41話 二人の少女
『おはようございます?』
鈴の転がるような涼やかな声で、吊床で揺られる穣司は目を覚ました。
年季が入った木製の天井が瞳に映ると、ここはいつもの帆船なのだと意識させられる。
街に着くとまず宿探しをするのが穣司の旅の手順だった。観光も町歩きも、まずは宿を確保してからだが、手順を怠ったせいで、寝床はすっかり慣れてしまった吊床となる。
いざとなれば帆船があるという楽観さが「なるようになるだろう」という思考をもたらしていた。
それに大空で巨大龍と戯れる機会など滅多にあるものではない。その後には酒の席に呼ばれた事が重なって、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。その失敗が後に響いた。
『あの……起きていますか?』
昨夜の事を考えていると再び鈴の声が聞こえた。
「あ、はい。すみません、起きてます……ってあれ?」
穣司は言いながら視線だけを左右に向ける。が、声の主の姿が見当たらない。
そもそも聞き覚えのない声だ。昨日の一件を考えれば、ウェンテやフランが起こしにくるとは考えにくい。それに逃げるように組合から出ていったせいで、若干の気まずさが残ってる。
では、誰が起こしに来たのだろうと身体を捻ると、耳元に小さな少女がいた事に気付き「……へ?」と間の抜けた声を漏らしてしまう。
小さな少女。それは小柄や幼いという意味ではなく、人間の身体をそのまま縮小したような少女だ。身長はおよそ20センチ程。外見年齢はルイーザと同じか、少し幼い程度である。
緩やかに伸びる白金色の髪は透き通るように美しく、彼女が着ている裾の長い純白のワンピースも相まって、無垢な印象を受ける。
「えっと、その……はじめまして? 小人さんかな?」
穣司は吊床の上で居住まいを正した。小さな存在に向かって正座しながら尋ねる。
『小人さん……なんでしょうか? 私にも分からないんです』
小さな少女は顎に指を添えながら思案するように首を傾げる。
そして穣司も彼女の声に首を傾げた。
彼女は口を開き喋っているが、その声は音として耳に届いてくる事はなく、直接脳に届けられていているように感じた。
「あっ! もしかしてこれってテレパシーってやつ?」
『てれぱしー? ってなんですか』
閃いたと言わんばかりに穣司は尋ねるも、帰ってきた言葉は期待した答えとは違うものだった。言葉の意味に心当たりがないように窺える。
「あれ? 違うのかな……。まぁ、それはさておき、俺に何かご用かな?」
『ご用はないんですけど……気が付けばここにいたので……』
「えっと……じゃあお名前は?」
『それも……分からないんです。えへへ、何故なんでしょうね』
自らの名前も分からない小さな少女は、特に気にする素振りもなく、はにかむように笑った。
「……それは大変……だね」
記憶喪失なのだろうか。自分の事が分からないのは、さぞかし不安だろうと、穣司は彼女を不憫に感じた。
『別に大変じゃないと思いますよ?』
しかしこの小さな少女は、全く意に介さない様子だ。
小さな身体を動かし、穣司の膝によじ登り始める。まるで小動物が木を登ろうとしてるようだ。しかし上手く登れずにずり落ちる。穣司は思わず手を差し出すと、微笑みながら手の平に腰を下ろした。
『ありがとうございます!』
名無しの小さな少女は、白金色の髪を揺らして、えへへと笑う。
(記憶喪失の小人さんか……。さて、どうしたものかな)
異世界なのだから小人が存在していてもおかしくはないのだろう。
実在はしないが元の世界にも、そういった伝承は残されている。もしも彼女が葉っぱを抱えていたら、きっとコロボックルを連想していただろう。だとしたら北海道行きの旅を勧める。
しかし、彼女は自分の種族が分からなければ、名前も分からない。ここに居る目的さえ分からないのだから、穣司にはお手上げだ。考えられるとしたら積み荷に紛れこんでしまった可能性くらいだが、数日間に渡る遭難という名の船旅では彼女を一度も見掛けなかった。
「いつからここにいたの?」
「気が付けば……ですよ? 気が付けば、貴方が寝てるのが見えました!」
