50話 依頼者と便乗者
冒険者となった三日目の朝も快晴だった。
脱いだローブを背囊に仕舞い込んでいる穣司は、湿度混じりの潮風に背を受けながら、香辛料の匂いの届かない街の外へと踏み出していた。
一時的でも街の外に出るというのは、未知の領域に踏み出すという事。引き受けた依頼に僅かな不信感を募らせながらも、どこか心が浮き立っていた。仕事に出掛けるとはいえ、観光気分がないとは言い切れない。それに冒険者組合が手配してくれる移動手段は、元の世界ではお目にかかれない生物でもある。
「おお……これが疾駆蜥蜴」
細身だが筋肉質で馬と同等の体躯。心許ない前肢に対して、後肢は屈強さが窺える大きな鉤爪を有しており、大きな口からは鋭い牙を覗かせていた。
その姿はまさに小型の恐竜。元の世界では化石姿でしか見られない生物である。あの愛らしい巨大龍とは違って、幾分か疾駆蜥蜴には現実感があった。この世界では絶滅していなかったのかと考えてしまうと、穣司は腹の底から湧き上がってくる興奮を感じていた。
そんな小型の恐竜ともいえる疾駆蜥蜴が、町外れにある石造りの円形の建物に、百を越える数で待機しているのだから胸の高鳴りは止まらない。その景観は立派なバスターミナルのようだった。
この国の交通網は疾駆蜥蜴が屋根付きの旅客や貨物を牽引しているとの事だが、都市への乗り入れは衛生面を考慮して禁止されている。街の中で見られないのはそれが理由だ。
足自慢の獣人は飛脚のように自ら身体を頼りに、走り回っているが、それ以外の者は疾駆蜥蜴が牽引している車を利用しているのだそうだ。
(いやぁ、いいなこれ。初めてトゥクトゥクに乗った時も興奮したけど、恐竜みたいな生き物が牽引する客車に乗るなんて浪漫があるね)
いつかこの街を離れる時は、この疾駆蜥蜴が牽引する客車に乗るのだろう。原動機のある長距離バスと比べれば、距離は稼げない筈だろうし、乗り心地を良さそうには思えなかった。だが、急ぐ理由はなく、乗り心地の悪さすら月日が経てば、愉快な思い出として心に残る。単なる思い出補正でしかないが、それがいいのだと想いを馳せる。
とはいえ、今は路銀を稼がなければならない。その為の依頼である。
(そういえば森には何があるんだろう)
冒険者組合で職長から請け負った依頼が森の調査だ。報酬は多く、支度金まで貰える美味しい仕事だが、具体的な指示はなく、ただ森を様子を見てきてほしいという曖昧な内容である。何を見ればいいのか分からず、依頼者から詳細を聞こうと考えたが、その名前は伏せられていた。それに加えて穣司を直接指定した怪しげな仕事でもある。
露骨すぎる不審さがある。
何らかの策略が渦巻いているようにも感じられ、冷静に考えなくても請け負うべきではない事が目に見えて分かった。釣り針が見え隠れどころか、ありありと見えるのだから、報酬に目が眩んで食いつけば一本釣りされてしまうだろう。
しかし、人の良さそうな職長から熱心に勧められてしまえば、怪しすぎる内容も気のせいではないかと思い直した。世の中は善人ばかりではないが悪人ばかりでもない。詐欺を注意するあまり、純粋な親切心ですら、疑惑の目を向けてしまう事もある。それに金も知名度もない初心者冒険者を陥れても、匿名希望の依頼者に何の得があるのだろうかと考れば、儲けになりそうな事は思い浮かばなかった。
(支度金ありで高収入の仕事って普通の内容じゃないだろうし、もしかして自殺の名所とかだったりしたどうしよう……。だとしたコロを連れきたのは不味かったかな。でも他に仕事はないし、宿に残したま数日も出掛けるのは、なぁ……)
冒険者組合から請け負った依頼は簡単なものばかりで、提示された報酬も安かった。が、その分だけ内容は子供のお使いのような健全なものばかりで、子連れでも問題はなかった。たとえ他者から見えないとしてもだ。
そうして傍らにいるコロと、何故かついてくる牙猫に見守られながら労働に勤しんでいると、気が付けば街中にある全ての依頼を完遂していたのである。
