61話 壊すモノ、壊されるモノ
肉体と魂が合わさり、一つの生命となる。
やがて肉体は朽ち果て、終わりを迎えるだろう。
だが悲嘆に暮れることはない。
それは新たな始まりである。
穢れなき魂は、金色に輝く大聖霊に導かれ、天上の園に召し上げられるであろう。
清浄なる天上では憂いから解放され、歓びと安寧が与えられる。
そして新たな器が生まれ、あなたの魂と合わさり、再び地上に降りるだろう。
記憶は紡がれず、しかし生命はめぐる。
あなたに他者はいない。
全ては繰り返され、繋がっているのだから。
ゴブリン族に伝わる古い話では、生まれ変わりが強く信じられている。種族が違えども、ヒトの姿をしているのであれば、先祖であり、兄弟であり、友人が転生した姿である。
前世の記憶がなくとも繋がっている。
死が親しき者を分かとうと、いずれまた会える。
よって他者を傷つけることは、親しき者を傷つけるのと同義。殺人ともなれば最大の禁忌を犯したことになり、死後は地の底に魂が囚われ、終わりなき苦痛を味わうと信じられていた。
ゆえにゴブリンは殺人を忌避している。
自衛のために反撃することはあっても過剰な防衛はしない。せいぜい目眩ましの一撃を与えた隙に逃げ去る程度だ。致命傷を与えてしまい、下手に殺してしまえば、魂が穢れてしまう。
それは耐え難い恐怖だ。禁忌に触れてしまえば、現世の味わう苦痛が、常世でも永遠に続くことになるのだから、絶望しかない。
天上の園を信じ、心の拠り所にしているからこそ、どのような辛酸も嘗められるのだ。
逆に他者に救いの手を差し伸べるのは、ゴブリンにとって当然のことだった。どのような種族だとしても、それは巡りめぐった「親しき誰か」と思えば、助けない選択はない。
それを愚かな行為だと嘲る者もいる。闘争から背を向ける腑抜けだと冷笑する者もいる。だが、それでもゴブリンは古くから伝わる話を信じていた。そうしなければならないと、本能に突き動かされるようでもあった。
死に瀕する者を助けないわけにはいかない。
生きる力の弱い子供であれば尚のことである。大人とは違い、子供は簡単に死んでしまう。それが幼い少女なら、自身の命と引き換えにしてでも、守らなければならなかった。
女性はいずれ子供を成す。
それは新たな生命を紡ぐということ。転生を信じるゴブリンとって、女性は神聖なものだった。たとえ自己犠牲の果てに、命を落とそうとも悔いはない。助けられたのなら、生まれ変わりに終止符が打たれることはないのだから。
それ故に身勝手な情欲を女性に吐き出す行為は、殺人と同等に罪深いもの。ましてや子供も産めぬ少女に、毒牙を向けるのは言語道断である。
それがゴブリン族の生き方。古い教えを守る流浪の民である。
単独で旅をする者もいれば、集団で移動する者もいる。その殆んどは定住することがない。
遠い昔は他種族と一つの地で定住していたという伝承があるが、ゴブリン族は追い出されてしまった、とリックスブリックスは聞かされていた。
それについて思うところはない。ゴブリンは他種族より弱く、なにより戦う意思がないのだから、生存競争に負けたのだろうと考えれば納得できる。
弱ければ食われて糧となる。
自然の摂理を考えれば、食われないだけマシなのだ。
誰しもが糧を得られなければ生きていけない。食い扶持を減らしたかったから、追い出されたとも考えられる。ゴブリン達も動植物から糧を得ているのだから、仕方がないとリックブリックスは理解している。悪意を向けられて、虐げられるのも仕方がないことだと、納得していた。弱い生物に権利はない。
ならば残された道は一つしかない。それこそが逃亡という名の流浪の旅だった。
だが、なにも悪いことばかりではない。
一つの場所に留まらないのは、新たな発見の連続だ。
なによりリックスブリックスは装飾品を作るのが趣味だった。
世界各地の川辺や海岸では、物珍しい原石が見つかる。磨きあげれば美しさだけではなく、不思議な力を宿すことを教えられている。
漂う毒物を遮断する仮面も、リックスブリックスが作った装備の一つ。ゴブリン族に伝わる秘術を駆使すれば、装飾品は魔道具になった。
趣味でありながら商売にもなる。もちろん人間種との取引はないが、オークなどの種族とは商売も行われていた。襲われるばかりではなく、リックスブリックスにおいて、日々の生活は悪いものではなかった。
ある日のリックスブリックスは、洞窟で装飾品作りに励んでいた。
近くの川辺で発見した緑色の原石は、半透明で天然の硝子のようでもあるが、魔力を増幅させる特性を秘めていると見抜いた。
首飾りにすれば、お守りになるだろう。装飾品としての価値もありそうだった。異性への贈り物としても、良い線をいっている。これが切っ掛けとなり、どこかで夫婦が誕生すれば、喜ばしいことだ、とリックスブリックスは愉快な気分になる。生まれた子供は、親しき誰かでもあるのだから。
