48話 新人は毒と薬を
ローブを脱いで外に出ると、蒸した空気が頬を撫でた。街に漂う湿度の高さに気付き、常に快適さが保たれているローブの異常さを改めて知った。
道すがら雑貨店の品揃えや値段を調べながら、穣司が冒険者組合に入ると、室内は閑散としていた。活気がなく、職員の数が極端に少ない。
受付には茶髪の女性が一人で椅子に座っているだけだった。髪型は二つ結びで、やや垂れ目な事あって幼い印象を受ける。服装はシンプルな白いシャツ着て、紺色の長いフレアスカートを穿いていた。首にスカーフを巻いている彼女は、獣の特徴のない中肉中背の普通の人間だった。
「こんにちは。冒険者志望なんですけど……」
欠伸を堪えているのか、口元を手で隠している女性職員に向けて、穣司は控え目に尋ねた。
「えっ! ああ、もしかして貴方がジョージ……でしたっけ」
はっとした表情の女性職員は、すぐに愛想笑いを浮かべて返答する。
「ええ、そうですけど、何か聞いてました?」
「近いうちに冒険者志望の人が来るだろうからって聞いてましたからね。……普通の人である事をやけに強調されましたけど、きっと貴方の事でしょう? それにこの街では冒険者になろうとする人がいないんで、すぐにピンときましたよ」
「そ、そうなんですか」
カウンターから身を乗り出すように、喋り始める女性職員の瞳はギラギラと輝いていた。会話に飢えているように感じられ、話し出せば止まらなくなりそうな予感もある。穣司はそんな彼女に気圧された。
「そういえばシュケルの言葉が上手ですね。私はこっちの言葉を覚えるのに結構な時間を費やしたんですけど、どこで覚えたんですか? 見た事のない顔立ちなので私達の大陸出身って感じにも見えないですし、どこかの辺境の出身って感じですかね」
「ええ、まぁ……かなり遠いところですけど」
「ふふ、やっぱりそうですよね。なんとなくそんな気がしましたよ。言っちゃ悪いですけど、この街で冒険者になろうとする人は、物好きか物知らずな人くらいなものですからね。なんてたって魔物討伐の依頼なんかありませんし、珍しい魔物もいないんですよ! それに遺跡に眠る秘宝を探し出す……なんて依頼もないですからね。陸路をゆく商人の護衛なんて依頼もありませんし、あると言えば子供のお使い程度の依頼しかないってワケですよ。なので私も暇なんです!」
「へ、へぇ……」
予感的中で、思わず苦笑する。スイッチが押されたように喋り出した女性は、休むなく口を開こうとしていた。それこそ終業時間まで喋り続けそうである。
「あ、なんで魔物討伐の依頼がないかと言いますとね、この国の人にとっては脅威じゃないみたいなんですよ。獣人の子供なんて巨大猪を殴り飛ばしたりするんですよ。それにほら、この街には防壁だってないでしょ? 魔物の方が獣人を恐れて入ってこないんですって」
「そ、それは凄い事……なんでしょうね、きっと。……あの、それで冒険者になる為には――」
「あ、そうそう! これは聞いた話なんですけど、この間は吟遊詩人の女の子が小鬼と――」
穣司の言葉が耳に入ってないのか、女性職員は捲し立てるように言葉を続ける。内容に至っては穣司の与り知らない事柄ばかりである。
それでも、まだまだ喋り足りない。もっと話を聞いて。そんな気迫を感じさせる彼女に、穣司は圧倒される以外の手段を持ち合わせていなかった。
(うわぁ……よく喋る人だなぁ。……何を言ってるのか分からないけど、魔物討伐って害獣駆除みたいなものかな)
穣司が知っている前提で喋り続ける女性職員の様子を見れば、おそらくこの世界における一般常識なのだろうと考えられる。知識を得る為にも色々と触れておきたいが、一を聞けば十が返ってきそうで、穣司は少しばかり億劫なった。
とはいえ元の世界で旅をしている最中には、これよりも酷い応対をされた事もあるし、露骨に舌打ちされた事もある。時には「あっちいけ」と手で振り払われた事もあった。それを考えると女性職員からは悪意が感じられない。ただお喋りなだけである。
