43話 抱擁、再び
フランを背中に担いだ穣司の足取りは軽かった。
本来ならば少女一人と背囊を抱えながら、坂道を歩くのは足腰への負担が大きい。翌日には筋肉痛に嘆くだろうし、下手をすれば翌々日から筋肉が痛みを訴える可能性もある。
しかしながら授かった能力の影響で、体力が削られていく気配はなく、疲労は微塵もなかった。加えてフランへの憐憫の情もある。期間限定の父親だとしても、揺らぐ事のない力強い足取りで歩みを進めていた。
しかしそんな穣司が初めて足を止めた。
すぐ先にはザフェル、オルハン、ウェンテ、ルイーザの四人がいる。大きな声を張り上げなくても声は届く距離だが、それでも普段の声量ではまだ遠く、距離にして数十メートルは離れている。
それでも足が止まってしまったのは、予想外の光景がそこにあったからだ。穣司は思わず「おや?」と驚きの声を洩らした。
あちらも「おや?」と言っているのか、物珍しいものを見ているような表情を浮かべていた。おそらくフランをおんぶしている件だろうと穣司は察する。
何故そんな事をと不思議に思われても仕方がない。その疑問はおそらく正しい。穣司も似たような気持ちでザフェルとルイーザを見つめていた。お互いに相手の姿を疑問に感じているが、ザフェルだけは通常営業といった様子で、親しみのある気安い態度で右手を上げた。
「よう、旦那。見送りさせるみたいで悪いな。本来なら俺等が旦那のトコに行くべきなんだろうけど、まぁ、そのなんだ。……ちっとばかし色々とあってな」
妙にすっきりとした表情で、白い歯を見せて笑っているが、反対の左手はルイーザの指と絡み合って繋がっている。恋人繋ぎと言われる手の繋ぎ方である。ルイーザは満たされた表情で、はにかんでいた。そんな二人の下へコロが飛んでいき『仲良しさんだ』とはしゃいでいる。
「……あ、いやいや、気にしないでいいよ。そっか……色々とあったんだ」
二人の仲睦まじい姿の目を奪われ、穣司は僅かに反応が遅れた。それから動揺を隠すように、ゆっくりと再び足を動かす。
色々とあったとは、つまりそういう事なのだろう。余計な詮索をしなくても、ナニがあったのか一目瞭然だ。
(へぇ、意外だな。この二人はくっついたんだ。……雨降って地固まる……みたいな感じかな。……もっと別の液体ではあったけど)
ともあれルイーザの想いが通じたのなら喜ばしい事なのだろう。長身のザフェルと小柄のルイーザでは恋人というよりも、仲の良い兄妹のように見えてしまうが、それでも若さ溢れる成人だ。燃え上がってもおかしくはないと生暖かい眼差しで穣司は二人を見ていた。
すると若干顔を引きつらせたウェンテが、絞り出すように困惑の念を洩らした。
「あ、あのジョージ様? なぜ姉をおんぶしているのでしょうか?」
「ああ、これね。最近運動不足を感じてたから、俺がフランに頼んだんだよ。それにほら、フランの履いてる靴だと坂道を歩くとは疲れると思うし」
予め考えていた言い訳である。また嘘を吐いた事になるのは気が引けたが、そのお陰で言い淀む事なく、それが事実であるかのような滑かさで言った。説得力を持たせる為にフランが履いてるヒールの高い靴を見せてから、フランと背嚢を下ろす。
「そ、そうなのですね! で、では……その……帰り道はどうなさるのでしょうか!? 」
目を見開いたウェンテが探りを入れるかのように捲し立てた。話の流れをどのように持っていきたいのか想像が出来てしまい穣司は思わず頬が緩む。明らかに期待をしている目だ。
「フランとは此処でお別れになるから、帰り道は背中が空いちゃうかなー」
「残念だけど、私は国に帰らないといけないからねー」
『背中は空いてても頭の上は私の指定席ですよ!』
