32話 雲海を越えて
後書きにちょっとした地図を貼っておきます。
巨大な龍に抱えられた船は、眼下に広がる雲海より更に高い高度を、しばらく飛行していた。
穣司の体感では国際線の旅客機と同等の高度。おそらく速度も同じといったところだろう。少しばかり上を向くだけで、藍色に近い青空が宇宙への繋がりを感じさせる。が、計器がある筈もなく、正確な事は分からない。あくまで経験に基づく体感である。
飛び始めて間もない頃の船乗りの彼等は騒然としていた。戸惑いを隠せない表情で、舷縁から恐る恐る下方を見つめていた。しかしながら彼等の順応は早いもので、慣れてしまえばこっちのものと言わんばかりに空の景色を楽しんでいた。
きっとこの龍の安定感が、彼等に安心感を与えているだろう。抱えられた船は揺れる事がなかった。船上を覆う物は何もないのに、見えない壁に阻まれているかのように風を受ける事もない。おそらくは気温や気圧の変化もないのだろう。それを証明するように彼等が不調を訴える事もなかったのだ。
もしかすると、この龍には不思議な力があるのかも知れないなと、穣司は考える。
まるで怪獣映画に出てきそうな巨躯だ。あまりに大きすぎて空を飛ぶ事はおろか、自重を支えるのも困難なようにも思える。しかし当然のように空を飛ぶことが出来るのならば、やはり元の世界の生物とは身体の造りが違うのだろう。それに魔法という不可思議な物がこの世界には存在しているのだ。この龍特有の力でもあるのかも知れない。
だが専門的な生物学の知識も浅く、この世界の常識にも疎い穣司が分かる筈もない。そんな事よりも人懐っこい性格の龍に出会えたというだけに満足していた。
一見すると凶悪そうな面構えではある。はじめは船を襲いに来たのかと、多少は警戒もしていた。
しかし甘えるような鳴き声をあげて、猫のように頬を擦り付けられてしまえば、手の平を返すように印象は変わる。
一言で言えば可愛くて仕方がなかった。
それはどんな動物でも同じだ。小動物だろうと大型の猛獣だろうと人懐っこいなら、どれも等しく可愛いと穣司は思えるのだ。
以前、穣司はある国でライオンや虎といった獰猛な肉食獣と触れ合った事がある。
そこは猛獣と触れ合える事で有名な動物園だった。世界一危険な動物園との呼び名もある。
動物好きの穣司としては是非とも訪れたい地であった。
サバンナでサファリツアーに参加したのは貴重な体験ではあるが、当然の事ながら触れる事は出来ない。あくまで車から眺めるだけである。数メートル離れた所でライオンが腹を天に向けて昼寝していようとも、お腹を撫でる事は出来ない。
何故なら危険だからだ。近付けば当然襲われるだろうし、怪我では済まない。
しかし、穏やかな表情で寝ている姿を見ると、撫でたくなってしまう。穣司はその欲求を満たす為に、穣司は世界一危険な動物園に訪れたのである。
とはいえ、いざ猛獣と対面してみると恐怖を覚える。
躾されていると理解していても、目の前にいるのは肉食獣である。いつ本能に目覚めるか分からない。噛まれたり引っ掛かれたりすれば、大怪我を負うのではないかと不安が頭に過ったのだ。
しかし、いざ触ってみると人に馴れている事もあってか、人懐っこくて可愛らしかった。恐る恐る撫でてみると、猛獣は穣司に一瞥するだけで、なすがままに撫でられていた。次第に猛獣も穣司に馴れれてきたのか、頬を擦り付けたり、甘えてくるような仕草を見せた。それだけで穣司は自分に心を許してくれているように思えて、頬は緩みっぱなしになる。抱き付きたくなる衝動を抑えるので精一杯だった。
そんな経験もあり、龍が可愛くて仕方がなかったのだ。
もしかすると危険察知能力の欠落が、龍から恐怖を感じなくなっただけなのかも知れない。
だとしてもだ、この人懐っこい龍であれば、普通の人間だった頃でも、可愛く感じられた筈だ。
それにこの龍は非常に賢い。ザフェル達の言葉は通じなかったが、穣司が最初に授かった言葉だと、完全に意志疎通も出来たのである。
おそらくこの龍は古語が使われている国で飼われているだろう。それが理由なら人に慣れているのも頷けるし、古語を理解している事にも納得がいく。日本語で躾ている飼い犬に「Sit」と言っても、お座りだとは理解出来ないのと同じだ。
この龍が船に近寄ってきて甘えてきたのは、空を散歩中に人を見つけたから降りてきたといったところだろうか。リードが外れてしまった人懐っこい犬が、通行人に尻尾を振って近寄っていくのと似たようなものかも知れない。
人懐こさは性格だけではなく、愛情を持って大切に育てられているからだろう。人に害がないと龍も理解しているのだ。
(……あっ、そういう事か!)
