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14話 異色の文明

 水平線に微かに残っていた茜色の空も沈み、世界は夜の顔を覗かせる。散りばめたような星々が、緩やかに浮かび上がり、月は夜に輝く。

 漆黒に染まる新緑の森は、青白い光に照らされ、木々の隙間から漏れる光が地に届く。大きく切り開かれたような林道は、月光に照らされて道先を示していた。


 思いの外に明るい夜道を、穣司はテネブラと手を繋ぎ、牽引されるように道を歩く。アンジェリカ達も穣司達に付き従うように、数歩離れた後方を歩いていた。

 しっかりと整備されているのか、堅固な土質で均されている。道幅も広く、石塊(いしくれ)一つ転がっていない。整い過ぎていると言っても過言ではなかった。明らかに人為的に造られた道だ。

 木によって視界が遮られる事もなく、月明かりに照らされた道は、遠く先まで浮かび上がる。照明などなくても視界良好だった。


 集団で土を踏み歩く音にテネブラの鼻歌が交じる。

 穣司と繋がれていない方の腕は、犬の尻尾のようにご機嫌に振られている。顔が見えなくとも、どんな表情をしているのか想像するのは容易い。先程の珍事が洗い流されるようで穣司は癒された。


「おとーさんがぁ、いるからぁ、ひさびさに扉がぁ、ひらく~」


 テネブラは歩きながら軽やかな声色で歌うように言った。


「鍵でも閉まっているの?」


「鍵じゃないけど、そんな感じ。けど、おとーさんなら大丈夫」


 振り向きながら言ったテネブラの表情はやはり緩んでいた。その姿は柴犬を思わせる愛らしさだ。


「そっか」


 テネブラの表情が想像通りで、頬が緩ませながら穣司は相槌を打った。

 鍵ではないという事は、少女一人の力では開かないような、重厚な扉なのかも知れない。テネブラが楽しそうにしているのは、扉が開いていた在りし日の事を、思い出しているのだろうか。もしかすると少女の思い出の品が、眠っているのかも知れないなと穣司は思った。


 そうしてしばらく歩いていると、月光に照らされて青白く染まる、純白の建造物が目に入る。遠景では城と塔が組合わさったような建物に見える。長らく家主不在だったようなその建物は、寂しそうに佇んでいた。


「おとーさん、あれ!」


 テネブラは逸る気持ちを抑えられないのか、ぐいぐいと穣司の手を引っ張りながら言った。

 つられて穣司は小走りになる。アンジェリカ達も後に続いた。

 一団は足早に建造物に近付いていく。

 河口に向けて広がっていく川のように道幅は広くなっていき、森の木々の背丈も徐々に低くなる。視界は更に開けていった。


 穣司達は林道の終着点に辿り着いた。

 そこには広範囲に開けた場所があり、一面には多種多様の花が咲き乱れ、月光に照らされ輝いていた。

 そしてその花々を跨ぐように、緩やかな傾斜の、長い直線の階段が、中央へと延びている。

 その中央には白一色の平たい円柱を組み合わせたような形をした建物があった。外壁には等間隔に複数の柱があった。そしてその建物を土台にするようにして、中心には塔がそびえ立っている。先端付近には輪状の通路のようなものが、浮いているようにも見えた。


(なんだこの建物……)


 美に造詣の深くない穣司には、この建造物は現代アートのようにも思えた。凡人には何の目的に作られたのか理解が追い付かない。塔のようにも城のようにも見えるが、宇宙船のようにも思える。あるいは宗教施設とも霊廟にも見える。それともデザイナーが拘りすぎた為に、意味不明な形になった集合住宅か。

 穣司に分かった事といえば、月明かりに照らされた花が綺麗に咲いている事ぐらいだった。


「ここなの?」


「うん!おとーさん、ついてきて」


 テネブラに従い、穣司はスロープのような白い階段を昇る。

 足を踏み出す度に、階段の床に刻まれている回路のように見える、か細い溝が光を放ち、波を打つように広がって、淡く消えていく。

 その現象はアンジェリカ達に起こっていたが、穣司とは違い、僅かにしか光っていなかった。それでも自分達が歩く度に、階段が光を放つのが物珍しいのか、彼女達は床を見つめながら歩いている。

