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◆静かな午後◆


 清々しく晴れ渡った晴天の午後。

 大きく開いた窓から緩やかな静風が舞い込み、私と圭太郎を静かに撫でた。


「……っ」


 その微かな風の流れに反応したというわけではないのだろうが。

 ボコリと膨らんだ背中の一部が生き物のように蠢き、彼に低い苦痛の呻きを上げさせた。

「痛むの?」

 私は洗濯物を畳んでいた手を止め、慌てて彼の顔を覗き込む。

「……っ、だい、大丈夫」

 もつれた舌でそう答えた彼の返事は、全く大丈夫そうには聞こえない。

「また薬貰ってこないとだね。……圭太郎」

 前は、こうやって二人きりでいる時はいつも、甘えた声で甘ったるい呼び方をしていた。

 圭ちゃん、圭たん、圭たま。人前では絶対出せない、二人の時だけ特別に見せられる素の私だ。

 普段は凛々しい顔つきでキャリアウーマンを気取っている私だから。そのギャップが可笑しいと、彼はいつも嬉しそうに言っていたものだった。

「圭太郎」

 今はゆっくり噛み締めるように、彼の名前をきちんと呼ぶ。

 略したら略した分、彼の時間が縮まってしまうような気がして、堪らなく恐ろしいのだ。

「……ごめ、……迷惑かけ……」

 ナナ、とひどく苦しそうに私の名前を発音し、彼は何度か瞬きを繰り返した後、枕に頭を預けて動かなくなった。

 疲れて眠ってしまったようだ。 彼の睡眠時間が少しずつ増加していることを思い、私は不安に身を震わせる。




《背中が痛い》


 ある時期、そう訴える患者が全国のあらゆる医療機関に殺到した。

 症状は背中の激痛を主に、発熱、嘔吐、恐ろしいほどの倦怠感。

 ほんの数日で爆発的に蔓延した奇病の、原因は全く不明。

 あまりに短期間、あまりに集中的に起こったパニックに、新種のウイルスだの某国の細菌テロだのという出鱈目が、本気であらゆる情報網を駆け巡ったものだった。



 だが、今はとても静かだ。



 テレビから流れてきた情報を信じるならば、今や人口の約三分の二が、この病に冒されてしまったらしい。

 街はガランと寒々しく、悲嘆と絶望に満ちてひどく暗い。



 ……カラカラカラ



 アスファルトを転がる車椅子の車輪の音が軽い。背中ばかり膨らんで、すっかり痩せ細ったガリガリの彼が軽い。

「大丈夫だよ」

 その言葉に、何かの根拠や気休めがあるわけではなかった。

 けれど私は、それでも繰り返し同じ言葉を囁く。

「大丈夫、大丈夫だからね。圭太郎」

 朝の柔らかな陽射しに照らされ、ぐったりと車椅子にもたれた彼の髪が薄茶色に透けている。

 生まれて間もない赤ん坊の髪のようだ。

 私は車道の真ん中で車椅子を止め、屈み込んで彼の瞼にキスした。

 こめかみに添えた指にザラついた髪が絡まり、手を引くと彼の髪はごっそりと抜け落ちた。


「……。大丈夫だよ……」


 街の中心から離れれば離れるほど、辺りの光景は異様なものとなってくる。

 目につくのは、輝くような乳白色ばかり。今や人の胴よりも太く成長した、巨大な蔓植物の絡み合う姿ばかりだ。

 太古の地球を彷彿させるような光景を見ながら、ふと思い出す。


『これは地球そのものによる浄化作用なのだ。我々人間こそ、害あるものとして駆除されようとしている』


 まだ、事態がここまで悪化していなかった頃のことだ。

 とある番組の生放送中のスタジオで、そう言って泣き崩れた学者がいた。

 蔓植物についての見解、地球の今後などについて議論していた場で、持論を語るうちに感極まってしまったようだった。

 その頃はまだ、それでも事態を軽く見ていた者も多かった。


 メインキャスターが半ば呆れたような笑いを浮かべ、不適切な発言があったなどと詫びていたくらいだ。


 今思えば、彼の言葉の何が不適切だったものか。

 奇病の突然の蔓延と共に、人々はようやく目を覚まし、理解したのだ。

 我々人間が、淘汰されつつあるという事実を。



 好き勝手に繁栄し続けて来た人間を、もはやこの惑星は必要としていない。

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