「そ、そうなんだ」
益々分からない。
彼女は目隠しされたまま他国に連れて行かれるテレビ番組に出演したのだろうか。そして気が付けば知らない土地で、無茶な企画を言い渡されるのだ。だが、目隠しをしたまま搭乗手続きが出来るものなのだろうかと、穣司は今になってふと思う。
しかし今の状況では何の役にも立たないなと、思考を片隅に追いやろうとすると、木を叩くような軽い音が聞こえた。ノック音だ。
「ショージさん、起きてる? 私、フランだよ」
「え……ああ、うん。起きてるよ。……ど、どうぞ入って」
「はーい、ではお邪魔します」
穣司が言うとフランは船室に入ってくる。
にこやかな笑顔だ。それが逆に不気味に覚え、穣司は困惑する。
昨夜はウェンテに寝床を提案されて、組合に向かったまでは良かったが、穣司が寝台に寝転がると、当たり前のようにウェンテとフランも一緒に寝転がってきたのだ。
ザフェル達を助けた事になっているせいか、その恩返しなのではないか考えた。絶世の美女と美少女。その二人を傍らに侍らせるのは、きっと男冥利に尽きる事なのだろうが、厚意を利用して抱くのも気が進まない。なにより股関が悟りを開いているのでどうしようもない。
穣司は仕方がなく逃げるように組合を出た。
彼女達が悲しそうな表情だったのがこたえる。おそらく女性のプライドを傷付けてしまったのだろう。据え膳食わぬは男の恥だというが、股関の仏様は見事に煩悩退散させて、微動だにしないのだ。もっと自分を大切にしなさいと説法しそうな勢いもあった。
そうした事もあり、穣司は気まずさを覚えていたが、フランは何一つ気に留めていないように見える。昨夜の事はお互いに忘れましょうという事なのだろうか。
(……もしかして昨夜は別の意味があったのかな。添い寝……なんて事はないだろうし、結局なんだったんだろう。ちゃんと理由を聞いておくべきだった)
性的な意味ではなく、この国特有の文化の可能性もあったのではないかと、今更になって穣司は考える。思えば尻尾を握らせて案内するのも変わった文化だ。他に珍しい風習があってもおかしくないだろう。つい反射的に避けてしまったのは、思慮の浅い行為だなと自省した。
とはいえ蒸し返すのも気が引ける。余計な事を尋ねれば藪蛇になりかねないし、今は小さな少女の事もある。
穣司は昨日の事を一先ず片隅に置き、小さな彼女をフランに見せるよう向き直る。話が昨夜の事に向かわないように、やや強引に話題を振った。
「お、おはよう。ところでこの小人さんの事を知らないかな? どうやら記憶喪失みたいで……」
「えっ? 小人さん? 小人種の事? それも土聖霊? ……どこにいるの?」
「ほら、手の平に乗ってるよ。この子は小人種か土聖霊って種族なの? ……見た目は小さな人間の少女なんだけど」
穣司は腕を持ち上げ、フランの目の前に持っていく。
「……おかしいなぁ。ジョージさんの手の平には何もいないけど……。 でも……大きさ的に小人種じゃないし、羽もないなら小妖精でもないし……。それに土聖霊はこの辺りには、まずいないと思うけどなぁ……」
「ええ……。じゃあ手の平のこの子は何だろう」
『はーい、自分の名前も知らない女の子ですよ』
小さい少女はフランに向かって大きく両手を振る。
しかしフランには見えていないのか、手の平をじっと見つめてているだけで、小さい少女とは視線が合っていないようだ。
「もしかして、君って幽霊?」
穣司は手の平の彼女に問いかける。
『んー、どうなんでしょう。私は幽霊なんでしょうか?』
小さな少女は穣司に振り返りながら、取り立てて困惑もない様子で考えを巡らせている。
「えっ!? 不死者がジョージさんの手の平にいるの? ……でも私に見えないのはおかしいなぁ。ジョージさんにだけ見える幽霊って何だろう。……あっ、そうか。でも……」
フランは首を傾げていた。言葉の終わりになると、ぶつぶつと呟きながら思案している。それから指先でつつくように穣司の手の平の上に触れようとすると――。
『とうっ!』
小さな少女はフランの指に飛び移ろうと跳躍した。
だが、指をすり抜けて床に落ちてゆく。