 どういう仕掛けか分からないが、思ったよりSF的な近未来感のある造りが、穣司には新鮮で面白かった。


「おとーさん、この扉を開けて」


 先頭を歩き、階段を登り終わったテネブラが、振り返って言う。

 姿を現したのは、城門を思わせる巨大な白い一枚扉だ。

 確かにこの大きさではテネブラには開けられないだろう。鍵がなくとも鍵の役割を果たしているようにも感じられる。成人男性だとしても開けるのは難しいそうだ。

 それに取っ手も見当たらない。これでは押すのか引くのか、引き戸なのかも分からない。


「ちょっと、やってみるね」


 穣司は数歩進み扉を見上げる。

 しかし何の反応も起こらない。

 近未来的な建造物な上に、取っ手も見当たらないので、センサー式の自動ドアかと予想してみるも、そうでもないようだ。この世界の文明レベルが今一つ分からない。


 やはり押してみるべきだろうかと、仕方なく扉に触れてみる。

 すると指先から扉へと力が流れ出てゆくのが感じられた。あの救難信号機能付き発光型短剣の時と同じだ。ただし短剣の時とは違い、より多くの力が流れ出ている。

 だからといって体に不調をきたす事はなかった。短剣の時と同じように、減った分だけ体内で力が生成されてゆく気配を感じた。


 力が流れ込んだ扉は、触れた箇所が眩い光を放つ。

 回路のようにも見える細かな溝を、波紋が広がるように力強い光が走っていき、建物全体へと伝わっていく。その中でも一際明るい八色の光が、塔の先を目掛けて駈け登っていった。

 やがて光が塔の頂上へと辿り着くと、何かの起動音と共に、建物全てがぼんやりと淡い光を放った。


(電力……いや、魔力?不足だったのかな)


 充電式なのだろうか。穣司はその様子が通電した電気製品のように思えた。

 短剣の時も自らの力が流れ出ていった事によって光を放っていた。

 ならば今回も似たようなものなのだろう。魔力だか何だか分からない力が、働いたのかも知れない。

 おそらくテネブラは短剣に力を流した場面を、どこかで見ていたのかも知れない。

 アンジェリカが空に救難信号を打ち上げていたのだ。その光を見てテネブラが駆け付けていたとしても不思議はない。


 そして閉ざされていた扉は、建物とは対照的に、光が落ちるように姿を消した。


「おぉ……」


 穣司は感嘆の声を漏らした。

 想像を遥かに超えていた。とても言葉で言い表せるものじゃなかった。どれほどの高度な文明を築けば、こんな装置を作れるのだろうか。

 扉は上下左右のいずれかにスライドする事で、人を迎え入れるのだろうと思っていた。しかし扉は姿を消す事で、その役割を果たした。まさか幻影のように消えるとは思ってもみなかったのだ。一体どんな原理で扉が消えるのか、穣司は不思議でならなかった。


「……これで、いいのかな?」


 穣司は振り向き、テネブラに問う。


「うん!」


 テネブラは満足そうに頷いた。

 少女にとってはこれが普通の事だったのだろう。しかし省エネでないのは勿体ないなと穣司は思った。

 おそらくテネブラは魔力だとかいった類の力が少ないのかも知れない。だから一人では充電する事も出来なかったのだろう。そして例の短剣の場面を見て、父親なら開けられると確信したに違いないと、穣司は考えた。


「じゃあ、入ろっか」


 穣司達が消えた扉を通り抜け、内部へと歩き進むと消えていた扉が、再び姿を戻した。そして近付くとまた消える。閉じ込められる心配はないようだ。


 内部は外観と同じように白一色に統一されていた。天井の端に埋め込まれた照明のような装置からは、暖色の光が照らしている。

 そのまま直線の短い通路を進むと、吹き抜けになっている筒状の大きなエントランスホールに辿り着いた。正面には幅広の階段が二階に伸びている。ホール一階の側面には八本の通路が放射状に広がっていた。


