49話 疑わしき同業者
ビラ貼りを終わらせると、たまたま目に留まった雑貨屋で買い物を済ませてから、穣司は安宿に帰った。買ったのはいくつかの日用品と小さな容器。おそらくミルクピッチャーとして使用する物だが、小さな身体の少女が使う分には丁度良いと思えた。
しかし実際にコロが使ってみると、些か大きすぎた。まるで羽目を外しすぎた若者が飲み会で、ビールピッチャーから直飲みするような光景だったが、それでも贈り物に破顔するコロは、自分専用となった容器で穣司が創り出した水を飲み、満足そうにしていた。
その後、ローブと背囊を物置に残したまま、身軽な格好で宿の外に出る。当然のように牙猫もついてくるので、穣司はコロは頭に乗せたま抱き上げた。
空はすっかり暗くなっていたが、安宿街の通りには人の営みが灯っていた。
路上では手押し車の屋台が連なり、食欲を刺激する香辛料の香りと、焼かれた食材の匂いが絡み合うように漂っている。
肉の串焼きや魚介の串焼きといった店が多いが、クレープのような薄い生地に、細かく刻んで炒めた肉とドマテスを乗せて包んでいる店もある。種実類を砂糖で炒める店もあった。
お手頃な価格で無秩序な取り合わせで並ぶ屋台は、どことなく安っぽくもあり、地方の小さな祭りのようでもある。が、それは安宿街らしさも感じられ、やっぱりこの賑わいがあってこそだよな、と穣司は懐かしさに心を躍らせる。
穣司はコロと共に食べ歩きで簡単な食事を済ませ、牙猫には味付けのない肉を食べさせる。
宿に戻ると、一日の汚れを落としたい気分になり、宿に備えられてある共同浴室に向かった。
仕事中に公衆浴場の存在を知ったが、懐の具合を考えると、おいそれと無駄遣いをする訳にはいかない。今は無料で入浴するべきなのだと穣司は節約を心掛ける。
宿の浴室は男女共用で、扉に使用中の札を掛けるだけの簡単な仕組みだった。中は一人ずつしか入れないような広さで、石造りの浴室の床の端には排水用の溝があるだけだ。シャワーのように蛇口を捻るだけで湯が出るような装置はなく、桶は立て掛けてあるだけだった。頼めば店主が湯を用意してくれるとの事だが、魔法でお湯を創り出せる者には不要だ。
日本人の性質なのか湯船に浸かりたい気持ちはある。しかしながら旅の最中はそうもいかない。
夜行列車や船ではシャワー室も備え付けられている事もあるが、格安の長距離バスでは汗を洗い流す事はできないのだ。元の世界では身体のベタつきを我慢しながらも、到着先の安宿で真っ先にシャワーを浴びて、心も身体もすっきりさせていた。それが水シャワーだとしても慣れてしまえば問題ない。
中級ホテルともなればバスタブが備え付けられている事もあるが、金銭面を考えれる頻繁に利用する事はできなかった。
それらを踏まえれば、湯船に浸からなくても快適だと思えるようになっていた。加えて魔法という便利なものがあれば、いつだって湯を浴びられる旅が続けられるのだ。濡れた身体ですら、すぐに乾かせる。
それよりもコロから「一緒に入りたいです」と言われた事に戸惑いを覚えた。そのまま裸の付き合いをするのは、公序良俗に反している気がしてならなかったが、買ってきた日用品がさっそく役に立った。
穣司はシーツやバスタオルの代わりになりそうな布を買っていたのだ。そのまま床に敷く事もあるが、時にはカーテン代わりにもなる便利道具である。
安宿の共同部屋にありがちな二段ベッドの下層で寝る時は、柱と柱の間にロープを結び、バスタオルを干してしまえば、ちょっとした個室空間になる。もちろん外からの目を完全に遮る事はできないが、それでも何もしないよりは落ち着いた。
そこで布の出番である。
想定外だったが魔法で加工すれば、湯浴み着だって作れるのだ。これなら問題ないと自分に言い聞かせながら、湯浴み着を身に纏ったコロと一緒に入浴を済ませた。いくら他人から見られなくて建前は大切なのである。
湯浴の後は、物置で寛ぎながら、穏やか夜を過ごした。
牙猫に触れてみたくなったコロの願いを聞くと、一人と一匹は姉妹のような仲睦まじさで戯れていた。見ているだけで心をが温かくなる微笑ましさである。
相変わらずコロの記憶は戻らないままだったが、異常をきたしている様子は見られない。穣司は、ほっと胸を撫で下ろしたが、コロという少女の存在には疑問も覚えていた。
