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17話 清々しく、憂いなく

前話の後書きにも書きましたが、12/26(火)に16話の修正をしました。話の流れとしては、あまり変わっていませんが、言葉を足しました。申し訳ありません。

 部屋に満ち溢れる煌めく粒子は、重力を無視するが如くふわりと漂っている。まるで陽の光を浴びて輝くダイヤモンドダストのようだった。

 その粒子はやがて、吸い込まれるようにアンジェリカ達の身体に溶け込んでゆく。それから程なくして、泣き疲れて眠る赤子のように、アンジェリカは穣司に寄りかかり、安らかな寝息を立てた。


「……あれ、寝た?」


 不可解な現象に首を傾げる穣司は周りに目をやった。

 少年少女やティアはおろか、幼子を抱き抱えている母親らしき人も、子供と一緒に静かに眠っている。起きているのはテネブラだけだ。そのテネブラは何故か懐かしむような笑みを浮かべている。


 穣司は突然の事に頭の中が疑問符で埋め尽くされる。

 彼女達が安らかであるようにと願ったが、その結果がこうなるとは思ってもみなかった。無意識に彼女達には安眠が必要だと思っていたのだろうか。それとも摩訶不思議な能力(ちから)がそう判断したのか。

 どちらにせよアンジェリカは、幼い子供のように安心しきって寝ている。だが、それは本人の意志を無視した眠りだ。


(何をやってんだか俺は……)


 今になって自分の言葉が恥ずかしくなる。先程の言葉だって余計なお世話だろう。勝手に子供扱いをしてアンジェリカの意志を、無下に扱ってしまったのかも知れない。それに神と勘違いされている状況では、自分の言葉は彼女の意志をねじ曲げ、無理矢理従わせてしまう可能性だってある。それなのに、つい感情が高ぶってしまい不必要な事を言ってしまった。

 はたしてあの言葉は本当にアンジェリカに向けて言った言葉なのだろうか。彼女達はあの人達ではないというのに。

 穣司は自分の至らなさに、心の中で大きなため息をを吐く。

 とはいえ、いつまでも自省の念にかられている訳にもいかない。このまま寝かせ続ける訳にもいかず、穣司は寄り掛かるアンジェリカを抱き上げた。


「寝室って……あるかな?」


 穣司は力なくテネブラに尋ねる。


「うん!ついてきて!」


 テネブラは穣司とは裏腹に嬉しそうに元気よく答えた。

 なぜ嬉しそうにしているのか聞く事は出来なかった。それよりもまずはアンジェリカ達を寝室に運ばなくてはならないのだから。


 想像以上に軽いアンジェリカを()(かか)え、穣司はテネブラについてゆく。

 するとテネブラはすぐに振り返って首を傾げた。


「皆も一緒に連れていかないの?」


「はは……俺が運べるのは一人分までだよ」


 穣司は萎れた笑みで言った。

 いつだって抱き抱えられるのは一人までだ。

 いや、今の体ならば何人でも運べるかも知れない。それでも複数の人を同時に抱き抱えるのは難しい。相手の事を考えない無理のある運び方なら可能だが、それをするつもりはなかった。


「おとーさん、浮かせないの?」


「浮かせる?……ああ、そういうのも有りなのか」


 この世界には魔法というものがある。元の世界では考えられないような使い方があっても不思議ではない。きっと、こちらの世界では日常的に使われているのだろう。だからテネブラのような子供でも、そういった考えに至るのかも知れない。


