっとな、助けるのが遅れちまったからだろうよ。怖い思いをさせて『ごめんなさい』ってことに違いないぜ。兄貴が悪いわけじゃないのにな。でも、あの人はとんでもなく優しいからな。だから犯罪者の移送を進んで引き受けて、後ろから俺達のことを見守ってくれてんだよ。……本当ならそんな雑用させられねぇんだけどよ、それが兄貴って神様なんだ」
森での一件が片付き、その場で夜を明かすと、ザフェル達は列をなして、一先ずフェアティアに向かっていた。
ザフェルとゴブリン達は、ハリル達が乗ってきた中型の客車に乗り、先頭を走っている。それに続くのは冒険者達が乗り逃げした疾駆蜥蜴の客車だ。リリィという少女とリックスブリックスというゴブリン、そしてハリルが乗っている。
乗りきれない者は、大型動物の背に跨がっていた。無数の動物達に囲まれて行進し、空には龍の姿のルイーザ達が飛んでいる。
その一団から離れた後方で、黒い疾駆蜥蜴を操るジョージの客車が、冒険者三人組を乗せて走っている。加害者を移送するなら、被害者であるゴブリンとは離れたところを走った方がいいとジョージが提案したのだ。
そんな役割を神に任せるなんて、とんでもないことだろう。
しかしそんな雑用を好むのが、ザフェルの慕うジョージだった。父親、あるいは兄のように、後方から一団を見守っていると考えれば、腑にも落ちる。それにジョージ自らが、冒険者へ裁きを下さずに、シュケルの法に委ねることも、ジョージが兄貴たる所以でもある。
この地に住まう者の判断を尊重して、見守っているのだ。頭ごなしに命令することは決してなく、冒険者を物理的に消すような真似もしない。あくまでヒトの作り上げた法に委ねている。神という上位存在に、この世界を託されて、信頼されているとも考えられるだろう。見放されているのなら、こうはいかない筈だ。
なによりザフェルは「あとは若い二人に任せますかな」と託されたのだ。それはおそらくゴブリン達のことまで含まれている。
ザフェルがメデニシエズの森に到着した時に「このゴブリンさん達を任せたよ」と言われたのである。「詳しくは後で話すから」と言葉を足されたが、ザフェルは間髪入れず「任せてくれ」と即答した。
親であり兄貴分であり、そして神であるジョージからの頼みを断る理由などあるまい。ジョージから信頼されているというだけで、胸が熱くなり、尻尾も自然と振ってしまう。
それに「任せる」というのは、もっと大きな尺度で任されたに違いない。虐げられてきたゴブリン族だけでなく、魔物だと決めつけらている全ての種族の今後を任せられたのだろう。
そう考えるだけでザフェルは気力が滾る。
どう判断するかは決まっていた。遥か昔は一つになっていたのなら、在るべき世界に戻す。それこそが自身に与えられた役目なのだ。そして種族をまとめ上げる「長」となり、皆を引っ張っていくしかない。
「なぁ、ちょっと手を出してくれねぇか」
ザフェルは朗らかに問い掛ける。
「いきなりどうしたんだ」
ザッグダレッグが首を傾げながら手を伸ばす。
戸惑ってはいるが、疑っている様子は見られない。
「えっと……手を出せばいいの?」
マイロモクスも同様に手を伸ばすと、他のゴブリン達も手を伸ばした。複数の手は重なり合あい、その手をザフェルは両手で包み込む。
「俺は船乗りだ。そしてシュケルでは遭難者は誰であっても助けろって、船乗りの掟があるんだ。でも今の俺はよ、色々あって新造船の完成待ちで、休職中ってワケだ。だからよ――」
掴んだ手に僅かに力を込めて、ザフェルは白い歯を見せて笑う。
「――陸の遭難者も助けるぜ。……アンタ達はさ、安心して暮らせる場所を探し求めてた遭難者じゃねえのか? もしもそうならよ、俺がシュケルでその場所を作ってやる。掴んだ手は離しはしねぇし、たとえ世界を敵に回しても、俺が守ってやるよ。だからな、安心するといいぜ。な?」
ザフェルは和らいだ声調で告げた。これこそが己に加わった新たな掟である。
「うぅ……本当に……私達が……暮らしていいの?」
マイロモクスは再び瞳を潤ませる。
「当たり前だろ? 暮らしちゃいけねぇって言う奴がいるなら拳骨もんだ。それに女手一つじゃ子育ても大変だろ。俺がいる時はいつでも頼ってくれ。いつだってマイロモクスの手を掴みにいくぜ?」
「うぅ……はい。本当に……ありがとう……うう」
ついに堪えきれなくなったのか、マイロモクスは堰を切ったように涙を流した。頬を紅潮させているのは、緊張していたからだろう。
しばらく客車に揺られていると、ほっとしたのかゴブリン達は眠りについた。その中でザッグダレッグだけが神妙な面持ちのままだ。