穣司が創り出した物や授かった物なら、コロは何だって触れられるが、それ以外の物は穣司が許可するまで触れられない。
まるでこの世界との繋がりを自分の判断に委ねられているようだ、と奇妙な感覚にとらわれていた。
この件についても、いつか機会を見計らってガルヴァガに相談してみるかと穣司は心に留めながら、愛らしい一人と一匹を眺めていると、いつのまにか眠りに落ちていた。
そして――冒険者の肩書を得た穣司は、何事もなく一日を終えた。
板張りの床に敷いた布の上で、自分の肘を枕にして横になっていた穣司は、子供を寝かしつけるような格好のままで目を覚ました。傍らには無防備な寝顔を見せる一人と一匹がいる。
穏やかな朝だ。物置で迎える朝は存外悪くない、と顔が綻んだ。
「もう朝か。よく寝れた気がする――ん?」
ふと見上げると小さな窓からは、朝の光が差し込んでいた。魔法で創り出した灯りも不要である。
これだけなら爽やかな朝といえる。
しかしそれだけではなかった。
見覚えのある男が堂々と室内を覗き込んでいた。
「なにあの人……。泥棒の下見とか?」
小さく呟きながら穣司は立ち上がり、訝しむよう眉間に皺を寄せながら、窓を開ける。
「何か用ですか?」
「は……? 俺の姿が見えてんの?」
男はこれでもかと言わんばかりに瞼を上げていた。
見覚えのある男は冒険者組合にいた青年だった。苔色の服と革鎧の人物だ。
「いや、そりゃ見えますけど……」
「……嘘だろ? 俺はインビジブルパウダー使ってんだぞ。それにスニークオイルだって……まさか獣人みたいに匂いで分かったのか」
「いや、何を言ってるのか分からないんですが。……それより何か用ですか」
「そ、そんなのありえるか!」
青年は泡を食った態度で後退り、疑問に答えないまま逃げ去った。その姿を目で追いかけると、彼は何度も振り返りながら、怯えるように駆けている。あまりに胡散臭い。
「そういえばザフェルが冒険者は胡散臭いって言ってたっけ。……立場を利用して泥棒稼業に励んでいる人もいるのかな」
もしもそういった事実があるのなら、胡散臭く思われてしまっても仕方がない。一人の犯罪が組織にマイナスイメージを植え付けてしまう事もあるだろう。これは気をつけないなと気を引き締める。
それに穣司はこの物置がすっかり気に入っていた。値段の安さもあり、紅茶飲み放題というのも大きいが、なにより店主の人柄が心地良かった。既に延泊したい気持ちも湧いている。
しかし泥棒被害に遇えば、客と店主の双方に痛みが伴うだろう。加えてコロが覗かれていると考えれば危機感が募る。たとえ見えていないとしてもだ。
これはどうにかしなければ。そう考えた穣司は、悪意のある人物が忍び込めないように、と密かに魔法を行使する。
「ふわぁ……どうかしたんですか?」
その声に振り返ると、目を擦りながら欠伸をしているコロがいた。
不安を煽るような事は言いたくない。そう考えた穣司は何事もなかったのように笑顔で返す。
「ううん、何でもないよ。それよりもおはよう」
「はい、おはようございます!」
「もう少しゆっくりしたら、朝の散歩に出掛けようと思うんだけどコロちゃんも行く? ついでに朝食もとろうと思うし」
「行きます! 行きたいです!」
朝から元気の良い少女に穣司は癒された。先程まで覗かせていた僅かな不快感も掻き消される。
店主から無料の紅茶を貰い、二人で朝のティータイムを楽しんだ後、穣司は海沿いの道に向かった。もちろん牙猫も一緒についてくる。
行き交う人を縫うように目的地に着くと、朝の潮風が肌を撫でた。水平線の彼方では、既に太陽が全身を晒している。穏やかな水面を煌めかせる中で、小舟を操っている漁師達が帰港しようとしていた。
「あぁ、今日もいい天気だね」
「はい!」
「ミャア」
両手を広げ、目を瞑る。
深呼吸をして潮風を肺に満たすと、それだけで満たされた気分になる。
そのまま海沿いの道を散策しながら、漁師達が水揚げした魚介類を市場に運ぶ姿を眺めていると、ようやく空腹感が目覚めたようで、穣司は気になっていたパン屋を目指した。ハリルが美味しそうに頬張ってたバゲットサンドである。
「ちょっといいですか?」
穣司が意気揚々と歩みを進めはじめたところで後方から声がした。振り返ると三角帽子を被った青年が笑顔を見せていた。冒険者組合に居た彼であり、今朝の怪しげな青年の仲間でもある。