穣司は唐突に閃きを覚えた。
頭の片隅にあったテネブラの言葉と、人懐っこい龍の存在が一つに重なり合い、点と点が線で結ばれた気分になる。
(テネブラがいつか龍にも会えるって言っていたのは、あの子も龍に会った事があるからだったんだな。この龍が散歩中に独りぼっちのテネブラを見つけて島に降りた事があったのかも)
なるほどな、と穣司は一人で納得する。
確かにこの龍なら考えられるかも知れない。それに人懐っこい動物という存在は、ぽっかりと空いた心の穴を塞ぐ事もある。
きっとテネブラが感じていただろう寂寥感を、この龍が掻き消してくれていたのだろう。そう思える程にあの時のテネブラの表情は優しさに満ちていた。
温かさで心が潤い、自然と口元が綻ぶ。
満ち足りた気分になった穣司は、柔らかな口調で龍に話し掛けた。
『テネブラと会っていたんだね。……でも、あの子はもう独りぼっちじゃないよ』
すると龍は勢いよく首を曲げて船上を覗きこんでくる。
驚愕に染まっている表情のように見えた。目を見開き、何度も瞬きしている。
テネブラの名前を知っている反応だ。やはり推測通りなのだろう。
『君はいい子だね。いつか……一緒に島に行こう、ね?』
穣司が微笑み掛けながら言うと、龍は何度も首を縦に振りながら鳴き声を上げた。心なしか瞳が潤んでいるようにも見える。
可愛らしい姿である。まるで親と遊園地に行く約束をした子供のようだった。巨大な龍の筈なのに、喜びの感情を爆発させている人の子供の姿を幻視してしまう。
『ははは。優しくて賢くて、本当に可愛い。もう最高に……愛してる!』
抱き締めたくなる衝動を抑えて、穣司は緩んだ表情のまま、愛情を言葉にしてぶつける。
その瞬間、龍は間欠泉の水蒸気を思わせる鼻息を噴出して、甲高い鳴き声を上げた。
後方から異音が聞こえて振り返ってみると、空気を裂く音を立てながら、大きな尾を鞭のように高速で振り回している。
嬉々とした感情を体で表現しているのか、大きく旋回しながらゆっくりと下降もしていた。しかし船体が揺れる事はない。
まるで飼い主の周りをくるくると回る犬のようだ。本当に賢く、可愛らしい子である。
「ど、どうしたんだ?」
一際大きな鼻息と高速で振り回している尾に驚いたザフェルが何事かと駆け寄ってくる。
「いや、大した事じゃないよ。ちょっと愛を囁いてみた……なんてね。ははは」
「……お、おう。その、なんだ……すげぇな旦那」
二人の間に微妙な空気が流れた気がした。
誤魔化し半分の軽い冗談を本気に捉えられたように思えて滑った気分になる。
この龍はとても可愛いが、流石に異性としては見ていない。そもそも性別すら知らないのだ。穣司は咳払いで更に誤魔化して、強引に話題を変える。
「と、ところでさ、その銃はシュケルでは最新の銃なのかな?」
穣司はザフェルが装備している六丁の短銃を指差す。
「ん? ああ、これか。まぁ、そうだな、一応最新と言えんのかね。ま、改造品だけどよ。……旦那は銃が気になんのか?」
ザフェルは銃を軽く叩きながら、白い歯を見せて笑った。
「うん、まぁ、ちょっと気になっただけ。そっか……最新かぁ」
彼の持っている銃は、おそらく銃口から弾を込めるタイプだ。見た目からして海賊映画に出てきそうな銃である。しかし最新の銃という事には首を傾げそうになる。
穣司があの島で触った小銃はボルトアクション式である。施条なる溝も彫られていた。元の世界を基準にすれば骨董品にも近い銃に思えたが、ザフェルの持つ銃よりは新しいように思えた。
敵対している人間から最新の兵器を鹵獲したのなら、アンジェリカの持っていた銃こそ最新の銃なのかも知れない。
(……まぁ、国によって技術力に差があるのは当然か)