装飾品を作り終え、いざ次の地へ。
その予定は朝からの悪天候に覆された。
土砂降りのうえに雷鳴も轟いている。とても出立に相応しい旅日和とはいえなかった。それでも装飾品を誰かに見せたいという欲求は灯ったままだ。自信作だったからこそ尚更だった。
リックスブリックスは口惜しそうに、眉を下げながら空を眺め、それでも決心する。よし行ってやろう、と。
しかし空から降るのは、なにも雨と雷だけではなかった。
それは洞窟を離れ、しばらくしてからのことだ。
音を立てながら、客車が転がり落ち、落下の衝撃で人間が飛び出した。
様子を窺いながら、リックスブリックスは駆けつける。
そこにいたのは残念ながら事切れたラプトルと人間が二人。そして今にも死に絶えそうな少女が一人いたのだから、心から使命感が燃えあがる。
魔術の心得はないが、薬学の心得はあった。ゴブリン族の秘術で作られた薬には、身体の感覚すら消失させる秘薬もある。痛みに呻くこともなくなる逸品だ。全身の骨が折れていようと、時間さえあれば、痛みを感じることなく、自己治癒を促せる。
そう判断したリックスブリックスは、人間の少女を洞窟に運んだ。どうにか命の灯火は消えなかった。そこまでは良かった。
しかし、その後に起こった出来事には、リックスブリックスに深い傷痕を残した。
意識を取り戻したのは、随分と川を流されてからだ。知らぬ間に身体の傷は半端に癒え、一命はとりとめているが、衰弱しきっていた。戻ることは叶わず、己の無力さに涙を流す。少女の末路は想像に容易い。
せっかく救えた命だった。
だが、そのせいで少女は酷い目に遭ったに違いない。転落死した方が良かったと思えるような苦痛だろう。自分のせいだとリックスブリックスは己を責める。
助けたことに後悔はない。が、その後の対応が間違いだった。ゴブリンが人間から邪険にされているのを知っていたにも拘わらず、少女との親交を深めてしまった。大切にしたいと思ったのが間違いだった。また会えると再会を期待したのが間違いだった。少女と過ごした一時を、楽しいと感じてしまったのが間違いだった。
傷を治したあとで「お前を食ってやる」とでも脅しておけば、少女は大人にゴブリンに食べられそうになったと報告するだろう。そうなっていれば少女は異端者にならなかったはずだ。なにより人間の大人が、人間の少女を痛めつける筈がないと、安易に考えたのが、なによりも間違いだったのだ。
全ては自分のせい。思慮が足りなかったからこそ招いた悲劇。
だからこそ罰が身体に刻まれている。
身体に残る傷痕は戒め。死ぬまで背負い続けなければならない咎だ。生き残ったからには、朽ち果てる最期の日まで、罪の意識に苛まれながら、生きなければならない
その想いを抱えたまま、歳月は飛ぶように過ぎた。
リックスブリックスの暮らしから笑顔は消えていた。装飾品作りに愉しさを見出だせず、ただの商売でしかなくなった。それでも負傷者の救護だけは、変わることなく続けている。
ただし、相手が人間種やその近縁種なら、ある言葉を付け足すようになった。
――お前を犯して、食ってやる。
この言葉による効果は絶大だった。
傷が癒える頃になると、大抵の負傷者から、好意を寄せるられるようになる。だが、それでは同じ過ちの繰り返しだ。
人間から恩人だと思われてはいけない。親交を深めれば、あの少女のようになってしまう。
それ故に簡単に解ける程度の強さで捕縛しつつ、定番となった何度も言ってきた脅し文句を並べた。
――傷を治したのは、お前を美味しく食べるため。
そう加えれば、負傷者は機会を見計らって逃げ出した。あえて逃げ出せるように隙を見せていた。
それは人間達に誤った認識を植え付ける行為なのだろう。ゴブリンという種族が、より一層虐げられる原因を深めただけなのかもしれない。しかしリックスブリックスは憎まれ役に徹することでしか、人間の負傷者を確実に助ける手段を見つけられなかった。
助けた数だけ、敵意が増え、元から少ない安住の地は減っていく。
とはいえ期待に胸を膨らませる出会いもある。
それは放浪中に出会った同族と、情報交換していた時のことである。
楽器を抱えた少女が、子ゴブリンに連れられてやってきたのだ。その少女の外見は人間に近いが、獣の耳と尻尾が生えていた。
獣人種と言われている種族。闘争本能が強く、争いごとを好む野蛮さを持っていると噂では知っていた。性質はゴブリンの真逆で、近づくべきではないだろう。
しかし半獣人の少女が奏でるのは、身体の傷のみならず、心まで癒す優しい音色だった。
人間に近い見た目をした者から、優しくされるのは稀有だ。誰もが耳を傾け、無意識に涙した。
