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悠遠の旅空に~半神のバックパッカー~  作者: ビール汁
フォルティス大陸東部――シュケル国
53/76

52話 ただならぬ

少し短くなってしまいました。ご了承ください。

「これはふろ……なのか? なぜ、このような、ばしょに……」


 遺跡を調査する心持ちで、建造物に足を踏み入れたリリィは、風呂らしき大きな窪みが目に入った。何人もの大人が同時に入れるような広さがあるが、見方を変えれば家畜の水飲み場所にも感じられる。

 牢獄を思わせる簡素な造りだが、屋根はない。空を見上げれば星々が輝いていた。当然の事ながら罪人を投獄するのが目的ではないだろう。


「……だが、うつくしいな」


 月明かりに照らされる風呂は幻想的だった。

 鏡面のように夜空を映し出す水面が、淡い煌めきを放っている。心なしか、うっすらと昇る湯気までもが光を放っているようにも見えた。

 人の力では成し得ない神秘を醸し出していた。

 決して届かぬ星空が此方(こなた)にあるように感じられ、リリィは無意識に手を伸ばした。

 じんわりとした暖かさが、さざ波のように身体の奥底に浸透してくる。


「何だこの湯気は……。まるで再生治癒(リジェネレイト)のようだが……えっ?」


 ただ湯気に触れただけで、僅かに疲労感が癒えていた。

 が、回らなくなっていた舌が、独り言の途中で治っている事に後れて気付き、リリィは訝しむように風呂を目をやった。


「これ程までに優れた湯治場など聞いた事はないが……。いや、そもそも湯は誰が用意したんだ。自然に湧き上がっているように見えないが、わざわざ温泉から湯を運んだのか? この周辺には集落などなかったように見えたが、誰が利用しているんだ」


 尽きぬ疑問に、更なる疑問が重なる。

 これが街道の要所にある町なら理解もできた。旅の疲れを癒せるだろうし、冒険者や商人で賑わう事だろう。

 しかし、見るからにして恐ろしい巨大な魔物が闊歩している僻地に、ぽつりと佇むように作られた湯治場など意味が分からない。それに建造物としては簡素すきて見映えも悪く、遺跡としては真新しい。フェアティアの建築様式とも違っていた。


「……まぁ、いい。ともかく、まずは手を浸けてみよう」


 リリィは魔道具(マジックアイテム)のガントレットを外す。

 腕力と攻撃速度を向上させ、非力なリリィでも屈強な男に力勝負で上回れる逸品だ。拳を叩きつけるだけでも、並みの者なら吹っ飛ばす事も可能になる。夜襲を警戒して、いつ如何なる時も外さないまま眠っていたが、そのまま湯に浸ける訳にもいかず、リリィは脱いだガントレットを床に起き、素手で湯に浸ける。


 すると体力のみならず魔力までもが満たされた。

 それだけでも驚愕に値する効能だが、精神が弛緩するような甘美な心地に、リリィは思わず少女らしからぬ濁った声調で「あぁぁ」と中年の男のような声を漏らした。

 それは洗い落とされた心の垢を、吐き出すようなゆっくりとした吐息だった。


 だがしかし、まだ片手しか湯に浸っていないのだ。

 ならば存分に全身を浸けてしまえば、どうなってしまうのかと、桁外れの期待感が込み上げる。


「これは確かめるしかないだろう。いや、そうするべきだ。他にも気になる事は多いが、まずは謎の風呂を調査するべきだろうな」


 リリィは自身に言い訳するように独りごちる。

 鼻息が荒くなっている事にすら自覚はなく、吊り上げる口角からは野獣を思わせる犬歯がキラリと輝いている。その姿は何らかの中毒者のような危うさもあった。

 しかし逸る気持ちが慣れた手つきを鈍らせた。

 装備品がうまく外れずに、カチャカチャと音を立てる。

 もどかしさに歯噛みしながらも、乱暴に装備を脱ぎ捨てると、実践で培われた筋肉と女性らしさも感じられる裸体が月夜に照らされた。


 外部からの目はなく、恥じらいは不要だった。

 ジョージという男であれば、こっそりと覗き見される事もないだろう。日頃から感じる下劣な視線をリリィは不思議に感じていたが、彼からはそんな気配が微塵にも感じられなかったのだ。残念と言うべきなのか、全くと言っていい程に興味を持たれていないようにも感じられるが、今この瞬間においては些細な事だ。


