42話 憐憫の情を背負いて
女神に創造されし者の男女は、惹かれ合うように番になり、やがて血を分けた子孫を残してゆく。
それは全ての生物における共通点。そうなるよう創られた不変的な制定。親は子を愛し、子も親を愛した。
例外は創造者たる女神だけ。
創造された者達が自らの子供を作るには、男女の儀式なる神聖な行為が必要とされている。神獣にもその機能が備わっているのかフランには知る由もなかった。男の神獣がいない為に姉妹の神獣達はその行為を経験した事がない。
しかし女神は一人の力で生物を創造する事が出来る。対なる男神という存在がいなくとも問題はなかった。
それでも親子の愛に例外はなかった。ヒトの親子の間に愛があるのと同様に、フランは母から愛されている実感があった。フランもまた母を愛していたからこそ、心から満たされていた。男神という存在が居なくても、世界は幸福に満たされていたのである。
いつしかフランは神とはそういうものだと考えていた。
男神が在らずとも、女神が在れば世界は回る。それが創造主たる神の由縁。上位存在であるがゆえの御業なのだと。テネブラが父の存在を言及するまでは、存在そのものを忘れていたくらいである。もしかして男神はいないのかも知れないとフランは考えていた。
しかし母は返答に困ったような表情で、遠くに行っていると言った。もちろんフランはその言葉を疑わなかった。母がそう言っているのだから、そうなのだろうと信じた。それに神のいる天上の世界の事など、創造された者には分かりようがないのだ。
男神である父はどこかに居る。だがここではない。
その程度の認識であり、それを寂しいと感じた事はなく、疎ましいと感じた事もない。父の姿が見えなくてもフランは母がいれば満足していたのだ。
しかし母の姿が感じられなくなると、フランの心の平穏は脆くも崩れそうになる。親とはぐれた子供のように、両親の存在を強く願った。その時になってようやくフランは、父の存在を強く意識するようになったのだ。
そのせいかヒトの子供が父親に抱き締められている姿は、フランに憧れに近い感情が芽生えさせていた。ごく普通のありふれた家庭のように「お父さん」と甘えたい願望は日に日に強くなっていくが、その分だけ今更になって父の愛情を欲するようになった自分自身を嘲笑したくもなる。身勝手なものだと呆れた。
龍人種に争いを起こさせぬ為に、支配者として君臨していたフランは孤独だった。厳しく律し、畏怖で人々を縛りつけるのは効果的だったが、女神の望まない形でもある。それ故にフランの心を蝕んでいった。
時折、息抜きに大空を舞う。懐かしい思い出に浸りながら、自由に気ままに飛ばなければ、どうにかなってしまいそうだった。
だからこそ世界の異変にも気付けた。
テネブラは数千年、早い時は数百年の間隔で、争いを止める調停者として顕現していた。理性は失われ、意思疎通は不可能。人々の血で血を洗う戦争は、無慈悲な黒き災害に飲み込まれた。
おそらく闇に対なる光の属性が失われているからこその現象。しかし解決策を模索しても見出だす事が出来ず、殺戮の凶獣と化したテネブラを力で止める事しか出来なかった。
これ以上、末妹の手を汚させまい。そう考え、世界を巡回する。だが、テネブラとの争いは体力の消耗が激しく、フラン自身もテネブラと同じ間隔で休息を要した。事前に争いを起こさせぬ事は困難だった。出来る事はテネブラの色濃くなる負の気配を感じ取れるまで身を休めるだけ。
それでもテネブラの力は日に日に力が増してゆく。
もはや力は同格ではなく、フランは劣勢を強いられた。いずれ止められなくなるだろう。その時は世界に終わりをもたらす神獣として、テネブラは争いの根源を根絶やしにする事になる。終末の日は決して遠くない。
おそらく次が最後になる。そんな確信とも思える予感を感じ、可能な限り姉妹達と連絡を取り合い対策を講じた。傷付いた身体を癒す時間が必要なフランには姉妹達に頼るしかなかったのだ。
――そして時が経ち、神々しい力が空から降り注ぐ。
それは懐かしい力だった。
それは懐かしい匂いだった。
心から満たされ、安堵をもたらす温かな力。
色濃くなりつつあるテネブラの負の気配さえ、完全に浄化され、消失した。
その事に歓びが溢れ、涙と共に溢れ出る。
母に近いものだった。しかし母の力ではなない。
