お嬢様は恋する乙女
「朝ですよ、起きてください」
この部屋のカーテンは厚い。
お陰で、日が昇っただけでのはこの部屋はちっとも明るくならないのだ。
この厚くて重いカーテンを引き開けるのが、私の朝一番の仕事だ。
「ん…」
寝返りをうって、眩しそうに薄目をあけたお嬢様は、けれどすぐにドアの方へ頭を向ける。
「ほら、お嬢様」
「まだ、眠い…わ」
けだるげなお嬢様に、私は肩を竦めた。
それはそうだ。
なにせ三時間も眠ってはいない。
「私は構いませんが、今日は決戦なのでは?」
「ん…?」
「早起きして、ロールスロット家にお寄りになると、昨晩お聞きしたのですが?」
「!」
一瞬の後、まるで発条仕掛けのように飛び起きたお嬢様が私の襟を掴む。
「今何時!?」
「まだ余裕がありますよ。大丈夫です」
「私、服も髪型も決めてないわ!」
うろたえるお嬢様を宥めるように肩を叩いて、私は小さく笑う。
これが、名門グランツフォルト学園で生徒会長も務める少女だとは誰も想像できないだろう。
学校でのお嬢様は、眉目秀麗才色兼備で落ち着いた気品を纏わせている。
それが、想い人であるカール・ロールスロットが絡むと総崩れだ。
どこからどう見ても、その辺りの恋する乙女と大差ない。
誕生日プレゼントに手作りお菓子というのも良家の令嬢としては珍しいのではないだろうか。
そんなわけで一か月近い練習期間を経たにもかかわらず、前日の真夜中までかかって仕上げられたプレゼントが、綺麗にラッピングされて机の上におかれている。
可愛らしいラッピングは、お嬢様が比較検討に比較検討を重ねて選ばれたものであるが、それに気を取られすぎて、お嬢様はお嬢様自身の装飾については全く気が回っていなかった。
それを指摘することもできたのだけれど、すでにいっぱいいっぱいのお嬢様にこれ以上上乗せするのも憚られて結局言えなかった。
「大丈夫です。僭越ながら、用意させていただきました」
本当ならば、衣装も新調して髪型も美容師に、というのがこういうお家柄では鉄板なのかもしれないが、パーティというわけでもなく、朝からそんなにかっちりとしていては、付け入る隙というものがない。
隙がなければ、恋愛というのはうまく成り立たないものだ。
そんなわけで、これ幸いと私は用意した服と簡単な装飾をお嬢様に差し出した。
「学校に行く前ですから、あまり華美なものは良くないでしょう。月末に改めてパーティがあるわけですから、新しい衣装を発注するのでしたらそちらが良いと思います。本日は、お嬢様が自分で準備をした、と思われるくらいのナチュラルなメイクや髪型に、少しのお洒落くらいがいいと思います」
「…それは、メイドを呼ばないってことかしら?」
お嬢様は普段、お化粧も髪型もメイド任せだ。
それはお嬢様がお洒落にほとんど興味がないからである。
メイドたちは造りの良いお嬢様を着飾らせるのが好きだが、流石に私としては朝の忙しい時間に、彼女たちをこれ以上早起きさせて仕事を増やすのも控えたい。
この時間、彼女達は朝食の準備や屋敷の整備に奔走しているのだ。
事前に話をつけてあれば別だが、そうでなければちょっと、申し訳なさすぎる。
「そういうことです」
「私、お化粧なんてできないわよ」
「これから練習しましょう。今日は、私がトータルコーディネートさせていただくということで」
「え?」
「ほら、早く着替えてください。化粧とヘアセットしないといけませんから」
ハテナの飛んでいるお嬢様を急かして、私は温めておいたコテとブラシを鏡台に用意した。
私がお嬢様の話し相手としてこの家に来たのは、三年前になる。
私の叔父が、お嬢様の叔母に当たる人と結婚したことが切っ掛けだ。
お嬢様のお父様からのお誘いを受けて、私はこの家の住み込みになった。
もともと我が家は兄弟が多かったこともあって、住み込みの仕事というものは願ってもない話だった。
お嬢様というのが、どういう人か心配ではあったのだけれど。
「はい、できましたよ」
ヘアセットとメイクを終えて、私はお嬢様に鏡を渡した。
注文の多い妹たちを相手に散々披露した腕だが、お嬢様相手は初めてだ。
お気に召さなければ仕方ないが、メイドに頭を下げるしかない。
鏡を見て固まってしまったお嬢様に、私はこっそりとため息をついた。
時計を見上げて出発時間から逆算していると、不意に立ち上がったお嬢様が私の襟を掴んだ。
「リザ!」
「すみません。今、メイドたちにお願いを」
「凄いわ!」
「はい?」
予想外の言葉にきょとんとすると、お嬢様は瞳をきらきらと輝かせる。
「なにこれ、凄いわ。私、女の子みたい!」
「え、お嬢様はいつも女の子だと思いますが」
「違うわ! いつもは、こう、なんていうか、固いのよ!」
「はあ」
「がちがちの、飴細工みたいな感じ? でも、あなたのは、ふわふわの砂糖菓子っていうか、マシュマロとか生クリームとか」
「…やり直さなくて良い、ということですか?」