(悪い人じゃないんだろうけど……後で先輩冒険者に聞いた方が良さそうかな)
尚も銃弾を乱射するように喋り続ける女性職員をよそに、穣司は閑散とした室内に視線だけを向けた。
その先には変わった服装の三人組の男女が、掲示板らしきものを見つめている。
三人組の内の一人である青年と目が合うと、彼は哀れむように眉を八の字に下げて、頭を左右に振った。それからすぐに目を逸らされる。
(ああ……きっとあの人達も同じ経験をしたんだろうな。……しかし変わった格好をしているなぁ)
目を逸らした青年は鍔の広い三角帽子を被り、黒を基調としたコートを身に纏っていた。手には胸の高さまである長い杖を持っている。もう一人の青年は若葉色の服の上に革鎧を身に付け、腰のベルトには短剣を携えていた。
そして金色の長い髪を後ろで一つに纏めている少女が、際立って風変わりな格好だ。
白のホルターネックシャツのボタンを舌から半分以上、外しているせいでヘソが見えている。赤色のスカートは短く、少しでも屈めば下着が見えてしまいそうだった。
それだけでも男の視線を一人占めしていまいそうだが、少女は物々しい金属製の籠手と金属製の脛当て、それから金属製の胸当てを身に付けている。腹部と太腿は肌が露出しており、守るべき部位が剥き出しのままなのに、腰には細身の剣を携えていた。
肌の露出を考えれば夜の世界の住人のような格好だが、両手両足に乳房というべき部位だけは金属で守られている。この世界における若者のお洒落なのか、あるいは貞操帯の一瞬なのか。実に珍妙な格好だなと穣司は首をひねりたくなった。
(お腹と太腿は守らなくていいのかな。……もしかしてお金が足りなかったとか? 三人とも変わった格好だけど、俺の想像していた冒険者のイメージと違うもんだな)
穣司にとって冒険者の格好といえば、サファリジャケットに探検帽を身に付けて、双眼鏡を手にしているイメージがあった。色合いとしてはベージュで統一されている。
あるいはフェドーラ帽とレザージャケットを着た考古学者が、牛追い鞭を片手に活躍するアクション映画の主人公の格好といったところだ。
(民族衣装とは思えないないし、異世界の冒険者ってこんな感じなのかな)
これが元の世界と異世界の違いなのだろう。食文化には然程違いがなくても、冒険者の服装は随分と変わってくるのだなと、穣司は感心するように頷いた。
「――という訳なんですけど、あれ? 聞いてます?」
穣司が考えを巡らせていると、女性職員の言葉で現実に引き戻された。視線を彼女に戻すと、口を尖らせて不機嫌そうにしている。
「えっ? あ、すみません。ちょっと考え事をしてまして……」
「……もう。余所見しないで下さいよ。って、あの三人組を見ていたんですか。ははぁ、なるほど、パーティーに入れてもらおうかと考えてたんですね。確かにそれは大切な事です。でも彼等はランク3と5の冒険者ですから、ジョージとはランクに開きありますね。それでも荷物運びならパーティーに加えてもらえるかもしれませんよ。それにここだけの話なんですが――」
女性職員は穣司に顔を近付けて声を潜めた。
「――どうやら仲間内で問題が起こっているらしいんですよね。元々は六人パーティーなんですけど、半分の三人は明日の船でこの街を去るみたいなんですよ。この街で冒険者をするくらいなら一緒についていくのも手だと思いますよ」
女性職員は意味ありげな笑みを浮かべていたが、またしても聞きなれない用語に穣司は首を傾げる。
「あー、いや、助言はありがたいですけど、この街をしばらく拠点にしたいので、折角ですが遠慮します。それよりも冒険者にランクがあるんですか?」
「へぇ……なるほど。そこから説明した方が良かったですか。では、基本的な決まりから暗黙の了解に至るまで、余すことなく解説してあげますよ」