おそらく人間の国は戦争を繰り返してるからこそ、技術の発展があったのだろう。あるいは魔法ではなく工業力を着眼点としているのかも知れない。だから他国より進んだ技術力があるのだ。
強引に話題を変えただけではあったが、また一つ勉強になったなと穣司は感じていた。
始まりの島にある建造物の技術は、元の世界のどの国でも見た事も聞いた事もない技術である。創作物の近未来感も感じられた。
しかし島の外の文明レベルは、元の世界で言うところの近世から近代あたりだろう。産業革命も既に起こっている可能性もある、
魔法というものが組み合わさった技術が、どのように発展してゆくかは未知数ではある。しかしかながら戦争によって生み出された技術が、どんな形で民間で応用されてゆくのか気になるところではあった。
「ところで旦那はシュケルに着いたらどうするんだ?」
穣司が思いを巡らせていると、ザフェルから声を掛けられる。
「んー、まずは宿探しかな? あとは物価を調べたり、街歩きしたり……仕事も探さなきゃな……って、あ――」
穣司は顎に手を当てながら、これからの事を考えいると、重要な事を思い出す。
「……パスポートないけど、どうなるんだろう」
元の世界では生命の次に大切なものだ。自分が何者であるか唯一証明出来る公的な身分証明書でもある。これがなければ不審者同然だ。観光目的で入国して働く事の是非を置いておくとしても、どこの誰だか分からない者を働かせる雇用主などいないだろう。
「なぁ旦那、パスポートって何だ?」
「まぁ、なんて言うか国外に行く為の旅券を兼ねた身分証明書みたいなものかな」
「あー、なるほどな。俺らみたいに頻繁に国外に出るモンに必要な組合証みたいなものか。んじゃ、旅人なら必要になるかも知れねぇな。……こんなヤツだろ?」
そう言ってザフェルはズボンのポケットから手帳を取り出した。
手の平に収まる程の大きさだ。何かの紋章が描かれている左開きの黒い表紙を捲ると、最初の頁にはザフェルの精巧な肖像画が描かれていた。そして次項にはこう書かれている。
"シュケル共和国"
"フェアティア海運組合所属"
"ザフェル"
"この者をシュケルの民である事を証明し"
"海難事故においては人身保護を要請するものである"
"また理由なき危害を加える者は、シュケル国に宣戦布告したものと看做す"
宣戦布告とは随分と威圧的な文章であるが、ここまで強気の政府ならば国民も安心して国外で働けるのだろうか。シュケルの対外的な主義主張が垣間見えた気がした。
それ以降にも頁はあるが空白だった。
もしかするとパスポートのようにスタンプでも押されるのだろうか。
「へぇ、島にはこんなの無かったから初めて見たよ。これって次の頁には何か書き足されるの?」
「複数の組合に所属する奴もいるんだよ。そういう奴には書き足されるんだ。例えば魔術組合に所属しながら、冒険者組合に所属したりとかな」
「冒険者っ!?」
穣司は期待に声を弾ませる。
冒険者。なんて甘美な響きなのだろうか。
極寒の大地。未到達の峰。密林の奥地――。未踏破の地を目指して道なき道を進み、未知を既知にするのだろう。考えるだけで胸が熱くなる。
「……おお、いいね。凄く……良い。俺も冒険者組合の身分証明書が欲しいけど、どうしたら発行してもらえるだろう」
「あー、色々と手続きは必要でな。ま、冒険者組合に行きゃ作れるんだけどよ……。でも、発行するのは自国民だけだからな。というか、冒険者なんてのは日雇いの雑用みたいな仕事ばかりだぜ? ま、自由は利くみたいだし、旅人の旦那には目的も合うかも知れねぇけど、あの組合は胡散臭くもあるからな」
