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悠遠の旅空に~半神のバックパッカー~  作者: ビール汁
フォルティス大陸東部――シュケル国
58/76

57話 そして少女は歩き始める

 微風で木漏れ日が揺れる森に、ぺちりと小さな音がした。

 咽び泣く幼い少女は、自らの頬を叩き、涙を拭う。


「だめっ、私は、モンフォールの、娘なんだから、しっかり、しないと。それに、お礼だって、まだ……」


 吃逆で言葉が途切れながらも、リリアンヌは己を奮い立たせた。

 泣いてはいけない。守られる立場に甘えてはいけない。いずれ領民を守る立場に就く者が、容易く涙を流してはいけない。

 そう念じながら、何度も深く呼吸をする。


 息が整い、涙が乾く。

 リリアンヌは彼が去った先に、柔らかな笑みを向けた。両手でスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げて深々と頭を下げた。


「お礼を申し上げます、リックスブリックス様。いつか必ず、恩義に報います」


 伝えられなかった言葉。

 それでも機会はまた訪れる。

 生きていれば、また会えるのだから。


 そうしてリリアンヌは胸の内に決意を秘めて歩き出す。

 まずは周辺にいる大人に会い、現在地を知らなければ、何も始められなかった。事の顛末は家に帰らなければ伝えられない。


 歩き始めてしばらくすると、せせらぎに混じって微かに話し声が聞こえた。リリアンヌは様子を窺いながら川へ向かう。

 こっそりと近付くと複数の兵士がいるのが分かった。腰に帯刀して、手には銃を持っている。領内の兵士ではないが、自国の紋章の入った制服を着ているのを見れば、賊ではない事は確かだろう。

 リリアンヌはほっと胸を撫で下ろし、せせらぎに負けぬよう大きな声を出す。


「あのっ、すみません」


 その声に兵士達は一斉に銃を構える。

 誰ひとり口を開くことのない無言の重圧。対象を選別し、命を奪う目をしている。しかし張りつめた空気が流れたのは一瞬だけ。兵士は少女の姿を確認すると、相好を崩して銃をおろした。


「なんだ子供か、驚かせないでくれ。……いや、驚かせてしまったのは私達の方か」


「こんな森の奥にまで食糧を採りにきた浮浪児でしょうか」


 険のとれた兵士の表情に、リリアンヌは胸を撫で下ろす。

 襤褸(ぼろ)切れを身に纏い、乱れた髪に艶はない。塗り薬の染み付いた臭いは、浮浪児と思われても仕方がなかった。


「あの、そうではないのですが……ここはどこでしょうか」


「ふむ、そうか。ということは迷子になってしまったのか。だがな……今は仕事中でな」


「ですが分隊長、見過ごす訳にもいきませんよ」


「……ああ、分かっているさ。ところでお嬢ちゃんの名前は何ていうんだい? どこの町に住んでる?」


「あっ! 失礼いたしました。私はリリアンヌ・ド・モンフォールと申します」


「……」


 育ちの良さを感じさせる自己紹介に空気が変わった。

 兵士達は引き金に指を添え、少女を睥睨する。

 しかしすぐに吹き出すように笑い、緊迫した雰囲気は和やかなものに戻った。


「はははっ、笑える冗談だ。どこで礼儀作法を学んだのか分からないが、君がモンフォール家の令嬢であるはずがないだろう。きっと貴族様に憧れがあるのだろうが、そんな幻想は捨てなさい。君は知らないだろうが、そんな時代はなくなるんだ」