人間とっては些細な落差だが、小さな身体で考えるなら無事ではいられない落差だ。
穣司は小さな少女を掬おうと咄嗟に手を伸ばす。が、彼女はふわりと浮き上がる。そのままフランの頭の上に飛んでいき、乗るように静止した。
「あぁ、びっくりした……飛べるんだ。というか今、すり抜けたよね? あれ、でも俺の時はすり抜けなかったような……」
『えへへ、飛べたみたいです!』
穣司の疑問をよそに小さな少女は照れ臭そうに笑った。
「……やっぱり私にはその小人さんの姿も見えないし、声も聞こえないかも」
フランは眉を下げながら困惑した様子で言う。
「じゃあ……俺にだけ見えて、声も聞こえるのかな。もしかして……とり憑かれてる……とか? あ、そうそう、今はフランの頭の上にいるんだけど何か感じる?」
「頭の上? あっ、本当だ。何かの気配を感じる……かも。でも……これは不死者じゃないと思うなぁ。じゃあこれは何って聞かれても、私にもいまいちよく分からないんだけどね」
フランは言いながら自らの頭上に手を伸ばした。しかし、やはりその手は小さな少女をすり抜けた。
「何でだろう……やっぱりすり抜けてる。……でも俺の場合は――」
穣司はフランの頭上に手を伸ばし、小さな少女を優しく包み込む。
「――ほら、やっぱり触れる」
確かな感触がある。体温も感じた。とても幽体とは思えずに、つい親指で小さな少女の頬を撫でると、気持ち良さそうに目を細めた。
『もしかすると心の綺麗な人にしか見えない……のでしょうか?』
「いや、俺は全然そんな事ないよ。というかそんな事を言ったら見えない人に失礼だと思うよ」
『……じゃあ、逆に心の汚い人にしか見えない……ですか?』
「それは否定したいところだけど、出来ないような気もするから難しいな。というか、それも面と向かって言うのは失礼だからね?」
『そうなんですかー。 じゃあ、きっとジョージさんは綺麗なのと汚いのが混じり合わさった中途半端な感じなんですか?」
「ぶっ……もしかして俺の事が嫌いだったりする?」
身も蓋もない言い方に、穣司は吹き出しそうになる。
小さな少女からは侮蔑の色が見えないのは、おそらく物事を深く考えずに喋っているからだろう。腹を立たせるよりも先に、笑いがこみ上げてくる。
『嫌いじゃないですよ? それにジョージさんが私を――って……私の名前がないと不便ですね。そうだ! 私に名前をつけてくれると、私は喜びます! 』
「えっ? 俺が? ……いや、でも小人さんの命名法則とか知らないしなぁ……。何か小人さんに関係ある名前。……白雪、いや、あの小人さんはお爺さんだし……むぅ」
唐突なおねだりに穣司は顎に手を当てながら思考を巡らす。
彼女の種族や出身地が分かれば、それに由来する名前をつける事も出来るが、彼女は謎に包まれている存在だ。
土聖霊や小妖精は聞いた事もあるが、生態や伝承にも詳しくない。小人種に至っては聞いた事もなかった。
「小人さんはコロボックルくらいしか知らないなぁ。まぁ……この伝承もあまり詳しくないんだけどね」
『あっ、そのコロなんとかが良いです! でも、もう少し短い方が呼びやすそうなので、私の事はコロちゃんと呼んで下さい!』
「えぇ……そんなのでいいの? コロだよ?」
『コロじゃないです。コロちゃんです!』
「あ、うん、コロちゃんね……」
彼女は嬉しそうに「コロちゃん」と反芻しているが、穣司の心境は複雑だった。
名付けるにしても、どうせならもっと拘った名前にしたかった。「コロ」だと日本で飼われている犬の名前のような気がしてならない。しかし本人が気に入っているようなので、これ以上は何も言えなかった。
「あのぅ……私の事も思い出してほしいなぁって……」
コロの足下で口を尖らせたフランがぼそりと呟く。
「あ、ごめんね。小人さん……じゃなくてコロちゃんと話しこんじゃって……」
「いや、その! お――ジョージさんが、あ、謝らなくても大丈夫だよ! へ、へぇ、小人さんはコロちゃんって名前なんだ……あはは」
穣司が軽く詫びると、フランは妙に焦りながら言った。言葉も噛み、どことなく目も泳いでいる。
『そうですよ! たった今そうなりましたよ』