しかしその直後に冒険者に襲われた時、少女は獣人の片鱗を見せた。
雰囲気が一変し、眼は鋭利に輝く刃物のよう。一瞬のうちに距離を詰め、鮮やかな蹴りが顎を掠めれば、冒険者は崩れ落ちるように地に伏せた。殺すこともなく、的確に意識のみを奪う妙技だった。
そして半獣人の少女は言う。――シュケルに来いと。
言葉は通じなくとも、何を言わんとしているか理解できた。「シュケル」という国を覚え、後にその地が獣人の国だと知った時は、希望が芽生えた。人間種が少ないのなら、虐げられることはないだろう。ならば嘘を吐く必要もない。
実際にシュケルの地に足を踏み入れて、期待は確信に変わった。人目を忍んで、密やかに移動しても、獣人に察知されることはあるが、攻撃されることは決してない。
好奇の視線に晒されようと、リックスブリックス達が何もしなければ、獣人達は何もしてこないのだ。貰った羽付き帽子と地図を見せると、逆に親切にされるくらいである。
これには護衛と称して、勝手に付いてきたオークの男も拍子抜けする程だ。
彼はリックスブリックスが助けた者の一人。シュケルに向かう最中に出会ったオークだ。
妻と子を冒険者に殺され、相討ちの果てに復讐を遂げた男。生き絶える寸前で、どうにか助けただけの関係。そのまま別れる筈だったが、オークの男は「恩は必ず返す」と言って憚らなかった。だが、たとえ護衛だとしても、殺しは好ましいものではない。他者の力を利用したとしても、ゴブリンに伝わる教えに反してしまう。
無闇にヒトを傷付けないのなら――この条件を飲んでもらい、どうにか同行を許可した。そしてそれが、ザッグダレッグの即断力を鈍らせてしまった、最大の要因になったのだろう。
他種族にゴブリンの教えを、強要すべきではなかったと後悔しても手遅れだ。もはやリックスブリックスには、手どころか両腕がなく、逃げ出す足も失われていた。歯噛みすることでしか、悔恨を表せない。
メデニシエズの森と呼ばれる地に訪れたまでは順調だった。
人気がなく、静かな森は自然の宝庫。猛獣の類いはいるが、習性を理解していれば、襲われることはないのだから、ゴブリン達は束の間の平穏を享受していた。
しかし突然現れた冒険者が全てを壊した。
攻撃を躊躇したザッグダレッグに、毒らしき一撃を与え、次々と同族の者を傷つけた。
リックスブリックスには敵愾心を一手に担うことでしか、危機的状況を打破する手段を持ち合わせていない。
催涙卵を投げつけ、その場を逃げ去った。もちろん逃げきることもできたが、それでは仲間達に被害が向かうだろう。森に身を潜めても同じことだ。リックスブリックスは己の姿を見失わせないように、適度な距離を保ちながら、木々の隙間から見える、雄大に聳える独立峰を目指して逃げた。
森を抜け、遮蔽物がなくなったその瞬間に、冒険者の放った魔法に吹き飛ばされ、そして両手足を切り落とされた。性質が悪いことに、出血死しないように断面だけを治癒された為、激痛は絶え間なく続いている。
「……オレタチ、ナンデ、オソウ」
リックスブリックスは苦痛に顔を歪ませながら問う。
冒険者は如何なる時もゴブリンに危害を加える。
弱い者は強き者の糧になるのは仕方がないことで、住処を追い出されるのも、止むを得ない。しかし無闇に殺されるのも、決まって片耳を切り落とされるのも理解できなかった。
「はあ? なんだこのゴブリン。人の言葉を喋れるのかよ、気持ち悪いな。って言うかさ、変な卵を投げつけてきたから、やり返しただけだろう?」
杖を持った薄水色のローブを着た男は、不快そうに顔を歪ませる。
「でもまあ、言葉が分かるなら、それはそれで楽しいかもしれないぜ。どんな泣き言を吐いているのか、今までは想像するだけだったからな」
「ああ! あの親ゴブリンの言葉が分かったら面白かっただろうね」
槍を持った軽装の男が嗤い、盾を持った男は、閃いたように手を叩く。
「視覚と聴覚を奪ったから、子ゴブリンを探すのに一苦労だろう。でな、きっとこう叫びながら子供を探すんだ。『私の可愛い僕ちゃんはどこなの? いたら返事してっ!』ってね」
杖の男が目を瞑り、手探りで子供を探るような素振りで茶化す。その喜劇じみた芝居に、盾の男が腹を抱えて嗤った。
「くくく、あははっ。でも、それってさ、耳が聞こえないから無意味だよね。それに子供は血を流しすぎたから、もう死んでいるだろうし。……ああ、その瞬間を見たかったな」
「このゴブリンが逃げ回るからだな。鬱陶しい目潰しなんか投げつけやがって……せっかくの愉快な場面を見逃したぜ」
ゴブリンの尊厳など足蹴にするような下品な笑い声と、槍の男からの見下ろされる冷たい視線に、リックスブリックスは言葉を詰まらせる。
(……愉快だから……それだけで?)
