35話 入国は挨拶と抱擁と
「ふぅ……楽しかった。異世界って凄いな。あんなに速く飛べる龍がいるんだもんな。……って、もうこんな時間か。ザフェル達はまだ飲んでるかな」
気が付くと空は茜色に染まっている。
穣司は時間を忘れてしまう程に龍と空で戯れていた。
見上げるような巨躯でありながら、戦闘機顔負けあるいはそれ以上の機動性を持っているのだから侮れない。
しかし兵器ではなく生物である。それも随分と甘えん坊な生物だった。
二人きりになると、ここぞとばかりにすり寄ってくるのだ。動物好きにはたまらない。飼い主が羨ましく思える。
しかし楽しい時間はいつまでも続かない。龍は何かを思い出したかのように、頭を小さく下げる。それから龍に頬を舐められた後に、慌てた様子で去っていってしまった。
後ろ髪を引かれる思いだが仕方がない。
情が移り過ぎると元の世界に帰る時に辛くなるのだ。もう二度と会えなくなるだろう。そう考えると此処等が丁度良かったのかも知れない。引き際というやつである。
だが、もう二度と会えなくなるなら、もっと愛でるべきなのではないかと、内なる自分が囁いてくる。
「……龍は無理だけど元の世界に帰ったらトカゲ飼ってみようかなぁ」
穣司は独りごちながら、ゆっくりと降下してゆく。
眼下に映し出される街並みには、少しずつ明かりが灯り始めていた。騒然としていた港は人の姿が疎らになっている。海上に船の姿も見えない。
「空を飛んでるのを見られたら驚かれるかな。もう少し暗くなれば人目につかなくなるけど、これ以上ザフェル達を待たせるのもな……。あっ、海中からあの帆船に乗り込めばいいか」
まるで不法入国だ。
やましい事はないが、そのまま街に入国するのは憚られる。
一人だと身分を証明するものがないし、遭難者である事を証明してくれる人も、この場にはいない。
それに飛んだまま街に降りると驚かれるだろう。下手をすれば警察や入局管理局のような機関に通報されてもおかしくはないのだ。取り締まりの厳しい国であれば、問答無用で国外退去を命じられる可能性だってある。そうなってしまえば目も当てられない。
それ故に穣司はこっそりと帆船に乗り込む事を思い付いた。
下船しないまま船内に残っていた事にすればいいのである。これなら船から降りた最中に、人の見つかっても言い訳も出来る。取り繕う時間もあるだろう。それに船に乗っていた事に嘘はないのだ。
穣司は少し離れたら場所から海に潜り、壊れた帆船を目指した。
海の中を移動する事は、始まりの地でも経験している。
呼吸は必要なく、耳抜きも必要ない。裸眼なのに水中で視界がぼやける事もないのだ。当然の事ながら空を飛ぶように海の中も移動出来た。ダイビング器材が不要で海中に居られるのだから、素晴らしいの一言に尽きる。
潜行して海中を移動をしていると、様々な変化に気付いた。
始まりの地に比べると透視度はあまり高くない。おそらく15m程度くらいだろう。大きな湾になっているせいか、あまり海流が入ってこないのかも知れない。
水中生物達も見慣れない姿をしていた。特に目立っているの大きな軟体生物が、チンアナゴのように砂地から身体を伸ばしていた事だ。ゴカイ類のように見えて、見栄えはあまりよくなかった。
それを尻目に穣司は海中を進み、帆船の元に着く。
水面に顔を出して聞き耳を立てながら周り確認する。おそらく誰もいない。
安堵した穣司は船に登り、甲板の様子を窺うと、予想した通りに人の姿はなかった。
「よし、誰もいないな」
船に乗り込み、水気を払う。
ローブは濡れる事はないが、他に身に付けているものは、当然だが濡れる。だが魔法というものは便利なもので、念じればすぐに乾いた。
そして街から香辛料の匂いが漂ってくる事に気付く。
「おお……良い香り。これぞ異国って感じがする」
初めて海外に行った時は、穣司は何も考えずに飛行機から降りた。
そして日本とは匂いが違う事にすぐ気付く。
目に見えるものはインターネットを通じて感じる事も出来たが、匂いの事までは頭になかったのだ。それが、然も歴史的新発見であるかのように感じてしまい、言いようのない興奮が底から湧き起こった。