それ故にその正体をすぐに察した。
――あぁ、お父さんが来てくれた。
そうなってからのフランは行動は早かった。
いても経ってもいられなくなったというべきか。
一刻でも早く会いたいという欲求が積み重なる。面倒事を解決していき、ウェンテと意見の擦り合わせをした。そして空へと飛び立った。
始まりの地に帰郷すると、あまりの美しさと懐かしさにフランは再び涙を流した。
介入の果てにテネブラを連れ帰る度、漂う黒き瘴気が色濃くなっていた始まりの地に、フランは絶望していたのだ。本来の姿であるはずの、紺碧の海に浮かぶ緑豊かな美しい島が、この世界から消え去った。もう母は戻ってこないのだと、希望のない現実を突き付けられたように思えていたのだ。
だがしかし、それが男神の御業により、すっかり元の美しい姿に還っている。それが喜ばしく、フランは希望の涙が溢れた。
父である男神とは行き違いになったが、テネブラと闇妖精達が共に過ごしている事をフランは知った。
理性を無くし世界各地で暴れ狂う調停者になり果てたテネブラは、母がいた時のような愛らしい笑顔を取り戻し、黒き凶獣はこの世界から姿を消した。
そのような人智を超越した力が行使されたのは男神が降臨したからであり、父の愛があるからだろう。
テネブラもそんな父に存分に甘えて「おとーさん」と呼んでいたらしく、寝食を共に過ごしていた。寝台で一緒に寝るような距離の近さがあり、まさに親子らしい姿だが、テネブラがヒトの形態と神獣の形態の、二つの姿を持っている事は知らせてはいないらしく、いつかテネブラの口から話すまでは、絶対に知られていけないとの事だった。
理由を尋ねてもテネブラは決して口を開こうとはしなかったが、フランからするとそれほど気になるものではない。それよりも一緒に寝ていたという事実に衝撃が大きく、自分も同じようにしてもらいたいという欲求に駆られる。添い寝してもらいながら「お父さん」と甘えたかった。
とはいえウェンテは、今の自分達には父と呼ぶ資格がないと頑なに心に決めている。フランもその気持ちは理解出来たし、尊重したい気持ちもある。この世界において男神を父を呼べるのはテネブラだけ。
だが、それでも――
フランは「お父さん」と呼んでみたかった。
たった一度でいい。娘と認知されなくてもいい。仮初めの関係でもいい。
一切合切の事柄を曖昧にしてでも、その名で呼びたかった。様々な要素を誤魔化してでも、たった一度だけでいいから、その名で呼んでみたかった。たとえ男神に偽りを言う事になろうとも、ただの一度でいいから「お父さん」と呼んでみたかったのだ。
だから――その許しを得られた時は涙が溢れた。
慈しむような父の柔らかな笑みに触れ、フランは吸い込まれるようにその胸に飛び込んだ。
◆
緩やかな坂道を歩く男の姿は、フェアティア市民の衆目を存分に集めていた。
穢れを感じさせない清浄さを漂わせる白装束を身に纏った男が、本来背負うべきであるはずの背囊を胸に抱えて、華美なドレスで着飾る絢爛な少女を背中に担いでいる。その組み合わせは珍しく、あまり見られるものではない。
フードを深く被る男の表情は窺えないが、性別問わず目を奪うような容姿端麗な少女は、背中の上で破顔させていた。しがみつくように男の首に手を回して、おんぶされている姿は幼い子供然としている。
道行く人はそんな二人を首を傾げながら、不思議そうに眺めていた。井戸端会議をしている婦人や、路上でお茶会を開いている老人達は、二人の関係を推し量るように会話しはじめる。
少女は顔色も良く、怪我をしているようには見えない。両足は歩行に支障がなさそうである。
白装束の男は顔を隠すようにフードを深く被っているが、胡散臭さは感じられない。白昼堂々と人拐いをしているようにも見えず、逢い引きのような色気も感じられない。親子のように見えなくはないが、フードのせいで男の年齢を推察する事は難しく、少女は外面を気にする事なく親に甘える歳でもないように見えた。では二人の関係は何なのか。
「怪我をしているようには見えないし、あの子は坂道に疲れたのかしら?」
「そう? ただの甘えん坊のようにも見えるわ」
「仲が良さそうじゃが、親子じゃろうか」
「いや、兄妹じゃないか?」
