31話 余地なき選択
シュケル共和国の首都メルケズから南東部に位置する港町フェアティアは、この国最大の貿易港であり、シュケル第二の都市でもある。
港から緩やかな丘が広がり、赤茶けた屋根の建物が階段状に立ち並んでいる。多くの家屋は石造りであり、窓枠は木造である。通路は規則的に揃えられた石畳であるが、滑らかな道という訳ではなく、僅な段差もある。ぼんやり歩くと足を引っ掛かる者もいるだろう。
港のある区画は比較的平らな土地であり、ここに屋根付きの巨大市場や商業施設、各種組合が立地している。
行き交う地元民も多く、他所から訪れる商人で賑わっている。街を分断するかのような道幅の広い中央道路には、内陸部から運ばれてくるシュケルの名産品が荷車に乗って運ばれてくる。
フェアティアは治安も良く、市民の表情は明るい。子供達が家の手伝いをしたり、遊び回っている姿も見受けられた。
しかしながら最近のフェアティアは、普段とは異なり張り詰めた空気が街に漂っている。
――オルハン・カラバシュの背信行為により商船団壊滅。
その一報が入り、街の空気が変わりつつあった。
オルハン・カラバシュが別の護衛船と共謀して、商船の積み荷を奪った後に、全ての商船は船員と共に沈められた。そして共謀した護衛船までも沈め、積み荷を独り占めにして逃げ去ったという知らせだった。
遭難中に救助された商船の船員曰く、鉄砲玉の異名を持つザフェルが、放たれた鉛玉のように商船に乗り込み、容赦なく斬殺して回ったという。
また、共謀した護衛船の船乗り達も、通りかかった船に救助され、最寄りの港町に送り届けられた。その後に捕らえられ、事件の全容を告白してから処刑されたとの事だった。
その船乗りはこう語ったという。
――全てはオルハン・カラバシュの裏切りにある、と。
フェアティア市民はその言葉が信じられなかった。
オルハン達はフェアティアの英雄と慕われていた。子供達は憧憬の念を抱き、いつかは自分も立派な船乗りになると、夢を見ていた。出航の際には子供達が布切れを振り回しながら、伴走するように港を走っていた程に熱狂している。
義を重んじ、職務の為に自らの命を放り出す姿は、市民の心を熱くさせた。それに勇猛果敢な彼等達の伝説的な話はいくらでもあったのだ。
他国がシュケルの民を誘拐した20年前の事件では、怒り狂った若きオルハン達の活躍により、敵の小国をそのまま壊滅に追いやった事もある。片眼を失おうとも敵に食らいついていく姿は、敵の戦意を削り取り、震え上がらせるものであった。
それ故にシュケル近海が平和なのは、オルハン達が睨みを利かせているからだと、世間に広く知られていた。他国からは絶対に怒らせてはならない存在であると一目置かれている。今ではオルハンだけではなく、若手のザフェルも同様に一目置かれているのだ。
そんな彼等が不義を働く事はないと市民は固く信じていた。そのような真似をする事は断じてない。もしもそのような事があるならば、相手に非があるのだろう、と。
誇りを重んじる獣人種だからこそ、誇りを失わないオルハン達は慕われていたのだ。
証言がなくともオルハン達の生き様が無実を証明していると、市民はそう考えていた。
しかし文化の違う他国に、それが通じる事はない。
いくらフェアティア市民がオルハン達を擁護しようとも、被害者である生き証人の言葉や、処刑された護衛船の船乗りの告白がある。それに対してオルハン達の無実を証明するものはない。今だ行方知れずのままである。
それが被害国の商人達に諍いになりつつあった。シュケル在住の他種族も被害国寄りの意見である。オルハン側の無実を証明するものがない為に、大義は被害国にあると思われていた。
その事がフェアティア原住民ともいえる獣人種及び半獣人達との間に亀裂を生んだ。
火種が生まれ、燻りはじめていた。いつ爆発してもおかしくはない火薬庫同然であった。
その案件についての論争が、海運組合の実質剛健な応接間で、幾度となく繰り広げられていた。
それは非公式の話し合いであり、国家の間で正式な会談をする前の、いわば意見調整の場の筈であった。
しかしお互いに意見を曲げる事のなかった論争は、ついに平行線のままついに最終日を迎えた。
四角い机台を挟む形で、二つのソファーが向かい合っていた。片方は人間種の男が二人の座っている。