 肝心なのはこの吹き抜けの浴場には誰も訪れないという事。

 今なら清流に飛び込む少年のような真似をしても咎める者すらいないだろう。

 ならば品位に欠ける行為だとしても試したい。

 リリィは軽い助走をつけて、一気に浴槽に向けて跳ね上がり――水飛沫を飛び散らす。


「あぁぁぁ……ふぁ……」


 波濤(はとう)のように打ち寄せる快楽と多幸感に、リリィの表情はだらしなく緩んだ。全身の筋肉が弛緩して力を抜くと、水面(みなも)に揺れる落ち葉のように身体が浮かんだ。そのうえで濁った声が漏れても、気に留める必要もない。素晴らしき効能を持つ風呂を独占してるからだ。

 体力や魔力は全快を超えていた。それどころか自身の壁を飛び越え、一段階成長したようにも感じられた。

 しかしそれを試そうとする気にはなれない。湯から出るのが一秒たりとも勿体なく感じられ、このまま浸かっていたい気分になっている。

 この施設に感じていた疑問すら、どうでもよくなっていた。


「何もかもがどうでもよく感じてしまうな。精神魅了(チャーム)されてしまえば、このような気分になるのだろうか」


 そう。この湯に入ってしまえば、湯治場の建造者の意図も些細な事なのだ。誰しもが魅了されてしまうだろう。

 床や岩壁に繋ぎ目がなく、一枚の巨岩を削り出したような造りだが、一流の職人でも実現が難しいほどの均一な滑らかさがある。だが、それすらも湯に浸かっていると些細な事だと感じてしまってた。


「あぁ……星空を眺めがならの入浴も良いものだな。……心が洗われる。だが、作った者は建築家としての素質はないだろうな。下手をすれば家畜小屋かと思ってしまうぞ。……しかし、この湯の素晴らしさを考えれば、どちらでもいい事か。体力のみならず魔力まで回復する湯治など聞いた事がないし、これではまるで神の薬(エリクシール)のようだ。ま、そんな事はある筈がないがな」


 ふっと笑いが込み上げながら目を瞑る。

 体力や魔力、それにどのような病や傷でも、瞬く間に癒してしまう薬など妄想でしかない。もしもこんな薬があれば……という願望でしかないのだ。存在していたとしても、ただの上流階級では買えないような価格だろうし、ただならぬ階級のみ知らされているに違いない。下手をすれば神の薬(エリクシール)を求めて戦争になりかねない。もしかすると世に起こる闘争は、薬を求めていたのではないかとも馬鹿げた事を考える。

 だが、その実情はただの風呂の湯だ。しかも誰が入ったかも分からぬ残り湯である。そんなものに有り難みを感じる訳がないと、下らない妄想を打ち消した。


 しばらく入浴を楽しんであると、胃を不意打ちするような暴力的な香りが鼻腔をくすぐった。焼き魚と香辛料の匂いだ。

 移動中に川魚を捕らえる事もあれば、動物を狩猟する事もある。だが、常用しているのは日持ちするような、乾燥させたパンや干し肉だ。瓶詰めの野菜の酢漬けも食べるが、味が悪くあまり食べたいものではなかった。ましてや臭み消しの為に高価な香辛料を用いる事はまずあり得ない。


「やはり焼いた魚の匂いの正体はジョージだったのだな。だが、日持ちしない食材を持ち運ぶのは冒険者としては常識的ではないな。いや、干物という事も考えられるか。とはいえ誰からも教わる事がなかったのだろうし、やはり私が色々と教えるべきか。いや、まてよ……毒の耐性のある彼は食あたりも起こさないのか?」