 分隊長と呼ばれた男は、さも愉快そうに顔を歪めた。


「ですがっ! その……嘘などついておりません」


「うーん、困った子だな。しかしそうは言われてもだね、それは有り得ないんだよ」


「ええ、そうですね」


 兵士達はお互いの顔を見合せ、お手上げと言わんばかりに首を横に振った。

 リリアンヌはその意味が掴めず、身を乗り出しながら食い下がる。


「なぜ有り得ないないのでしょうか?」


「そりゃあ、お嬢ちゃん。モンフォール家の令嬢は亡くなったからだよ。とはいっても私がそれを確認した訳ではないがね」


「……え?」


 その意味が分からず、リリアンヌは唖然とする。

 生きていると思っているのは自分だけで、本当は死んでいたのかと考えると怖くなる。

 たまらず胸に手を置く。

 命の脈動は確かなものだった。

 貰い物の首飾りも夢ではなく、不死者になったわけでもない。


「きっと私が転落してしまったから、そう思われているだけです。そ、そうだっ! もしかしたら酷い怪我をしたアメリアだって死んでなんか――」


「――なぜ転落したと知っている?」


 リリアンヌの言葉は、底冷えするような声に遮ぎられた。

 その直後、衝撃に襲われて視界が点滅し、暗転する。

 気が付けば地に伏していた。頭の奥から発する鈍痛が、意識を手放してはくれず、見上げた兵士からは炯々とした眼光が降り注ぐ。

 銃床で殴られた。そう理解できたのは、同じ追撃が加えられたから。何度も叩きつけられた後に、脇腹を蹴り上げられる。


「うぐっ、ごほっ」


 リリアンヌは痛みに悶絶し、呼吸すらままならなかった。初めて向けられた明確な殺意で、恐怖心に支配される。幼い少女の強くあろうとする心など簡単に砕け散った。


「仮に転落したのを目撃したのならまだいい。浅はかにも領主の娘に成り済まそうとしても咎めるつもりはない。だが、なぜ女中の名前まで知っている。お前は何者だ。」


「ひ、ひぃ……たすけて」


「お前は何者だと聞いているんだよっ!」


 激昂した兵士はリリアンヌの逆の脇腹を蹴り上げた。


「アメ……リアは、わたしの……。それに……一緒に、落ちて……」


 苦痛に悶えながらもリリアンヌは呻くように答える。答えなけらば再び強烈な痛みを浴びせられるのは明白だった。


「ほう……まさか騙りではないとはな。では、お前はあの高さから落ちても生きていると言うのか。いや、そんな筈はない。たとえ生きていたとしても虫の息だ」


「それはリックが……リックスブリックス様が……たすけて……くださって」


「リックスブリックス? 誰だそいつは。王族派の生き残りか?」


「優しい……ゴブリンさん……です。とても、とても優しい人なんです」


 言い終わるやいなや破裂音が響いた。

 凶弾がリリアンヌの頬を霞め、硝煙が漂う。

 憤慨した兵士は顔を真っ赤に染め上げていた。


「戯けた事を抜かすなよクソガキッ! 魔物風情が人を助けるなんて有り得ないだろうがっ。それをお前は優しい『人』だと? ふざけるのも大概にしろっ!」


「違い……ますっ! ゴブリンさんは……ゴブリンさんは、魔物じゃありません。 傷だらけになっても……私を看病してくれました。皆が思っているような……危険な魔物じゃないんです。それに――」