「……浮け!」


 穣司は小さく息を吸い、無重力に浮かぶ彼女達を想像して短く言った。

 その言葉通り、ティア達は重力から解き放たれるように、ふわりと身体が浮かび上がる。


「……これでいいのかな?じゃあ寝室まで案内してくれるかな」


「うん!」


 本当にこれで良かったのかなと、穣司は悩む。

 確かに一人一人運ぶよりは効率は良いが、手抜きのようにも感じられる。自分のせいで寝てしまった彼女達を雑に扱っているようで穣司は気が引けた。

 それでも浮かせる事で、満足そうに頷くテネブラがいる手前、今さら人力で運ぶ事も躊躇われた。


 そうして穣司はアンジェリカを抱き抱え、残りの人達を浮かせながら、テネブラについていく。

 食堂を出て、螺旋階段を登る。浮遊している人達がいるせいもあって、宇宙船を探索しているようにも思えた。何かに頭をぶつける事もなく、無事に地下一階の階層へと辿り着く。

 案内されるがままに、その階層に入ると、突き当たりで通路は二つに分かれていた。テネブラは右に進んだ。

 その先の通路の側面には、ホテルのように等間隔に扉があった。入り口とは違い、触れても消えるタイプではない。テネブラが丸いボタンのような物を押すと、扉は自動ドアのようにすっと上に上がった。

 室内は10畳ほどの広さがあった。寝かせた卵を、横からくり()いたような形の物体の内部には、寝具が備え付けられている。おそらく、これがベッドなのだろう。


「とりあえず、アンジーはここ」


 テネブラが指を指しながら言った。


「あ、うん。分かった」


 穣司は他の人を通路に浮かせたまはま、アンジェリカを抱き抱え、卵形のベッドに寝かせる。

 テネブラが枕元にあるダイヤルを回すと部屋の照明は暗くなる。


「明日はちゃんと話をするから……おやすみ」


 穏やかな寝顔のアンジェリカに、一日の終わりを告げて部屋を後にする。

 通路に出た穣司は、他の人を抱き抱え、別の扉を開けて部屋に入る。アンジェリカと同じように、卵形のベッドに寝かせると、また通路に出て別の人を抱き抱える。それを人数分、繰り返し、全員を各部屋のベッドまで無事に運び終えた。


「じゃあ、おとーさんはこっち」


 穣司はテネブラと手を繋ぎ、引っ張られるようにして、通路の奥にある扉に向かう。

 その部屋は他の部屋よりも広く、20畳程はありそうな部屋だった。卵形のベッドも他より大きく、横幅はキングサイズはある。


「俺はここで寝ればいいのかな?」


「うん!今日はここで寝て」


「そっか、ありがとう」


「じゃあ、私は他の部屋に行く。おとーさん、おやすみなさい」


「うん、おやすみ」


 テネブラが部屋から去る後ろ姿を眺めてから、穣司はベッドに横になる。

 肉体的疲労は感じられず、眠気は訪れない。精神的疲労は感じていたが、目は冴えていた。

 思えば深夜過ぎに元の世界を離れたはずである。時計らしい物はないが、この地に来てからは、おそらく半日以上は経過している。ならば随分と夜更かしをしている事になるが、それでも眠気は感じられなかった。


 穣司はため息を吐き、起き上がる。

 ベッドに腰を掛けると、真正面に縦三列、横八列に繋がれたビー玉に似た物が、壁に吊り下がっているのが目に入る。そのビー玉の下段の右から四番目が、淡緑にうっすら光っていた。


「なんだろうこれ?いや、まぁ……いいか」


 いつもであれば、興味津々に触れ回り、何の目的で備え付けられているのか、楽しみながら考えていただろう。しかし、今はそういう気分にもなれなかった。


「少し夜風に当たるか」


 穣司は部屋を後にして、音を立てないように廊下を歩き、螺旋階段を登る。エントランスホールから外へ出て、長い直線の階段に腰を掛け、夜風を浴びながら空を見上げた。


「この世界の夜空も綺麗なもんだな」


 夜空一面には星が敷き詰められていた。

 街明かりの多い土地では決して見られる事のない美しい夜空だ。誇張でなく数多の星が輝いている。

 当然の事ながら見覚えのある星座はなかった。それでもこの夜空に似た美しさは、元の世界でも見た事がある。

 その場所は人の営みからかけ離れた、人工物の殆どない砂漠地帯であった。曇り空であれば、夜は漆黒の世界に包まれる。しかし晴れた夜には、心を奪われるような満天の星に、大地は照されていた。その時の感動は今も胸に焼き付いている。そして夜空の美しさは世界共通なんだと嬉しくも思った。