その事を思い出し、口元が綻びる。実際は新発見でも何でもないのだ。しかしながら別の国に降り立つという事は、それだけで心が躍る。
続いて船内に入ると、野菜やモダトーナを保管している樽はそのままで、片付けられている事はなかった。
もちろん穣司のザックも手をつけられた気配はない。念の為に中身を確認するも、何も盗まれてはいなかった。
「大丈夫だとは思ってたけど、置いたままなのは不用心だったかな。……次からは気を付けよう」
ザフェル達の事を疑ってはいない。
それでも無人の船に乗り込む盗人がいないとも限らないのだ。穣司は私物の事を忘れてしまった事を自省しながらザックを背負う。
そして甲板に戻り、肝心な事を気が付いた。
「しまった……ザフェル達はどこにいるんだろう。……海運組合に行けば分かるかな」
立て続けの小さな失敗に、消化不良にも似た、すっきりとしない気分になる。
彼等を無事に送り届けた事に安堵していたからか、どこで落ち合うのか話をしていなかった。
とはいえ取り返しのつく失敗だ。この街の規模は結構な大きさがあるが、それでも彼らの所属している組合も分かっているのだ。
知らない事は尋ねればいい。基本的な事だ。
見知らぬ地で、言葉が全く通じない状況ならともかく、今は母国語のようにシュケル人と会話も出来る。何も難しい事はなかった。
穣司は自らの両頬を叩き、気分を変える。
船から飛び降り、街に向かって桟橋を歩き出す。
すると丁度良いタイミングというべきか、猫科を思わせる耳を生やした女性が歩いてくる。
細やかな刺繍の施されている緑を基調としたロングスカートと白のブラウスを着ている女性だ。
長身ですらりとしているが、豊かな双丘もせり上がっている。
切り揃えられた淡緑色の前髪。腰下で纏めらている艶やかな長い髪が揺蕩っている。
涼やかな瞳からは、甘く官能的な香りが漂っていた。男の性は刺激され、心は一瞬にして奪われる。胸は高鳴り、瞬きをする事も忘れ、見惚れてしまうだろう。
だが今の穣司では特に思う事はなかった。見目麗しい女性だが、それだけでしかない。
(おー、猫系の美人だ。……この髪色は天然なのかな。だとしたら異世界人の髪はカラフルだなぁ。 ま、いいや、この人に聞いてみよう)
穣司はナンパと思われたらどうしようと考えながら声を掛ける機会を窺う。
しかし女性は何の迷いもなく、こちらに向かってくる。
そして瞳を潤ませながら、柔らかな微笑みをを浮かべて口を開いた。
「あぁ、お会いする事が出来て感激です。私は海運組合の副職長を務めているウェンテと申します。本日はジョージ様のお迎えに参りました」
ウェンテと名乗った女性は、深く腰を折り曲げる。
洗練された滑らかな所作だ。動き一つを見ても優雅さを感じさせる。
それからゆるりと上体を起こす。胸を押さえながら、弾けんばかりの満面の笑みを浮かべた。そして次に両手を広げる。
「えっ……ああ! 海運組合の方ですか。ご丁寧にお迎えとはありがとうございます」
逆に声を掛けられて戸惑った穣司は、返答が少し遅れてしまう。
まるで計ったかのようなタイミングだ。しかしきっと偶然なのだろう。
それに冷静に考えれば、後ろには壊れかけの帆船しかなく、他に人もいないのだ。こちらに向かってきていた理由も理解出来る。
穣司の言葉に、柔らかな声で「いえ、とんでもないことです」と答えた彼女は、依然として両手を広げたままでいた。その姿は何かを待っているようにも思える。
何をしているのだろうと考えるも、自らの経験からすぐに答えを見つけ出す。
(ああっ、ハグか! へぇ……なるほど。シュケルにもハグの文化があるんだな)
日本では挨拶としてのハグの経験は無かったが、海外ではその機会も多かった。
それ故にウェンテが挨拶を求めているのだと気付けたのだ。
元の世界で初めて外国人にハグを求められた時は最初こそ戸惑った。
生まれて初めてのハグの相手は、観光地で出会った老夫婦である。
特別親しくなった訳ではない。会話らしい会話もしていなかった。ただ、写真を撮ってくれと頼まれただけの相手だ。
