25話 死の海域を越えし者
ザフェルは半裸のままだった事を思い出して、跳ねるように起き上がり、服を着る。
ゆっくりと湯に浸かり、休息を取った翌日の朝以上に、身体には爽快感がある。何度か拳を握ったり開いたりと繰り返してみると、身体の反応は頗る良かった。
絶好調を優に上回る。全身から力が滾り、自分の水準が上がったような感覚がある。
朦朧としていた意識はすっかり覚醒していた。
霞んでいた瞳もぼやける事なく、今ではうっすらと希望を感じる、青の世界を映し出していた。その中心には一人の聖人とも思える人物が満足そうに、笑みを浮かべていた。
「あんたは一体……。いや……そうじゃないな。助かった、恩に着る。俺は船長であり、獣人のオルハン・カラバシュだ。オルハンでいい。……あんたの名を聞かせてもらってもいいか?」
「お、俺はザフェル。半獣人のただのザフェルだ」
呆気に取られながら服を着ていたザフェルは、オルハンの言葉に、はっとしながら続けて名乗った。
「獣人?半獣人? ……ああ、なるほど。俺はタ……いや、ジョージです。えっと、俺の種族は……まぁ、見たままですね」
シュケルの獣人では聞かない名前だ。稀に訪れる人間の商人や、遠方から派遣されてくる組合の職員と似た名前の響きである。見た目で人間種と分かるが、名前も人間種らしさがある。
ただし、このジョージという人物の名を聞いた事がない。これだけ優れた治癒士ならば、シュケルにも名が知られてもおかしくはない筈だ。
なにしろ無言のまま治癒魔法を施したのだ。しかも魔力消費の大きい範囲化というおまけ付きである。にも拘らず、魔力が枯渇した様子も見受けられない。魔方陣が現れる事もなく、煌々とした粒が降り注いで傷を癒すなんて事は、見た事も聞いた事もなかった。
(人間にしては凄い治癒士だな……)
船乗りなら周辺国の情報も入ってくる。
どこぞの国がきな臭い動きを見せているだとか、どこぞ港町の娼婦は良い等の、様々な情報を日常会話程度でやり取りしている。
そして名の売れた強者の話で、盛り上がる事が多いのは男の性だろうか。周辺国で聞くのは万能の老剣士、冷眼の赤毛、オゼル海の番犬、等が語られている。ちなみに番犬とはオルハンの事である。
だが、ジョージという名や、それに該当しそうな異名も聞いた事がない。輝く砂粒を漂わせながら、瞬く間に負傷者を癒すなんて偉人は、名が広く知れ渡っていそうにも拘らずだ。
(こんな凄い人の名前を聞いた事もないって事は、もしかして俺達は遥か遠くまで流されちまってるのか?)
ザフェルが思いを巡らせていると、甲板の下から騒がしさを感じて、一先ず現実に戻る。
船倉に続く扉が勢いよく開かれ、仲間達が飛び出してくる。その血色は良いものだった。
「怪我が治っちまったぞ!何が起こった?」
「ワシが寝ている間に何があったんじゃ!?」
「死ぬ事を覚悟していたけど、助かるとは思わなかったよ。そちらの人は?」
仲間達が矢継ぎ早に問い掛ける。
「あ、どうも、はじまして。ザフェルさんに海の掟によって、助けてもらったジョージと言います。皆さんの怪我が治って、なによりです」
海の掟。その言葉がジョージから出ると、ザフェルは胸が熱くなる。それに加えて「ザフェルさん」と丁寧な言い方をされると、むず痒くも感じた。
ジョージという人間は、類い稀に見る治癒士だ。仮に君主制の国出身であるならば、君主お抱えの秘蔵の治癒士になるだろう。旅人というより、そちらの肩書きがあった方が納得できる。
それにここまでの治癒士はシュケルにもいない。格が上なのは明らかだ。それでいて尊大な態度をとる事はない。
そんな優れた人物に丁寧に話されていたと考えると、これから何て言葉を返すべきなのか、ザフェルには分からなかった。
「ジョージの旦那、ザフェルさんってのはよしてくれ。それに俺は旦那を助けはしたが、実際のところ、助けられたのは俺達だ。そんなに下手に出ないでくれ」
「ふふ……旦那か。あー、うん。じゃあ……分かった。ま、とりあえず水でも飲んでよ」
ジョージは遠い目をしたような後に、苦笑をしながら両手を広げた。
すると、またも無詠唱のまま、ふわふわと水の塊が、人数分だけ浮かび上がった。