「あら……そうなんだ。……それに冒険もしないんだ」
かの有名な南極探検の広告を想像した穣司は自分でも分かる程に声調が落ちる。それに国籍を問われると困るものがあった。
「あ、いや……冒険者が冒険してるかはともかく、組合証に関してはウチの組合の職長に相談してみるのもいいかもな。シュケルの民じゃなくても良い方法もあるかも知れねぇし」
ザフェルは取り繕うように答えた。
「……そっか。ま、取り敢えずはシュケルに着いてからだね」
この世界に日本国が存在しない以上は無国籍状態である。
定住しない移動型の民族が異世界ではどのように扱われているか分からないが、このままではおそらく自分もその扱いになるのだろうと穣司は感じていた。
神も同然の身体では国が保護してくれなくとも危険に脅かされる事はない。しかし身分を証明するものがなければ不都合な事もありそうな予感もある。他国の街に入ろうとして門前払いを食らえば目も当てられない。そもそもザフェル達の国に入れるのだろうか。
「……ところで俺はシュケルに入っても大丈夫なのかな?」
「はっはっは、旦那はいいに決まってるだろ」
「いいに決まってるんだ? 入国審査とかないの?」
「入国審査……?って程の堅苦しいものはないけどよ、旦那の場合は状況が色々と普通じゃねぇからな」
「あー、そっか。俺は遭難者だからね」
「えっ? あ、ああ……まぁ、そう……なるよな、多分」
妙に歯切れの悪い口調でザフェルは苦笑いを浮かべた。
穣司はボタンの掛け違いのような違和感を覚えた。何か間違った事を言っただろうかと思案する。
この世界の人道的配慮の観点は不明だが、おそらく遭難者ならば入国審査は受けなくとも入国させてもらえるだろう。なにせ緊急事態である。何らかの条件や期限は付くだろうが、流石に追い返すような真似はしない筈だ。
とはいえ、わざわざ問い質す事でもない。
シュケルに行ってみなければ何も分からないし、何も始まらない。それにザフェル達が国に帰るのを見届けるまでは、穣司も引き返す事は出来ないのである。
「ま、なるようしかならないか……って、おお?」
穣司が独りごちるのと同時に船は雲海を追い越していた。
いつの間にか随分と高度も下がっている。眼下には陽光を乱反射させて煌めいている海が広がり、群島のように犇めき合って島が浮かんでいる。その間を縫うように、いくつもの航跡波も見えた。
――そして、彼方まで続いていた水平線は終わりを告げ、地平線へと交代していた。
「皆見て、陸だ! もしかしてあれがシュケル!?」
穣司は興奮気味に叫んだ。
「そ、空から見た事ねぇから分かんねぇ! で、でもよ、多分あの街はフェアティアだ!」
「う、うむ。それにあの牙のように突き出しているのはフィルディ岬だろう。……そうか、これが空から見る祖国なのか」
「ついに、帰ってこれたんですね……」
船乗り達は船首に駆け寄り、熱気に帯びた声を上げる。
心の底から湧き起こる歓喜を噛み締めるように、彼等は大地を見つめていた。
体感による高度はおよそ4000m前後。
スカイダイビングの高度と同程度だ。この高度なら大地も、街の造りも分かる。
Γ文字のような形の沿岸の角に、建造物が集約していた。港から揺るかな小高い丘に向かって、赤茶けた屋根の家屋が、棚田のように広がっている。
これがフェアティアという街なのだろう。街の中央には外へと繋がる広い道路が遠目でもはっきり見える。
そのまま龍はゆっくりと降下して、飛行速度も落としてゆく。
まるで着陸態勢に入った航空機だ。この瞬間ばかりは否応なしに心が弾む。
「えー皆様、当機は着陸に備え高度を下げてまいります。シートベルトをご着用ください……なんちゃって」