「おとーさん、あいつら……じゃなくて、皆の着替えと晩御飯の準備に行ってるくるから、ここで待ってて」


「うん、分かった。俺はここで、のんびりしてるから、支度はゆっくりでもいいからね」


 穣司が言葉を返すと、テネブラは笑みを浮かべて頷いた。

 そしてアンジェリカ達を引き連れて、八本あるうちの一つの通路の奥へと姿を消した。


 穣司は階段の端に腰を掛けて一息つく。

 出だしから予想外の出来事が続き、この旅もどうなる事やらと思ったものの、どうにか落ち着く事が出来た。

 今日の事を思い返しても、よく分からない事の連続だった。そのせいか、肉体は何ともなくても、精神的には多少なりとも疲労を感じていた。


 背伸びをして、欠伸をする。

 微かな眠気を感じ、階段の手すりに寄り掛かろうとすると、背中に違和感を覚えた。

 ああ、そういえば……と、穣司はザックを背負っていた事を思い出す。あまり軽すぎたために、背負っていた事すら忘れていたのだ。


「そういや、何が入っているんだろう」


 この世界に来て、慌ただしく時間が経ち、中身を確認する暇なんてなかった。

 穣司はこの待ち時間に、中身を確認するのが丁度良い機会に思えて、さっそく腰ベルトを外し、ザックを下ろす。

 ガルヴァガは金銭に替えられそうなものを、入れておいたと言っていた気がした。一体なにが入っているのだろうかと、福袋を開ける時と似た気分になり、穣司は心が弾んだ。


 このザックにはフロントパネルにファスナーの類はない。したがって開口部は上部にあるだけだ。だから穣司は、ザックを逆さまにひっくり返し、揺らしながら中身を落とす。

 すると両手で持つような大きさの、台形の物が三つほど落ちて、ゴトリと金属質で重厚な音を鳴らせた。それから丸まった紙のような物が落ち、転がっていく。


「……うわぁ、何これ。インゴット?そんな物が入っている重量じゃなかったのに」


 一つは表面が揺らめいて見える、輝く赤のインゴット。もう一つは冷たさを感じさせるような紺青のインゴット。最後に金色に煌めくインゴットだ。

 サイズは10kgくらいのものだろか。そのいずれにも刻印は刻まれておらず、純度も不明だ。穣司はこういった物にまるで縁がなかったが、この金のインゴットが何を意味するものかは知っている。それは、しがない労働者だった自分が、持てるような物ではないって事だ。

 赤と青のインゴットは見た事もなかったが、金と同じくらいの価値があるのだろうか。貴金属に詳しくない穣司には、その有難みが分からなかった。この世界の貴金属の価値すら、今の段階では知らないのだ。それでもこのインゴットは決して安い物ではない気がした。


「まぁ、金銭に替えられそうではあるんだけどさ……。売るとしても怖いよなぁ。というか、こんな高価そうな物を売るのは申し訳ないし勿体ないな。もう少し手軽さが欲しかったよガルヴァガさん」


 天井を見上げ、溜め息を吐く。

 贅沢な我が儘なのは分かっている。それでも一般人程度の価値観しか持ち合わせていない穣司には、この貴金属と同様に重かった。


 気を取り直して、無造作に転がっている丸まった紙を手に取る。

 広げてみると、四つ切りの画用紙程度の大きさだった。小学生が美術の授業で使うサイズだ。その紙の中心には、指先程度の大きさの染みにも似た黒ずみと、赤い小さな点が点滅していた。


「なんだこれ?」


 穣司は手にした紙を、あらゆる角度で眺めてみる。が、特に珍しい事もなく、透かしといった特殊なものが施されている訳でもなかった。

 裏側を確認しても何もない白紙だった。片面にしか赤い点は表示されてない。

 次に指先で赤い点に触れてみる。それでも変化はない。

 首を傾げながら穣司は何気なく人差し指と親指で紙を弾いてみる。すると、紙はまるで地図アプリのように拡大され、何かの形をした曖昧な絵が大きく表示された。その形は穣司に見覚えがあった。