 激情が痛みを、そして――恐怖心を凌駕した。

 砕け散った弱い心を繋いだのは、心配そうに少女を見つめるゴブリンの表情だった。


「リックはっ、貴方達のように、暴力を振るったりしない! 私を助けたのも、子供だから当たり前と言いましたっ!」


 これだけは譲れなかった。たとえどれだけ痛め付けられようと、吐き出した言葉は飲み込まない。それはリックスブリックスへの侮辱である。


「……そうか、ならばお前は魔物だ。異教徒であり、討たれるべき悪である」


 冷ややかな声の後に訪れるのは想像通りの痛み。

 分隊長らしき男から顳顬(こめかみ)を銃床で殴られ、意識を失いそうになる。それでもリリアンヌは歯を食い縛って睨み返した。


「しかしモンフォールの娘が魔物を擁護するとは。これでは父親……いや家族も浮かばれないでしょうね」


「くくく、言えてるな。それにこの娘、小鬼(ゴブリン)に絆されたんじゃないのか。あんな醜悪な生き物を庇うとは、どうかしてる」


小鬼(ゴブリン)は人間の女を犯すらしいな。それでも庇うって事は、この娘は快楽の虜になったんじゃないか」


「はっ、おぞましい娘だ。……だが興味深くはある。分隊長、確かめてもいいですか」


 兵士の一人がニヤリと卑しく笑った。

 リリアンヌにはそれが何を意味するのか分からなかった。当然の事ながら、これから自分に訪れるであろう下卑た行為すら想像つかない。


「この娘は異教徒だ、好きにしろ。何をしようと許されるだろう。どのみち我々に与えられた役割は死体の確認だ。首を持ち帰りさえすれば問題ない」


 分隊長らしき男は吐き捨てるように言った。


「な、何をするつもりですか。酷い事をすれば父が黙っていません!」


「はっ、お前の父親はもう喋る事はないんだよ。それに何をするかって? こうするんだよっ!」


 兵士が手がリリアンヌに伸びる。

 そして――胸ぐらを掴むと力任せに服を引き裂いた。

 痣ができた柔肌が露になり、少女を守るのは心許ない下着だけ。最後の砦にしてはあまりに脆く、馬乗りにされてしまえば、少女の細腕では抗うのは困難だった。


「い、いや、やめてっ」


「やめるかよっ! 小鬼(ゴブリン)に媚びるに淫売め。その穢れを確かめてやるよ」


 爛々と目を光らせる兵士の手が下着を掴む――その瞬間だった。

 雄叫びをあげる一人の小鬼(ゴブリン)が兵士に衝突した。

 衝撃で川まで吹き飛ばすと、リリアンヌを庇うように兵士の前に立ち塞がる。


「ガァァァアアアアアッ!」


 目を血走らせ、牙を剥き出しにする小鬼(ゴブリン)の咆哮が、せせらぎを掻き消した。

 憤怒を宿して叫ぶ小鬼(ゴブリン)は、鳥の嘴を思わせる仮面を被り、大きな卵を手にしている。それでも、その小鬼(ゴブリン)が誰なのか、リリアンヌはすぐに答えが出せた。リックスブリックスだ。


「リック?」 


「おいおい、こいつがガキの騎士様ってか? 剣ではなく卵が武器とは随分と格好良いじゃないか。良かったなクソガキ、旦那様が守ってくれてよ。ま、殺してやるけどな」


 侮蔑混じりに兵士は笑う。銃を構え、引き金に指を掛けた。


「コドモ、オソウ、ユルサナイッ!」


「フンッ、魔物風情が人間の言葉を喋るか。邪悪な獣め、今ここで討伐してやろう」


 分隊長らしき男が「撃て」と合図を出す――が、それより先にリックスブリックスは叫びながら卵を投げつける。


「モワテメロッ、クツタヒニワ、ヘシゴッ!」


 洞窟内で簡単な単語を教え合い、お互いの理解を深めていたからこ、その意味を理解した。


 ――モワテメロ(目を瞑れ)クツタヒニワ(口と鼻を)ヘシゴ(塞げ)


 リリアンヌは目を瞑り、口と鼻を塞いで呼吸を止める。

 その刹那、投げつけられた卵の殻が砕け、催涙粉塵が兵達を包んだ。


「目がぁぁぁぁ……ごほッ。ぐ……喉がっ……」


「く……小鬼(ゴブリン)風情がぁぁぁ……」


 痛みに悶える立場が逆転した。兵士達は粉塵に顔を歪めながら、のたうち回る。

 敵愾心を剥き出しにして呻く兵士をよそに、リックスブリックスはリリアンヌを肩に担いで走り出す。


「ニンゲン、オトナ。ニンゲン、コドモ、マモル。オモッテタ。デモ、マチガイ。リリアン、スマヌ」


「……ううん、私は平気」


「ヘイキ、チガウ。ケガ、イッパイ。……クスリ、ヌル、アトデ。イイナ?」


「はい!」


 顔を腫らしたリリアンヌに、ようやく微笑みが戻る。

 先程まで渦巻いていた激情も、得体の知れない薄気味悪さも「イイナ?」の一言が、ささくれ立つ心に涼風を呼び込んだ。

 身を挺して子供を守ろうとするゴブリンのどこが魔物なのだろうか。子供に痛みを与える兵士の方がよっぽど魔物だった。

 いや、兵士達も最初こそは子供を心配する庇護者の顔をしていた。モンフォールの一員であり、異教徒であると判断を下すと、豹変しただけだ。その大きな隔たりは、どこから生まれたのか。

 いくら考えても今のリリアンヌには分からなかった。


 なにせ箱庭同然の家では習い事に明け暮れる日々だ。一般教養は学んでいたが、人間ですらひとたび魔物であると断定されてしまえば、これ程までの仕打ちが待っているとは知らなかった。きっと外の世界ではこのような凄惨な光景が、当たり前のように広がっているのだろう。