(おいおい……、とんでもねぇ人だな)
驚愕が走り、ザフェルの咽喉に生唾が押し流される。
甲板に落ちる事もなく、複数の水が浮かんでいるのだ。本来、水魔法を放つと対象物に向かっていく。対象物がないとしても地面に落ちる。だから飲料用の水魔法を唱える時は、樽の中に注ぐように放つのだ。宙を浮かせるなんて芸当は、そう簡単に出来るものではない。おそらく水魔法だけではなく、他の属性魔法を併用しているのだろうが、そんな細やかな事は一流の魔術師でも神経を使う事だろう。
――だが、それを難無くやってのけている。
己の能力を見せびらかしている様子は感じられない。さも、それが当然の事のようにやっている。
彼にとっては水を浮かせる事は日常程度の事なのだろう。あるいはそれが当たり前の地域に住んでいるのかも知れない。シュケルでは考えられない事であった。
(世界って広いんだな……)
オルハンや仲間達も同じ事を考えているのか、驚愕の色が浮かんでいた。
目の前には澱みのない澄んだ水が浮かんでいる。それも久しぶりに見る水だ。不思議と喉の渇きは既に癒えている。それなのに周囲からゴクリと唾を飲む音が聞こえてくる。
「では……遠慮なく頂こう」
オルハンが浮かんでいる水の塊に手を入れる。
水を掬い出し、口に運んでいくの見てから、ザフェルもそれに続いた。
身体は水分を欲していないはずなのに、心がそれを渇望していた。口に運ぼうとするだけで手が震えて、水が零れ落ちる。
目の前には飲みきれない量の水が浮かんでいる。それなのに少しの水が滴り落ちるのすら勿体無く感じた。ザフェルは慌てて、手の平の水を喉に流し込む。
「……旨い」
魂が抜け落ちるような吐息をつき、目を瞑りながら、しみじみと呟いた。
今まで飲んだ、どんなものよりも美味しかった。ただの水の筈なのに、五臓六腑に染み渡る。
ザフェルは堪らず、水の塊に顔を突っ込んだ。
あまりに旨すぎた。ちまちまと掬って飲んでいられくなり、獣のように貪りつきたくなったのだ。
その水の中からでも周囲が見える。仲間達も水の塊に顔を突っ込んでいた。
皆、考える事は同じなんだなと、つい笑みがこぼれる。
そこでジョージと目が合い、ザフェルは噎せた。気管に水が侵入して、吐き出そうとするが、水の中では無意味だった。船上で溺れては間抜けにも程がある。ザフェルは慌てて水の外に顔を出した。
「まあまあ、そんなに慌てなくても、水ならいくらでも出せるから」
笑いを堪えているようなジョージに言われ、ザフェルは恥ずかしくなる。
それを見ていた仲間達も「船乗りが船の上で溺れんなよ」と失笑していた。
「ジョージの旦那、あんまり――、いや、何でもねぇ」
ザフェルは頭を掻きながら、ばつが悪そうに床に目をやる。
あんまりこっちを見ないでくれ、とは言えなかった。なにせ結果的には命の恩人でもある。流石にそんな失礼な事は言えなかった。
ザフェルが噎せたのも、慈愛に満ちた微笑みのジョージに、見られていたからだ。まるで親が子を見守るような眼差しだった。
(あー、何か調子狂うな……)
ジョージは人間種の中でも、あまり見掛けない顔立ちだ。とはいえ、ただの人間だ。それに特別男前という訳でもない。普通に接されていると、別段何も感じる事はない。
それにザフェルは異性愛者だ。男に見惚れるはずがない。
しかし、あの微笑みだけはどうにもならなかった。時々見せる優しげな眼差しで見られると、心が揺り動かされる。尻尾を振ってしまいそうになるのを、意識的に抑えるのが精一杯だった。
仲間達が飲み終わると、浮かんでいた水は消えた。
ジョージ曰く、目の前に浮かべていると、邪魔臭く感じるという事だ。勿体無く感じたが、このくらいならいつでも出せるから、という言葉に従った。
喉を潤わせた船乗り達は、甲板に腰をおろした。
ジョージも続いて甲板に座わったところで、オルハンが重々しく口を開いた。
「……ジョージ殿。本当に遭難していたのか?」
「あ、そうだよな。ジョージの旦那ってこんだけ凄いのに、何で遭難してたんだ? 俺等はシュケルって国のモンだけど、旦那は何処から来たのさ」
