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4話 眩い世界から一転して

 神界との次元の狭間に、螺旋軌道を描く結晶回廊がある。

 その回廊はホワイトオパールのように淡い虹色が煌めき、光が万華鏡のように変化し続けている。

 その規則的な(カット)の一つ一つに世界があり、この回廊は幾多の世界へと結び付いていた。


 しかし今となっては、その輝きも失なわれつつあった。総べて薄暗く、生彩さは欠けている。まるで風前の灯のように危うく、儚い。


 その蒼然たる回廊に、光の砂塵がふわりと流れ込む。

 砂塵は澄んだ清流のようにゆるやかに流れ、宵闇に輝く星々のように煌めき、結晶回廊を照らしている。

 そしてその砂塵は、一際生彩さに欠ける結晶の一つ(カット)に導かれるように吸い込まれていった。


「ジョージよ、聞こえるか」


 穣司の意識が覚醒したのは夢現(ゆめうつつ)で見ていた淡い虹色の結晶回廊を抜けた先の事だった。

 意識と身体が溶け合い、微睡みに落ちていくように心地良い。感覚は薄れてゆき、霧散してゆくかのような時に、厳かな声が響き渡り、穣司の意識は引き上げられた。


「……ん、ああ。はい」


 覚醒した意識で最初に目に映ったのは幾千もの星々だった。仰向けで大空を漂っているかのよう


な浮遊感に戸惑いながら返事した。


「よし、もう大丈夫そうだな」


 いかにも安堵したという声で、ガルヴァガに語り掛けられるが、姿は見当たらない。

 聞こえてくる声は空気の振動によって、耳へと伝えられている訳ではなく、穣司の脳内に響いていた事を唐突に理解した。


「不思議な感覚ですね。ところでガルヴァガさんはどこにいるんですか? 気配のようなものはうっすら感じるんですが」


「儂は神界の境界でジョージを観測しておる。観測者がおらぬと転移者の意識は、覚醒せぬ恐れがあったからの。……まあ、一度起きてしまえば、もう大丈夫ではあるがな」


「ああ、確かに。あのままずっと眠っていたいような心地良い感覚でした。起こしてもらわなければ、ずっとあのままの可能性があったんですね」

 

 穣司は苦笑いしながら答えた。


「ところでジョージよ。眼下には何が映っている?」


 ガルヴァガの問われた穣司は、うつ伏せになるようにその場で反転する。

 そして目に映ったのは、みずみずしい色調にあふれた、地球に似た美しい星だった。水平線は薄青くぼんやりと灯り、その境界の外は漆黒の世界が広がっていた。眼下には海洋と雲の波が広がり、遠い先には緑の大地も見えていた。


「綺麗な星が見えます。とても高い場所から俯瞰していますね……って、あれ?」


 穣司は自分の置かれた非現実的な状況に、驚きの声を上げた。


「どうした?」


「あ、いや……。今の俺って成層圏みたいな場所で浮いてますよね。それにこの高さでも肌寒く感じる程度ですし、呼吸だって平気です。どうなっているんだろ」


 穣司はうつ伏せの状態から、立ち上がるように姿勢を変え、腕を組み首を傾げながら言った。

 穣司は重力から解き放たれたようにふんわりと浮いていた。この空間でも春先の肌寒さ程度のものしか感じず、呼吸もいつもと同じ感覚だった。


「ジョージは半神となっているからの。この程度はどうという事もない」


 ジョージの困惑した姿を幻視したのか、ガルヴァガはククっと笑いを堪えるように答えた。


 穣司は自分の身体を確かめる。腕を前から上へとあげるのと同時に、大気を肺一杯に満たすように吸い込む。そして肺の中ものを全て吐き出しながら、上げた腕を横に下ろした。所謂ラジオ体操の深呼吸の体勢である。

 だが、この高度で深呼吸をしても、身体に変化は訪れない。与圧服やボンベもなければ、酸素だって絶対的に足りない。それなのにまるで地上にいるかのように違和感はない。形の上では呼吸はしているが、身体は空気を必要としていないかのようだった、


(本当にただの人間じゃなくなったんだな)


 そして飛ぶ感覚も不思議なものだった。

 脳からの指令が神経を通って筋肉に伝わる等の学術的な説明がなくても、人は身体を動かし方を本能が理解している、歩けと言われれば、原理を考えなくても歩けるようのと同様に、穣司もまた頭で考えなくても、どのような方向、どのような体勢でも、意のままに飛ぶ事が出来ていた。


(すげぇなこれ!)