ニヤリと妖しげに口角を吊り上げる女性職員は肉食獣のようだった。捕捉した獲物に食らいつかんと瞳を爛々とさせている。
「えっ、いやいや、他にも冒険者がいるでしょうから、そこまでしていただなくても大丈夫ですよ!」
明らかな選択ミスに穣司は慌てて遠慮する。
この女性に質問は厳禁だ。会って間もないが、そのくらいの事は分かる。であるのに何気なく質問してしまった自分に、穣司は悔やみきれない念に支配された。
「心配しなくてもご覧の通り、人はいないですから……ほら、ね? ささ、そちらに座って」
「あ、はい……」
いつの間にか変わった格好の冒険者の姿が消えていた。穣司は諦め気味椅子に腰を下ろす。
(まぁ、いいか。きっと善意なんだろうし、この際だから色々と聞いておこうか。……日が暮れなきゃいいけど)
女性職員の独擅場となった冒険者組合には新人冒険者である穣司が一人だけ。一対一の授業は些か居心地の悪さを感じるが、それでも冒険者としての常識を知るには丁度良いかと穣司は開き直る。
まずは質問に答えるように女性職員はランクの話を始めた。が、予想した通りに一を聞けば十を返される。
彼女の話によると冒険者の格付けと言えるランクは1から10まである。
簡潔に説明するだけならこれだけで充分だったが、喋り好きの彼女はこれだけに収まらず、迂遠とした語り口で続けた。講義と言うよりは雑談に近い。
それでもこの世界の知識に疎い穣司からすると新鮮に感じる事ばかりだった。
手の平を返すように、物憂げな気分は消え去さり、話を聞いているうちに愉快な心持ちになっている。それを感じ取ったらしい女性職員は更に饒舌に語る。
教科書にある重要な文章にマーカーで線を引くような気分で、穣司は要点を頭の中で纏めていった。
ランク1は新人冒険者で、単独で受けられる依頼は簡単なものばかり。難しい内容の仕事はあまりなく、未経験者でも可能な軽作業が多いとの事だった。穣司の感覚では日雇いのアルバイトに似ている。
ランク3になると、ようやく一人前と認められ、この頃になるとパーティーを組むのが当然となっている。難易度も徐々に上がり、狂暴な魔物の討伐の依頼も受けられるようになるが、命を落とす者も少なくない。しかし弱い魔物の討伐は、依頼なしでも僅かな報酬が貰えるらしく、単独で小遣い稼ぎする者も少なくない。穣司の認識ではランク3の冒険者は害獣駆除の狩人も兼ねている。
ランク5を超えると熟練冒険者として扱われ、一目を浴びるようになる。基本的には何でも屋の冒険者も、この頃になると要人の護衛を任される機会もあり、時には国の機密にも関わる事もあるという。そのまま抱え込まれて専属の私兵になる事もあるが、その場合は冒険者を引退するのが決まりとの事だ。ランク5の冒険者にもなると、特殊部隊上りの傭兵に近い性質を持つのだな、と穣司は脳内に書き留めた。
ランク10は形式上存在しているだけらしく、現状で最も高い評価を受けている冒険者のランクは9らしい。それでも神懸かり的な存在だそうだ。
そしてランクだけに留まらず、話題は魔物討伐で起こりうる事柄にも触れた。
基本的には魔物討伐の権利者はトドメを刺した者にある。
だがしかし、時は仕留め損なって魔物に逃げられる事もあるのだ。そういった場合は、魔物が逃げた先で別の冒険者に討伐されてしまう事もあるが、その時はトドメを刺した者が権利者になる。
いくら最初に戦った冒険者が、魔物に深手を負わせていたとしても関係がない。たとえトドメを刺す必要がない程に、魔物を衰弱させていたとしても、別の者が息の根を止めたと主張してしまえば、それまでの話である。先に見つけたという主張は通らないのだ。
それ故に冒険者の間には「魔物は誰のものでもない」「トドメを刺せなかった奴が間抜け」という不文律が出来上がっていた。