穣司とフランはチラっとウェンテに視線を向けながら、わざとらしく言った。コロは相変わらずの態度だが、その声はウェンテに届いていない。だが、頭の上がコロの指定席になっていたらしく、譲る気もない事に吹き出しそうになる。
「その……でしたら帰り道はその……私を背中に担ぐのはどうでしょうか。き、きっと、よい鍛練になるかと思います」
心臓の高鳴りを抑えるように、胸に手を置いたウェンテが、唾を飲み込んだのが分かった。期待と不安が入り雑じった表情は強張っている。
ウェンテもまた複雑な家庭環境で育ち、父親という幻想に憧れがあるのだろう。しかしながら積極的になれずに顔色を窺うような態度なのは、傷つきながら心を疲弊させるような人生を歩んできたからなのだ。いつもの涼やかな表情は仮面でしかない事に気付き、それが妙に痛ましく見えて、やるせない気持ちが胸に広がった。故に穣司は穏やかな口調で語りかける。
「ウェンテがいいならお願いしようかな」
「は、はい!喜んで!」
目を輝かせながら満面の笑みを浮かべるウェンテは向日葵のようだった。まるで誕生日プレゼントに喜ぶ少女のようで、穣司はくすりと笑う。きっとこれで良かったのだろう。
「くくくっ……なぁ、副職長。 他にも言う事あんじゃねぇの?
さっきまで張り切ってたじゃねえか。 職長が準備してくれてるアレの話があんだろ? 」
ザフェルは悪戯っぽい笑みをウェンテに向けて茶化すように言った。
「フッ、あまり言ってやるなザフェル……」
窘めるオルハンも苦笑している。
「えっ……ああ! もちろん忘れていた訳じゃないのよ。早くお伝えしたかったのだけれど、そうね……少し浮かれてしまったわね」
「んん? ……おかしいな。俺には少しどころじゃねぇように見えたけどよ」
「うむ……確かに少しではなかったが……それは良いだろう。それよりジョージ殿に知らせたいものがあるのではないか?」
「ふふ……二人とも意地悪を言うようになったわね。でも、確かにお伝えしたい事もあったのは事実だわ」
良い職場環境なのか、和気藹々とした雰囲気だ。ザフェルの軽口には気遣いの情が込められているようにも思える。
「……ところでジョージ様は身分を証明する物が欲しいと仰っていたようですね」
落ち着きを取り戻したウェンテが穏やかな笑みを浮かべる。
「えっ! ああ、うん。確かに欲しいなって思ってたけど」
「職長のハリルの働きのお陰でジョージ様の組合手帳も完成間近です。あと一手間ほどで出来上がるので、この後、その……鍛練の後に海運組合に行きませんか?」
「おぉ! そうなんだ! ……って、あれ? 俺はウェンテに言ってなかったような……」
穣司は首を傾げた。
確かに身分証明書は欲しいと感じていたが、何の手続きもしていない。完成間近と言われても、知らぬ間に物事が運んでいるのは少々不気味でもあり、一日そこらで完成するものなのかと疑問にも感じた。
「そりゃ俺が伝えてたからな。旦那が欲しがりそうなもんは他にも分からなかったしな」
右手で胸を叩きながら、どこか誇らしげにザフェルは笑う。左手はルイーザと繋いがったままで、手を離すつもりはないようだ。
そんな二人を優しい眼差しで一瞥したウェンテは、引き継ぐように言葉を続ける。
「ええ、そうです。ザフェル君が言ってたので、すぐに取り掛かりました」
「え……でも俺は署名や手続きもしてないけど大丈夫? それに、その……申請費用が高額だと持ち合わせもないっていうか……」
パスポートで考えるなら代理人が申請する事も出来るが、それでも本人の署名は必要だ。それにパスポートを申請するにも身分証明書が必要である。住所不特定無職の旅人など不審人物でしかない。
「いえ、お代を頂くわけにはいきません。カラバシュさん達の命を救っていただいきましたし、この程度では恩返しにもなりません。その上でお代を請求するなんて……その、神に背くような行為です。……ですので、受け取って頂けませんか」