 両手の拳を握りしめ、思わず笑みをこぼした。

 人間ではなくなった事への忌避感は全くない。それよりも普通の人間では体験が出来ないような事が、自分には出来るという事が穣司には喜ばしい事だった。

 元の世界でも成層圏体験ツアーには興味があった。いつか参加してみたいという気持ちで貯金をしていたが、まさかこのような形で実現するとは夢にも思っていなかった。しかも戦闘機に乗る訳ではなく身一つで成層圏を自由に飛び回っているのだ。

 もちろん俯瞰しているのは母なる地球ではないが、それでもこのような体験は、ただの人間では出来るものではない。だからこそ心も弾み、これから始まる旅に期待が満ち溢れていた。


 そうしてしばらく星を眺め続け、心が落ち着きを取り戻した頃合いを見計らったかのように、ガルヴァガは声を掛ける。


「さてジョージよ。そろそろ良いか?」

「あ、はい。失礼しました。つい感極まっていました」

 ガルヴァガの姿は見えないが、ついつい頭を下げながら謝罪する。


「いや、気にする事はない。これからこの星を旅してもらう事になるが、儂に報告するような事がある時は、儂の姿を思い浮かべ、心の中で呼び掛けるが良いであろう。さすれば儂に届く」

「承知しました。ではその時はそのようにします」

「うむ。では良い旅をな」

「はい!行ってまいります!」

 ハキハキと快活に穣司が言い終わるのと同時に、ガルヴァガの気配は消える。


 こうして穣司は完全に一人きりになった。多少の心細さも感じるが、今はそれすらも心地よい。

 まるで初めて国際便の飛行機に乗った時にように、期待と不安が入り交じり、心が締め付けらえるような感覚が、ひどく懐かしいものに思えたのだ。

 あの時は下調べもしていたし、旅ブログ等で情報も得ていた。それでもいざ自分が出国してみると不安は増した。入国カードに不備はないか、ロストバゲージに遭わないか、無事にホテルまで辿り着けるのか等と、旅の初心者には心配事が尽きなかった。

 それでも慣れとは恐ろしいもので、何ヵ国も回っているうちに、そういった感情は薄れていった。仮にトラブルに見舞われても、なるようになるだろうと、考えられるようになっていったのだ。

 しかし今から旅に出る世界は何の情報もない。

 たとえ傷一つつかないであろう強靭な身体だとしても、多少の不安は感じていた。安全だと分かっていても、灯り無しで暗闇の中を歩くのは心細いものだから。


 だからこそ、この感覚が懐かしく、嬉しかった。


「やっべ、テンション上がってきた!」

 穣司は込み上げるものを堪えきれないよう笑う。


 久々の旅である。しかも異世界であり未知の領域だ。

 治安も文化レベルも分からなければ、どのような人種がいるのか分からない。下手をすると人外生物がいるかも知れない。

 太古の世界なのか、あるいは中世の世界なのか。もしかすると地球同等、もしくは地球より進んだ文化レベルなのかも知れないのだ。まさに蓋を開けてみなかれば分からない状況である。