 それでもリックスブリックスという名の優しきゴブリンに担がれながら夢想する。

 ――いつかゴブリンと手を取り合える日がくる未来()を。


 だが、そんな些細な夢想ですら、破裂音が引き裂いた。

 身を屈める猶予は与えられず、リックスブリックスの脇腹を凶弾が貫いた。膝を折り、地に転がる。

 リリアンヌは投げ出される最中、ずぶ濡れになった兵士が銃を構えているのを視認した。吹き飛ばされ、粉塵から逃れていた兵士が構える銃から、硝煙が上がっていた。


「……え」


 鮮やかな朱がリックスブリックスから流れ出る。

 命が零れ落ちる鮮血にリリアンヌは恐慌する。


「あぁっ! リックっ! 血がこんなにっ!」


「グゥ……。リリアン……ヒトリデ、ニゲル……イイナ?」


 自らの血溜まりに(うずくま)り、リックスブリックスは呻きながら言葉を絞り出す。


「駄目っ! 今から治癒(なお)すから一緒に逃げるのっ!……慈愛に満ちたる聖なる光よ――」


 詠唱は紡がれることなく、再び鳴り響いた破裂音が、リリアンヌの肩を貫いた。焼けるような強烈な衝撃に少女は悶える。


「うぅ……痛い……あ、熱い……」


「クソッ、弾がない。クソッタレなクソガキとクソ小鬼(ゴブリン)が手間をかけさせやがって。いますぐ切り刻んでやるっ!」


 いまだ噎せる兵士達とは違い、凶弾を放った男は健在だった。

 自発装填する弾がない苛立ちすら、リリアンヌ達への憎悪に変えて、声を荒げる。そしてリリアンヌの下をまで駆けながら剣を抜く。

 だが、よろめく身体に鞭を打ち、立ち上がるリックスブリックスもまた、兵士に向かって突進する。


「ガアアァァァっ!」


 しかし――武器も持たず、怪我を負ったゴブリンが、無傷の人間を止められるはずもなく、その凶刃が腹を貫いた。


「クハハハッ、ざまあないな雑魚がっ! 」


 突き出だした刃から、鮮血が滴り落ちる。

 リックスブリックスは激痛が走り、やがて寒さを覚えた。それでも兵士の両腕を掴んで離さない。


「お、おい、その薄汚い手を離せよ、クソ小鬼(ゴブリン)っ! 離せって言ってんだろうがっ!」


 命を引き換えにしてでも、凶刃が幼い少女へと向かわぬようにと、力を振り絞る。その分だけ血が流れる事も厭わず、掴んだ両腕に、鋲を打ち込むが如く爪を立て――そして川へと押しやる。道連れでしか少女を守る手立てはないと言うかのように。

 だが、そんな決意すら大量の出血を前にすれば無力なものだった。

 兵士は銃弾で穿たれたリックスブリックスの脇腹に蹴りを入れ、足で押し返しながら、力任せに剣を引き抜いた。その反動でリックスブリックスは清流へと落ちた。泳ぐ力もなく、水を朱に染めながら、力尽きたように流される姿は、もはや生存が望めない。


「……あぁ、リック、が……。いやだ……」


 リリアンヌから力が抜け落ちた。肩にのし掛かるのは痛みではなく絶望。幼き少女は忘我して、動けないまま頬を濡らして、横たわる。


「さてと、次はお前の番だ。お前は小鬼(ゴブリン)のように簡単には殺してやらないからな。くくっ、さあ俺達を楽しませてみろよ」


 おぞましく卑しい声が近づいてくる。

 あぁ、これでは終わりなんだ。そう感じても、反抗する気力は湧き起こらない。

 爛れた欲望を隠そうともしない男達から、どのような仕打ちを受けるのか、リリアンヌは想像がつかなかったが、そんな事すら考える余裕もなく、ひたすら虚空を眺めていた時――重く低い声が聞こえた。


 ――下衆が。


 呟くほどの小さな声だった。

 だが、大気が震えるような怒気を孕んでいる。

 その声の持ち主は二本の剣を携えた老剣士。艶のない白い長髪を後ろで一つに纏め、短い白髭は顳顬(こめかみ)まで繋がっている。特徴的な尖った耳をしており、刻まれた皺は深い。一見すると細身だが、豪奢な刺繍の施された白い長外套(ロングコート)の上からでも分かる体格の良さがある。背筋は伸び、老齢を感じさせぬ力強い眼光をしていた。