とはいってもフェアティアでは派遣労働者的な需要があまりないのか依頼の数は少ない。一時間もあれば終わらせられる程度の内容も多く、わざわざ依頼しなくても発注者が動けば、すぐにでも終わるようなものばかりだ。
最もお手軽な依頼は、魔術組合の広告紙を十数件の家に配るといもので、元の世界でいうところのポスティングのような仕事だ。
最も時間を要した仕事でも孤児院の外壁の補修という程度。
それすらも用意されている補修材で罅を埋めるように塗るだけの簡単なものである。
依頼主は犬タウロスの女性管理者だった。この国の正式名称でいうと四足獣人種で、身体の構造からして梯子を登れない。それが理由で彼女では手の手の届かない箇所を穣司が補修をしたのだ。
そして報酬の受け取りに組合に戻ると、メデニエシズの森の調査をしてほしいとの依頼を請け負う事になったのである。
『お父さん、どうしたんですか?』
「あ、ううん。何でもないよ。……じゃあ疾駆蜥蜴を乗りにいこうか」
首から下げている小さな網籠に乗っているコロが、首をひねりながら穣司を見上げていた。
その言葉に思考は打ち消され、穣司は指定された場所へと向かった。
着いた先では小さな客車に繋がれている黒い鱗の駆足蜥蜴に、果実を食べさせている人物がいる。
それは服を着たゴリラである。骨格も人と似ている。街の中では見掛ける事のなかった種類だが、彼も獣人種なのだろうと穣司は気に留める事なく自然に声を掛けた。
「こんにちは。冒険者組合の依頼でやって来たんですが……」
「ん? ああ! 貴方が……いやアンタがジョージ……さんだね。普通の冒険者だって話は聞いてるよ」
ゴリラの男がぎこちなく返答した。
『色んな人から普通って言われてますね!』
「ええ、ああ、うん。まぁ普通といえば普通なんですけど……。えっと……それで移動手段についてなんですが」
「この疾駆蜥蜴がそうさ。なかなか勇敢なやつでね、名前はアセナって言う雌なんだが、コイツくらいしか森に近づけないんじゃないかな」
「え……その森って、いわくつきなんですか?」
『お化けですか?』
穣司は予想が現実になりそうで僅かな焦りを感じた。
自分一人だと、おそらく身体的に何ともないが、精神的には別の話だ。だからこそコロを連れて行くべき森ではないのかもしれないと考えてしまう。
「ああ、いや、そうじゃないんだ。森そのものは私も詳しくはないんだが、その道中には黒く染まった大地があってね、私達はその辺りを避けているんだ。疾駆蜥蜴どころか、他の生物も近寄ろうとはしないんだよ。でもね――」
ゴリラの男は一拍置いて、自慢気に口角を吊り上げた。それからアセナを首元を撫でながら言葉を続ける。
「このアセナは根性が据わっていてね、そんじょそこらの生き物が近付かない場所でも平気な面をして行こうとするんだよ。だから森に向かえるのは、この子しかいないってワケだ」
アセナなる疾駆蜥蜴はふしゅうと鼻を鳴らし、得意気な表情を見せていた。その姿に穣司は笑い声を漏らす。
「はは、豪胆な子なんですね。それなら大丈夫……なのかな」
地元民に忌避されている黒い大地は不明だが、おそらく過去に何かしらの自然災害があったのだろう。もしかすると、そういった伝承が残されているのかもしれないな、と穣司は考えた。
(黒い大地か……。もしかしたら過去に火山が噴火したのかな。一晩で火砕流に飲み込まれた街……というか遺跡になってる世界遺産もあるくらいだから、こちらでも似たような事があったのかも)
それでも肝の大きい疾駆蜥蜴には関係のない事なのだろう。たとえ本能的に危機感を覚える場所だとしても「それが何か?」と言わんばかりのしたり顔である。
ともあれ案内してもらえるなら有難い。客車で揺られながら森の調査に赴くのも悪くないように思えた。
「じゃあ早速ですけど、お願いします」
「うん? 何をだい?」
穣司が頼むとゴリラの男は首を傾げた。
「え、あれ? 連れていってくれるんじゃないんですか?」
「えっ? ジョージさんが一人で行くんじゃないのかい?」
「いや、俺は疾駆蜥蜴を操った事がないので」