 穣司は深呼吸をする。

 森の香りで肺を満たし、陰鬱とした気持ちも一緒に、吐き出す。自らの頬を叩き、気持ちを入れ換える。小気味良い乾いた音が、静寂を切り裂くと、その後に「くぅーん」と鳴き声が聞こえた。


 振り返ると、あの狼に似た黒い獣がいた。

 すんすんと鼻を鳴らし、穣司の頬を舐める。


「はは、どうしたんだよ」


 飼い主を心配しているような目付きの獣は、何度も頬を舐める。頬を唾液まみれしたのが満足なのか、次は穣司の尻を鼻先で突つき始める。尻と床の間に鼻先を捩じ込んで、持ち上げようとしていた。

 股ぐらに体を入れようとしているのだろうか。何の習性なのか不明だが、股下に入ろうとする犬がいる事を、穣司は知っていた。その習性がこの獣と同じなのか分からないが、穣司が腰を浮かせると、獣は滑り込むように股に入る。そして立ち上がり、穣司はくるりと後方に一回転して、騎乗――もとい狼乗する。


「おっとと、びっくりした。……って、乗せてくれるの?」


 穣司が目を丸くして言うと、獣は首だけで振り返り、緩んだ表情で「わふ」と鳴いて、歩き始める。

 元気付けようとしてくれているのか、はたまた散歩が楽しみなのか。ご機嫌な様子の獣は、二本の尻尾を勢い良く振り回していた。

 獣は嬉しさを噛み締めるように、ゆっくりと階段を下りてゆく。鞍もないのに安定した乗り心地だった。


 穣司は頬が緩んだ。動物に乗るというのは、それだけで気分が高揚する。もちろん犬科の動物の背中に乗った事はない。というよりも成人男性が乗れる犬科の動物はいないだろう。しかし以前にロバに乗った事ならあった。

 それはエーゲ海に浮かぶ島での事だ。断崖の上に白塗りの家が密集する景観が有名であり、家族旅行やハネムーンで訪れる人も多い観光地だ。独り者には無縁の観光地ではありそうだが、それでも穣司は一人で行った。周りがカップルだらけでも、なんのそのである。


 真夏の照りつける日差しを浴びながら断崖の町を歩き、何も考えずに海へと続くジグザグの下り坂を下りると、小さな港に辿り着いた。そこで冷えたビールを呷り、紺碧の海を眺める。じりじりと肌を焼く日差しが妙に心地良い。ただそれだけで幸せを感じられた。

 しかしその先に待つものは苦痛だ。坂を下ってきたのだから、帰りは当然上り坂だ。ふらつく程、飲んでいないとはいえ、炎天の下で坂道を歩くのは流石に億劫になる。それでもホテルに帰らなければ、干上がってしまう。既に腕は真っ赤に焼け上がり、ピリピリとした痛みが生じていた。

 穣司は気怠さを感じながらも、坂道に向かう。すると登り口にロバ乗り場を見つける。これだ。そう感じた穣司はすぐさま金を払い、ロバに乗った。

 鞍はあるが手綱はない。その為、御する事も出来ないから、ロバは酔っ払いのように、ふらつきながら坂道を登った。ロバを撫でると、じっとりと蒸れていた。ロバも全身から汗をかくんだなと気付き、ふらふらと歩くのは暑いからではないだろうかと、少しだけ申し訳ない気分になる。時には壁すれすれを歩き、穣司は膝を擦り剥きそうになった。