穣司はニヤリと笑いながら悪ふざけで機内アナウンスの真似をする。
「んん? ベルトならしてるぜ?」
「ジョージ殿、それはどういう意味だろうか?」
「えっと……シートですか?」
「ははは、何でもないよ! 気にしないで」
当然の事ながらザフェル達にその意味が伝わる事はなかった。彼等は腰のベルトを触りながら、お互いに目を合わせて首を傾げていた。頭から飛び出しているクエスチョンマークを幻視してしまう。
龍は更に高度と速度を落とした。
今では水面に近い位置をゆっくりと滑空している。水上機ならともかく旅客機ではあり得ない高度だ。緊急時の胴体着陸でしか味わえないだろう。だが、龍が抱えているのは船である。そのまま着水しても何の問題はない。
暫くそのままを維持しながら進んでいると、一隻の帆船が全ての帆を下ろし、全速前進で帆走していた。
「おおっ!?」
三本のマストから張られた大きな帆が、風を受けながら進んでいた。
その雄々しい姿には、大航海時代を連想させられる。
穣司は浪漫を感じずにはいられなかった。ようやく帆走している帆船を見る事が出来たのだ。自ずと気分が高揚した。
となればやる事は一つしかない。
穣司はすれ違い様に大きく手を振ろうと決める。
それにザフェル達の凱旋でもある。クラーケンを最初に撃退しなのは彼等なのだ。きっと勇者達の帰還に沸き上がるだろう。
それとは別にしても、船に乗っている人達を見ると、無性に手を振りたくなるのだ。もはや手を振る以外の事は考えられない。
『あの船とすれ違う時に止まってね』
穣司が古語で頼むと、龍は小さく頷いた。
そのまま穣司達と、帆走する船の距離は縮まってゆき、やがて二つの船は重なり合うように反航する。
その瞬間を見計らって、穣司は満面の笑みを浮かべた。
そして手を上げようとしたその時、相手の予想外の反応に穣司は困惑する。
「あれ?」
相手の船乗り達は、色濃い絶望に苛まれているような様子だ。この世の終わりのような顔をして立ち尽くしている。まるで亡霊にでも遭遇したかのようだ。
頭頂部が薄く、顎髭を蓄えた中年の男は、力をが抜けるように尻餅をついて、目を見開いたまま固まっていた。
細目丸顔の中年の男は、打ち上げられた魚のように口を小刻みに開きながら、顔を青くしている。
(あー、見ず知らずの人からしたら龍に驚くか)
彼等は巨大な龍の姿に驚愕にしているのだと穣司は察した。
冷静に考えれば、驚くのも無理はないと理解出来る。この龍の人懐こさを知っている者には何も感じないであろうが、初見であれば吃驚仰天してもおかしくはない。
しかし彼等の視線は龍だけではなく、自身やザフェル達にも向けられていた。
その理由が思い浮かばず、真横にいるザフェル達にこっそりと尋ねる。
「……あの人達は知り合い? この龍に驚いているだけのようには見えないけど」
「顔は知ってるけどよ……。あいつらの国の商船を護衛してる時にクラーケンとやり合ったっつーのに、何で俺達にビビった面を向けてんだよ」
「俺達が死んだと思っていたのかも知れないな」
「……生きていたんですから少しは喜んでくれてもいいと思うんですけどね」
ザフェルは不服そうに相手を見下ろしていた。
オルハンは目を鋭くしたまま彼等を見つめ、サヤンは不満足そうに唇を尖らせる。
「じゃあ殉職したと思われていたのと、この龍の迫力に驚き過ぎているのかな」
命を賭して勇敢に戦い、そしてその命を散らしたと思っていた船乗り達が、龍に抱えられて帰ってくれば、驚きもするだろう。そういう事なら仕方がない。
ならば盛大に手を振り、生きて帰ってこられた事を分からせれば、彼等も我に返る筈だ。
そう思った穣司は勢いよく手を上げる。