「はは、大丈夫だよ。アセナは賢い子でもあるから、手綱を引けば行きたい方向に向かうよ」
「ええ……。いや、初対面の俺にアセナを預けて大丈夫なんですか?」
「あはは、何の問題はないよ。ジョージさんは動物好きだと聞いてるから、アセナを悪いようにはしないだろう? 牙猫だって懐いているんだから信用しているよ。それに申し訳ないが、私は黒い大地に近づくと足がすくんでしまうんだ」
ゴリラの男は困ったように笑っていた。
しかしながら案内されるものと安易に考えていた穣司からすると、想定外の事である。
おそらく料金は依頼者から支払われているのだろうが、それでも大切な疾駆蜥蜴を簡単に貸していいのかと戸惑った。だが、無理に飼い主を同行させる訳にもいかず、止むを得ず覚悟を決める。
「じゃあアセナ、よろしくね」
『よろしくお願いします!』
穣司が笑いかけると、コロは追従するように手を振った。
するとアセナは目を大きく見開いた後に、ゆっくりと瞼を閉じながら頷き、無言で頬を擦り付けてくる。
拒否ではないのだろう。どうやら甘えん坊でもあるようだ。この子も賢いんだなと、つい撫でてしまうと、アセナな鼻息を荒くして、体重を預けてくる。
(あらあら、この子も可愛いな……。これなら大丈夫そうかな)
動物に乗った事はあっても、自らの意思で手綱を操った事は殆どない。手書きの地図も貰っているが、森に向かうのは初めてなのだから、当然のように不安もある。道を間違えてしまったら、大変な目に遭うだろう。
しかし――同時に穣司は愉しさも感じていた。魔法があればどうとでもなるし、何よりも冒険家らしい状況である。可愛らしい疾駆蜥蜴に牽引されて、夜は客車で夜を明かすのも悪くないと考えていた時の事だった。
「その話、私も便乗させてもらえないだろうか。幸いな事に私は疾駆蜥蜴に手慣れている。君の力になれるはずだ」
かしゃりと金属が擦れる音と共に聞こえたのは少女の声だった。
目を向けると、そこには冒険者組合にいた少女の姿があった。
おそらく10代の少女だが、冒険者としては先輩だ。珍妙な格好をしているが、顔立ちだけを見れば美少女と呼ばれる類いだろう。しかし昨日は怪しげな行動をしていた二人の仲間でもある。
それでも先輩冒険者が同行するなら心強く、ラプトルの手綱を任せられるのなら頼りにもなるだろう。それが整った顔の少女なら言うことはない。露出の高さを加味すれば、思いがけない幸運を期待してしまう。
――なんて思うはずもなく、穣司は眉を顰めて即答する。
「いえ、結構です」
「なにっ……私では不服か? ……いや、しかしだな、君は初心者だろう。私はそれなりに自信もあるし、経験だって積んでいる。野営するにしても一人で夜を過ごすよりは、二人の方が良いだろう。私と一緒にいこうではないか」
どこか必死さを滲ませる少女は捲し立てるように言った。
だが、それが余計に胡散臭い。親切心というようには見えず、ただ先輩風を吹かせたいようにも感じられない。
別の意図があるような気がしてならなかった穣司は、ふとある事に気が付く。
(あれ、今日の船で帰るんじゃなかったっけ。あっ……もしかして余裕があるフリをしていたけど、実は金がなかったとか? ……だから名指しの依頼に便乗しようとしてるのかな)
中途半端に鎧を身に付けているのには理由があるんだな、と穣司は眉を八の字に下げながら哀れみ混じりに少女を見つめた。
(やっぱり金がないから鎧の腹や太腿の部位が買えなかったんだ。それにフェアティアには仕事が少ないから金も稼げなくて、帰り賃もなくなったとか? でもなぁ……)
たとえ自己責任だとしても、困っているなら手を貸したい気持ちも僅かに湧いてくるが、不信感の拭えない相手の手助けは憚られる。今はまだ快く便乗されるつもりもなかった。
「あー、いえ、間に合ってますので結構です」
「ふむ、私のような小娘の手解きはいらないか? だが、そんな私でも君に教えられる事はある。なに、悪いようにはしないさ。手取り足取りと教えるから、安心してその身を預けてくれても構わない」