頭頂部が薄く、顎髭を蓄えた中年の男の名はデイヴ・ウィリアムズ。もう一人の名は細目丸顔で中年の男であるルース・セイラーだ。
共にソブタル王国の組合からシュケルの組合に出向してきた者達であり、オルハン達が起こしたとされる事件の被害国の者である。
組合本部は各国にある組織の均質化を図る為に、国外に出向する事がある。それに加えて出向地で問題を抱えた他国籍民の保護をする役割も兼ねていた。
そのソブタル王国出身の二人と対面して座っているのは、山羊の顔立ちをした獣人種の男で、名はハリル・ソラック。もう一人は淡緑色の長い髪を腰のあたりで結っている半獣の女性で、名はウェンテ。頭部には猫のような耳が生えている。
二人は海運組合の職長と副職長という立場でもあった。
この四人による話し合いは平和的に行われている――筈もなく、一触即発の剣呑とした雰囲気が漂っていた。主にソブタル王国側の二人は、食い掛からんとばかりに吠えている。
それをハリル・ソラックはうんざりとした気持ちで眺めていた。
「いい加減に認めたらどうだ!オルハン・カラバシュが職務放棄をして道義に背いたのは事実なんだよ!何人死んだと思っているんだ。ええ!?」
ウィリアムズは青筋を立てながら机を何度も叩きながら言った。口角泡が飛び散って、机にはいくつもの点が出来る。
ハリルは顔を顰めそうになるのを堪えて視線をウィリアムズに戻した。
「……しかしですね、我々には信じ難いのですよ。あのオルハン・カラバシュがそのような事をする筈がありません。そのような誇りを汚す行為をする訳がありませんし、そもそも商船を襲う動機が分かりませんのでね」
ハリルはどこ吹く風といった表情で受け流す。このやり取りは何度も繰り返されていた。
「はっ! また誇りとやらか? ふざけるのも大概にしてほしいもんだ! そんなものは我々には関係ないんだよ。動機が何であろうと、我々の国の船が沈められたのは事実であり、その損害も莫大なものだ! まさか知らぬ存ぜぬで通すのがアンタの誇りか! 流石は誇り高きシュケルの民だな!」
ウィリアムズが侮蔑するような目付きで、吐き捨てるように皮肉を言う。
それに対してハリルは激昂する事はなかった。これ見よがしに大きく溜め息を吐いて、傍らに座っている副職長のウェンテを横目に見る。しかし彼女は何の反応もなく、静かに目を瞑っているだけであった。仕方がなくハリルはウィリアムズに言葉を返す。
「そうは言われましても、ねぇ。……では、被害者とされる商人と会わせてもらえませんか? 本人に実際に会ってから、何があったのか話を聞かせてほしいので」
「それは何度も無理だと言ってるだろう! 彼等は心身共に衰弱しているんだ! それに今は本国で休養している。獣人と会えば襲われた時の恐怖を思い出してしまうだろう。……まぁ、そちらの副職長殿が一人で会いに来るなら大丈夫だろうがな。くくく」
ウィリアムズはニヤリと口角を吊り上げた。
副職長のウェンテの美貌は他国でも評判だった。おそらくウェンテを一人で行かせるのは、別の意味も含まれているのだろう。そう思わされるような卑しい笑みだった。
「だ、そうですが、副職長はどうしますか?」
「お断りします。カラバシュさんが道義に背く事はないと思っていますので、会いにいく必要もありません」
ウェンテは誰とも目を合わせる事なく、目を瞑ったまま静かに言い切った。
「な、なんだと!?」
顔を赤くしたウィリアムズは机台に拳を強く叩きつけた。それから目を大きく見開きながら怒鳴るように言葉を続ける。
「まだ、そんな事を言ってるのか!? こちらには被害者がいるんだぞ!」
「ですが、その被害者をこの目で見ていないので、何とも言えませんね」
激昂したウィリアムズに、ハリルは冷めた態度で答えた。
その態度が気に入らなかったのか、ウィリアムズは身を乗り出して「貴様ぁ!」と叫ぶ。
それを横に座っているルース・セイラーが宥めるように肩を軽く叩いた。
「ウィリアムズさん、まずは落ち着いて下さい。我等はそれなりに権限を持っていますが、外交官ではないんですから……。この議論の場での事は本国に報告しましょう」
「ああ、そうだな。シュケルの海運組合の職長は口先だけの男で、カラバシュの罪を認めようとはしなかったとな」
ウィリアムズはソファーに腰を下ろして腕を組みながら言った。