断る理由もない穣司はそれを快く引き受けた。どうせなら老夫婦が満足するような写真が撮りたくなり、何度も「more?」と聞き返しながら、二人が納得ゆくまで撮り直した。
ただ、それだけの事なのに老年女性からハグを求められたのだ。
見ず知らずの人とハグをした事のない穣司は躊躇する。不慣れな文化でもあるし、旅慣れしてない頃でもあった。とはいえ拒否する訳にもいかない。
――なるようになれ。
穣司はそんな気持ちになりながら、流れに身を任せるように、見よう見まねでハグをしたのだ。
すると老年男性は満足そうに親指を立ていた。
よくやった。シャイな日本人でもこれからはスムーズにハグが出来るぞ、と言われたような気分になり、少しばかり気恥ずかしくなる。だが、異文化コミュニケーションを肌で学べた気がした。
また別の機会では、日本人が珍しかったのか、それだけでハグを求められた事もあった。挨拶なのだから何もおかしくはないが、不思議とハグを求めてくるのは、その殆どが中年以上の女性だった。うら若き女性とハグする機会は微塵も無かったのだ。
(若い女の子と挨拶のハグをするのは初めてかも。ま、だから何だって話だけど……)
そういった意味では、またとない機会である。しかも相手は歩くだけで目を奪うような容姿端麗な女性だ。ただの挨拶だとしてもハグを交わせば、舞い上がる男もいるだろう。
しかし穣司には嬉々としたと感情は込み上げてこなかった。気持ちは平坦なままだ。
とはいえ無愛想なままでいるのもよろしくない。挨拶なのだから笑顔で応対するのが礼儀というものだ。それに間が空いてしまえば、嫌がっているのではないかと思われてしまうだろう。
それ故に穣司は堂々とした態度で、柔らかな微笑みを浮かべる。両手を広げながらウェンテに歩み寄り、包み込むようにそっと背中に手を回した。二回程度軽く叩く。実際に口付けはしないが、リップ音も立てた。
(これで問題ないかな? ……異世界でも同じ作法だといいけど)
元の世界でのハグと差違がなければこれで十分だろう。あとは自然にウェンテから離れるだけである。あまり時間をかければセクハラだと思われかねない。
しかし、彼女から回された手は力強かった。挨拶というレベルを越えた熱い抱擁である。
淫らにも感じられる手つきで、背中を撫で回されている。彼女の口が首元に触れ、熱い吐息が吹き掛かる。
「あ、あの? ウェンテさん?」
予想外の事に穣司は戸惑う。
「ふふ、私の事はウェンテとお呼び下さい」
そう言った彼女は瞳を潤ませながら艶やかに微笑んだ。
そして再び首元に顔を押し付けられる。心なしか、すんすんと鼻息も聞こえてくる。
(あっれぇ? ……おっかしいな。何か間違ったかな。でも、無理矢理引き剥がすのも不味いよなぁ。……まさか、美人局とか?)
さりげなく周囲に視線を向けてみるが、強面の男性が詰め寄ってくる気配はなかった。暴力や恐喝を受けるなら空を飛んで逃げようかと穣司は考えたが杞憂に終わりそうだ。
しかし初対面の女性にこのような事をされる理由が分からない。まだ美人局の方が理解も出来る。
「……えっと、シュケルの女性と会うのは初めての筈なんですが、この国ではこういう風習があるんでしょうか?」
されるがままの状態で穣司は尋ねた。
「きっと私……いえ私達姉妹だけの風習かも知れません。……獣が主人の匂いで落ち着くのと同様に、私もこうしていると安心するんです。……そして、僭越ながら私には、もっと気安い態度で接して頂けますと嬉しいです」
「え、あ、はい。……いや、うん。……そっかぁ、落ち着くんだねー。……はは。……それじゃあ俺にも同じ様に接してほしいな」
思わず棒読みがちで言葉を返し、苦笑しながら誤魔化した。
言っている意味が分からない。彼女の姉妹。それが誰を指しているのか全く不明である。
(この人は何を言ってるんだろう。匂いフェチ……とか? それとも獣人というだけあって、犬や猫みたいに相手の匂いを嗅がないと安心できないのかな。……優れた嗅覚で敵意を嗅ぎ分けているとか)