「なんだジジイ? 仲間に入りたいのか?」


 兵士は嘲笑うように口角を吊り上げる。


「度し難いな。生きる価値もない男だ」


 老剣士は鼻を鳴らし、不愉快げに口元を歪めて、侮蔑を露にした。


二等市民(エルフ)ごときが偉そうに。立場が分かってんのか?」


 老剣士は呆れるように溜め息を吐き、兵士を無視してリリアンヌに歩み寄る。そして長外套(ロングコート)を脱ぎ、露出した柔肌を隠すように覆った。


「無視してんじゃねえよ。殺すぞジジイ」


「待たせな、君がモンフォールの娘だろう。期日になっても現れないから、どうしたものかと探していたんだが、こんな事になっているとは、な。……今すぐその傷を癒そう。最上位治癒スーペルラティ・クラル


「……え」


 それは無詠唱による聞き覚えのない治癒魔術だった。

 淡い光が降り注ぎ、体内から活力が滾る。腫れた顔、痣のできた身体から痛みが消失して、銃創は何もなかったかのように塞がれた。


「あぁ、私は奴らとは違って君の味方だ。名はアデマールという。君の護衛を請け負った冒険者だ。とは言っても隠居同然だがな」


 笑いかける事もなく憮然と少女に名前を告げた老剣士は(きびす)を返して兵士に向かう。

 悠然と歩き進むアデマールに、リリアンヌは言葉もなく見送った。


「さて、護衛らしく守らせてもらう。これから先、娘を傷つける事は叶わないと知れ」


「お、おい……あんた。ア、アデマールって言ったな。まさか、あの万能……の?」


 先程の嘲笑が嘘のように、兵士は萎縮している。


「私はただ器用貧乏なだけだ。そして――お前の罪を狩る者。下衆に語る言葉はこれだけで十分だろう」



 ◆


 万能の老剣士アデマール。

 あらゆる武器の扱いに長けた熟練者であり、全属性の魔術を高水準で扱える冒険者。その名高き二つ名はフォルティス大陸中に知れ渡っている。一個旅団に価する最強の個だ。


 そんな老剣士の戦いに、ただの一兵士が敵うはずもなく、幕切れは呆気ないものだった。

 時間にして数秒。リリアンヌが瞬きした次の場面には、リリアンヌとリックスブリックスに凶弾を放った兵士の首から血飛沫が上がり、頭が転がり落ちたところだった。そして次に唱えた雷系魔術で他の兵士は消し炭になる。


「あ、あの、アデマール様。ありがとうございます」


「これも仕事のうちだ。支払われた金に含まれている。ゆえに感謝される謂われはないし、媚を売る必要もない。私は君を隣国に連れていくだけの間柄でしかないのだからな。……さあ、そろそろ行こうか」