だからこそ、それを利用して横取りを狙う横着者もいるらしく、時には冒険者同士で衝突する事あるが、そんな事態が発生しても冒険者組合は関知しない。現場を見ていない者には判断する事が難しく、解決は当人達に任せるしかないのが組合の見解だ。
しかしながらそれで納得する者ばかりではなく、時には冒険者同士で争う事もある。その時は組合職員の立ち会いの下であれば決闘も許可されている。もちろん国が法律で決闘を認めている場合に限るが、それで死亡したとしても罪は問われないのだ。相手の力量を図れずに挑むのも「間抜け」とされている。
だからこそ初心者達はまずパーティーを組み、横取りされる隙を作らずに、確実に魔物を仕留めるのだ。
とはいえ横取り専門で狩りを続ける者は悪評が立つ。
横の繋がりの強い冒険者から見放されてしまえば、危機に陥ったとしても助ける者はおらず、見殺しという代価を支払わされる事になる。自業自得の「間抜け」として嗤われるのだ。
緊急時には冒険者組合に救援を要請する事もできるが、悪名高い冒険者が相手だと知れば、救援に向かう冒険者はもちろんいない。組合には強制力もないため、拒否する冒険者に罰する事もないのだ。
要は冒険者達は相互協力の下に成り立っているという事。傍若無人な振る舞いは、いつか自分の首を絞める事になる。
また、罪なき人を理由なく傷付けるのは重罪であり、立ち会いなしの決闘が発覚しても重罪になる。その時は傷害及び殺人の罪で「罪狩り」の資格を保持をしている冒険者に追われる事になる。もちろん治安維持を目的とした国の組織にも追われるのは言うまでもない。
そういった事例もあるから、罰則規定がないのをいい事に、好き勝手にはできないんですよ、と女性職員は熱心に語った。新人に限らず、熟練者になっても、人間関係には気を付けてほしいとの主旨も告げられる。
その頃には、太陽も西に傾きはじめ、夕方の雰囲気を漂わせていた。
「……ふぅ。とまぁ、こんな訳です。ジョージは冒険者として続けられそうですか?」
「はい、もちろん大丈夫ですよ」
女性職員が小さく息を吐くと、達成感を帯びた表情を一転させて、凛とした表情を見せた。
そんな彼女に向かって穣司は自信を持って答える。
「おや、言うじゃないですか。この話を聞いて怖じ気づく人も多いんですけどね。だからすぐにパーティーを組もうとするものです。もしかしてジョージは横取りされない自信があるとか?」
「ええ、そんなところです。魔物を討伐するつもりがないので、横取りもされないって意味ですけどね」
「ああ……確かに。そういうの向いてなさそうですもんね。……それに言っちゃ悪いですけど、あんまり強そうじゃないですし」
「あははっ、そうですね」
女性職員の忌憚のない意見に、穣司は思わず吹き出した。まさにその通りだと頷く。
いくら強大な能力を授かったところで外見には現れないし、元の世界で旅をしていた時は、現地民でもないのに道を尋ねられる事もあったのだ。カメラのシャッターを頼まれる事も頻繁にあり、どれだけ人畜無害だと思われていたのだろう考えると、穣司は思い出し笑いも込み上げた。
「あの……そこは反抗心を燃やしてほしかったんですけどね。……脅すような話はしましたが、実際は獲物を掠めとるような冒険者はあまりいませんし。安心して魔物の討伐をしてくれてもいいんですよ?」
「そうでしたか。いやぁ、気を使わせてしまって、すみません」
苦笑いを浮かべる女性職員に、穣司も苦笑いで返答した。
それでも魔物討伐という名の害獣駆除に勤しむ気にはなれなかった。人命や生活圏を守る為なら仕方がない事だと理解も示せるが、そういった事は余所者の自分ではなく、現地の者に任せるべきだろうと考える。
(そもそも魔物がどんな生物なのか知らないし、仮に犬猫みたいな動物が魔物として扱われていたら、俺には討伐なんて無理だからなぁ。……とは言っても現地民のやる事に口を挟むべきでないだろうし)