瞳を潤ませながらウェンテは言う。断れば泣いてしまいそうな雰囲気まで漂わせている。
「あ……いや、そんなに気を使ってもらわなくても良かったんだけど……。それに、ほら……助けてもらったのは俺の方が先だったし。……でも、そこまで言ってもらえるなら、有り難く頂戴するよ。うん、ありがとう」
穣司のした事といえば、傷を癒し、水を提供しただけだ。そもそも漂流しているところを助けられたから、助け返しただけなのだ。ザフェル達にはそのようにしか映っていないに違いないだろうし、潮流を操ったのは誰にも知られていない筈である。フェアティアに帰ってこられたのも巨大な龍のお陰なのだ。つまり、第三者の目からすると、自分は大した事はしていない。穣司はそう考えている。
(……助けられたのは俺の方だからって言うと、水掛け論になりそうなんだよな。義理堅い人は好きだけど、ここまでされると困るな。でも、断るとウェンテが泣きそうだったし……)
義理堅いのは美徳であるが、必要以上に恩を感じられても、むず痒いだけである。穣司のした事は漂流から助けてもらった事への恩返しでしかないのだ。しかしそれを口に出せば、堂々巡りになる。
自分が助けてもらった。いや自分の方こそ助けてもらったと、延々と埒のあかない言葉を交わす事になるだろう。謙虚も過ぎれば傲慢になるとはよく言ったものだなと、穣司は小さく溜め息を吐いた。
「ところで旦那。フェアティアにはいつまで滞在するんだ?」
ウェンテの用件が終わった途端に、ザフェルが身を乗り出すように言った。もちろん左手はルイーザと繋ったままだ。
「うーん、特に考えていないかな。しばらくはこの街を拠点にしようかと思っているけどね。それに色々とやりたい事もあるしさ」
雇ってもらえるかはともかく、まずは旅費を稼がなければならないだろう。いつまでも大破した帆船で寝泊まりする訳にはいかないのだ。それに働きながら旅をする事への憧れもあった。
「そっか。じゃあすぐに居なくなる訳じゃねぇんだな。それなら良かったぜ。俺等もそんなに遅くはならねぇとは思うが、きっとすぐに帰ってこれねぇからな。帰ってきたその時は今度こそ、ゆっくりと飲もうぜ」
「ああ、俺もその時は一緒にさせてもらおう」
「うん、そうだね。じゃあその時は一緒に飲もうか」
会話が止まり、穏やかな風が吹いた。
しばしのお別れになるのだろう。彼等には仕事もあり、生活もある。だが一生会えない訳ではない。それはおそらくまだ先の話だ。
「じゃあな旦那! 出掛けてくるわ」
「ではジョージ殿。……また会おう」
「ジョージ様!ありがとうございました」
ザフェルとオルハンが別れを告げる。ルイーザも一緒についていくのか、手を離す様子は見られない。見ている方が恥ずかしくなる程の熱々ぶりだ。
穣司は返答の前に、両手を広げながら、まずオルハンとの距離を詰める。それから包み込むように抱き締めた。別れの挨拶だ。
「では、また」
言いながら背中を軽く叩く。
「ジョ、ジョージ殿! ど、どうしたんだ」
オルハンの声は上擦っていた。
穣司は何か間違った事をしでかしたのかと慌てて離れる。
「えっ? いや、別れの挨拶だけど……ひょっとして不味かった? 男同士ではしないのかな?」
「そ、そうか、挨拶か。……それが正しい挨拶というのだな」
「うん? 正しい……のかな? そういうものだと思っていたんだけど」
「いや、いいんだ。おそらく俺達が忘れていた事なのだろう。……恥ずべき事だ」
オルハンは悔いるように目を伏せた。
「そ、そう? なら良いんだけど……」