 ロバに対して若干後ろめたさを感じつつも、穣司は楽しさも感じていた。生まれて初めて動物に乗ったという事もあり、気持ちは高ぶっていた。


「よし、行こうか!」


 その時の記憶がよみがえり、気分が僅かに上向きになった穣司は、獣の肩を軽く叩く。

 獣は振り返る事になく「わふ」と答える。顔は見えないが笑っている気がした。


 のそりと歩いていた獣は、カタパルトから射出される戦闘機のように急激に加速する。濁流を逆行するかのように景色は流れていく。不思議と視界は狭まる事もなく、顔に空気がぶつかっていても息苦しさは感じない。林道に茂る木々の本数を数える余裕もあった。

 振り落とされる心配もないし、落ちたところで、なんて事はないだろう。それでも穣司は体を屈めてしがみつく。その方が気分も乗った。バイクのレーサーにでもなった気分だ。


 大地を蹴り、砂埃を巻き上げながら獣は疾走する。

 林道を越え、なだらかな山道を一気に駆け上がる。途端に視界が開けた。右を見れば、月光を水面で反射させている海が、断崖絶壁の下に広がっていた。左を見れば、島の中央に(そび)える独立峰と山麓の湖。そして先程まで居た、純白の建造物が目に映る。

 穣司が上空から見た島の形はレモン搾り器のような姿をしていた。つまりは島を取り囲んでいる外輪山の尾根を、反時計回りに駆けているのだろう。


「おぉ……凄いな」


 思わず感嘆の息が漏れる。

 空は満天の星が輝き、海は月の光が揺めきながら煌めいている。まるで天と地に空が二つあるように感じられた。

 ふらふらと歩いていたロバとは違い、獣は力強く走り、時に跳び跳ねる。起伏の激しいゴツゴツとした尾根の岩肌を、ものともせずに風になった。


 外周を走り終わった獣は外輪山を下り、島の中央に向けて、一直線に走り出す。次は島で一番標高の高い山に登るのだろうか。寄り道する事なく獣は更に加速する。そして独立峰を飛ぶように駆け上がる。


 流れるような景色の中でも、植物の生態は変わってゆくのが分かる。高山植物なのか、(ふもと)とは別の植物が生息していた。時折、小さな動物の姿も見える。


 獣は更に駆け上がり、景色はまた変わってゆく。植物の群れを後にすると、次は岩肌ばかりになっていった。

 頂上付近に、巨大で平らな岩が、山肌から突き出ているのが見える。まるで展望台だ。獣はそこに向かうのか、ゆるやかに速度を落としていった。


 獣は突き出た岩の上に乗り「わふ」と鳴いた。

 ここが目的地なのだろう。そう考えた穣司は獣から降りると、獣は岩の先端に行き、伏せをする。穣司はその横で腰をおろし、胡座(あぐら)をかいた。


「はぁ……いや、凄い景色だな。ここはお前のお気に入りなのか?」


 そこは島を一望できる場所だった。

 島を取り囲む外輪山よりも標高が高い。眼下には湖が見え、低地を埋め尽くすように、森が広がっていた。湖からは海へと向かう道のように、川が流れているのが分かる。ぼんやりと光っている物があるのは、きっとあの建造物だ。


「ここに連れてきてくれて、ありがとうな」


 穣司は獣を撫でながら礼を言う。

 獣は目を細めながら「わふわふ」と答えた。


 獣は一度起き上がり、次に甘えるように寄りかかる。

 穣司もそれを受け入れ、頭から背中を撫でる。それから労うように、肩甲骨辺りをマッサージする。次に尻や胸の筋肉をほぐすような手つきで撫でると、獣は目を細めて気持ち良さそうにしていた。その様子に満足したは穣司は、獣を胸に引き寄せて、一緒に寝転がる。

 胸に顎を乗せる獣の、程よい重みが心地良い。猫好きの知人が、飼い猫が腹の上に乗ってくるのが幸せだと言っていたのを思い出す。穣司はささやかな幸福を感じながら、獣の頭を撫でて、目を瞑った。