「オレ達は……人間から魔物と呼ばれている。そんなオレ達がこの国で堂々と暮らせば……シュケルは孤立するんじゃないのか。それなら魔物扱いされたままでいい、森の奥でひっそりと暮らせれば満足だ」
「ハハッ、そんなこと気にすんなっての。俺達は女神様と男神様の子供で、血は繋がっちゃいねぇが兄弟なんだ。家族を魔物扱いする奴がどこにいるんだっての。それによ、聖霊の教えってやつも、似たような感じなんだろ?」
ザフェルは笑い飛ばすように言った。
「あ、ああ……。オレはその教えを信じていなかったが……そうみたいだな。だからこそオレは獣人の家族になっていいのか分からない」
「気にすんなって。俺だって最近まで女神ニナや男神ジョージのことも知らなかったんだ。兄貴に救われてから、神様を信じるようになった薄情者だぜ? だけどよ……そんな俺でも、あの人は救ってくれたし、ザッグダレッグだって救われた。俺たちは似た者同士で、まさに兄弟にぴったりだろ?」
その言葉にザッグダレッグは目を丸くして、一拍置かないうちに破顔する。
「クク、ハハハっ! ……おっと、悪いな。みんな寝てるのに、つい笑っちまった。ああ、それと悪意があって、ザフェルを笑ったわけじゃないからな。こんな気持ちのいい奴がいるのかって思うと吹っ切れちまったわ。……さっきのマイロモクスといい、ザフェルは手練れだな。泣かせた女も多いんじゃないのか」
吹き出したザッグダレッグからの表情からは、迷いが消えていた。
ザフェルにはその言葉の意味が、いまいち掴めなかった。腕に自信はあるが、女を泣かせた記憶は当然ない。時折、恨めしそうに睨まれたり、悲しげにする女はいたが、その理由は今も分からない。
「手練れ? あー、どうなんだろうな。俺としては肉体に自信はあるけどよ……」
「そうか、そっちの自信があるんだな。ククッ、ハハハ……おっと済まない、また笑っちまったな」
「ん? お、おう。まぁ……そうなるな」
どうも話が噛み合っていないような気がしてならなかったが、だからといって答え合わせするのは野暮というものだろう。まあいいかと、ザフェルは聞き流した。
「なぁザフェル、少し気になっていたんだが、どうしてジョージ様を旦那と呼ぶんだ?」
唐突に話題が変わり、ザフェルは少しばかり考えを巡らせる。
心の中では兄貴と呼んでいるが、言葉にしているのは「旦那」だった。
「そりゃあ、あの人は持て囃されるのを好まないようだからな。それに自然体で俺が旦那って呼ぶと嬉しそうにしてくれるんだ」
「なるほど、な……自然体か」
ザッグダレッグは顎に手を当てて、納得するように小さく頷いた。
「どうしたよザッグダレッグ」
「いやな、聖霊の教えってやつは、自然を敬うことらしいんだ。でも、過度に自然を敬う奴はいない。肥沃な大地に感謝をしても、大地に向かって平伏したりはしないからな。きっとそういうことなのかも知れない。自然体でいる事こそが、聖霊の教えなんだろう。心の中では敬愛するが、気安く話し掛けるのが本来の姿なのかもな」
「へぇ、そういうことか。だから気安い感じで俺が旦那って呼ぶと喜んでくれるのか。あっ、いや、待てよ……」
閃きがザフェルの脳内を走った。
旦那という意味は一つではない。おそらく別の意味、いや本来の意味が含まれているのではないか。
「もしかしたらだけどよ、女神ニナの旦那様って意味も含まれているのかもな。だから旦那って呼ばれると嬉しいのかも知れねぇ」
「おお……そういうことか。じゃあ俺も旦那と呼べば喜んでもらえるのか。でも、あれほどの神々しさをもった御方に、気安く話し掛けるのは難しいな。今の俺では旦那様と呼ぶしかできないぞ」
「それでもいいんじゃねぇのか。きっと微笑んでくれると思うぜ」
半獣人とオーク。
男神に救われた者同士の会話は、はじめから友人だったかのように弾んでいた。
そこに言葉の壁や、種族の壁はなく、全てが一つになりつつあると強く実感する。ならば、これからはもっと兄弟を増やしてやろうと、ザフェルは外を覗いて後方を眺めた。
(兄貴、俺に任せてくれよ)
ゴブリンやオークだけでなく、魔物と蔑まれている他の種族の手も掴んでやると、ザフェルは胸の内で誓った。拳を突き出し、まだ見ぬ兄弟の手を掴もうと、虚空を握り締める。
すると丁度良いと言わんばかりに、妖精のように小さな少女が、拳の上に「よいしょ」と着地した。
「ザフェル君、こんにちはー! そろそろ休憩みたいですよ!」
「お……おおう?」
小さな少女は満開に咲く花のような笑みを見せる。
いつか見た木彫り像の面影があり、漂わせている雰囲気は、馴染みのある柔らかなものだ。その純粋無垢な姿は、まさに天の使いだった。