この国にはハグ文化があると先に知る機会があった為、当然のように男同士でも行われていると、穣司は考えていたのだ。しかし同性によるハグは廃れつつある風習で、今となっては行われない挨拶方法だとしたら、突然抱擁されたように感じて気味も悪いだろう。
(正しい挨拶ってなんだろう。……それに忘れていた? 昔はそういう風習があったけど、今はなくなったのかな)
廃れつつある自国の風習を、偶然にも余所者に教えられた体になったのなら、オルハンの様子にも納得がいく。日本マニアの外国人に、失われつつある日本文化を教えられる形になると、穣司も少しは羞恥の念に駆られるだろう。お前は自分の国の事も知らないのかと指摘された気分になる。
「なぁ、旦那。俺にも挨拶してくれよ!」
ルイーザから手を離したザフェルが両手を広げた。
「えっと……大丈夫なの?」
「へへっ、大丈夫に決まってんじゃねぇか」
「じゃ、じゃあ……遠慮なく」
言いながらザフェルを抱き締めた。
背中を軽く叩くと、ザフェルも叩き返してくる。
「へぇ……。これは悪くねぇ気分だな」
噛み締めるようにザフェルは言う。
「そっか、なら良かった」
穣司が安堵の息を洩らしながらゆっくりと離れると、コロが抱き締めるように、ルイーザの頬を貼り付こうとしていた。当然の事ながら触れる事は出来ない。しかしルイーザは何かを感じ取ったのか、首を傾げながら頬を撫でている。それからルイーザは照れくさそうに指先を弄りながら上目遣いで言った。
「あの、私も挨拶していただいても、よろしいでしょうか」
「そうだな、ルイーザも挨拶してもらえよ」
ザフェルはルイーザの肩を軽く叩いた。
「……まぁ、ザフェルが良いなら」
彼氏の目の前でハグをするのは気が引ける。やましい気持ちは微塵もないが、妙な気は使ってしまう。単なる挨拶だと分かっていても気まずさをあるのだ。それでも両手を広げて、包み込むようにルイーザを抱き締めた。翼を気にして背中というよりは腰の辺りを軽く叩く。平均身長より僅かに高い程度の穣司でも、背丈の低いルイーザ相手では、少し腰を屈めなければならなかった。
「はぁ……これは落ち着きますね」
「だろ?」
『ですよね!』
僅かに顔を紅潮させるルイーザに、ザフェルとコロが同調する。
「あ、うん……」
変わったカップルだなと感じながら、穣司は困惑を洩らしてルイーザから離れた。
するとフランが次は自分の番だと主張するかのように近付いてくる。
「じゃあ私もお別れの挨拶してもいい?」
「もちろん!」
フランのハグは力強く、別れを心から惜しんでいるように思えた。
これから辛い現実が待っているのだろうと考えるとやるせなくなる。それ故に穣司も力強く抱き返した。
そうして全員と別れの挨拶を済まし、ザフェル、オルハン、フラン、ルイーザの四人はフェアティアから離れていった。またいつか会えると考えながら、穣司は四人の後姿が見えなくなるまで見送る。
まだ原動機付の乗り物は開発されていないのか四人は徒歩での移動だった。馬車のような乗り物を使う気配もない。それともこの先に乗り合い所でもあるのだろうかと考えながら穣司は四人を背を向ける。
「さて、街に戻りますか。お客さん、乗っていきますか?」
穣司は腰を屈めながら、ウェンテに笑いかける。
その時、後方の遠い位置から音が聞こえた。
振り返ると巨大な龍と小さな龍が舞い上がるように飛んでいる。
「おお、あの龍だ。あの小さいのは子供かな?」
「ど、どうでしょうか。子分……のようなものかもしれません」
ウェンテの物言いに、ふっと穣司は表情を緩めた。
ならばあの巨大龍は群れのボスなのだろう。親分の人懐っこさを考えれば、子分も人懐っこいかもしれないなと考えながら、穣司はウェンテを背中に担いだ。コロは定位置に腰を下ろす。そして三人は街の中へと戻っていった。