 瞼越しに光を感じ、穣司は目を開ける。

 宵闇に浮かぶ宝石のような星々は、水平線から顔を覗かせている光から逃げるように、うっすらと姿を消そうとしてた。空は端から徐々に紅黄色に染まっていく。


「……いつの間にか寝てたのか」


 穣司が呟くと胸の上の獣も目を開ける。

 睡魔に襲われた気配はなかったが、あのまま一緒に眠ってしまっていたらしい。岩の上で寝たにもかかわらず、体の節々に痛みは感じなかった。

 獣の頭を地面にずらして、上体を起こして背伸びをする。背中に痛みはなくとも心地良い。欠伸をして新鮮な空気を肺に送る。獣もつられたのか、口を大きく開けて欠伸をした。


 顔が洗いたいな。ふと、穣司はそう思った。

 袖で拭ったとはいえ、昨夜は獣に顔を舐め回されたのだ。それに朝は顔を洗わないと、一日が始まる気がしない。


「そういや能力(ちから)で水も作れそうだな」


 そう言いながら、穣司は曖昧に水を思い浮かべ、心の中で「水」と言った。

 すると、何もないところから突如、ふわふわとした水を塊が浮かび上がる。まるで無重力状態の宇宙船内で漂う水のようだ。飛び散る事もなく、地面に落ちる事もない。

 穣司は水の塊に手を入れて水を掬う。外に出すと水は重力を取り戻したのか、手の隙間からこぼれ落ちた。


 穣司はさっそく顔を洗い、口も(ゆす)いだ。獣は浮かぶ水の塊に豪快に頭を突っ込む。それから頭を水の外に出し、頭を振るわせ水飛沫をたてた。


「さて、皆のところへ帰ろうか」


 穣司の言葉に獣は「わふ」と答える。人の言葉を理解しているのだろうか。賢い動物だなと感じた。

 獣は同じように股下に体を滑り込ませる。どうやら、また乗せてくれるらしい。


 突き出た岩を降りる。朝日を一身に浴びながら、急斜面の岩肌を、滑るように駆け降りてゆく。高山植物の群生地を抜けて、一気に麓まで降りると、獣は真っ直ぐにあの建物を目指し、疾走する。

 風を切り裂くように駆ければ、あっという間に建物へと続く階段の下まで辿り着く。獣は速度を落とし、ゆっくりと階段を上った。そのまま獣は止まる事なく、扉を通り抜ける。

 動物が中に入っていいのだろうかと穣司が考えているうちに、エントランスホールに着いた。

 そこには柔なか笑みを浮かべたアンジェリカが立っていた。獣が屋内に入っても、気に留める事はない。それが当然の事であるかのように、こちらを見ている。


「おはようございます!朝のお散歩ですか?」


 アンジェリカは快活な声で挨拶をする。


「お、おはよう。まぁそんなところかな」


 穣司はそんなアンジェリカの態度の気圧されそうになる。


 なんの気負いもない、普通の少女のような笑顔だった。昨日の事など忘れてしまったかのような態度だ。

 あるいは触れらたくないからこそ、なかった事にしようとしているのかも知れない。ならば謝らない方が良いのだろうかと頭を悩ませる。

 それでも言うべき事は言った方がいいのかも知れない。もしも嫌な顔をされれば、あの件には触れないようにしようと、穣司は考える。


「あ、あのさ……昨日はその、分かったような事を言って、ごめん」


 穣司は頭を下げ、謝罪する。


「えっ?わー!?だ、だめですよ、そんなに簡単にジョージ様が頭を下げるなんて!それに、謝られるような事は何一つないですから!むしろ私こそ、わんわん泣いてしまって、申し訳ないと思ってたんですよ!」


 アンジェリカは目を大きく見開いて慌てた様子で言った。

 どことなく親しみのある態度だった。


「……あれっ?」


 穣司は戸惑いを隠せなかった。

 まるで別人だ。中身が何者かとそっくり入れ替わってしまったかのように感じられる。それともあの能力(ちから)は、人の心まで変えてしまう恐ろしいものだったのか。胸を締め付けられるような焦燥感に襲われる。まさか人の心を無理矢理変えてしまったのか。そう考えるだけで、全身から血が抜け落ちてしまうような錯覚が起こった。