――その瞬間、彼等は悲鳴を上げた。
誰もが頭を庇うように抱えながら、四つん這いになっていた。
その姿は命乞いしているようにも感じられる。
「……えっ?」
訳が分からなかった。
そう感じたのは穣司だけではなかったのだろう。
ザフェルも「なんだあいつら?」と不思議そうに眺めていた。
穣司達は彼等の行為を理解出来なかった。
それでも風を受けたままの帆船は、そのまま過ぎ去ってゆく。誰一人として頭を上げる事がないまま、帆船は水平線の彼方へと消え去った。
「ま、まぁ帰ろうか」
「……だな」
釈然としない気持ちを胸に抱えたまま、穣司は龍に合図を出す。龍は小さく頷き、再び飛行を始めた。
そして――いくつもの帆船が停泊している港まで、あと僅かといった距離まで近付いた。そこで港に大勢の人だかりが出来ている事に気付く。その群衆から向けられる視線が穣司達に突き刺さっている気がした。
(……驚かせちゃってるな。やっぱりこのまま港に入るのは不味いか)
出来る事ならシュケルの人達に、この龍がいたからこそ、ザフェル達が帰ってこられたのだと伝えたい。それに龍の優しさと賢さ、そして可愛いさも伝えたいのだ。
しかし港は騒動にでもなっているのか、ざわついた声が風に乗って聞こえてくる。
このまま入港すれば先程の船乗り達みたいな反応されてしまうかも知れない。そうなればきっと龍も悲しむだろう。
とはいえ、ここまで龍に運んでもらったあげく、じゃあさよらなと、都合良く別れるのは気が引けた。
ならば、どうすべきか。
シュケルの人達をこれ以上驚かせない方法を。――そして龍への労いを。
穣司は悩みながら答えを出す。
『ここら辺でいいよ、今までありがとうね。本当に助かった。 ……少しお散歩にでも出掛けようか』
穣司が猫なで声で語り掛けると、龍は甘えるように鼻を鳴らし、船を掴んだ手をゆっくりと放し、優しく着水させる。そして惰性で港に着けるように船を押した。
『人前ではあまり力を使いたくないから、ちょっと空まで連れていってくれるかな? 上まであがったら、一緒にお散歩しようね』
子供に話しかけるような声質で微笑み掛けると、龍は目を細めて小さく頷いた。
そして大切な物を扱うような、恭しい手つきで、穣司は包み込まれる。
緊急時ならともかく平常時に、人前で過剰な力を見せたくはなかった。借り物の力で持て囃させれたくはないのだ。どうしても引け目を感じてしまい、気まずい思いをしてしまう。
しかし相手が動物なら話は別だ。龍と一緒に空を飛んで、散歩に出掛けても何ら問題はない。たとえ俊足の動物と並走したとしても、動物達から喝采を浴びる事はないのだ。
「皆が無事に帰れた事だし、少し出掛けてくるね」
穣司がザフェル達に告げると、龍はふわりと浮かび上がる。
「お、おい、旦那?」
「……天に昇られるのか?」
「このまま別れる……なんて事はないですよね?」
今生の別れになるとでも思っているのかザフェル達の表情は硬い。
(天に昇るって面白い表現だな。……いや、空を飛ぶから間違っていないけどさ)
オルハンの言い方に穣司はくすりと笑う。
捉え方次第では、死人のようにも思える。だが彼はそんな嫌味を言う男ではない。きっと彼独特の言い回し方なのだろう。
「あはは、組合証も欲しいから帰ってくるよ。……じゃあ、また後でね」
「旦那、帰ってきたら酒を奢らせてくれ! だから絶対に帰ってきてくれよ! 絶対だぜ!」
「うん、その時はよろしくね」
穣司は龍に抱えられて、空へと舞い上がる。
俯瞰しながら船が惰性で港に入っていくのを確認すると、高度を上げてその場から離れた。そして一人と一匹は空中散歩へと出掛けるのであった。