コロは全く気にかかる事もなく、フランの上で両手を広げながら、踊るようにくるくると回っていた。
「ま、まぁ、そんな感じ。 ところで俺に何か用事でもあった?」
「あ、そうそう! 大切な用事……って程でもないんだけど、待たせちゃうかもしれないから、歩きながら話してもいい?」
「……待たせる? よく分からないけど、分かった。とりあえず外に出よっか」
『はーい、出ましょうかー』
手早く支度を済ませた穣司が船室から出ると、太陽は既に姿を現していた。
船を降り、街へ向かって歩き始めると、港は喧騒に包まれていた。港町の朝に活気が溢れ、賑やかなのは当然の事だが、住人達の様子に違和感も覚える。ここが訪れた街で初めて迎える朝だとしてもだ。
聞こえてくる会話が、海に関する話題なら、穣司も気にもする事はなかった。今日は大漁だとか、ほくほく顔で漁師が言ったとしても、何らおかしいな事はない。日常的と言えるだろう。
だが、聞こえてくるのは「航路から外れた」「錆びて酷く腐ってた」「鉄の歪んだ船らしき」「誰も乗っていない」等という言葉である。不可解な現象に遭遇して、港湾関係者達が困惑しているような様子が見受けられた。
しかし不可解な現象という意味では穣司も負けていない。
(港の人にも何かあったのかな? 俺の場合は小人さんに起こされて驚いたよ……)
現状では穣司にしか見えず、声も聞こえない小さな少女に、先程まで困惑していたばかりだ。その少女は穣司が被っているフードにへばりつき、街をぼんやりと眺めている。
(コロちゃん、ねぇ……。俺にしか見えなくて、声も聞こえないら問題あるよな。さっきはフランの前で普通に会話してたけど、一歩間違えたら見えない誰かと会話している危ない人だと、俺は思われそうだ。……でもなぁ)
だからと言って記憶喪失のコロを無視する事も出来ない。
唯一コミュニケーションを取れる相手から、見えないモノのように無視されるのは、コロの心に深い傷を負わせる事だろう。
能天気そうにしているが、胸の内では心細さを感じているかもしれないのだ。決してぞんざいに扱うべきではない。
そうして穣司はコロを頭に乗せたまま、しばらくフランに先導されるように歩いた。
そこは賑わしく人が行き交う朝の街。
港付近には小さな店舗の飲食店が並び、焼いた魚介類と香辛料の匂いを漂わせていた。
ずんぐりとしたパンに調理した魚介と野菜を挟んでいる。見た目はバゲットサンドだ。山羊の姿をした男の客がそれを受け取り頬張っている。
路上ではお年寄りが椅子に座って、紅茶らしき飲み物を飲みながら談笑しいる姿が見られた。
平和的で穏やかな朝の時間だ。おそらく住人にとって、何の変哲もない一日の始まりなのだろう。だが穣司には心惹かれる一場面でもある。
(いいな、この街の朝の雰囲気。……それに あのパンは美味しそうだな。今度行ってみようかな)
穣司は頬を緩ませながら、フェアティアの住人を眺めた。
目が合うと、つい癖で小さく会釈をしてしまう。相手は呆けたように口を開けていたのが気になったが、きっと会釈の文化がないからなのだろう。
それから暫く街を眺めながら歩き続ける。
フランからは用事は未だに伝えられていない。
とはいえ急かす事でもないかと思い、フランが口を開くのを気長に待ちながら穣司は歩く。
時折コロに話し掛けれ、こそこそと密談を交わすような小声で言葉を返した。
内容は些細な事。
街の雰囲気や食べ物に興味を示すコロに相槌を打ち、獣人種の身体的特徴や可愛らしさに驚いているコロに、同意する程度のささやかなものだ。それでも無垢な子供の相手をしているような微笑ましさを感じて、穣司の口元はしばらく綻んだままだった。
やがて道幅の広い緩やかな坂道に行き当たる。上空から俯瞰した景色によると、街の外に繋がる主要道路だった筈だ。
そこに至るまであまり口を開かなかったフランが不意に振り返る。
「あの……えっと……その」
表情が忙しなく変わり、何かを言いかけては口を噤んでいる。
言葉を探しているように見えた。どことなく叱られるのを恐れている子供のようにも感じられる。
フランは目を瞑った。一度だけ大きく深呼吸をする。そして「よしっ」と小さく決意を洩らしてから目を開ける。