「まずは降りてみよう……って、そうだ!」

 そう言って穣司は、ふとある事を思い出す。


 今の自分は何にでも挑戦出来る身体である。であればこそ、やってみたい事を思いつく。

 それは地球でも行われていた事でもあった。――もちろんしっかりとした設備と装備があるという前提ではあるが。

 それ故に穣司のような一般人では、決して体験する事は出来ない。仮に機会が与えられても挑戦するかどうか恐ろしいものでもあった。


 ――それは成層圏からのフリーフォール。


「ここが成層圏……かどうかは分からないけど、この高度でフリーフォールなんて、そんなに体験出来るようなものじゃないよな」

 穣司は観光で訪れたハワイのノースショアでスカイダイビングをした経験はあった。

 とはいえソロで飛んだという訳でもなく、インストラクターが背後にくっ付いているタンデムダイブだ。それに高度にしたら4000mそこらである。

 しかし今は高度にすると、あの時より遥かに高い位置にいる。そしてインストラクターもいなければ、パラシュートもない。空を飛べるようになった今の穣司には、その二つは不要となってしまったが、だからこそ安全にフリーフォールを味わえる。


「よっしゃ、やってみますかー!」


 穣司は意気揚々と言った。

 飛ぶ事も出来るが、力を解除して落ちる事も可能なのだ。


 そうして穣司は倒れこむように、ふっと力を抜く。

 その瞬間、星に引き寄せられるかのように、落下していった。

 身体はきりもみ状に落ちてゆき、視点はぐるぐると回り、定まる事はない。身に纏っているフード付ケープとくるぶし丈のローブは、バタバタと音を立てている。

 本来であれば生身では耐え難い風圧で、目を開ける事を呼吸もままならない。しかし今の穣司には何の問題もなかった。風圧は感じているが、先程と同様に息苦しさもなく、目を開いても平気なものだった。音よりも速い速度で落下しているのにも拘らずである。


 その感動に穣司は声をあげて壊れたように笑う。


「あーはっはっは! Fu※k Yeahhhhh!」


 穣司は人前で感情をさらけ出すのが苦手だった。それが30歳ともなれば尚の事である。

 だがそんな人目は、この空間には存在しない。だからこそ、今だけは恥も外聞もなくゲラゲラと笑う。

 人の目がない時は子供のようにはしゃぐ。これが武久穣司という男の本性であった。


 しばらく笑いながら落下していると、円形の分厚い雲が目に入る。何かを覆っているかのように不思議な形をしている。


「お、分厚い雲を発見! 」


 以前にも雲を突き抜ける感覚は一度だけ味わっている。

 その日は日差しの強い暑い日だったが、雲を突き抜ける瞬間は冷蔵庫の中に入ったかのように、ひんやりとして気持ちが良かった。

 しかしあの時は、高度4000mから両手足を広げて落下したので、おそらく落下速度は200km/hも出ていなかった。

 ならばこの高度、そしてこの速度で、なるべく空気抵抗を受けずに雲を突き抜けてれば、一体どのようになってしまうのか――


 好奇心が刺激された穣司は思わず口角が上がる。

 頑丈な身体になった今だから出来る馬鹿げた体験である。だからこそ、普通の肉体では出来ない事を、とことん挑戦してみようじゃないか。


 穣司はきりもみ状に落ちてゆく体勢を整え、水面へ飛び込むかのように指先を揃え腕を伸ばす。

 放たれた弾丸の如く、空気を切り裂き、音を置き去りにして、落下する。

 雲との距離は瞬く間に縮まり、あと数秒もあれば到達するだろう。


 その時、地上から放たれた光の束が雲を穿ち、穣司の横を掠める。


「うわっ!」


 驚いた穣司は急停止する。


「……今のは一体?」


 掠めたが痛みはない。

 しかし光の束の余波で、雲の中央部が台風の目のように、ぽっかりと穴が空いている。地上には先程、穣司の横を掠めた光源らしきものが点滅するように光っていた。


「もしかして迎撃……いや、威嚇攻撃とか?」


 穣司にはこの世界が、どの程度の文明を持っているのか分からない。

 しかしこの高さで感知されたのであれば、非常に高度な文明を持っているのだろうと推測する。

 穣司の現高度はヘイロー降下の範囲内の高さである。それを感知して、わざと外したかのように己の側を光の束が掠めたのだ。しかも実弾ではなく、雲を穿つ程の質量をもった光だ。そのような兵器があるとは思いもしなかった。