「はい、なんでしょう」
穣司は警戒しながら言葉を返した。
「君は組合にいた新人だよね。僕達はこれから朝食をとるんだけど一緒にどうだい? 新人だと懐も寂しいだろうし、良い店も知っているから奢るよ」
「あー、いや……」
あからさまな不審さに穣司は言葉を詰まらせる。
今朝の件を知らなければ、後輩に懐の深さを見せる先輩冒険者に思えたかも知れない。だが、今となってはカモにされる気がしてならなかった。
(胡散臭いな……。ついていったら裏路地に連れていかれて、金を巻き上げられそう)
元の世界でも、美味しい話を仄めかしながら、笑顔で近付いてくる者は大抵の場合は詐欺師のような者が多い。ましてや食事を奢るなんて胡散臭いこと極まりない。ついていった後で金を請求されてしまいそうだと穣司は訝しむ。
とはいえお世話したがりの善良な人もいるから、詐欺師だと決めつけるのは難しい。仲間の覗きを侘びる為だと言われるのならともかく、その件には触れてはいないのだから、友好的な話ではないという事だろうと結論付けた。
「いえ、気になってる店があるので、今回は遠慮します」
「わりと高級な店だからさ、新人の君だと気軽に行けるような店じゃないよ?」
「高級な店より庶民的な店の方が好きなんで、やっぱり遠慮しておきますよ」
「でもさ、こういうところで伝手を作っておくのが今後の為にもなると思うよ。君だって冒険者の端くれだろう? ランク1なら今のうちに繋がりを作っておくべきだよ」
「でも、今は急いでいるのでちょっと……」
彼の言い分は最もだが、逆にそれが怪しい。
新人である自分にここまで食い下がるのは裏があるとしか思えない、と穣司は牙猫を抱き上げて足早にその場を離れた。こういった場合は逃げるが勝ちだ。人の多い場所にでも行けば諦めるだろう。
「まぁまぁ、そんなに急がないでよ。ところでさ、君は治癒術が使えるんだって? ちょうどさ、僕らのパーティーに治癒士が欠けちゃったんだよね」
しかし青年も早歩きでついてくる。彼の何がそうさせるのか分からないが、ろくでもない事が待っている気がしてならなかった。
(うわぁ、これはきっと怪しい勧誘だ)
不慣れな旅人だった頃なら、断固とした態度で「NO」と言えなかっただろう。返答に困りながら、苦笑いで誤魔化していたに違いない。そうなれば相手の思う壺だろう。
しかし相手が怪しげな人物なら話は別だ。
しつこい客引きのあしらい方も心得ているし、効果的な断り方も身をもって学んでいた。
(久々に毅然した態度で断ってみるかな)
穣司は立ち止まり、蔑むような冷たい目線で青年を見据えた。
大切なのは心を鬼にする事。強い意思表示すれば、客引きだって諦める。
だからこそ穣司は凍えるような声調で、吐き捨てるように言い放つ。
「――そういうの、いりませんから」
その瞬間、刺すような鋭い冷気が、足下から広がってゆく感覚があった。もちろん錯覚であり、実際に路地に変化はない。
しかし穣司は確かな手応えを感じいた。これで諦めるだろうと確信する。
「ひぃ、ご、ごごごめんなさい!」
青年は怪物を見るような目で尻餅をついていた。
震え上がり、後退りをしているが、地面を蹴る足に力が入っていないのか、一歩も動けていなかった。
「え、あれ? あ、あの、大丈夫ですか」
「も、問題ないですから! 僕はもう帰りますから!」
効果覿面すぎて逆に申し訳なくなった穣司は手を差し伸べる。が、青年は玉のような汗をかきながら首を力強く左右に振った。それからゆっくりと立ち上がり、覚束ない足どりで去っていく。
(あれぇ……。思った以上の効果だ)
そこまで怖がらせるような事は言っていないし、怒鳴り散らすような真似もしていない。穣司は首を傾げながら、釈然としない気持ちで青年の後ろ姿を見送った。
『あの人はなんだったんですか?』
「なんだったんだろうね。怪しい人だから誘いを断っただけなんだけど。……ともかく朝食にしようか」
『はーい』
溜め息を吐き、穣司はパン屋に向かった。
おそらく先輩冒険者の彼等は、今日の船で出航する筈だ。つまり……もう会う事はない。気を取り直して今日も仕事に励もうと考えながら穣司は歩みを進めた。
◆
リリィ・ノールズは宿の一室で、柔らかなソファーに身体を沈ませた。
その柔らかさも、今となっては苦痛でしかない。身体と同様に心まで沈んでいき、拘束されたような気分になる。