「あの……昨日はジョージ様に変な絡み方をしてしまって申し訳ございません。一日経って自分のとった行動の意味に気付きました。近すぎる距離感に、ジョージ様を困惑させたかと思っています」
萎れた花のようにフランは頭を下げた。活力が消え失せ、今にも枯れてしまいそうな面持ちだ。
「えっ? あ、いやそこまで畏まらなくても大丈夫だよ。 誰にだって間違える事はあるしさ。距離感を誤る事だって仕方がない事だと思うよ、ははは」
親しみのある態度が一転して、堅苦しい雰囲気になったフランに動揺を隠せなった穣司は、何が仕方がないのか自分でも分からずに言葉を返す。
「それで、その……私は……この後、自分に国に帰ります。次にシュケルに訪れるのはいつになるのか存じておりません。それで……こんな事を言うのは、変に思われるかもしれませんが……その、一度だけお父さんって呼ばせて頂けないかな……なんて。……あはは」
「え、あ……うん? ……お父……さん?」
予想外の言葉に面を食らい、穣司は上ずった声になる。
「その……なんと言いますか……。私は生まれてから一度も父に会った事がないので……。それで……ジョージさんみたいな人がお父さんだったらいいな……なんて思ってしまいまして……。男性への正しい甘え方も知らないが故に、昨日のような態度をとってしまいました。 ……やっぱり変ですよね。会ったばかりの小娘にこんな事を頼まれたら、不信感を抱いてしまって当然かと思います」
上目遣いのフランの瞳からは不安の色が浮かんでいた。
その姿は行き場を失った子供が、大人達の顔色を窺いながら、懸命に生きてきたように思えて、穣司の胸には痛みが生じた。
(あぁ……この子は俺が思っていた以上に複雑な家庭環境で過ごしていたんだ。……今まで甘えられる人もいなくて、辛い日々を過ごしていたのかな)
何がフランの琴線に触れたのか不明である。
ハグをした時から今朝に至るまで、穣司は父親のような振る舞いをしていない。下心もなく普通に接していただけだ。それに常識的に考えれば、出会って間もない男に父性を求めるのは、あり得ない事だ。
だが――それでも常識的ではない願いを請うという事は、フランの歩んできた人生は、外部に救いを求める程の耐え難いものだったという事。大人の男から普通に接してもらえなかったとも考えられる。
見た目麗しい彼女だからこそ、欲にまみれた悪辣な接され方もあった筈だ。それは少女にとって、辛く虐げられてきた人生だった事に違いない。
おそらく彼女の瞳には大人の男が飢えた獣に映っただろう。それでも、受け入れなければ生きていけない事情があったのだろうか。フランの距離感の近い接し方は、それを選ばざるを得なかった処世術だったのかもしれない。それは離れた国で暮らす唯一の肉親に、仕送りする為に耐えていた可能性だって否めない。
だからこそ幻想にすがるように、欲情の欠片もない男に父性を求めたのだろうと、穣司の頭の中では、フランという少女の歩んできた足跡が構築されていく。
穣司の鼻の奥でツンとした痛みが生じていた。
犠牲になるのはいつだって少年少女。世界が違えど、変わる事のない不条理に、心の奥底にある傷が疼く。
(なんて……なんて不憫な子なんだろう)
気を抜くと涙が溢れそうになる。
深く息を吐き、乱れそうになった呼吸を整えた。精神を落ち着かせ、心の奥底に疼く痛みを強引に遮り、気持ちを切り替える。
巡らせていた思考も一先ず中断させた。すぐに鼻の奥の痛みも治まる。
涙を見せる訳にはいかない。道に迷う子供に必要なのは安心させる事なのだから。
「大丈夫、大丈夫だから。……きっと今で辛かったんだね。俺はフランに不信感もないし、お父さんって呼んでくれても構わないからね」
迷子の子供を安心させるような口調で穣司は微笑みかける。
ただの旅人がフランにしてあげられる事はあまりに少なく、呼び名一つで彼女の人生は変わらない事も分かっている。
それでも――今だけは僅かでも安堵してもらいたい。それが酷く偽善的で自己満足な感情だと分かっていても、穣司にはフランに笑いかける事しか出来なかった。