元の世界にはいなかった人種の為に判断に苦しむ。
もしかすると普通の人間とは違い、獣の習性も備わっているのだろうか。
ならば拒否はしない方がいいのだろう。一見すると奇妙ではあるが、彼女の持つ風習を理解して受け入れるのも、この異世界旅の醍醐味なのかも知れない。
仮に殺人や強姦の類の風習があるとするならば、そんなものに従うつもりはないが、この程度なら許容範囲内である。
犬のように尻の匂いを嗅がれる訳ではないのだ。くすぐったいが首元なら問題はない。それにこちらに敵意はないのだから、どれだけ匂いの確認をされても構わない。
しばらく抱きつかれたままでいると、ウェンテは吟味するかのようにゆっくりと何度も深呼吸する。しかし尚も離れる気配はなかった。
夜の帳はすっかりと落ちた。
このままでは埒があかない。そう考えた穣司はウェンテの背中を軽く叩いた。
「あの……もうそろそろいいかな? 」
「はい、ありがとうございます。これであと数万年は大丈夫です」
ウェンテは一歩下がり、爛漫と咲く花のように顔を綻ばせる。しかしながら、微かなもの寂しさも感じられた。
その二つの矛盾に、穣司は奇妙な違和感を覚えるが、それよりも数万年という言葉に気を取られてしまう。
これはシュケル流のジョークなのだろうか。それとも大袈裟な表現を好む種族なのだろうか。
思えばオルハンも天に昇るという変わった表現をしていた。ならば後者なのかも知れない。
「あはは……数万年は大丈夫なんだ。……随分と長い時間も匂いを覚えていられるんだね」
もはや慣れ親しんだともいえる苦笑いで、穣司はその場しのぎの返答をすると、はっとした表情になったウェンテは、すぐに破顔した表情に戻る。
「あっ! いえ、そこまで大丈夫じゃないです! なので、また匂わせて下さい」
「え、あ……うん?」
とんだ薮蛇である。
何故か匂いを嗅がせる口実を与えてしまった。
文化が違うせいか、この世界にきてから理解が追い付かない事が多い。意味不明な事は苦笑いで誤魔化すより、適当に聞き流すべきなのかも知れないと、穣司は心の旅日記に書き記す。
「ま、まぁ、とにかくザフェル達の所に案内してくれると嬉しいかな」
「はい! 私が案内します。では私の尻尾を握って下さい」
「えっ……尻尾?」
「ええ、尻尾です。どうぞ」
言いながらウェンテは後ろ姿を見せた。
艶のある淡緑色の長い尻尾が手元に伸びてくる。猫のようにしなやかな尻尾である。握りやすそうな太さでもあった。
「えっと……握った方がいいの? 痛かったりしない?」
「ええ、綱のように握って下さい。それに少々乱暴にされても痛くはありませんよ」
「そ、そう。では、失礼をして」
戸惑いながらも密かに興味も沸き起こる。
ザフェルやオルハンのような獣人種と出会ってから、ずっと耳や尻尾に気になっていたのだ。
とはいえ触らさせてくれと言える筈もなかった。普通の動物ですら、尻尾を触られると嫌がるだろう。
ならばこれも、またとない機会なのかも知れない。
そう思い至った穣司は、恐る恐る尻尾に触れる。まずは痛くないように、包み込むように握った。
(おお……滑らかな肌触り。まるでシルクみたい。……って、大丈夫かなこれ)
穣司は不安げにウェンテに目をやると、彼女からは痛そうな素振りも、嫌そうな気配も見られない。
少し安堵した穣司は、手を繋ぐ程度の力で尻尾を握った。それでも変化は見られなかった。
「ではジョージ様、参りましょう!」
「う、うん。よろしくね」
穣司はウェンテの一歩後ろを歩く。
彼女は時折振り返り、目が合うと微笑んだ。
猫科のような耳と尻尾を生やしているが、今のように一緒に歩く姿はまるで犬の散歩である。尻尾がリード代わりだ。その珍妙さに穣司はくすりと笑った。
(お手をどうぞ……じゃなくて尻尾を握らせて案内するなんて変わった文化だよなぁ……。ま、いい経験にはなるんだけどさ)
観光客がライオンの尻尾を掴みながら散歩を出来る国がある事を思い出す。
だが、今の状況はそれに勝るとも劣らない。こんな経験はそうそうできるものではないだろう。
そうして二人は桟橋を歩き始めると、次第に様々な人の姿が目に入る。