「ええ、その通りです。……しかしハリル・ソラック殿も大変ですな。私が貴方の立場ならカラバシュに全ての責任を押し付けたくなりますよ。この先に起こり得る事を考えれば、ね」
「……何が言いたいのでしょうか?」
「いえ、このまま職長の貴方がカラバシュの罪を認めないなら、間違いなく我が国は正式な形で抗議するでしょうな。強硬的な行為も辞さないでしょうし、シュケルとの取引も止めるでしょう。おそらく他国も追従するでしょうな。野放しのままシュケル籍の護衛船に、商船がいつ襲われるか分からないのですから。とはいえシュケルは他国に頼らなくても、自国の生産で賄えるでしょう。しかし他国からは不誠実な国と思われたままだ。……それのどこに誇りがあるのでしょうか?」
交易の歴史を考えればシュケルに便利な魔道具が入ってくるようになったのは事実である。しかし元々は他国から交易を持ち掛けてきたものだ。多少不便になろうとも他国と交易を止めたところで、別段どうという事はない。
それに他国に何を言われようともシュケルの民の誇りが穢れる事はない。言わせたい奴には勝手に言わせておけばいいとハリルは思っていた。
だが、それは他国民には理解出来ない思想のようで、ハリルはなんて言葉を返すべきか、自らの顎の体毛を撫でながら目を瞑って思案する。
黙りこむハリルの姿を見たセーラーは、畳み掛ける絶好の機会と思ったのか、打って変わった態度で優しい口調で言葉を続けた。
「職長の貴方がカラバシュの罪を認めてくれるなら、賠償金を要求しないように便宜を図る事も出来るんですよ。悪いのは全てカラバシュにあるんですから。とはいえ、お尋ね者として賞金を掛けるので、幾らかそちらにも金銭を出してもらうと思います。……あとは我が国で余らせている過剰生産物の薬草を買って頂きたく事でしょうか。その辺りの話は商人組合で話は済ませてますがね。ま、他にも幾つか要望する事もありますが」
「……その要望とは?」
「それを今から言う訳にはいきませんな。我が国の国益にも関わる事なのでね。ハリル・ソラック殿が認めてくれれば、いずれ知る事になりますよ」
「……そうですか」
ハリルは下を向いて、深い溜め息を吐いた。
もちろん二人の愚かさにだ。他国への根回しもしているようだが、これで圧力をかけているつもりなのかと考えると、馬鹿馬鹿しく感じた。それに、おおよそであるが彼等の目論見に見当がついた。
もういいだろう。我慢にも限界がある。不毛な議論を続けるよりも、この二人を痛め付けて真実を吐かせた方がよっぽど早い。
ハリルは行動に移そうと決め、立ち上がろうとすると、隣からすらりと足が伸びてくる。脛を軽く蹴られ、思わず視線を横に向けると、ウェンテが冷たく笑っていた。
獲物を見据えた瞳だった。ハリルは息を呑み、大人しくする。ついでに発言権を譲り、これからの事をウェンテに丸投げする。
「つまり、我々にはカラバシュさんに全ての責任を負わせる道しかない……という事でしょうか? そうしなければ根回し済みの他国と協力して、シュケル包囲網が敷かれる、と。その先には戦争行為もあり得る、と。」
「ようやく分かっていただけましたかな? ……副職長殿は職長と違って頭が回るようですな」
「いえ、この程度は職長も理解していますよ。今や西から流れてくる技術は目を見張るものばかりです。風に頼らない新型の武装船も実用化しているとも噂で聞いています。おそらく貴国は直ぐにでも我が国に示威行動を移せるようにしているのでしょう」
「さて、何の事でしょうな? 仮にそうだとしたら、すぐにでもカラバシュの罪を認めたらいかがかな?」
「ふふふ、まだお分かりにならないのかしら? 先程申しましたが、この程度は職長も理解している、と」
ウェンテは冷淡な笑みを浮かべたまま告げる。
「……なに? では理解している上で罪を認めないと言う事ですか? ……なるほど、獣人種は我々人間種より自分達が勝っていると今も尚、思っておいでか。実に傲慢かつ愚かな事だ」
セーラーは不快さが滲み出てるのか、眉を吊り上げ吐き捨てるように言う。
「あら、傲慢かつ愚かなのは何方かしらね? 我々が罪を認めなければ、シュケル攻撃の大義が得られると考えたのでしょう? そして我々が罪を認めれば、便宜を理由に貸しが作れると思ったのでしょう? その貸しを理由に様々な違法行為を黙認させたりするのかしら? そうなればシュケルの民の不満は、より増して組合に向くでしょうね。あわよくば内乱になるように仕向けるのかしら? それに加えて過剰生産品の薬草という名の薬物を蔓延させれば、シュケル弱体化も間違いないと思っていたのでしょう? だから執拗に罪を認めさせようとしたのではなくて? 捏造した罪だろうと、貴方達には有利に事が運びますものね」