領域を侵せば、人間だけではなく動物とも衝突する。どの世界でも共存とは難しいものだな、と穣司は諦念した気持ちを溜め息で吐き出した。
「難しい顔して、どうしたんですか? やっぱり魔物討伐は苦手ですか」
「……そんなところですね。別の仕事があるといいんですが」
「あー、そうですか。でも、残念ながら今は依頼がないですからね……。薬草の採集なら依頼なしでも錬金術組合で買い取ってくれるでしょうけど……」
「あ、そういうのもあるんですか?」
僅かな希望に胸が躍った。つくし狩りのように易々と採集はできなくても、植物収集なら気軽にできそうだと気が晴れる。
「おや、興味ありますか。では、ちょっと待って下さいね……」
女性職員はその場で屈み、ゴソゴソと物音を立て、何かを探し始める。しばらくすると「あった、あった」と洩らしながら、カウンターの上に植物の葉を置いた。
「右の植物がレイシー草で回復薬の材料に使われます。左の植物がアコナ草で、食べても死にはしませんけど舌を刺すような痛み……というか辛味があります。……なので間違えて調合しちゃうと、傷を癒すどころか、傷口に塩を塗り込むより酷い事になるんですよ」
「それは間違えられないですね。でもこれ……見た目がそっくりですけど、どうやって見分けるんですか?」
置かれてある植物は二つとも青紫蘇に似ていた。しかし、穣司には見分けがつかなかった。ニラとスイセンの違いを見分けるよりも難しい。
「そうなんですよ。なので不慣れなうちは茎の部分を舌につけてみるのが確実ですね。見た目で判断できないなら味ですよ。多少は痛みを伴う学習ってワケですけど、初心者なら誰もが体験するような事でもありますよ。試してみますか?」
女性職員は植物の葉を差し出しながら、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ、ちょっと試してみます」
穣司は差し出されたレイシー草の葉を手にした。
そして茎の断面を何度か舌につけると、僅かな苦味の後に酸味が広がった。
「へぇ、こんな感じなんですね。じゃあ次はこちらの葉っぱを……」
続いてアコナ草を手にする。
僅かに躊躇しながらも、どのような辛味が待っているのかと思えば、好奇心も湧き上がる。臭いと有名の発酵食品ならば、どのくらい臭いのか嗅いでみたいし、刺すような辛味も同様に一口くらいなら試してみたい。
そんな気分で穣司は葉の茎を舌につけた。しかし――
「あれ? 辛くないですよ、これ」
拍子抜けで穣司は困惑した。押し付けるように何度も舌に塗り込んでみても、刺すような辛味は全く感じられない。舌には糸を引くような滑りが残っているだけだった。
「えっ、そんな筈はないんですけど。……嘘っ、まさか私が見間違えた?」
女性職員は焦燥感に駆られるように、穣司からアコナ草を奪い取る。葉を半分に千切り、断面を舌に勢いよくつけると、目と口を限界まで開いた。そして――
打ち上げ花火のように跳び跳ねる。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! いったぁぁぁい! やっぱりアコナ草じゃないれすかー! やだー!」
「えっ? えっ? だって辛味なんて感じなかったですよ、あれ?」
着地した女性職員は地団駄を踏みながら痛みに耐えていた。呂律も回っておらず、白目を剥いたまま涙を流して、涎を垂らしている表情は、百年の恋も冷めてしまうような歪み具合だった。
穣司は困惑しながらも後ろめたさを感じ、慌てて能力を使う。
「な、治れ!」
煌めく光の粒が降り注ぐと、女性職員は瞼と口を半開きで、へたり込む。
一拍おいて我に返ると、まずは涙と涎を拭っていた。それから不貞腐れるように口を尖らせながら、抗議の目を穣司に向ける。
「治癒術……使えたんですね。……なんで痛くないフリをしたんですか。思いっきり塗り込んでしまったじゃないですか、もう……」