「あ、これって、この島の形だ。もしかして地図なのかな?」


 細部は描かれていないものの、上空から見た島の形と一致していた。

 とするならば、この赤い点が現在地なのだろうか。だとしても、この島しか描かれてないのが疑問だ。地図としての役割をなしていない。

 程よく縮小して、紙を指でスライドさせてみるも、他の地域らしきものは、描かれていないのだ。


「あ、もしかして、自分の目で見たものが記録されるとか?」


 ガルヴァガは、この世界の事を知らないと言っていた。

 ならばこの世界の地図を用意出来るはずもないだろう。

 だからこそ、自分が目にしたものが、自動的に地図として記録される機能のついた紙を、用意してくれたのかも知れない。

 もちろん地図としては不便である。それでも自分が歩き見たものが、地図として記録されるなら、それは実に面白そうだと穣司は強く感じた。


「この紙はいいな。……凄くいい」


 自らの見たものが、地図の空白を埋めていく。きっと最後には一枚の世界地図が描かれるのだろう。そう考えるだけで穣司はにやけ顔になる。


 しかし今はまだ、この地を離れる事は出来ない。

 テネブラ(義娘)の件もあるし、アンジェリカ達にこの地で何があったのか、聞くべきだろう。それにあの巨獣の行方も気になる。

 だが、今はだけはこれから始まる旅に、思いを馳せる事くらいは、きっと許されるだろう。そう感じながら、穣司は少ない荷物をザックに仕舞う。


「あんまり時間は潰れてないだろうな。目も冴えたしどうするかな」


 ザックを背負い、立ち上がる。

 テネブラ達と離れて、あまり時間は経過していない。アンジェリカ達の着替えに加えて、料理をする手間も考えたら、まだ時間は掛かるだろう。

 本来は穣司はうたた寝でもして待っていようかと考えていた。しかしザックの中身を確認してから目も覚めてしまっていた。


 一階には特に珍しいものはない。穣司は手持ち無沙汰に階段を上がる。

 正面には建物入口に似た扉があった。この建物の入り口とは違い、歩きながら人がすれ違える程度の大きさだ。

 既に充電完了しているのか、今回は触れなくとも近付くだけで扉は消えた。


「ちょっとだけ入ってみるかな」


 再びザックを下ろし、扉の脇に置く。

 目印を置いておけば、入れ違いになる事もなく、彼女達が無駄に探し回る事もないだろう。これなら一目で自分が中に入っている事が分かるはずだと穣司は考えた。


 そのまま扉を通り抜けると、中は長い直線の通路になっていた。

 ホールのように明るく照らされていない通路は、どこかもの寂しい雰囲気が漂っていた。あまりに静かで、あまりに澄んでいる。その清浄さは人の身には毒のようにも思えた。

 不純物のない澄みすぎた純水では魚は生きられない。きっと人も同じなのだろう。この奥には綺麗すぎるものがあるように感じた。

 穣司は自らの頭を左右に大きく振り、物悲しくなりそうな気分を追い払い、歩き進む。そして通路を通り抜けた。


 そこには室内の水庭に月が浮かぶ祭壇の間があった。

 部屋の奥まで真っ直ぐに伸びる床の先には、月明かりに照される少女の像が寂しげに佇んでいた。その像は両手を下に広げて、悲しげな表情で俯いているように見える。

 左右の一段下がった床には水が張ってあり、何も置かれていない台座が、両側に四つずつある。

 天井は高く、塔の先端まで続いているように見えた。


「もしかして、これが?」


 穣司は小さく呟き、像に近付く。

 穢を感じさせない白い像だ。小柄で華奢な少女からは清純さが感じられる。

 見た目は人間でいうところの15歳前後くらいだろうか。ウェーブがかった髪が腰まで伸びている。

 羽でも生えていたら、きっと天使像と見間違えてしまうだろう。そんな美しさがあった。


「女神ニナ……かな」


 深い眠りについたとされる創造神の名前だ。

 この神が自らの創った世界から忘れ去られようとしているのだろうか。

 像だとしても美しい少女だ。今にも消えてしまいそうな儚さもある。

 その表情は泣いているようにも見えた。瞳から頬にかけて、何かが伝った跡のような汚れがあった。


「女神像が泣いている……訳はないか」


 おそらく何かの汚れが、偶然頬に付着したのだけだろう。像が涙したように見えるのは、この部屋の寂しげな雰囲気が、そう感じさせているだけだ。

 それでも女神像の頬を手で包み、親指で汚れを拭った。


 ふと、ある国の遺跡にある、女神像に触れた事を思い出す。

 それは東南アジアにある有名な遺跡にあった。

 その女神像はどんな理由で、置かれているのか穣司には分からなかった。何の神を模しているのかさえ知らない。それでも観光客はその女神に触れていた。

 もちろん有難みを感じていたからではない。

 本来、石像の表面はざらついている。しかし、その石造りの女神像の胸部だけは、テカテカと鈍い光を放っていた。大勢の観光客が胸を撫で回した為に、摩擦によって表面が磨きあげられていたのだ。それを面白がって、更に観光客が胸に触れていた。もちろん穣司も触れた。