「な、何を根拠に……。も、妄言もそこまで達すれば愉快なものですな」
「そ、そうだな! どうやら副職長殿は想像力が豊かなようだ」
ウェンテの言葉にセーラーとウィリアムズは明らかに焦りの表情を浮かべた。冷や汗を流し、目も泳いでいる。
「貴方……いえ貴方の飼い主と言った方が良いのかしら? その方達にはオゼル海の番犬が邪魔で仕方がないのでしょうね。だからこんな回りくどい真似をして、オルハン・カラバシュを失墜させつつ、シュケルの弱体化も図った。……もしかしたら貴方達には私怨があるのかも知れないけれど。……ただ、どのような手段でオルハン・カラバシュ行方不明にしたのかまでは分からないわね。……きっと、彼の職務に対する行動を利用したのでしょうけれど」
「ふ、ふざけるのもいい加減にしてもらいたい! そんな妄言に付き合う為に、こうして議論をしているのではない! 職長殿も何か言ったらどうなんだ! シュケルではこのような頭のおかしい女を副職長の座に置いてるのか!?」
その言葉にハリルは、燃え盛るような激しい苛立ちを感じた。
拳を握り締め、思わず殴りそうになる。見えているのかどうか分からない細目を腫らして、さらに細くしてやろうかと思ったが、どうにか堪えて、受け流す。
「さて、私は頭が回らないようなので、何とも言えませんね」
「くっ! もういい! 私達は帰らせてもらう! 本国にはシュケルは誠意のない国であると、伝えておきますからな!」
「ああ、このようなふざけた国から早く帰りたいもんだ! ……副職長さんよ、あんた後悔するぞ。無事に明日を迎えられるとは思わない事だ!」
セーラーとウィリアムズは、逆上した血が吹き出しそうな程に顔を赤く染めて言い放つ。そして早足で部屋を後にした。
ハリルは立ち上がり、彼等が立ち去る様子でも眺めようと、窓際に向かう。
出窓を開けると床板に落ちていた一本の赤い毛が、穏やかな風に乗って室内を舞った。が、特に気にする事もなく、ウィリアムズとセーラーの後ろ姿を見つめた。彼等は恐怖心にかられているのか、背を丸めてそそくさと早足で歩いていた。何とも情けない姿だった。
うっかり投げナイフを放りたくなる衝動を抑えて、ハリルは後ろを振り返る。
「彼等はこの国に滞在しておきながら、獣人種の在り方を学ばなかったようですね。まぁ、こそこそと動き回っているから、そこまで気が回らなかったんでしょうけど」
ハリルは何度目か分からない溜め息を吐いた。
「……そうね、彼等は色々と嗅ぎ回っていたけれど、バレていないと思っていたものね。泳がせるに持ってこいの人材だけれど、まさかカラバシュさんを行方不明にさせるとは思わなかったわ。……それだけは、してやられたわね」
「ええ、そうですね。おそらく彼等の飼い主の入れ知恵なのでしょうけど。……でも、カラバシュさんは生きているのでしょう」
「ええ、全員無事ではないようだけれど、カラバシュさんもザフェル君も無事よ。もしも彼が亡くなったら、シュケルの民は直ぐにでも報復に出たでしょうね」
「闘争本能に火がついた獣人種は止まらない……。そうなれば血で血を洗う戦いになる……ですか。ままならないものですね。我々獣人種は過去の大災害を教訓を生かして、争いを避けようとしているのに、何故か彼等は火種を持ち込もうとする。……困ったものですね、ウェンテ様」
「ええ、そうね。せっかく私が争いにならないように手を回しているのに、人間種には困ったものだわ。痛め付けられても、すぐに忘れてしまうもの。……でも、今後は王国も、その飼い主も、すぐには仕掛けてこられないでしょうね」
「ほほう、ウェンテ様が何か手を打ったのですか?」
ハリルが尋ねるとウェンテは微笑みを浮かべた。
「いえ、私じゃないわ」
先程の冷たい笑顔ではなく、穏やかさに溢れた笑みだ。それなりの年月の付き合いのあるハリルですら初めて見る表情だった。
ウェンテは笑みのまま、窓際までゆっくりと歩いた。窓の外に映し出される青空に手を伸ばし、柔らかな声でこう言った。
「天の配剤……というべきかしらね」




