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アンに結ってもらった髪のまま、ロティは帰宅した。手には他にもお土産をたくさん。ただ、帰路を歩くロティの足取りは少しぎこちなかった。

「おかえりなさい、ロティちゃん。おや、どうしたんだい。随分と可愛らしいねえ」

 玄関口を箒で掃いていた祖父が、帰って来たロティを見てそうほほ笑んだ。

「か、可愛いですか?」

「ええ、とっても。お嬢様にしてもらったのかい?」

 目じりに皺をつくって優しく笑いながら、シャルルはロティの頭を大きな手で撫でてくれた。

「はい、そうです。似合ってますか?」

「うん、とってもよく似合っているよ。さすがはお嬢様だね」

「はい、そうですよね…」

 シャルルが頭を撫でて褒めてくれるのはとても嬉しかったが、何かが心にひっかかってその嬉しさを上手に飲み込むことができなかった。

「…どうかしたのかい?元気がないね」

「…ええと、アン様にひとつお仕事を頼まれたんです」

「嫌な仕事なのかい?」

「まさか…アン様は私の嫌がること、しないです…でも…」

 アンはシリルに対して、取引相手として冷静に接しなくてはならないと言っていた。そしてシリルの求めたものとして、ロティを紹介すると言うのだ。リボンはその代わりに貰ったようなもので、それはロティもアンに対して“そのように”接しなくてはならないという事なのだろうか。アンの友人ではなく、商売の相手として。今までは仕事を頼まれても後で報酬を渡されていたが、今回は先にこのリボンを貰ってしまった。ただのお礼だと言っていたが、ロティは素直にそう受け止める事ができなかった。

 そう相談すると、シャルルは優しく目を眇めてロティを見つめた。

「なるほど。ロティちゃんはお嬢様に少し距離を感じてしまったのだね」

「距離、ですか…?」

「今までロティちゃんはお仕事の報酬より何より、お嬢様が好きだからお仕事を受けていたのでしょう?」

 そう問われてロティは確かにそうだと頷いた。アンの頼みであれば多少無茶だと思っても、これまで頑張ってきた。

「なのにお嬢様は先にロティちゃんに報酬を与えてお願いをしてきた。しかも“取引”だと断っておいて…そういう事だね」

「…そう、そうです」

 シャルルに冷静に話を整理されて、そういう事だとロティは思った。ロティはアンの事を友人だと思っていたが、その関係には“仕事”と“報酬”がある商売で取引なのだ。

 そう考えると、途端にロティの心は薄暗い靄に包まれるようであった。そうなってしまうと、顔をあげる事すら難しい。

「お嬢様は立派で真面目な商人さんだ。ロティちゃんとの関係もしっかりとしていたいのかもしれません」

「はい…私が甘えてたのかもしれないです…」

 友人だからと気軽に接しすぎていたのかもしれない。いつでも真剣なつもりだったが、アンの態度に動揺してしまうという事は、甘かったのかもしれない。

「そんなに暗くならなくても大丈夫だよ」

 言いながらシャルルはロティの頭にやさしく手を置いて、慰めてくれた。

「良いですか、ロティちゃん。立派な商人さんであればあるほど、本音と建前は上手に使い分けるものです」

「本音と建前…?」

「そう。お嬢様は、ロティちゃんを信頼のできる取引相手として紹介したいのかもしれないよ」

「信頼できる…」

 ロティがようやく顔をあげると、優しいシャルルの笑みが目に入った。

「少なくとも、信頼しているからこそ、ロティちゃんを頼っているには違いないからね」

「でも、それは私が他の人に無い力を持っているから…」

「それは関係しているかもしれないね。だけど、ロティちゃんだからこそ、その力を有効に使って貰えると、そう信頼していると思うよ」

「おじいさん…」

 シャルルの言葉は魔法のようだとロティは思った。いつも、いつでもロティの心の闇を払ってくれる。暖かい手のひらはいつでも安らぎを与えてくれる。

「君がいつもの君である事を、お嬢様は望んでいると思うよ。だからこそ、取引の相棒にロティちゃんを選んだのだろうからね。…そうすればお嬢様を助けてあげる事ができるはずだよ」