何の成果もあげていない。
やり場のないもどかしさに頭を抱え、陰鬱とした気分を溜め息で吐き出した。
「ごめんね、僕は今回の話は抜けさせてもらうよ。彼は人間の皮を被った何かだ。新人の冒険者なんてもんじゃないよ」
三角帽子を被った魔術士のダニーが、恐怖を抑えるように、両手で自らを抱き締めながら呟いた。
「ああ、俺もだ。不可視と消音の秘薬の効果がまるでなかった。……あいつはただの贈物持ちじゃない。それに俺は今日の船で帰る予定だろう?」
野伏のジェフは、沈痛な表情で出航を訴えた。
苦楽を共にしたという程の大袈裟な繋がりはないが、それでも少なくない死線は潜り抜けている。そんな彼等が恐れを感じる新人は、どれ程の者なのだろうかとリリィは逆に興味が湧いた。
「……そうか。しかし、だからこそアーネル殿に頼まれたのだろう。有用な人物を抱え込もうとするのが彼の国のやり方だ。せめてそのくらいの個人的な頼みは完遂しておきたかったが……いや、言うまい」
リリィ達が受けた依頼は人間種の救護である。
緊迫した獣人種と他種族との間による争いが、いつ起こってもおかしくないと聞かされていたのだ。その時は命を賭してでも、同族を守るつもりでいた。
だが蓋を開けてみれば争いが起こる気配はない。いや、正確にいえば張り詰めた空気は確かにあった。
しかし組合職員のライラ・アーネルの指示により、一時期に街から離れ、いざ戻ってみると緊迫した雰囲気は霧散していた。巨大な龍が現れたという妄言まで聞こえてきたが、そんな事がある筈がない。
結局のところ、この街を訪れたのは無駄足だった。
それどころかパーティーメンバーとの仲違いをしただけだった。それについては全く後悔はしていないし、むしろせいせいしたくらいだ。いずれ彼等の罪を狩る予感はあるが、今はまだ何も罪を犯してはいない。
つまりこの街で報酬は得られていない。
人間種の救護を要する事態にならなかった為に、依頼は達成した事にはならなかった。凶悪な魔物討伐に赴いても、肝心の魔物と遭遇しなければ成果は得られない。ただの無駄足にしかならないのだから。
それがリリィの心を急かしてしまう。もっとランクを上げなければと駆り立てた。
だからといって、この地で目撃証言のあった小鬼を狩ろうとは思わない。
ならばせめてジョージなる新人冒険者を連れていき、彼の国との繋がりを深めようと考えたが、結果は芳しくなかった。それにジョージという名前も、然程珍しいものではなく、ありふれたものだ。自分達と同じ人間種に違いないし、連れていったところで無下に扱われる事はないだろう。
(このままでは当家の復興もままならない……か。いや、私も彼を説得してみよう)
リリィは沈ませた身体を起こした。
このままでは終われない。
この依頼を無事に達成すれば、国からの支援も受けられる筈だった。だが彼の国に恩を売るのは、それ以上に将来を約束されたようなものである。それ程までに贈物持ちを抱えるのは重要な事だと聞いていた。
「私はジョージという男と直接話した事がない。すまないが、まだこの街を離れられないな。だから私だけでもどうにか説得してみるさ。……それに元仲間の動向も気になるしな」
「分かった。じゃあ僕もしばらくこの街に滞在するよ。彼と会うのは恐ろしいから手伝えないけど、もしかしたらリリィなら、どうにかなるかもしれないし」
「あー、確かにな。男の俺らには無理でも、リリィなら色仕掛けもできるだろうしな。この際だから一発やらしてしまえば、あの男も情に絆されるんじゃないのか?」
ジェフはニヤリと笑った。
「なっ! そういう行為は……その、愛を誓った者同士がするものだろう。それは軽蔑されるべき発言だぞ! いや、確かにそういった手があるのは分かるが、その……」
リリィは顔を赤くして反論するが、恥じらいから言葉の最後は上手く紡げなかった。
「ジェフ……それは下品だよ」
「はは、冗談だって」
「……もう。それはともかくリリィはこれからどうするの?」
「明日になると、ジョージはメデニエシズの森と呼ばれる場所に行くそうだ。アーネル殿が担当していないらしくて、内容までは分からないが、それに同行できないかと考えている。人間関係を深めるには、まず共に過ごす時間を増やす事から始めるべきだろうからな」