「ちょっと、ごめん!」


 穣司は直ぐ様、アンジェリカの両肩を掴み、じっと見つめる。

 そして「元に戻ってくれ」と心の底から願った。人の心を変えるなんて、あってはならない。その人の人生を踏みにじるのと同然だとなのだから。

 程なくして、煌めく粒子が自らの体から溢れだし、吸い込まれるように、アンジェリカに溶け込んでゆく。


 やったか?穣司が期待を込めてアンジェリカを見つめる。

 すると彼女は、蒸気を上げてしまうくらいに、顔を真っ赤に染めた。忙しなく目が泳ぎ、体温も上がっていた。


「あ、あのあの……そ、そんなに見つめられると恥ずかしいです。で、でもですね、嫌って訳じゃないんです!」


「……えっ?」


「わ、私は目を瞑ればいいのでしょうか?こういった時、どうすればいいのか分からないので」


「……あれ?」


 心の底から願い、昨夜と同様に、煌めく粒子はアンジェリカに浸透していった。それでも彼女は元に戻っていない。それとも元から彼女の心を変えてなどいなかったのだろうか。つまりは今のアンジェリカこそが、本来の性格だという事なのだろうか。

 昨夜はアンジェリカの心が安らぐ事を願ったはずた。ならば安らぎを得た彼女は、喋りながら体をくねらせ、もじもじとしてしまうようになってしまうのか。アンジェリカの過去を知らない穣司には、判断しようがなかった。


「よく聞いて、アンジェリカ。今朝から何か変わった事なかった?」


「え、今朝ですか?朝起きると頭も心もすっきりしてました。昨日までの私は、なんであんなに頑なになっていたんだろうって感じです」


「じゃ、じゃあ、この地に辿り着くまでの記憶はある……よね?」


「はい、辛くて苦しくて、そんな事ばかりでした。でも、自分が皆を率いていかなければって使命感があったので、どうにかやってこれたんです。今でも、いつか故郷に帰るという気持ちは強くあります。それでも、この地にいる間は力を抜いていいのかなって、目が覚めると思えるようになっていました。不思議ですよね」


 アンジェリカは胸に手を起き、安らいだ表情で言った。


「そ、そっか。変な事を聞いてごめんね」


 穣司は肩から手を離して、首を傾げる。

 アンジェリカは名残惜しそうに「……あ」と呟いたが、とりあえず、それは置いておく事にした。


 もしかすると昨日の状態に戻れと願えば、戻るのかも知れない。ただ、それは彼女の心を再び苦しめる事にもなる。いつか壊れてしまう危うさもあった彼女を、元に戻すべきなのか穣司には分からなかった。


「あ、おはようございます、ジョージ様」


 穣司がアンジェリカと向き合っていると、ホールの奥からやってきたティアに挨拶をされる。ティアの背後には他の人達もいるが、テネブラだけはいなかった。


「おはようティア。テネブラはまだ寝ているのかな?」


「え、そこに……」


「わふ!」


「い、いえ、きっと近くにいらっしゃると思います」


 ティアの言葉の途中で、不満げな声で獣が吠える。それに驚いたのか、ティアは、はっとした表情をしてから言葉を続けた。


「そっか、今は一緒にはいないんだね」


 彼女達が揃い、テネブラだけがいない。

 となれば自分の正体を明かす丁度いい機会なのかも知れない。

 自らを父と慕うテネブラには、今の段階では本当の事を言えないが、彼女達には本当の神が誰であるのかを伝えるべきだろう。アンジェリカの事も気になるが、彼女達には早いうちに真実を告白しておきたかった。その結果、彼女達が落胆してしまうかも知れないが、いつまでも騙し通す訳にもいかないのだから。