「ああ、失敗した。もしかして見られていたのかな。そうだとしたら恥ずかしい……」


 穣司は掌で顔を覆いながら呟く。


 わき上がる好奇心に負けて、雲の下の事までは考えていなかった。

 もしも軍事施設であろうものなら、異世界民とのファーストコンタクトは失敗である。子供のように、はしゃぎながら落下してくる男が、上空侵犯してきのだ。そんなものは誰だって警戒する。

 それに人目がないであろうと、我を忘れて楽しんでいところを見られていた気がして、羞恥心にも駆られていた。


 穿たれた雲の穴から見える地上には、今も尚、光源が点滅している。

 その光に、これより近づくなら撃ち落とすと、警告されているようにも思えた。

 そして穣司からしてみると未知の光学兵器らしきものにロックオンされているようで、気分が落ち着かない。


「とりあえず敵意がない事を示そう。それでもダメなら……逃げよう」


 落ち度は自分にある。元の世界であれば、問答無用で撃ち殺されたとしても、仕方がない事だろう。知らなかったじゃ済まされない事もある。

 とはいえ、黙って殺されるつもりもない。殺されるくらいなら逃げた方がマシだ。仮に傷つかない丈夫な身体になったとしても、どこまで平気なのか、命を張った検証をするつもりもない。