「アン様を助ける…ですか?」

 うん、とシャルルは短く返事した。

「本音と建前っていうのは結構、複雑に絡み合っているからね。そしてそれは商人だけじゃなくとも、誰だって持っているものだからね」

「おじいさんも、ですか?」

 大好きな祖父が持つ本音と建前とはどういうものなのだろうか。ロティの問いに、シャルルは穏やかなほほ笑みを返すのみであった。自分と同じように、祖父も自分の事を想っていてくれたらうれしいのにと、ロティはそっと思った。

翌日、アンとルイと共に、ロティは馬車で公爵子息の元へと向かった。

 普段ならば近づきもしない王城へ至る大通り周辺の通称貴族街。その始まりとなる入口には、王都を分断するように、横に大きく広がった二階建ての建物…騎士城が構えていた。王城の出先機関のような建物で、庶民の陳情や事件などは此処で主に処理されている。騎士の駐屯所にもなっていて、そこは間違いなくあらゆるものの貴族街への侵入を防ぐ堅牢な門だった。祭なんかも此処を中心に開催されることが多く、実際に王城を目にした事は街で生まれ育ったロティですら無い。

 祭が開催される広場を通り抜け、門の中に入ると、中は大きな石畳の廊下がずっと奥まで続いていた。所々に騎士城内部へ繋がる廊下や扉があったが、目も呉れずに馬車は石畳の廊下を駆けて行く。馬車に乗る事自体希少だったが、さらに屋根の下を走るのは初めてで、緊張も相俟ってロティの心臓はずっと高鳴りっぱなしだった。少し窓の外をのぞいてみると、馬に乗った騎士らが整然と通り過ぎていく。その横を煌びやかな衣服をまとった貴婦人が通り過ぎていくのを見て、ロティは別世界に来た事を思い知らされた。

 お守り代わりにと、アンがしてくれた髪型、呉れたリボンを結んで来たし、服も家の中で一番高価で綺麗なものを手入れしてきた。しかしそれでもこの城の雰囲気とは合っておらず、気恥ずかしさを感じた。目の前に座るアンを見れば、いつものようにお洒落で綺麗なドレスを纏っている。アンは帽子が好きで、たくさんの細かい細工がついたレースの帽子を被っていた。窓の外を見るアンの横側にチラチラと光がさして、

 騎士城の長い廊下の出口には同じように立派な門があり、アンは門番に何かを伝えたようだった。此処から先に行くことができるのは限られた人のみである。当然ロティも足を踏み入れたことは無い。しばらく待っていると、再び馬車が動き始めた。

「此処が…」

 思わず呟いた。門の外には輝くばかりに白い石壁で出来た街だった。

 道も此処までの行程とは違い、なめらかに舗装されていて馬車の音が急に静かになった。太陽の光を反射してキラキラと輝く大きな石壁がずっと続き、切れた合間から時折屋敷が見えた。どの家の門も荘厳で凝った意匠であり、屋敷は巨大で個性に富んでいる。緑の庭に覆われた屋敷も色とりどりの花々が美しく咲き乱れていた。此処が本当に、自分が今まで住んでいた灰色の石壁の街と繋がっているのだろうかと、ロティは思った。

 身を乗り出して外を見ると、大通りのずっと奥に、建物の頭が見えた。


「あれが王城よ」

「あれが…」

 と、言っても大きさはよくわからない。しかしまだ随分と距離はありそうなのに、姿はよく見えた。遠くに見える薄水色の屋根達がまるで建物のドレスのようだとロティは思った。