親が子の身を案じるのは、どの生物でも同じこと。その母性愛を娯楽として利用するのは、リックスブリックスには考えられない。ゆえに口を衝く言葉すら発せられなかった。
それでも冒険者の男達が、世間話のような気軽さで会話を続ける。
「面白いことに魔物にも親子愛はあるからね。そっちは残念だけど、仕方がないからこのゴブリンで、じっくり楽しもうよ。それに今はまだフェアティアに帰るには早いしね」
「ま、帰る頃には糞獣人共も疫病で倒れているだろう。……ついでにノールズ達もな」
「俺としては追い掛けてきて欲しいね。ノールズは貧相な身体だけど、面はいいから、色々と遊ばせてもらいたいし……。それに冒険者組合の旧体制派の秘蔵っ子って噂だから、どちらにしても殺すつもりだけどね」
「ああ、冒険者組合が、まだ自警団だった頃の面子から支援されてるってやつか。だから挑発したんだな」
「本人に自覚はないんだろうけどね。でも、人間種の癖に他種族でも守ろうとするのは、俺達には邪魔な存在になるんだ。それにノールズに憧れるような新人が増えるのもよろしくない。獣人と一緒に死んでくれた方が世のためだよ」
冒険者はリックスブリックスなど気にも留めていなかった。
逃げられないと分かっているからこそ余裕があるのだろう。それはまさしく事実で、手足がなければ逃げようもない。
だが、獣人が死んでくれた方がいいなんて、許容できるものではなかった。あの半獣人の少女だけでなく、他の獣人が死ぬところも見たくない。
(疫病……この冒険者が何かしたのか? ああ……なんてことだ。……誰かに伝えないと)
けれど手足がない。そもそも人里から随分と離れた静かな森には他者がいるのか。
瀕死の仲間達。唯一、五体満足のダッグザレッグは毒らしき攻撃を受けている。獣人の住まう集落に向かう体力はないだろう。
(……誰もいない。誰もまともに歩けない。いや――)
冒険者達の言葉が脳裏を掠める。
彼らは何と言っていたのか。会話から推測するなら敵対関係にある筈だ。
(ノールズという人間がここに来るかもしれない。その女に頼めば……)
だが人間種で冒険者であるなら、話を聞いてもらえるとは思えない。
(……いや、俺がゴブリンだから……無理だ)
ゴブリンが人間の女を犯すという虚構が、人間には真実だと思われている。リックスブリックスの脅しが、余計に現実味を帯びさせているかもしれなかった。ならばノールズなる人物が、この森に訪れようと、できることは何もない。
(それでも……やるしかない)
一縷の望みに賭けるしかなかった。活路など無いも同然だろうと、見知らぬ人物に縋るしか、道は残されていない。
他種族でも守ろうとする人間なら、リックスブリックスの言葉にも、耳を傾けてくれるかもしれないのだから。
それに手足が無ければ転がり落ちればいいのだ。幸いなことに、山の斜面に伏せている。これなら身動きとれなくても、自然が味方についてくれるだろう。あとは森に戻り、草木に身を潜めれば時間稼ぎにはなる。大切な帽子を失うことになるだろうが致し方ない。
『聖なる土よ。我は魔力を捧げ、聖霊の教えに殉ずる贄人。祈り、願い、慈悲を乞う。鉄壁を身に纏い、脆弱たる我に、災厄から守る鎧を与え給われ――』
リックスブリックスは掠れるような声で詠唱を始める。
習得したのは自己強化魔術。素養などなく、簡単な魔術ですら時間を要し、尚且つ精神を集中しなければ発動しない。それでも肌を鉄のように硬くすれば、生きたまま山肌を転がり落ちることも可能だ。
しかしそんな淡い希望ですら、簡単に打ち砕かれる。
「あはは、何をしようとしてるのかな?」
盾の男はニヤリと口角を吊り上げ、爛々と妖しく光る目からは嗜虐性が滲み出ていた。