ザフェルの頭の中からは抜け落ちていたが、よくよく考えてみれば、オルハンの疑問は当たり前のものだった。
ジョージは国のお抱えだとしても違和感のない、熟練の治癒士であり魔術師でもある。これ程までに優れた者が、遭難するものなのだろうかとザフェルも首を傾げた。
「えっ!?あ、いやぁ、その……。ある島で暮らしていたんだけど、旅に出ようと思って島を飛び出したら……まぁ、何て言うか酷い嵐に遭遇しちゃって……。壁のような巨大波に襲われたり、海上竜巻や雷とか渦潮が一纏めになった災害が迫りくるって感じで、その……現在に至る、みたいな?」
――その言葉に一同に衝撃が走った。
「まさか、死の海域を越えた……のか」
「マジかよ……。旦那すげぇな」
シュケルより東から南東方面には、死の海域と呼ばれている海がある。
船が近付くと、突如として暗雲が空に広がるのだ。それを無視して進むと巨大波に襲われて、船は瞬く間に沈み、巨大な渦潮に吸い込まれて海の藻屑と化すのである。
ザフェルは遠目に見た事がある。あれは近付いてはいけないと、本能で感じ取れた。異常なまでに海面がうねり、雨のように雷が降り注いでいたのだ。
陸で生きる者では決して越える事の出来ない海だ。これまでに挑んだ船乗りは、一人として生きて帰った者はいないと聞いている。
もしも越えた者がいるのなら勲章ものだろう。いくら海の掟があると言えども、死の海域に突っ込んでゆく者を、助ける事は出来ないのだから。
「ま、まぁ、そんな感じで、どうにかその死の海域を越えたところで力尽きた……みたいな感じかな。それで、ボード……いや、板切れで休んでいたから、その……魔力?も回復した……みたいな感じ。……あはは」
「そうか……なるほど、な」
引きつったような笑みを浮かべるジョージに、オルハンは目を伏せて納得していた。その声色には羨望の色が籠っている。
ザフェルとしてもオルハンの強い気持ちは分かる。死の海域を越えるなんて事は、シュケルの歴史に名を残すような偉業である。
いつかは自分達が――という気持ちはなくはない。しかし実際に遠目でも死の海域を見ると、そんな気持ちはへし折れてしまうのだ。
だが、ジョージという男はそれを成し遂げた。しかし、これ程に優れた者でも、死の海域を越えるだけで力尽きるというのだから、自然の猛威は恐ろしいという事だ。引きつった笑顔も、越えた者にしか分からない困難を思い出したからだろう。
おそらく恐らく彼が乗っていた船は沈み、残された板切れで、どうにか乗り越えたのだ。驚嘆すべき偉業である。
(人間にもとんでもないのがいるんだな……)
人間種は魔力的にも肉体的にも劣った生物である。
優れているのはドワーフに追従する技術力と、他種族の追従を許さない発想力だ。銃なる兵器がシュケルにも出回るようになったのも、別大陸にある人間種の国が開発したもので、その国の商人がフォルティス大陸に持ち込んだのだ。
万能の兵器ではないが使い勝手が良く、シュケルの鍛冶組合や錬金術組合が改良した物を、ザフェルも使っている。
それ故に、人間とは賢いが脆弱な生物という印象しかなかった。
――しかし、今をもってそれは完全に覆された。
「はは、残ってる酒樽開けて旦那に祝杯をあげたい気分だ」
感動で胸が熱くなったザフェルが呟くと、ジョージの耳がぴくりと動いた。
「さ、酒樽……祝杯……?もしかしたら、お酒あるの!?」
「お、おう……。あるにはあるが旦那の口に合うか分からないぜ?結構酒精がきついからな」
「そ、そっか。あ、あのさ、一杯だけでいいから、貰えると、その……嬉しい……かな」
ジョージは媚びるような苦笑を浮かべながら言った。とても死の海域を越えた強者とは思えない姿だ。
「わ、分かった。ちっとばかし、待っててくれ」
ザフェルはたじろぎながらも船倉に向かった。
なるべく汚れていない木製のジョッキを手に取って、匂いを確認する。異臭はしない。これなら大丈夫かと考え、酒樽から濃い褐色の液体を掬う。それから溢さないように船上に戻った。
そこには目を輝かせているジョージが待っていた。雛鳥ように見えて、笑いが込み上げてくる。