 もしも像が感情を宿し、涙を流すというのであれば、きっとあの女神像は大変な事になるだろう。

 穣司は元の世界での旅を思い出して苦笑した。


 この女神は摩擦するほど触れられた形跡はない。もちろん胸部が光沢している事もなかった。

 穣司は何気なく女神像の胸に触れてみる。

 今回は撫で回したりはしない。あの時とは違い、面白半分という訳でもない。名も知らぬ女神像とは違い、この女神像の名前は知っているのだから。


 心臓の音を確かめるように、胸部の中心辺りに、少しだけ触れてみる。

 素材は不明だが、指先からひんやりとしたものが伝わってくる。

 当然ながら女神像に体温は感じられない。鼓動が掌に伝わってくる事もなかった。


「まぁ、そうだよなぁ」


 女神像とはいえ無機質なただの像だ。

 実際の女神でもないし、命を宿した像が動き始めるといった気配もない。

 仮にこの像が無機質なものではなかったら、自分は平手打ちされるだろう。初対面の男に胸を触られたら当然だ。元の世界であれば、お縄にかかる案件だ。


「何やってんだか俺は」


 穣司は自嘲するように言った。

 この部屋の雰囲気にあてられたのだろうか、忘れ去られようとする女神像に、感傷を覚えてしまった。

 像は像だ。胸に触れたところで心音が伝わってくるはずもない。もしかすると異世界には生きる像もあるのかも知れないが、この女神像はきっと違うだろう。

 それに像とはいえ、この世界の創造神の胸に触れたのだ。無作法だったかも知れない。


「……また来ます」


 穣司は女神像に呟く。

 澄みきったこの部屋には必要ないかも知れないが、次のこの部屋に来る時は、せめてもの詫びに女神像と部屋を掃除しよう。そんな事を考えながら、穣司は像を後にしようとする。


 すると部屋の入口には、いつの間にか現れていたテネブラと、新調した服を纏ったアンジェリカが佇んでいた。

 その二人は神妙な面持ちで、こちらを見ている。哀れみを宿したかのような視線が、穣司の胸に突き刺さった。


  穣司は何故そんな目で見られるのだろうと、疑問に思うがすぐに理由に思い至る。

 ああ確かに。見ようによっては、寂しい男が女神像に話し掛け、あまつさえ胸を触っていたように映るだろう。

 穣司としてもそんな男が、目の前にいたら距離をあける。見てはいけないものを見てしまったと、目を逸らすかも知れないない。それにアンジェリカは若いのだ。仮に思春期を過ぎていたとしても、成人男性のそういった姿を見てしまえば嫌悪感を覚えてしまうかも知れない。

 ただ、自らを父親と慕う少女にも見られていた事には流石に応えた。気まずいにも程がある。


「あ、いや、ち、違うんだよ。これにはちょっとした事情があって」


 穣司はしどろもどろになりながら言う。


「も、申し訳ありません」


 アンジェリカは瞳を伏せ、謝罪の言葉を口にした。

 穣司にはそれが否定の言葉に感じた。告白した相手に、拒否の意味で謝られる感覚に似ている。だが、それも致し方がない。少女の目の前には、女神像の胸に触れる男がいるのだから。


「あ、あのさ、どこから、見てた……?」


 穣司は最後の望みにかける。


「そ、その、ジョージ様が女神様の頬に、触れられたところからです。お楽しみを邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」


 魂が抜け出るような、深いため息を穣司は吐いた。

 殆ど最初から見られていた。しかもお楽しみとも思われている。今更になって、焦りが羞恥心に変わり、込み上げてくる。とんだ変態だと思われてしまったようだ。

 アンジェリカは心から申し訳なさそうにしているように見えるが、それは命の恩人の性癖を盗み見してしまった、気まずさからくるものだろう。そう考えると穣司は力なく項垂れてしまう。


「おとーさん、大丈夫?消えたり、しない?」


 テネブラは穣司に近寄り、心配そうに見上げる。

 幼い少女から握られた手は力強かった。おそらく純粋に心配されているだけだ。アンジェリカとは違い、まだ幼いテネブラには、胸を触る意味が分かっていないのだろう。それがせめてもの救いだった。

 テネブラの言葉通り、消えてしまいたい気持ちになっていたが、どうにか踏み留まる。実際に消える事はないとしても、アンジェリカの視線は、甘んじて受け入れるしかないだろう。


「う、うん。大丈夫だよ。それよりも、もう準備出来たの?」


「もうすぐ出来るはず。だから、おとーさん、行こ?」


 そうして穣司はテネブラに引っ張れらながら、この部屋を後にした。

大袈裟すぎた表現を読みやすいように直しました。

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