その直後、リックスブリックスは腹を踏みつけられ、詠唱は中断する。
「俺達が油断してると思ったんだろうが、それは無理な話だ。間近だろうと、小声で魔術を唱えようとしている奴がいたら、誰だって気付く」
槍の男が蔑みの表情を浮かべていた。
「でも、舐められているようで不快だね」
盾の男がそう呟くと、嗤いながら何度も腹を踏みつけた。
ただ純粋に暴力を楽しんでいる。リックスブリックが覚えた人間の言葉など意味を成さなかった。もっと言葉を覚えて、滑らかに会話ができれば、争いを避けられるかもしれない。が、そんな想いなど、伝わった試しがない。
リックスブリックスは思わず胃の内容物を吐き出した。
それすら愉快なのか、冒険者達は妖しい笑みを浮かべている。
「あはは、汚いな。でも、吐いたら駄目じゃないか。ちゃんと食べないと死んじゃうよ? あっ、そうだ、いい食べ物があるんだ」
男は袋から切り落とした子ゴブリンの耳を、リックスブリックスの口に押し当てた。
「ヤメロッ」
口を固く閉じようと、無理矢理ねじこまれる。仲間の血の味が口に広がった。
「――ッ!」
「ほらっ、よく噛めよ」
顎を蹴りあげられ、強引に食い千切らされる。たまらず吐き出せば、頭上では腹を抱えて嗤っている人間の男がいた。
この地ならば平穏があるのかもしれないと、命からがら山を越えてきた同族の子供の耳だ。更なる絶望が胸の内に膨れ上がる。
「ウウ……ナンデ……」
何故ここまでの仕打ちを受けなければならないのか。
いつもそうだった。あと少しというところで人間から虐げられる。
「泣くほど美味しかったのかな。流石は醜悪な魔物だ。仲間の耳を食べるなんて、人間からすると信じられないね」
「やはり俺達みたいに洗練された種族が、この世界の覇者にならないとな。獣人は生魚食べるような文明の低さだ、ろくに料理を知らない野蛮人は、家畜にして躾てやらないといけないだろうよ」
「でもゴブリンは何の価値もないから、ただの玩具にしかならないね」
冷やかな声が突き刺さり、リックスブリックスは濁流に飲まれた気分になる。手足がなければ、抗うこともできず、飲まれて死ぬだけの弱者。
まさに玩具のように、盾の男は暴力で遊びはじめる。
殴られ、蹴られ、刃で切りつけ、そして治癒魔術を施された。
壊しては修復。その繰り返しが行われ、時間の経過すら曖昧になった。
(ああ、そうだったのか。だから他人を助けるのが、ゴブリンにとって当たり前だったのか。価値があれば、虐げられないと先祖達が考えたんだ。……でも無意味だった)
人間やその近縁種と暮らしていたなんて絵空事。
古い教えで縛りつけられ、他種族に媚びる人生。確かに何の価値もない。
(きっと天上の園なんて存在しない)
大聖霊なんて存在しない。
生まれ変わりなんて存在しない。
ゴブリンは虐げられることで、人間に娯楽を提供するだけの玩具。そしてその事実から目を背けるために、作り話が伝えられていただけに過ぎない。
もはやリックスブリックスには、そうとしか考えられなかった。だが、今となっては悪くない。
(転生がないなら……このまま死んでしまえば……この苦痛から解放される。もう……終わりたい)
たとえ転生があったとしても、人間には生まれ変わたくない。ゴブリンにも生まれ変わりたくない。この現世には戻りたくはない。
(もう……消えてなくなりたい)
何処ともしれぬ宙を眺め、願う。
その瞬間だった。
計り知れぬ魔素の奔流が吹き荒れた。
それは霞んだ目でも、はっきりと分かる、煌々とした金色の風だった。
遅くなって申し訳ありません。
そして明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。