「どうしてやり直すのよ。勿体ないわ!」
取り敢えず、気に入ってくれたらしい。
それは何よりだ。
「では、少し早いですが、行きますか?」
「え、えぇ」
大きく息を吸って、プレゼントを取り上げるお嬢様の横顔はどこからどうみても、恋する乙女だった。
ロールスロット家の前には、すでに一台の車が止まっていた。
車の外に立つのは、見覚えのあるカールの運転手だ。
「おはようございます。ステファンさん」
「ん? よう、リズじゃねぇか。早いな」
片手をあげたステファンに、私はにこりと笑って見せる。
「今日が何の日かお忘れですか?」
「今日?」
「そうですよ」
私が、角に止めた車を示すと、ステファンはそれを悟ったようで肩を竦めて頷いた。
「なるほど、それでか」
「はい?」
「お前が俺の仕事予定なんか聞いてくるから、勘違いしちまうだろ」
そういえば、お嬢様に頼まれてひと月前に彼の予定を聞いたのだった。
勿論、いつプレゼントを渡すか検討するために。
「それは、失礼しました。それで、カール様は?」
「もうすぐ出てくる」
それと同時に玄関先から聞こえてきた声に、私は慌てて車に戻って扉を開ける。
「お嬢様、まもなく…」
「わ、わかってるわ」
膝の上の小箱を見つめたままのお嬢様に、私は思いついて鞄を漁る。
「お嬢様、失礼します」
「ひゃあっ!? な、なんですの!?」
「おまじないです」
お嬢様の耳の後ろに香水を吹きかけて、私はにこりと笑って見せる。
「この、香水をつけると、恋が上手くいくそうです」
「本当?」
「さあ。試してみてください」
「…解ったわよ」
まるでぎくしゃくと音がするように歩くお嬢様に、ステファンが驚いたように目を見張った。
「おやおや、キャサリン様。随分と今日は雰囲気が違いますね」
「あ、あら、ステファン。久しぶりね」
「大変可愛らしいですね」
「あ、ありがとう」
なおも何か言いかけようとするステファンの袖を引いて、私は少しお嬢様から距離をとる。
「ちょ、」
「黙ってください。主役はあなたではなく、カール様ですから」
「お前さ、俺に対する扱いひどくない?」
「酷くありません。私が仕えているのは、オーギュスト家であり、お嬢様ですから」
「あれ、キャシー?」
「お、おはようございます。カール様」
こそこそと言葉を交わしている間に、車へとやってきたカールがお嬢様に気づく。
「おはよう。こんなに朝早くからどうしたの?」
「あの、えっと」
頑張れお嬢様!とひそかに応援していると、意を決したお嬢様が隠していた小箱をカールに差し出した。
「お、お誕生日おめでとうございます」
「え、僕に?」
「は、はい」
何とか上手くいきそうなことを悟って、私はステファンを車の影まで引っ張った。
これ以上聞いてしまっては申し訳ない。
「なんだよ」
「立ち聞きなんて無粋です」
「あのな、これは立ち聞きじゃないだろうが」
「そうですか?」
「そうだろ。俺たちがいるのを解った上で会話してるんだから問題ないだろ」
「ちなみに、カール様は現在恋人はいらっしゃるのですか?」
「…お前、全く人の話聞いてねぇだろ」
呆れたようなステファンの言葉を聞き流していると、諦めたらしい彼は大きくため息をついた。
「今はいないんじゃねぇの」
「そうですか」
「聞いといてなんでそんな興味なさそうなんだよ」
「私は、お嬢様が悪い男に引っかからなければそれでいいですし」
「それは暗に、どういう男か聞いてるのか?」
「ええまあ。女遊びが酷いとか、お嬢様を利用しようとか思ってるとか」
「それはないだろ。あの人奥手だしなぁ」
「そうですか」
「そうだよ。さて、そろそろ行かねぇとなんだけど」
「そうですね。行きますか」
立ち上がった私の目に入ったのは、真っ赤になったお嬢様とそれを見てにこにこと笑うカール。
「本当に、奥手ですか?」
「…多分な」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ステファンの運転する車で出かけて行ったカールを見送ると、お嬢様が緊張の糸が切れたように私の腕を掴んだ。
「あの、」
「来て!」
ずんずんと止めてあった車に戻って、お嬢様は私を後部座席に引っ張り込む。
「あの、私は運転を」
「…い」
「はい?」
「さっきの香水!」
「あ、はい」
鞄の中からアトマイザーを取り出すと、お嬢様は途端に不満そうな顔をした。
「会社名も何も書いてないわ」
「名前を知りたいんですか?」
「欲しいのよ! 悪い!?」
ふいっとそっぽを向いたお嬢様に、私はくすりと笑う。
「それ、差し上げますよ。会社名は妹に聞いておきます」
「そうして」
ぎゅっとアトマイザーを握りしめたお嬢様に、私は思いついて聞いてみた。
「おまじないの効果、ありました?」
「あったわ」
うっすらと頬を染めたお嬢様の横顔はやっぱり恋する乙女だった。
そらみみプロジェクト その6