等とフェアティア市民は後ろ姿を目で追いかけながら、不思議な組み合わせの二人の話に花を咲かせていた。
「お客さん、乗り心地はどう?」
坂道を歩きながらフランを背負っている穣司は、振り返る事なく冗談混じりに言う。
「うん……凄く良い。お父さんにおんぶしてもらう事に憧れてたから……最高の気分だよ。……えへへ」
背中のフランはご機嫌そうに言った。口調は元に戻り、嬉々とした声は弾んでいる。おんぶされる事を純粋に喜んでいる子供そのものだった。
「はは、それは何よりだよ」
『何よりですね!』
くすりと笑う穣司にコロが言葉を重ねる。
心なしかその声質は穏やかさが漂っている。
(おんぶして欲しいとお願いされた時は驚いたけど、まさかここまで喜んでもらえるとはね。……よっぽど愛情に飢えていたのかな)
つい先程まで、穣司の胸でフランは涙を流していた。
堪えきれないといった様子で飛び込んできたのだ。おそらく虐げられていた過去を思い出したのだろう。無償の愛情を注がれる子供ばかりとは限らないし、綺麗な物語だけで成り立つ世界は存在しない。分かっていても社会の暗部を垣間見ると胸が痛くなる。
それ故に穣司は頬を濡らす彼女を受け入れた。否定するという選択肢はなく、感情が昂って泣きじゃくる子供をあやすように、背中をぽんぽんと優しく叩き続けた。
フランは子供から大人になる途中の外見に見える。この国の法律は分からないが、日本国憲法で考えるなら十中八九未成年で、まだまだ精神的にも不安定で危ういところもある年頃だ。今まで溜め込んできた感情が爆発しても不思議はない。それ故に庇護欲もふつふつと湧いてくる。
穣司は他者の涙に弱かった。それが子供の涙なら尚の事だ。余計なお世話だとしても、手を差し伸べずにはいられなかった。
しかしながら穣司は私財を売り払って自らの人生の全てを捧げるような聖人ではない。国内外の子供を救う活動をしてはいなかったし、そんな生き方は選べなかった。
それにいくら神の如き能力を授かろうと、中身はただの凡人だ。何の影響力もない旅人である穣司は弁えている。それ故に手が届く範囲はあまりに小さく、他者の人生を背負う程の覚悟もなかった。
――私たちは、大きいことはできません。
――小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
ある偉人の言葉が頭に過る。
穣司自身の能力だけでは大きな事は出来ない。いずれ元の世界に帰る身でもある。出来る事と言えば「お父さん」と呼ばれる程度の小さな事だ。
だが――その小さな事でフランの心が少しでも癒えるなら、いくらでも甘えてもらおう。溜め込んだ悲壮の涙が枯れるまで、いつまでも胸を貸そうと穣司は強く思う。
そしてこの少女の人生が平穏でありますようにと心から願う。
――そう、願ってしまった。
その瞬間、煌々とした光が溢れ出た。
まるでアンジェリカの時のように、光の粒がふわりと浮かび上がり、フランに吸い込まれていく。
他者の幸福を強く願っただけ。
ただ、それだけの筈なのに、溢れ出す光に触れたアンジェリカは性格が変わってしまった。翌日には表情から憂いの色が消え、子供らしさのある性格になったが、人格を歪めてしまったようにも思えたのだ。そしてそれは元に戻れと念じても戻る事はなかった。
街灯ですら妙な光を放ってしまったのだ。心を動かされると、妙な能力が働いてしまう。自分で制御出来ない力に恐ろしくも感じ、また同じ過ちを繰り返すのかと焦燥感と罪悪感にも襲われる。
しかしフランに然程変化は見られなかった。
少しだけ子供らしさが増したようには見えたが、気のせいとも思える範囲内だ。劇的な変化は見られなかった。何かを懐かしむような笑みを浮かべて「お父さん」と呟いただけだった。
あの光に触れて、どのような変化がもたらされたのか穣司には見て取れなかった。光に触れた刹那に幻想の父の夢を見たとも考えられるが、フランの胸の内までは分かりようがない。
しかし直後にフランが指をもじもじと弄りながら、照れ臭そうにしている様子には僅かに動揺したが、要求の内容は可愛らしいもので、アンジェリカの時に比べると大した事はなかった。
フランは父親に「おんぶ」されてみたい願望があっただけだった。その言葉に穣司はほっと安堵のため息を吐く。「愛してます」と言われるのではないかと戦々恐々としていたが、フランの父親に対する憧れの姿勢に変化はなかったのだ。