筋骨隆々の二足歩行の虎の男性に寄り添うように、頭から兎の耳を生やした女性が歩いていた。楽器を抱えた小柄の猫科のような少女が、小走りで去っていく姿も見られる。テリア犬に似た姿の男性が杖をつきながら背中を丸めて歩き、それに付き添うように山羊の頭をした男性が歩いている。
獣に近い姿の人もいれば、人に近い姿の人もいる。が、どれも動物系の人ばかりだった。そして尻尾を掴んで歩いている人はいない。その人達と目が合うと、好奇の目を向けられている気もした。
(尻尾を掴んでいるのは俺だけか。……他所からきた人向けの案内なのかな。ま、いいけど)
港から街に入ると四角に切り取られたような大きな広場が目に映る。石造りの建造物で囲われ、等間隔で並んでいる細長い灯籠のような街灯が、暖色の灯りで照らしている。ガス灯にも似ているが、その光量は随分と多い。
「これは何の灯りだろう」
「これは錬金術組合が開発したものですよ。なんでも光石を主とした属性石と術式を組み合わせているらしいです。暗くなると、漂っている魔素を取り込んで、発光するみたいですね」
「へぇ……凄いな」
まだこの世界の知識に疎い穣司は、ウェンテの説明を聞いても理解する事は出来なかった。おそらくソーラー外灯に似た類いの物だろうと推測した。自動で発光するなら随分と技術も進んでいる。
小さな感動を覚えた穣司は「ちょっといい?」とウェンテに断りを入れて街灯に近づく。彼女は微笑みながら「ええ」と答えた。
正面、横、後ろからと舐めるように街灯を見上げる。
石柱のような細長い街灯である。ガラス張りになっている発光箇所の上部は屋根のようになっており、灯りが下方のみを照らすようになっている。ソーラーパネルの類や配線がある訳でもなかった。
物珍しさを感じ、穣司は心がときめく。
見た事のない装置はそれだけで楽しめるのだ。
それにこれを作った人達は、街に明かりを灯すために日夜研究に励んでいたのだろう。つまり努力の結晶なのだ。
そう思うと心が温かくなり、自然と笑みが溢れる。尊敬の念を覚え、穣司は労るように街灯を撫でた。
その瞬間、街灯は目映い光を放ち、辺りは純白の世界に包まれる。
「おわっ!! な、なんだこれ。も、戻れ!」
何かやらかしてしまったのかと、慌てて元に戻れと念じる。
すると何事もなかったかのように、街灯は先程の光量に戻った。
(不味い……変なボタンでも押したかな?)
背中に冷や汗が流れるのを感じながら周囲に目を向けると、ウェンテは何故か恍惚した表情を浮かべていた。
別の意味で穣司は冷や汗が流れるのを感じた。自分が犯してしまったかも知れない失敗の結果に伴わない態度である。意味が分からなかった。
それに街の住人からの目も気になる。
何事かと少しずつ人が集まってきている。そのざわめきが小波となって広がり、いつのまにか遠巻きに囲まれるように住人の壁が出来つつあった。
そんな時「ちょっと退いて!」と集団をかき分けるように、少女の声が響いた。
異常を知った錬金術組合の職員が駆けつけてきたのかも知れないと穣司は焦燥する。
しかし申し訳ない気持ちもこみ上げてくる。これから街灯の点検でも始まるのであれば、職員の仕事を増やしてしまった事になるのだ。もしも職員の終業時刻を越えていたのなら身の縮む思いだ。
しかし人だかりから現れた少女は、職員といったようには見えない格好だった。
(職員の人ごめんなさい……ってあれ?)
女子高生程度の外見の少女は、深紅のオフショルダーのロングドレスを身に纏っていた。ふんだんにあしらわれているフリルと豪奢な刺繍が施されている衣装は、とても職員とは思えない。まるで貴族や王族といった姿である。
肩にかかる程度の長さの赤い髪は外にはねていた。衣装からは気品を感じるが、少女からは快活を強く感じた。お転婆娘然としているが、その顔立ちはウェンテと同様に整っている。
その赤髪の少女はドレスの裾を気にする事なく満面の笑みを浮かべながら駆けてくる。
そして呆然としている穣司に向かって飛び掛かるように抱きついてきたのだった。