 老剣士は感情を喪ったように冷たく言い放つ。


「ですが、感謝は伝えなければならないのです。私……私は最期までリックスブリックス様に伝えられなかったのです」


「リックスブリックス……」


「優しい人でした。それでも……もう……。だから少しだけ、時間をください。せめてリックの為に祈る時間を……」


 冒険者は魔物討伐を生業としていると聞いた事がある。

 だからこそ老剣士にゴブリンに助けられたなんて言えるはずもない。言えばきっと豹変する。しかし――


「その命名法則は小鬼(ゴブリン)の雄か。君は魔物の為に祈るというのか?」


 老剣士の睥睨は詰問するようだった。

 この老齢の冒険者は命名法則まで知っている。ただの兵士とは違い、魔物への造詣も深いのだろう。

 どくりと心臓が鼓動する。

 言い逃れはできない。

 また恐ろしい目に合うのか。そう考えるだけで震えそうになる。

 しかし否定してしまえば、リックスブリックスが報われない。命を賭して弱者を守るの騎士の在り方。種族が違うだけで、尊敬すべき者である。

 リックスブリックスから立ち向かう強さを貰った。弱き者を守ろうとする志は尊く、気高い。それに倣うように、リリアンヌは小さな胸に、闘志を燃やす。


「リックスブリックスは魔物ではありません。優しきヒトです。私は彼の為に祈ります」


「……そうか、聖霊の息吹きは残っていたか。……ならば私も祈ってやろう」


 アデマールはふっと笑った。

 氷のような冷たい眼差しが融解して、初めて穏やかな表情を見せる。そして荘厳とした声で言葉を続けた。


「聖なる光よ、聖なる火よ、聖なる土よ、聖なる水よ、聖なる風よ、聖なる氷よ、聖なる雷よ、聖なる闇よ……そして全てを司る大聖霊よ。穢れなきリックスブリックスの御魂を天に召し上げ賜れ」


 アデマールの手から浮かび上がった八色の小さな塊は、混じり気のない純粋な魔力そのもの。古くから伝わっている時間を知る技法に似ているが、時間とは違って、どれも均一に光っている。そして八元素が重なり合い、溶け合うと、小さく弾けた。

 陽光に照らされて僅かに輝く淡い光が雪のように舞う。その姿は儚くも美しかった。


「……これは?」


「八元素が重なる時、全ては天へ還るだろう。……大昔の言い伝えだ。さて、君は君の作法で祈るといい」


「……はい。ですが、私はリックが生きていると信じたいです。ですから、治癒の祈りを捧げます。……慈愛に満ちたる聖なる光よ、生命の息吹きとなりて、リックスブリックスに癒しを与え給われ、下位治癒(ゲリール)


 首飾りを握り締め、清流の流れる先へ願いを込める。

 すると淡く輝く光の粒が、首飾りに吸い込まれ、リリアンヌの魔力を増幅する。そしてそれは中位治癒魔術となり、川へと降り注ぐ。


「それは魔道具(マジックアイテム)か」


「リックスブリックス様より頂いたものです」


「……そうか」


 アデマールは懐かしむように空を眺めた。


「私は君を隣国まで連れていく……それだけのつもりだったが気が変わった」


「え?」


「詳しくは道中で話すが、今の君は狙われる身だ。隣国で身を潜めたとしても、安全だとは限らないだろう。それに君は抗う手段を持ち合わせていない」


 アデマールは剣を柄を指先で叩いた。


「私が請け負ったのは、君の身を保証する事だ。隣国に連れて行って、それで終わりでは、また同じ事が繰り返されるだろう。だからこそ君が一人でも戦える強さを身に付けるまでシゴいてやろう。弱ければ何も守れない、自分だけではなく、大切な者すら、な。……そうだろう?」


「は、はいっ!」


「フッ、良い返事だ。ならば今は真名を封じた方がいい。名前は……そうだな、リリィ・ノールズというのはどうだ。君の祖国の命名法則から外れた方がいいからな」


「リリィ・ノールズ……」


 リリアンヌ改めリリィは新たな名前を反芻する。


「リリィよ、信用に足る者以外には決して真名は出さすな。君に害を加えなくても、担ぎ上げようとする者がいないとも限らない。そうなれば無辜の民は出血を強いられるだろう。……犠牲になるのはいつの時代も女子供だぞ」


「それは嫌です。そのような事態にはさせたくありません」


「ならば言葉遣いも改まるべきだな。リリィ・ノールズは領主の娘ではなく、一介の冒険者見習いであり、私の弟子だ。初めは私の真似から始めるといい」


「冒険者……私はゴブリンを傷つけたくありません」


「フフッ、最初から言葉遣いがなってないな。それにだ、何も魔物討伐だけが冒険者の仕事ではない。雑用程度の仕事もあるが、か弱き者を護衛するのも冒険者の務めだ。領土や権力争いの駒となる兵士とは違ってな」


 アデマールは兵士の残骸に視線を向ける。

 兵士とは民を守るものだとリリィは思っていた。事実、守っていたのだろう。しかし何らかの理由、あるいは命令があれば、子供が相手だろうと暴力を厭わなくなる。そしてそれは別の領土でも同じなのだ。

 ならば残された道は一つしかなかった。己の意思を貫くには、アデマールのような強さがなければならないのだから。


「分かりましたっ! ではなくて……その……ああ、分かった。私は貴方のシゴきを受けよう」


 幼い少女は小さな胸を張り、辿々しく口調を変える姿は、堂々としていた。

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