しかし少女は引き下がる事はなかった。
それどころか両手を広げて、自らを誇るような堂々たる声が響く。
すると周囲は静まり返り、微妙な空気が流れた後に、苦笑の波紋が広がっていく。
ゴリラの男だけが不機嫌そうに口角を下げているいるが、他にはニヤニヤと笑っている者までいた。
「あの兄さんは夜も初心者なんだってよ」
「あの姉ちゃんが夜の手解きをするらしいぞ」
「でも相手にされてないぞ」
と多種多様な人々の囁きあっている声が聞こえてくると、穣司は頭を抱えたくなった。
だが――その声を聞き取った少女は、わざとらしい舌打ちした後に「……下衆が」と小さく呟いた。そのまま周りに冷ややかな目線を送る。
周囲の人々は何も言葉を返さず、お手上げだと言いたげな様子だった。半笑い浮かべて少女を見ている。
それが癇に触ったのか、少女は目付きを更に鋭くさせていた。一触即発とまではいかないが、険悪な雰囲気が漂っている。
その最中、その様子を牙猫がじっとりとした目つきで眺めていた。穣司が抱き上げると、すぐに可愛らしい表情に戻るが、再び少女を見る目つきは、どことなく不機嫌そうだった。
どうしたのだろうと考えるも、その思考はゴリラの潜めた声に遮られる。
「ささっ、ジョージさん、今のうちに出発して。必要な物は客車に載せてあるからね」
「あー、いえ、ちょっと待ってください」
穣司は溜め息を吐きながら、とりあえず客車に背囊を放り込む。
このまま先に進むべきなのだろうが、この状況を放置するのは後味が悪く、幸先もよろしくない。これでは気持ち良く出発できないだろう。
「いやー、お取り込み中ごめんなさいね。手綱捌きを見てみたいんで、ちょっとそこまで行ってみませんか。……ところでお名前は何て言うんですか? 俺はジョージって言うんですが」
穣司な空気の悪さを吹き飛ばすように、おどけた口調で言った。
「あ、ああ! すまない、名乗らぬのは無礼だった。私の名はリリィ・ノールズと言う。好きに呼んでもらって構わない」
「では、ノールズさん。早速ですが、ちょっと行ってみませんか?」
「ああ、分かった。私ならジョージを満足させられるはずだ」
「そういう言い方が……いや、まあいいか。という事で、皆さんお騒がせしました。ちょっと行ってきます」
穣司は手を叩きながら、揉め事はこれでお仕舞いと言わんばかりに、周囲の人々に明るく話し掛ける。
そしてゴリラの男に会釈しながら、客車に乗り込んだ。
リリィ・ノールズなる少女が御者台に乗り込んで手綱を握ると、アセナはやれやれと言わんばかりに鼻息を吐き出してから、軽やかに走り出す。
しばらく道なりに進んでいくと、広大な麦畑と砂糖黍に似た植物が育てられている景色に移り変わる。風車が回る様子は長閑なもので、農作業をしている獣人の姿も見られた。
その景色も変化していき、やがて人の手が加えられていない高原へと差し掛かる。
『ところでお父さん、夜の初心者ってなんですか?』
「え、あ、いや……。なんだろうね、あはは」
コロの問いに穣司は口ごもる。
今まで黙り込んでいたのは、ずっと考えていたのだろうか。たが、その答えを述べる度胸は穣司にはなかった。それの別の問題も抱えている。
(さて、これからどうするべきかな。ノールズさんと森に行く気になれないし、街の近くまで戻ってもらうかな。今ならほとぼりも冷めているだろうし)
リリィと共に乗り合い所を離れたのは諍いを避ける為でしかない。
どのみち穣司には手綱捌きの良し悪しなど分からないし、利口なアセナなら素人でも扱えそうな気もしていた。
「あの、ノールズさん。ちょっと――」
「静かにっ。……厄介そうな大物がいる」
引き返そうとする穣司の言葉は、リリィの言葉に遮られた。緊張感の漂う声調に、アセナの足も止まり、小さく唸り声も上げている。
どうしたのかと視線の先を見つめると、大きな岩が動いていた。いや、岩ではなかい。明らかな生物だ。
「あれはなんですか」
「巨大猪……いや、あれだけの巨躯なら悪名高き魔物の恐れがある」