 大通りの奥に進む程、異世界感は強くなり、ロティの緊張も高まった。人通りもいっきに少なくなり、たまにすれ違うのは立派な黒い馬車ばかりだ。王城もどんどんと近くなっていて、その巨大さがわかる程までに迫っていた。此処に至るまでの屋敷も充分見たことのない大きさだったが、王城は比べるのも憚られる程だ。

 ロティが感じたこの別世界にきた感覚は、アンが貴族の娘たちに感じたものと似ているのかもしれないと少し思った。

「着いたわよ」

 馬車が停車したので降りると、真っ白い石畳と緑の庭園が広がる屋敷が目の前にあった。赤や白の薔薇がそれぞれ美しく咲き乱れた庭園で、緑の絨毯と白い石の道が芸術作品のように映しく対立している。ロティはまずその広さに驚き、白い道が続く先にある赤茶色の屋敷に驚いた。他と比べてそれほど大きいというわけではなかったが、それでも充分な大きさの“屋敷”である。アンの家の屋敷ぐらいの大きさだとロティは思った。そういえばアンの家の庭園にも薔薇が咲いていた。いくつかの細い柱と屋根は白で、壁は赤茶色という不思議な色の家であった。一階部分にはロティの背丈以上もある大きな窓が整然と並んでいて中の様子を少しだけ見ることができた。しかしそこには何も無いのではないかと言う程、さっぱりとした光景があるのみだ。

「此処が公爵様のお家ですか?」

「この屋敷はシリル様のお屋敷よ。ここ一帯はすべて公爵家の敷地なの。公爵様やクリ流様の兄君様方は此処よりもっと東にそれぞれ居を構えていらっしゃるそうよ」

「え、じゃあこんな場所に一人で暮らしてるんですか、シリル様は…?」

「そうらしいわね」

 さすが貴族ね、とアンはほほ笑んだ。破格すぎてロティには想像もつかないような世界だ。

「家族と離れて暮らして、寂しくないんですかね…?」

 ロティが感心しながらぽつりと呟いた。

「私たちにとってはこれが普通なのです」

 突然響いた声にロティは肩を震わせて驚いた。思わず声の方を振り向くと、扉の前にやさしく微笑む男性が立っていた。

「シリル様。今日はお招き頂き、ありがとうございます」

「アンリエットさん、こちらこそ来てくれて有難うございます」

 優雅に挨拶しあう二人を、ロティはただぼーっと見つめていた。

 この男性がシリル・サン・ピエール…宝石と讃えられる絶世の美男。まさに噂に違わぬ美青年であった。ゆるく波打つ金髪はノアのそれとは違ってとてもサラサラとしていて行儀の良いように見える。少し目じりの垂れた大きな綺麗な瞳はキラキラと輝き、白い肌に薄桃色の唇が柔らかな笑みを湛えている。長い指先の爪までも光に照らされているし、肌は触れば絹のように滑らかなのだろうと思わせるほど端正だ。少し高めの凛とした声色は耳心地が良い。薔薇の刺繍がされた荘厳なマントを羽織っていて、その下に着た生成りのブラウスと美しい対を成しているようだ。

 これはアンが一目惚れしても仕方が無い…ロティも一瞬で心を奪われそうになった。ずっと見ていたいような、頭の芯が甘く揺らされるような感覚だ。

「はじめまして、シリル・サン・ピエールです」

「あ、は、はじ…はじめまして…し、写本屋の…ロティ、です」

 いつの間にか眼前にまで来ていたシリルに、一気に緊張感が最高に達して、うまく言葉が紡げない。相手は貴族のお坊ちゃま。失礼の無いように…どう言えばいいのかわからなかった。ロティの返事に、シリルは一瞬目を丸くした。

「ロティさんですね。今日はわざわざ屋敷にまで来て頂き、有難うございます」

 しかしすぐに穏やかな笑みの表情に戻ってそう、言った。

 まるで乙女が心に思い描く絵本の“王子様”そのものだ。ロティはそう思って、そのあまりの現実感のなさに、ふわりと足元が揺れたような気がした。


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