「え、あ、いや、本当に痛みというか……辛味を感じなかったんですけど、ほらこの通り」
穣司は千切られた残りのアコナ草を口に放り込んで咀嚼する。
が、やはり痛みや辛味は感じられず、ヌルヌルとした粘りがあるだけだった。青臭さはあるがオクラでも食べているよう気分になる。試しに飲み込んでみても、気分が悪くなる事もなかった。
「うわぁ……この人、アコナ草を食べちゃいましたよ。……毒草なのに平気なんですか? もしかして耐性持ち……なんて事はないですよね」
女性職員は顔を引きつらせていた。まさにドン引きという表情である。
「えっ!? これ毒草なんですか? ……飲み込んでしまったじゃないですか。あれ、レジストって、どこで聞いたような……」
記憶の糸をたぐっていると、唐突に筋骨隆々の老人が思い浮かんだ。威風堂々とした佇まいで、したり顔を見せている。
そういえば、と穣司はあの時の言葉を思い出した。
(完全抵抗がどうとかって言ってたっけ。あの時はよく分からずに聞き流していたけど、毒も効かないって事かな? ……でも酒だって毒のようなものだけど、ちゃんと酔えてたしなぁ。しかもいつもより楽しく感じるくらいに)
その違いが分からなかったが、今は考察する時間ではない。
穣司は釈然としない気持ちを誤魔化すように苦笑いを浮かべた。
「あー、そういえば体質かもしれません。その……祖父のような人が、そんな事を言っただけなんで、自分でもよくわからないんですけど」
「へぇ……耐性持ちですか」
穣司の言葉に女性職員の雰囲気が一変した。実験動物を見るような冷淡さで薄ら笑う。しかし、すぐに元の表情に戻った。
見間違えたか、はたまた失言か。どちらにしても、意図せず毒草を舐めさせてしまったのだから、鋭い不平を買わせてしまっても仕方がないと、穣司は申し訳ない気持ちになった。
「おや、大きな声が聞こえたけど、どうかしたの?」
気まずい雰囲気を変えるような、ゆっくりとした穏やかな声な背後から聞こえた。
振り返ると猫人間ともいえる女性が、柔らかな笑みを浮かべていた。女性職員と同じ格好だが、艶のない茶色の毛並みも見えている。背中が曲がっているのは、猫背というより年齢が影響していると思える、獣人の老女だった。
「あ、職長! ……別に何もないですよ、気にしないで下さい。……それより何か収穫はありましたか?」
「ええ、もちろんよ。それよりも貴方がジョージさ……んね。ハリルから話を聞いているわ」
職長と呼ばれた猫の老女は、穣司の傍らに立った。それから深呼吸をして、清々しい笑顔になりながら、両手を広げた。
「あ、ああ……ハリルさんからですか。よろしくお願いします」
両手を広げたのはハグを求められたという事。穣司は老女を包み込むように抱き締めた。
「あ、あの、なにやって……」
女性職員は困惑しながら言った。
「なにって、ハグという挨拶ですけど……」
「そうそう、これは昔からあったとされる挨拶なのよ? 名前までは知らなかったけどハグというのね」
穣司が答えると追従するように老女が続けた。孫を諭すような雰囲気もある。しかし女性職員は「抱き締めるのが挨拶?」と眉を顰めながら呟きを漏らしていた。
「ところでジョージさんは、お仕事をしてくれるのよね。普段は依頼もないけれど、今日はたまたま依頼があったのよ。本当に偶然だわ。……どうかしら、やってもらえるかしら?」
「ええ、もちろんです」
老女はやや棒読み気味だったが、穣司は金が稼げるならと気にせずに即答する。
「それならよかったわ。すぐに終わるような仕事もあるけれど、依頼を受けるのは明日にする?」
「とりあえず話を聞かせてもらっていいですか? すぐに終わるなら、どんなものかやってみたくはあるんですけど」
「そう、分かったわ」
穣司は職長である老女の話に耳を傾けた。
すぐに終わるという仕事の内容はビラ貼りだった。求人広告や新商品の宣伝のチラシを、街のいたる所に設置してある、屋外掲示板に貼りつけるというものである。