ザフェルは「味見してみてくれ」とジョッキを渡すと、ジョージはまず匂いを楽しんでいた。飲めるかどうか匂いの確認したのではなく、香りを楽しんでいた。
それから酒を口に含み、ゆっくりと喉に流し込んだ後に、満足そうに酒精の帯びた息を吐き出した。
「いやぁ……旨いね。久しぶりに飲んだってのもあるけど、この酒は旨い。色といい、香りといい、ダークラムそのものだし、やっぱり船乗りにはラム酒が合うんだね」
「ラム酒?そんな名前じゃねーけど、旦那のところにも似たような酒があんのかい?」
「え?あ、うん。まぁそんな感じかな。船乗りといえば、この酒って印象があるかな」
「へぇ、そうなのか。口に合うようで何よりだ。なんだったらもっと飲むかい? なぁ船長、構わないだろ?」
「もちろんだ。どんどん飲んでくれ」
「あ、いや、流石にそこまでしてもらうのは悪いよ。……だから、物々交換とかはどうだろう。この背嚢に野菜とか入っているからさ」
言いながら背嚢を脱ぎ、手を入れて赤い野菜を取り出した。
「な、なぁ、旦那。変わった形してるけど、それってドマテスか?」
「え?……ああ!そういえば、そちらの言葉ではトマトって言うんだっけ。俺がいた島でトマーテって言われていたんだけどね。ま、物々交換に値するか味見してみてよ」
「分かった。んじゃ、頂くわ」
円筒状のドマテスを渡されたザフェルは、物欲しげな仲間達の視線を感じながらも一齧りする。その瞬間、大きく目を見開いた。
(な、なんだこれは!!)
瑞々しくも濃厚なドマテスだ。自然な甘味が舌に広がり、それから程好い酸味が、口内を駆け巡る。
空腹だったせいもあってか、唾が溢れた。飲み込んで、もう一齧りいきたいところだが、飲み込むのが勿体無くも感じられる。いつまでも口の中に含んでいたい気になった。
「だ、旦那!なんだこれ、滅茶苦茶旨いじゃねぇか!酒なら好きなだけ飲んでくれていいから、皆にも食わせてやってくんねぇか!?」
新鮮な野菜だ。それを身体が欲しているのが分かる。もっと食べさせろと胃がざわついていた。仲間達も食べさせてやりたくなる。
「おし、交渉成立だね」
ジョージが背嚢を逆さまにして、中身を取り出す。
すると、丸まった紙と共に、大量の野菜と、穀物を練って焼き上げたような物体が転がり落ちてくる。その量は背嚢の内容量を遥かに超えていた。甲板には山のように野菜達が積み上がっている。
「あ、あれ?何でこんなに入ってるんだろ。誰か余分に入れたのかな? ……というか税関とか検疫とか大丈夫なのかな、これ」
持ち主本人が困惑している事にザフェルも困惑する。
明らかに普通の背嚢では収まりきらない量だ。それでいて持ち主が重さに気が付いていない。ならば、考えられるのは、この背嚢が優れた魔道具という事だろう。
ジョージが大量の野菜の重さが全く気にならない程に、膂力があるとは考えがたい。が、それを完全に否定する事も出来なかった。なにせ死の海域を越えた者なのだ。
ただ――今は彼の強さよりも、目の前にある大量の食料に、希望を感じていた。これがあれば命を繋ぐ事が出来る、仲間達の腹を満たされる、と。
「な、なぁ、旦那。物々交換もいいんだけど、それ以上の量を売ってくんねぇかな? もちろん、旦那が食べる分は残しておくって話でさ」
「あぁ、そうだな。ジョージ殿が売ってくれるなら助かる」
「あー、いや、俺もこんなに食べ物が入っているとは思っていなかったからなぁ。どうせ俺一人じゃ食べきれないし、物々交換どころか、皆にあげてもいいんだけど……」
「頼むよ旦那、売ってくれ!俺達の怪我を治してくれたうえに、水まで飲ませてくれたんだ。ただで貰う事なんか出来ねぇし、酒との物々交換だけじゃ、旦那が割に合わねぇよ」
ザフェルは必死の形相で交渉し、仲間たちはうんうんと頷いている。
遭難した船乗りが最も欲するのは飲める水と食べ物だ。それらを得る為なら、酒樽と物々交換しても惜しくはない。しかしそれでは相手が割に合わない。船に積んでいるのは所詮安酒だ。そんなものより新鮮な野菜の方が遥かに価値がある。
それにいつまでも施しを受ける訳にはいかない。金で買えるなら、気兼ねなく腹を満たせる。