 それに反撃もするつもりもない。今回は自分が悪いのだ。

 それでも弁解する余地が与えられるなら、見苦しくても言い訳ぐらいはしたかった。許されるのなら許されたい。

 穣司は友好的に旅がしたいだけなのだから――



「すみませーん!落ちる所を間違えましたー!」


 穣司は声を上げ、両手を大きく振りながら敵意がない事を示す。

 声が届くとは思っていない。しかし相手の科学力は未知数だ。

 もしかすると数千メートル上空の声を拾う事が可能性かも知れないのだ。

 だからこそ声を上げながら、何度も両手を大きく降る。

 もちろん再照射の警戒も怠らない。


 しばらく両手を振っていると、光の点滅が次第に弱くなり、余韻を残すように、すっと消える。


「許された……のかな? でも、どうしたものかな。立ち去った方ががいいのやら、謝罪に行った方がいいのやら」


 穣司は顎に手をあてながら考える。

 謝罪の為とはいえ地上に降りるのは迂闊だろう。そのまま未知の兵器で攻撃されるか、あるいは捕縛される危険性もある。

 とはいえ、このまま立ち去るのも、後ろ髪を引かれる思いをするだろう。

 話のネタになるとしても、初めての異世界で体験が、上空侵犯による威嚇攻撃を受けて、逃亡したとなれば先が思いやられる。


「とりあえず降りてみて、攻撃されたら今度こそ逃げよう。ま、なるようになるだろ。この身体は傷付かないらしいし。……多分、きっと」


 穣司は不安を少し残しながらも開き直る。

 冷静に考えてみれば、光の束が掠めた時に、痛みや熱のような物は感じなかったのだ。ならば、怪我を負う可能性は低いだろうと。

 だからこそ、地上へと降りる事を決意する事が出来た。


 穣司はゆっくりと、雲の穴を降下して、光源のあった場所を目指す。

 そうして穴を通り抜け、異世界で初めて目にする大地は、想像とは全く違うものだった。


 大きな円形の島が目に映った。

 島の中央には高い山があり、平野部には鬱蒼とした森が広がっている。

 島の外周の海側は断崖絶壁になっているが、内側はなだらかになっている。

 まるでレモンしぼり器のような形の島だ。

 山麓には大きな湖があり、そこから流れ出る川が、断崖絶壁の一部を削るかのようにして、海へと流れ出ている。


 それだけなら想像の範疇だった。

 穣司にとって大地とは白か緑か灰か茶色のいずれかだ。

 雪で全てが覆い隠される冷たい白色、自然が広がる豊かな緑色、人の住まう町の灰色、寂れた荒野あるいは砂漠の茶色。

 しかしこの島の色はそのいずれでもなかった。


 黒紫色の鬱蒼とした森。そして毒々しく赤黒い湖から流れ出る川が、紺碧の海を汚染している。

 黒みがかった薄霧が島に纏わりつき、禍々しさが漂っている。生を感じさせない死者の島に思えた。


「うわ、異世界ってこんな所なのか。それとも……工業汚染なのかな」


 穣司は顔を顰めながら呟く。

 元々こういう色の島なのか、あるいは化学物質による環境汚染なのかは、よそ者の穣司には判断が出来ない。前者であればよいが、後者であれば惨憺たる思いだ。

 森や湖の汚染を気にする事なく、工業廃水を垂れ流し、黒い薄霧に見えたものは、もしかしたらただの排ガスかも知れない。工場らしき建物は見当たらないが、人工物らしき建造物は森の合間にちらほらと見える。

 もちろん汚染と決まった訳ではないが、一度そう疑ってしまうと、もう汚染としか見えなくなってしまっていた。


「はぁ……」


 出鼻を挫かれた思いでため息を吐く。


 大気圏から見下ろした星は美しく見えた。しかしながら現実はこれだ。

 それに先程は攻撃のような光の束が体を掠めた。それに関しては自分に非があるとは思うが、今になってこの異世界に歓迎されていないかのように思えた。

 元の世界で旅をしいていた頃、他国に入国して早々に嫌な思いをすると、まるでその国に歓迎されていないかのような錯覚に陥ってたのと、同様の気分だ。


 とはいえ、いつまでも憂鬱な気分で、こうして浮かんでいる訳にもいかない。

 ともあれ先程の光源へと行かなければ、何も始まらないのだ。物事がどう転ぶか分からないが、行ってみるしかなかった。

 穣司は両手で顔を叩き、気分を切り替える。そして光源のあった場所へと目指し、少しスピードを上げて降下する。面倒ごとはさっさと終わらしたい気持ちになっていた。


 みるみるうちに大地との距離は縮まる。鬱蒼とした黒紫色の森に近づくにつれて、引きずり込まれそうな錯覚すら覚えた。そうして光源のあった、僅かに森が開けた場所へと、もう少しで辿り着く。といったところで、地面にあるものが目に入った。


 この薄暗い森の雰囲気には不似合いで、どこか清らかさを感じさせる光を、ぼんやりと灯らせる短剣が、無造作に地面に転がっていた。


「光っているナイフ? なんでこんな所に? それになんとなく……」


 その光はどこかで見たものに近い感じがした。

 そう、まるであの老人の持つものに近い何かが――


 短剣を目をやりながら地面に降り立つと、びちゃりと音がした。

 水とは違い、まとわりつくようなぬるりとした粘度が高い液体が、地面に広がっている。


「ん?なんだこの液体は?エンジンオイルか? それにしても何だか生臭いような」


 薄暗い森で、その液体は黒色に見えた。

 しかし熱で焼けたようなオイルの臭いではなく、生臭い鉄のような臭い。まるで血の臭いのようだった。


 嫌な予感がして、穣司は辺りを見渡す。

 自分の正面や短剣が転がっている所には、血のような液体は飛び散っていない。

 ならば後ろかと振り向こうとして――思いとどまる。


 短剣は人が持つものである。仮に短剣で動物を狩り、その場で血抜きをしたのなら、血溜まりも理解できる。だが、その短剣は無造作に転がっていた。ならばその持ち主は……


 後ろを振り返っていいのか。見たくないものが、転がっているのではないか。

  心臓が警鐘を打ち鳴らすように、どくりどくりと動悸を始める。

 それでも覚悟を決めて穣司は後ろを振り向くと、そこには褐色肌の少女が、朽ち果てるように横たわっていた。


 それは臓物を撒き散らし、腹部が切り裂かれ、皮一枚で上半身と下半身が、繋がっているだけの少女だった。

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