嘘
大輔は駅前にある本屋に向かっていた。四才になる息子の智樹に絵本を買ってやる為だ。
仕事帰りに買ってきてやる約束をしていたのにすっかり忘れてしまっていた。
家に帰ると智樹が笑顔で駆け寄ってきて「おかえり」も言わずに「ほんは? ほんは?」とねだってきた。
大輔が正直に「あ! ごめん。忘れちゃった……」と言うと智樹はフッと表情を変え、すぐに泣き出した。
泣き声を聞いてやってきた妻の陽子も一緒になって「明日買ってきてやるから」と説得してみたものの泣き止まないので、少し前まで乗っていた自転車に再度またがり、本屋に向かっているのだった。
「うそつき!」とまで言われてしまったのだから仕方がない。親は子どもの見本にならなくてはならないのだ。
駅前にある本屋は大輔が子どもの頃からある本屋だ。外装は古びていたが、ここらでは唯一の本屋なので客は入っていた。しかし大輔は本をあまり読まないのでこの本屋に入るのは小学生の時ぶり。もともと約束していた絵本は職場の近くにある本屋で買うつもりだったのだ。
本屋に着くと閉店間際だったようでシャッターが半分降りていた。店内に体を滑り込ませるように入り「すいません、まだやってますか?」と大輔が話しかけると、レジにいた男性店員は何かを書いていたようで、顔を上げずに「大丈夫ですよ」と言った。
適当な絵本を選び、レジへ持ってゆく。
「いらっしゃいませ」店員が顔を上げた。
大輔はその店員の顔に見覚えがあった。黒髪のショートヘアに黒縁のメガネ、優しげな目。白いシャツを着ていてその上に紺色のエプロンを着ていた。
「えっ、聡?」
「へっ?」
店員はキョトンとした。
「俺だよ。大輔。中学の時同じクラスだった」
「あぁ! 久しぶりだなぁ」
大輔は聡の見た目が十二年前からちっとも変わっていなかった事に驚いた。見た目だけでなく声もほとんど声変わりのしていない、少年のような声だった。
大輔と聡は中学三年生の時に同じクラスだった。大輔はテスト前になると頭の良い聡に勉強を教えてもらったり、ノートを貸してもらったりしていたのだ。
「あぁ。卒業以来だから、えーっと……十二年ぶりか。あんときゃ勉強教えてもらったりして。感謝してるよ」
「いやいや。あれは自分の復習にもなったしさ」
聡は絵本をレジに通し「もう結婚して子どもいるの?」と聞いた。
「うん。四才になるんだ。奥さんは聡も知ってる人だよ。田中陽子。中学の時同じクラスだった」
「えぇ! ほんとに! 付き合ってるらしいって噂はホントだったんだぁ」
陽子は当時、クラスのマドンナ的存在だった。付き合っていたことは内緒にしていたが、噂は広まっていたようだ。
「うん」
大輔は照れ臭そうに笑った。
「そっかぁ。ってことは中学の時から付き合っててそのまま結婚したってことかぁ。すごいなぁ。今だから言えるけど僕、田中さんの事好きだったんだよね。嫉妬しちゃうな」
聡が笑顔で言う。大輔は驚いた。当時聡がそんな素振りを見せたことは一度も無かったからだ。
「あはっ、嘘だよ」
聡は子どものような笑顔を見せた。
大輔はホッとしたように笑い「なんだぁ」と言って「聡は今なにしてんの? 就職は?」と続けた。
ビニールの袋に本を入れようとしていた聡の手がピタリと止まった。首がグルリと動き、さっきまでの優しい目からはまるで想像も出来ないような冷たい目で大輔の目を見据えた。大輔は聡のそんな目を見たことが無かった。
「今なにしてるか、だって? 見ての通り、本屋でバイトさ。普通に就職した奴がこんなとこでバイトしてると思うのか?」
声色も低く、脅すような声だった。
「就活に失敗したんだよ。百社近く受けたけどね、全部だめだった。だからこうして恥ずかしながらフリーターやってるってわけさ」
聡に見つめられたままの大輔は何も言うことが出来なかった。蛇に睨まれた蛙のように、動くことも出来なかった。
しかし聡はすぐに表情を崩して「嘘嘘。嘘だよ」と言った。袋に本を入れ、大輔の前に差し出す。
「フリーターも結構楽しくてね。趣味に専念できるし、気楽だし。好きな時に休めるしね」
大輔は自分でも引きつった笑顔をしているのが分かった。財布から絵本の代金を出し、キャッシュトレイに置く。
聡は代金を受け取り、レジを操作しながら「まぁ自殺する勇気も無いから死ぬのを待ってる様なもんだけどね」と言った。
レシートとお釣りを大輔に差し出し「嘘だよぉー。冗談」と言う。笑顔だが、目は笑っていない。
大輔はそれを受け取る。すぐにその場を離れたい気持ちだった。
突如、聡がレジ台に勢い良く両手を付いた。バンッという音が静かな店内に響き渡る。
「愛する妻と子どもがいて、さぞ幸せだろうね。昔っから君はそうだった。ろくに努力もしなくたって運動もできるし、テスト前に僕が要点を教えれば勉強だってできた。背も高くって、顔もいい。いつも君の周りには人がいた。当時から妬ましかったよ。その様子を見ると就職もできたようだね。君はさ。“自分は誰からも必要とされていない”って感じたこと、あるかい?」
聡はふふっ、と笑って「嘘だよ」と続けた。
「さぁ、僕は今までいくつ嘘を付いたでしょう」
聡の呪うような目が、大輔の目を捉えて離さない。
「嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ーー」
大輔が感じていたのは間違いなく恐怖だった。今目の前にしている聡は大輔の知っていた優しい聡では無かった。いや、中学の頃から聡はずっとこうだったのだろうか。
「死ね」
「嘘」