「……いいね、海の男ってのは。義理堅くもあるし、格好良いもんだね。……分かった、金はいくらでもいいから、必要な分だけ持っていってよ」
そう告げたジョージは、妙に嬉しそうな表情をしていた。
それから柔らかな微笑みが、船乗り達に向けられる。
また、あの微笑みだ。目を合わせてしまうと、尻尾を振ってしまいそうになり、思わず視線を逸らしてしまう。
「ジョージ殿……その、なんだ。恩に着る」
ザフェルの視界の隅に、オルハンの尻尾が揺れているのが映った。
視線を上に上げると、オルハンが頬を掻きながら、ぶっきらぼうに答えていた。
それだけではなく、他の船乗り達も照れくさそうに尻尾が揺れ動いている。
(……良かった。俺だけじゃねぇんだな)
ザフェルは自分だけじゃなかった事を知って、少しだけ安堵した。それから再び船倉に行き、酒樽と金の入った袋を持ってくる。
船上に戻ると、仲間達は涙を浮かべながら、ドマテスと穀物を練った物を、交互に齧りついていた。
「旦那、酒と金を持ってきたぜ。とりあえず50ラル渡すわ。出来の良いドマテスが一個が30エルくらいだけど、こんな新鮮なものを航海中に食える事なんてねぇから、一個50エルくらいで買わせてくれ」
ザフェルは袋からシュケル銀貨を取り出して五枚渡した。
有り金を全て渡してもいいくらいだが、それではきっと受け取ってもらえないだろう。
「ん?んん? 50ラル?30エル? ……ごめん、俺はシュケルって国の貨幣価値が分からないんだ」
銀貨を手に取ったジョージは、首を傾げていた。
「あぁ、すまねぇ旦那。うちの国の貨幣が分かる訳ねぇわな」
ザフェルは袋からから種類別に貨幣を取り出して、手の平に乗せてジョージに見せた。
「この金貨が100ラルで一番価値がある。次が真ん中に穴が開いてある銀貨で、これが10ラルだ。今、旦那に渡したやつだな。そして1ラルが青銅貨で、一回り小さい。それ以下の貨幣は呼び方が変わる」
ザフェルは一度ラル貨幣を袋に戻して、別の貨幣を取り出す。それから手の平に並べた。
「この大きな鉄貨が50エルで、一回り小さいのが10エル、んで、この一番小さいのが1エルって事なんだ」
「……じゃあ100エルが1ラルって事かな?」
「あ、あぁ。よく分かったな。ま、つまりはドマテス100個くらい売ってほしいって事になるな」
「……へぇ、なるほどね、勉強になったよ。シュケルには補助貨幣があるんだね。酒と同じくらいに、ザフェル達の国の事が知れて有り難いよ。まぁ、俺としては100個と言わずに、もっと持っていっても構わないんだけどさ」
そう言いながら楽しそうな表情で、ジョージは銀貨を摘まんで物珍しそうに眺めていた。
「はは、そういう訳にはいかねぇよ」
ザフェルは笑みを浮かべながら感心もしていた。
すぐに他国の貨幣価値を理解したのは、彼に教養があるからなのだろう。やはり優れた者は頭の出来が違う。ザフェルが初めて訪れた他国では、貨幣価値が分からずに困惑したものだ。
それに母国の事を知ってもらえるのが、これ程まで嬉しいものだとは今まで感じた事がなかった。
そうして商談成立したザフェル達は、各々に食事を楽しんでいた。穀物を練った食べ物はアレパと呼ばれるものらしい。仄かに玉蜀黍の味がして、素朴だが美味だった。
程よい満足感を覚えたザフェル達は、ジョージに続いて酒を飲んだ。もはや船上に絶望感はなく、和やかな雰囲気が漂っていた。
ジョージも楽しんでくれいるのか、次々と杯を空けていた。
助け、助けられたという間柄ではなく、今ではただの、酒飲み仲間のようにも感じられる。時々「イカした海の男達に乾杯!」等と言いながら、仲間達と酒を飲み交わしていた。
それを眺めるのも、ザフェルは楽しかった。なにより、ジョージが美味しそうに酒を飲んでいる姿が、嬉しく感じたのだ。それに感化されたのか、オルハンも珍しく頬を緩めながら、ちびりと酒を飲んでいる。
全員、気が緩んでいた。ザフェル自身も同様だった。
――それ故に、船の下に大きな影が忍び寄っている事に、誰も気付いてはいなかった。
金貨 =100ラル
銀貨 =10ラル
青銅貨=1ラル
大鉄貨=100エル(1青銅貨と同等)
中鉄貨=50エル
小鉄貨=1エル