 後ろ髪を引かれるような思いで、風呂から上がると湧き上がる疑問は霧散してゆく。

 余韻は色濃く残り、濡れた身体を魔術で乾かしても、湯冷めする気配もなかった。

 汗が染み付いた服をもう一度着るのは遠慮したいが、贅沢も言っていられない。どうせなら入浴と同時に服も洗っておけばよかったと、僅かに後悔をしながらリリィは一張羅の服を身に纏う。


 匂いに釣られて外に出ると、鍋を持ったジョージが焼き魚を木皿に移しているところだった。しかし焚き火はなく、調理した形跡も見当たらない。


「あ、ノールズさん、もう魚も焼けたんで食べますか」


 リリィに気付いたジョージが、柔らかに微笑んだ。

 その佇まいに、どくりと心臓が脈を打つ。

 自分でも理解できない感情に支配され、声が上擦った。


「ふぇっ? ああ……私の為にわざわざ用意してくれたのか」


「ええ、そうです。悪い事をしたせめてもの詫び……みたいなもので」


「そ、そうなのか。しかし、あの風呂は素晴らしかったぞ。……み、見てくれは悪いし まるで家畜の水飲み場のようだったが、効能はとてつもないものだった、ははは」


 リリィは入浴後の火照りなのか判別つかない頬の熱が帯びる。しかし同時に得も言われぬ寂寥感も覚えて、誤魔化すように話題を変えた。


「か、家畜の水飲み場……ははは」


 唖然とした表情になったジョージは、すぐに取り繕うような引きつった笑みを見せる。


「君にもそのように見えただろう? ……設計者には才がないのだろうな」


「そ、そうなんでしょうね」


 話題を変えたのが功を奏したのか、いつのまにか頬の熱が引いていた。しかしながら効果が強すぎたのか、肌寒さまで感じるようになっていた。彼は「大丈夫だから気にしないで」と理解不能な独り言まで呟いていた。


「そ、それはともかく夕食をどうぞ」


「ああ、済まないな。頂こう……いや、待ってくれ、これは海魚なのだろうか」


 木皿に載った焼き魚はフェアティアの市場で見た事があった。

 干物でも燻製でもない、生の魚をそのまま焼いたような姿に、思わず眉間に皺が寄る。


「そうですけど……もしかして魚は嫌いでした?」


「いや、好きなほうだが……君はどうやってここまで持ってきたんだ?」


「どうって、冷凍してました……としか」


「冷凍……だと? そ、それを見せてもらえないか?」


「そりゃまぁいいですけど……」


 彼が背囊から取り出した布袋からは、凍りついた魚が顔を覗かせていた。

 冷凍魚は母国の名称ではマカレル。こちらではウスクムという名で呼ばれている魚だったが、完全に冷凍されて冷気をくゆらせている。


「これは君が凍らせたのか?」


「そうですけど、何か問題がありましたか?」


「そういう訳ではないが……」


 そういう訳だった。

 氷付けならともかく、穫れてたての魚を凍らせるなんて芸当は、そうそうできるものではないし、ましてやランク1の冒険者では有り得ない事。

 だが、さも当然のようにやってのける彼は、ただの冒険者ではないのだ。今更になって違和感が氷解していく。


(依頼の内容からしておかしいとは思っていたが、もしかすると森の調査は、お膳立てされた依頼だったのかもしれん。彼は獣人から信頼されている実力者なのか?)


 平凡な冒険者であれば、こつこつと努力を積み重ねてランクを上げるしかないが、非凡な人物だと話は別になる。

 冒険者組合(ギルド)からすると、強き冒険者が増えるのは喜ばしい事で、困るものではない。才のある者を密やかに支援している節もある。

 つまりフェアティアでは彼を高ランク者にしたい思惑があるのだ。


(彼には興味が尽きないな。一体どれだけの猛者なのか見てみたいものだ。低位治癒(ヒール)を見る機会はないだろうか)


 毒も効かない魔術士なら引く手あまただろう。欠員の出たリリィのパーティーも治癒士は足りていない。だからこそ彼の強さを測りたくなっていた。お膳立てされた詳細不明の依頼で彼が何を成すのか確かめようと、胸の内に強い使命感が宿った。

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