フェアティアは大きな街で、掲示板の数も多いが不便な場所には設置していないとの事だ。当然だが、人が集まりやすく、目のつきやすい場所にある。
街中の隅々まで駆け回る事はなく、これならすぐにでも終わらせられると、穣司は依頼を引き受けた。
掲示板の設置場所を聞き、すぐにビラを受け取った。
報酬は7ラルで決して良いとはいえないが、それでも久々の労働は妙に心地が良い。夕食は二人と一匹で何を食べようかと考えながら、穣司は駆け足で掲示板を目指した。
◆
今日のフェアティアはいつもと変わらない姿で夜を迎えた。
冒険者組合で唯一の人間種であるライラ・アーネルは、戸締まりをして、室内の明かりを消した。
本来なら緊急時に備えて、夜間でも待機をするが、この街では必要ない。冒険者の数も少なく、魔物討伐する者が少ないからである。
(さて、私はどうすればいいのやら)
ライラは溜め息を吐いて椅子に腰を下ろす。
獣人達と他種族との間にある、張りつめた空気は消えていた。疑心に満ちた雰囲気も、全てではないが戻りつつある。
結局のところ代わり映えのしない日常のままだった。
(……引き続き情報収集かな)
声に出せない言葉を胸の内で呟く。
どこで聞き耳を立てられているか分からない為、ライラは独り言にも声を出さない習慣が身についていた。
組合本部では均質化を図る名目で、職員を他国に派遣させるが、その内情は情報収集である。この街にライラが訪れたのもそれが理由だった。
それ故にこの街に砲撃が行われる事も知っていた。
ライラは然り気無く待避していたが、どれだけ時間が経とうとも砲撃が行われる気配はなかった。それどころか早朝には、沖合いでは無人のままの船が発見されたという。その船が鉄製だという事を耳にして、砲撃予定だった新型船であるとすぐに気付いた。
私が神経を磨り減らしているのに何をしているのかとライラは叫びたくなった。とはいえ、そんな言葉を吐き出す事もできず、何事もなかったかのように出勤するしかない。
世の中は予定通りにいかない。が、それは悪い事ばかりでもない。ライラは新人冒険者の顔が思い浮かぶ。
(ジョージ……か。なかなか良さそうよね)
外見はおそらく25歳程度。
見かけない顔立ちだが、強そうには見えない風貌だった。男前ではないが醜男でもない。市民その一といった表現が合いそうで、穏やかさも感じられる。それに応対した時には、押しに弱いのがはっきりと分かった。か弱い女を演じればと簡単に手綱を握れそうだと、ライラはほくそ笑む。
(毒の耐性体質か……何かに使えそう。どうにかして本国に連れて帰れないかな。……やっぱり泣き落としかな。それにしても抱き締める挨拶なんてシュケルにあったんだ。……そんなの一度も見た事がないけど)
抱き締める挨拶なんて聞いた事もない。はじめは体よく異性に触れる為の虚言だと思っていた。しかも相手は獣人種の老女である。どれだけ罪深い男なのだと軽蔑しそうになっだが、ジョージという男からは情欲が一切感じられなかった。
それにライラが顔を近付けても微動だにしなかった。同じ人間種だからこそ親しげに接してみたが、まるで異性として見られてない。ライラは少しだけ心がささくれだつ。
(ま、いいか。……あの子にも頼んでみようっと)
依然としてやる事は変わらない。それでもジョージという男に出会えたのは僥倖だと思えた。彼はおそらく贈物持ち。自分に良い風を運んでくれそうだとライラは期待するが、手を出すべきではないと、内なる自分が忠告しているようにも感じられる。
おそらく彼との会話が想像以上に楽しかったからだろうとライラは結論付けた。
好奇心旺盛な少年を相手にしているようで、いつも以上に口が回った。ただの説明である筈なのに、あまりの心地良い。話が終わる頃には口惜しさも感じていたのは初めての事だったのだ。