そう考えるとアンジェリカは何だったんだろうと穣司は疑問に感じたが、理解の範疇を越えた能力を凡人に理解出来る筈もないかと、一先ず心の片隅に置いた。
そうして穣司は背中の背嚢を一度脱ぎ、次は胸で抱えるように背嚢のショルダーハーネスに腕を通した。そして背中にはフランを担ぐ。
ある意味ではバックパッカースタイル。穣司が元の世界で旅をしていた時は、大きなバックパックを背中に担ぎ、胸側には小さなデイバッグを抱えるという、双子の乳幼児を抱っこ紐で抱えるような格好で旅をしていた。おんぶに抱っこである。
見慣れない人からすると不恰好に見えるせいか、街の住人から好奇の眼差しを向けられているような気配を感じていたが、穣司はお構い無しに坂道を歩く。そしてふとフランの言葉を思い出した。
「そういえばさ、誰を待たせているの?」
「あっ、そうだった。ザフェル君達が街の外で待ってるよ。船乗りの人達は事の顛末を話し合う為に首都に行くから、その前にお父さんと話がしておきたいんだってさ」
「そっかぁ……。ザフェルとゆっくり酒を飲み交わせなかったのは残念だけど仕事だろうから仕方がないね」
たとえ観光だったとしても怪物に襲われたら、しかるべき機関に報告する事になるだろう。それが仕事中での事件や事故なら尚の事だな、と穣司は納得する。
「あ、ごめんなさい。ルイーザとザフェル君との事があったから、昨日は一緒飲めなかったんもんね」
「ははっ。そんなの気にしなくていいって。俺の事なんかより二人の今後の方が大事だよ」
昨夜の酒の席は二人の縁――というよりもルイーザを取り持つ意味も兼ねていたらしかった。
船乗りという身に危険のある仕事をしているのに拘らず、ザフェルには女の影が見当たらなく、結婚する気配も全く感じられない。とはいえ同性愛者という訳ではなく、女性からモテないという事もない。淡い想いを寄せている妙齢の女性も多いが、ザフェルは仕事中毒の傾向があるのか、女性に見向きもせずに仕事一筋に船乗り業に励んでいる。船乗り掟を拠り所として、それを誇りにしているが、それが危うくも見えると、ウェンテから聞かされたのだ。
ウェンテ曰く「ザフェル君はもう結婚していてもおかしくはない年齢です」との事だった。「このままでは子孫を残す事もなく行き遅れになる」とも言っていたが、穣司にも当てはまる事に僅かな居心地の悪さを感じ、苦笑いで誤魔化した。
それで白羽の矢が立ったのがルイーザだ。
国際交流を育む為、シュケルに訪れた龍人種の少女で、密かにザフェルに想いを寄せていると、穣司は聞かされた。実に甘酸っぱいものだなと、思わず遠い目で空を見上げたくなる。
龍を思わせる爬虫類のような人間がいるとは思っていなかったが、動物人間ともいえる獣人種と先に交流を深めたせいか、それほど驚きはない。
ただし、どう見ても未成年のルイーザが、飲酒しても問題ない年齢だと聞かされた事に穣司は驚かされた。正確な年齢は聞いていない。聞くのは野暮というものだ。しかし外見だけで言えば中学生になったばかり程度に見える。それでも成人であるなら想像以上に童顔だと言えるが、外国人から見た日本人も幼く見える事を思い出し、それと同じ感覚なのだろうと考えると腑に落ちる。合法であり、未成年を唆した訳ではないなら、何の問題もない。
どちらにせよ部外者が口出しする案件でもなく、穣司は状況を温かく見守っていた。
(ダークエルフと木彫り像に興味をもってたし、ザフェルはセクシー系が好きなのか思ってたけど……ルイーザの恋は実るのかなぁ)
ルイーザの様子を見ていると憧れの大人の男に恋心を抱いている中学生のようだった。中身も外見も男前のザフェルに憧れる気持ちは分かるが、魅力的な分だけ恋敵が多いとも言える。その願いが成就するのは難しいようにも思えた。
だからこそルイーザは必死だったのだろう。あれほどの男はそうそういるものではないし、恋愛はある意味で早い者勝ちだ。他の女性に取られる前に、唾をつけておきたくなる気持ちも理解出来なくはない。ただし悪酔いして唾以上に濃厚な液体をつけてしまったのは気の毒だった。
(でも、ルイーザは吐いちゃったな……。好きなの人に向かって吐くってのは気まずいだろうなぁ)
