第70話の5『泣きおどし姫と人さらい姫』
お客さんたちの声が大きすぎて、もはや俺の耳には何も聞こえなくなっている。空から照らされているライトの中を歩き、ステージの真ん中まで移動する。姫様の方を向いていた方がいいのか、客席側を見ていたらいいのか解らず、とりあえず斜め向きに待機してみた。
姫様が静かに右手を上げると、拍手や歓声が驚くほど弱まった。その後、姫様は俺の後ろへ一歩だけ下がると、やや腰を低くして俺に向けた言葉を述べた。
「勇者様。ワタクシは、この場の皆さまも、世界の平和を強く、切に、望んでおります。そして、我々には、勇者様のご期待を預かる力がございます。どうか、共に歩みを。その証として……」
姫様の懐から小さな箱が取り出され、俺の前で静かに開かれる。その中にはシンプルな銀色の指輪が入っていた。それは今日、姫様が指につけているものと同じ物に見える。
「永遠に千切れない。ほどけぬ心身の約束として、ワタクシの全てを差し上げます。どうか、ここに契りを」
……ここまで言われて、これが友情の証……とは考えられない。客席は固唾をのむように静寂を保っていて、今ならばマイクなしでも俺の声が外まで聞こえるだろう。ゆっくりと、俺は嘘のないセリフを選んで口にする。
「俺……セントリアルの人たちが好きです」
「……」
「でも……魔王は、俺が倒します。姫様のお誘いは、お断りさせていだきます」
語尾を弱めず、はっきりと伝えた。それにともなって客席からは戸惑いの声が低く響いた。みんな、俺や姫様にガッカリしただろう。しかし、これでいいんだ。俺は逃げるようにステージを歩き出す。すると、俺の背中を姫様が掴んだ。
「勇者様……どうして?」
「……!?」
振り返って姫様の顔を見た。その時、俺は驚いて声も出なかった。なぜなら、あの姫様が泣いているなどとは、可能性の一つとしても考えていなかったからである。
「ワタクシの体、実力が、お気に召さない……そのように受け取ります」
「えっと……」
噂には聞いていたが、これが女の子の涙か……マズイ。これは予想していなかった。泣いている女の子の……姫様の手をはらって逃げ出す。それが、今の俺にとって正解だ。だけど……女の子相手に無情になるのは、俺の本質からして難しい。心で解っていても、体が動かない。
「勇者様……」
心臓が止まるかと思う程の緊張の中、涙の奥の瞳に見つめられる。姫様の瞳は宝石にも似てキレイである。迷いを振り切る気持ちで俺が目をつむった。すると、ギギギ……という聞きなれない音が聞こえたと共に、会場全体のライトが消えたのを感じた。暗闇の中で目をひらくと、誰かが俺の体をさらうように持ち上げた。
「……勇者。行こう」
「……あ」
顔は見えないが、すぐ近くでゼロさんの声がする。真っ暗な中、俺は体重を失ったように軽く持ち上げられた。すぐに会場のライトが再点灯し、ステージに残された姫様と、俺をお姫様抱っこして駆けるゼロさんの姿が見えた。
「……ッ!」
姫様は眩しさをおさえ薄目で警戒の視線を見せたが、ゼロさんの顔を見ると一変して目を見開いた。一方、ゼロさんは見たことのない真っ赤なドレスを着ていて、メイクをしているのか横顔も美しく際立っていた。あまりの速さに誰もついてこれず、あっという間に俺を抱えたゼロさんは勇者歓迎祭の会場を脱出した。
「……ゼロさん。なんか……すみません」
俺だけで全て解決するつもりだったのに、結果としてゼロさんに出てきてもらううはめになった。それが申し訳なくて、俺はゼロさんに謝罪の気持ちを表した。
「気にするな。それに……大切な人がとらわれていたら、助け出すのが……」
「……?」
「王子の役目と、いつか本で読んだ……」
俺は姫ポジションなのか……。
第71話へ続く