 穣司は深呼吸をして、唾を飲み込む。


「皆に伝えないといけない大事な話があるんだけどいいかな」


「ここで……よろしいのですか?」


 真剣な様子を感じとったのか、アンジェリカは姿勢を正して答える。それに倣い、他の人たちも一語一句聞き逃すまいといった様子で姿勢を正した。


「うん、ここでいいよ」


 穣司はゆっくり頷きながら言った。

 むしろテネブラのいない、この場だからこそ言えるのだ。

 自らの正体を明かせば、この世界の者じゃない事が分かってしまうだろう。それを知られると、テネブラは再び独りぼっちになってしまう。いつか父親が帰ってくると信じて待ち続けていたテネブラを、再び絶望の淵へと追いやってしまう訳にはいかないのだ。


「もしかしたら、皆は俺の事を神とかそういった存在と思っているかも知れない。でも、それは少し違うんだ。もしかしたら忘れられてしまっているのかも知れないけど、この世界を創ったのは女神ニナで、俺はその……女神ニナの親族みたいなものなんだ。そして、その彼女は今、病に伏せているような状態なんだ。俺はその原因を探すために、世界を跨いで、この世界をやってきた。だから崇めるなら、俺じゃなくて、女神ニナにしてほしい」


 穣司は言葉を選びながら、弱々しく下を向いて言った。

 普通の人間だとは言えなかった。実際のところ今は普通の人間ではないし、半分は神様になっている。ただの人間だと言っても説得力もないだろう。それに女神ニナの叔父にあたるガルヴァガから神の力を授かったのだから、親族とも言える……かも知れない。それ故に女神ニナを心配した親族が、この世界にやってきたと言う方が、現実味もあるだろうと考えた。


 穣司が言い終わると、時が止まってしまったかのように、エントランスホールは静まり返っていた。

 彼女達は落胆したのだろうか、誰も言葉を発する事がなかった。あまりの衝撃に魂が抜け落ちたように、黯然銷魂(あんぜんしょうこん)しているのかも知れない。

 空気が重々しく感じられ、居心地も悪い。彼女達が我にかえり、罵詈雑言を浴びせられたとしても、甘んじて受け入れるしかない。


 穣司は覚悟を決めて、視線を彼女達に合わせる。

 すると彼女達は目を丸くしてから、その後に「はい」と答えて、微笑んだ。怒りや悲しみといった負の感情は見られない。どちらかというと、言われた言葉が想像の範疇を越えていない事に安堵しているようにも思えた。


(……あれ?)


 怒りでも悲しむでもない彼女達の様子に、穣司は戸惑いを隠せない。彼女達の表情は、そんな事は既に知っていましたよと言わんばかりだった。


「ジョージ様が遠い所から来た事も、女神ニナがこの世界を創った事も知っていました。それにジョージ様がニナ様の家族である事も知っています。ジョージ様にとって大切な存在である事も……です」


 アンジェリカは笑みを浮かべたまま、柔かな声で言った。


「え、あ、うん。ま、まぁ俺にとって、と言うより、この世界で最も大切な存在と言う方が正しいとは思うんだけど……」


「はい、そうですよね!」


「わふわふ!」


 アンジェリカと獣が声を揃えるようにして言った。

 殺されかけたというのに怖くはないんだろうかと不思議に思うが、それよりも今は羞恥心の方が勝っていた。


 真実を伝えなければと、意気込んでいたが、どうやら自分一人だけで、空回りしていたらしい。既に知られていたというのに、何をやっているんだと穣司は恥ずかしくなった。もう笑って誤魔化すしかなかった。


「あの!私からも一つお伝えしたい事があるんですが、いいでしょうか!?」


 アンジェリカは背筋を伸ばして、元気良く言った。そのはずみで豊かな胸も弾んでいた。


「う、うん、どうぞ?」


 これ以上、醜態を晒す事でもあるのだろうかと、少し怯みながらも苦笑いで穣司は答える。


「そ、その、ジョージ様を愛しています!神様としても、一人の男性としてもです!!」


 アンジェリカは鼻息荒くして、愛を叫んだ。

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