この先、二人がどうなるかは女神様だって分からない。なるようにしかならないだろうと、小さく溜め息を吐いた。
『ねぇねぇ、ジョージさん! 私もお父さんって呼んでもいいですか?』
昨夜の事を考えていると、穣司の鼻の先でふわりと浮かんだコロが、期待に満ちた笑顔見せる。
「うん? まあ、いいけど。……急にどうしたの?」
コロの声は他の人には聞こえないが為に、穣司は声を潜めて返答する。
『何も覚えていないけど、私にもお父さんがいるのかなって思いました! あとね、フランちゃんがちょっと羨ましかったです!』
「あぁ……そっか。それは……うん、そうだね。じゃあコロちゃんもお父さんって呼べばいいよ」
悲しみの色がない無垢な笑顔を見せるコロに、穣司は込み上げてくるものを堪えながら笑顔を返した。
『わはーい、お父さーん!』
そう言ってコロは穣司に頬に抱きついた――というよりも貼り付いた。至近距離すぎるせいか、視界の端で僅かにコロの姿が見えるだけだが、それでも満足そうにしているのが分かる。
「お父さん、コロにちゃんと何を話してたの?」
肩越しから穣司の顔を覗きこむようにフランが言った。
コロの声や姿が見えないフランからすると、蚊帳の外に置かれたも同然だ。自分にしか見えない相手と交えた会話は難しいなと、穣司は小さく笑いを洩らした。
「コロちゃんも俺の事を、お父さんと呼んでみたくなったんだってさ」
『呼んでみたくなりました!』
「そっか。そうだよね。……きっとね、コロちゃんも私と同じような存在なんだと思う。だからね、私以上にお父さんって呼びたいんだと思うよ」
「同じような存在、か……」
つまり虐げられてきたという事。記憶がないというのは、記憶を消したとも言える。
言葉では言い表せないような惨たらしい目に遭った事で、心に防衛本能が働いたのかもしれない。無垢に笑っている今の姿は、辛い過去を思い出さない為の、別に作られた人格という可能性だってある。おそらく姿が見えない事にも何らかの影響が及んでいるのだろう。穣司にはそのように思えて仕方がなかった。
(フランと同様に虐げられてきたのかな。世界には綺麗なものも沢山ある事を教えてあげたいな。……まぁ、この世界の事は俺もまだ詳しくはないけど)
それでもこの小さい少女と一緒に旅をするのも悪くない気がした。記憶の事は無理に聞く事もないだろう。思い出させる必要はない。
「俺はこの国に滞在した後は旅に出るけど、よかったらコロちゃんも一緒に旅に出る?」
『旅……? よく分からないですけど、一緒に行きますよ!』
「よし、決まりだね。まぁ今はザフェル達の所に行こうか」
『ザフェル君って誰だか分からないですけどね!』
「はは、そりゃそうか。行けば分かるよ」
「あ、また私が会話に入れない……」
そのまま三人は他愛もない話をしながら坂道を歩き続ける。
コロは頬に貼り付く事に飽きたのか、再び穣司の頭の上に腰を下ろした。
坂を登りきると、街と外の境界線の役目を果たす城壁等はなく、門番のような警備係もいなかった。市街地から離れるにつれて、家屋の間隔がまばらになっていくだけで、街の外から自由に入ってこられる構造だ。
そのまま歩き続けると、ようやく見慣れた人影を発見する。ザフェル達だ。
「あ、あのね、お父さん。私がジョージさんの事を、お父さんって呼んだのは……その、ウェンテには内緒にしてもらえないかな?」
背中に担がれたままのフランは言葉を詰まらせていた。
「ああ……なにか訳有りなんだね」
「うん、訳有りというか、なんていうか……。あの子は頑固なところがあってね……。ウェンテもジョージさんの事を、お父さんと呼んでみたいと思っている筈なんだけど、自分を戒めているようなって言うか、その……自分を追い詰めちゃうタイプなんだよね。それでね――」
「あっ、いいよいいよ。無理して詳しく言わなくてもさ。それにウェンテにも色々と事情があるんだと思う。……だから内緒にしておくよ」
言いにくそうにしているフランに穣司は言葉を遮るように言う。
「うん……ありがとう、お父さん」
フランを安堵の息を洩らすように小さく呟いた。
複雑な家庭環境を無理に聞き出すつもりはないし、誰にだって言いにくい事はある。本人の口から言いたくなった時に、聞けばいいだろうと考えながら、穣司はザフェル達の下へ向かった。




