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話し足りない人は、シャルル以外にもまだいた。

 禁書の事を雄弁に語る姿や、推理をしてみる様子は、ロティの知っているノアでは無かった。声や口調は彼そのものなのに、中身は別人だったのではないかと疑っている程だ。

 ロティは、貸本屋で相変わらず眠りこけているノアを凝視した。

「やっぱりこの帽子に秘密が…」

 屈んで脇からノアの腰を覗いてみると、やはり帽子が腰に吊られていた。ノアはこれが禁書なのだと言っていた。禁書が本の形をしているとは限らないと、これまでの事で理解しているが、紙とインクから出来ているものだとは到底思えない。そして此処に、彼の秘密があるのだろうか。

「何をやっているのですか、ロティ」

「ノア!」

 いつの間にか目を覚ましたノアが、ロティの顔を覗きこんでいた。その顔の近さに驚いて、ロティは思わず立ち上がって逃げた。

「そんなに驚かなくても」

「だ、だって…」

 鼓動がばくばくとうるさい音を鳴らし続けている。驚いたせいだろうか。ノアはそんなロティの気など知らず、のんきに欠伸をした。その呑気な顔を見て、ロティも落ち着こうと深呼吸をした。まずは報告からだ。

「そういえば、シリル様は王女様に馬車引きさんが言ってた事を全て伝えたそうですよ。王女様は、納得してくださったらしくて、気丈に“悪い男にかからなくて良かった”って言ってたそうです」

「そうですか」

 ノアは少しだけ寂しそうに笑っていた。ロティも、王女様の恋心が踏みにじられた事が悲しかった。

「後悔していますか?ロティ」

 ノアが伺うような視線で、そう言った。ロティが手紙で読んだ事が、事実になってしまった事は、確かに悲しかった。それでもロティは首を横に振った。

「いいえ…やっぱり、嘘ついたままの恋は悲しいです」

 それはきっと、近いようで最も遠い距離なのだから。ノアは、そうですね、と言って微笑んだ。

 その顔を見て、ロティも自分に嘘を吐いて聞かなかったフリはできないと、腹を括った。

「そ、それから…その帽子が禁書って…本当ですか?」

 気になっていた事を恐る恐る聞くと、ノアは、もちろん、と頷いた。

「本当に禁書ですよ」

「ノアは…その帽子があったから、禁書の事を知っていたんですか?」

「ええ、そうです」

 言いながら、ノアは腰に吊った帽子を吐く絵の上に置いてみせた。

「ロティには言った事ありますよね。昔、探偵小説を読んで、その探偵に憧れて、探偵になろうと思ったって」

「はい、何回か聞いた事があります」

「その探偵小説がこれですよ」

 ノアがにっこりと笑いながら、キャスケットを指差した。

「…え?こ、これが探偵小説…?」

「ええ、元々は本の形をしていました。内容も普通の探偵小説です。ですが、これを読み終わった後、僕も探偵になりたいと思いました。すると突然、本が帽子の形に変ったのです。当時は僕もびっくりしましたよ」

 その帽子が禁書の事を色々と教えてくれたのだと、ノアは言った。帽子を被っていると、頭の中に直接情報が流れてくるような感覚がするらしい。

「更にこの帽子の力はそれだけではありませんでした。この帽子を被っていると、探偵として必要な知識だったり、知恵だったりが、すらすらと思いつくのですよね」

「知らない情報でもですか?」

「そんな予言みたいな力は無いですよ」

 と、ノアは笑った。ノアが知っている範囲の知識や知恵が、出易くなるのだと語った。

「じゃあ…ノアが別人みたいにキリッとしていたのは、本の力じゃないって事ですか…?」

 ノアに探偵が乗り移って、ノアの代わりに推理している。そんな感じの力を想像していたロティだったが、そこまでの力は無いらしい。しかし、ノアは少し困ったように笑った。

「無い…と、思います」

「と、思う?」

 ノアは何も言わず、帽子を手で持って、隅々まで眺め見ていた。

「ノア…?」

 何も言わないノアに少し気まずくなって、ロティは話題を探した。

「あ、そういえば。ひとつ気になってた事があるんです」

「なんですか?」

 ようやくノアが顔をあげた事にほっとして、ロティは言葉を続けた。

「禁書の絵本が発動されて、そのうえ呪いが発動されたから、ロロは絵本に戻れなくなったんですよね?でも、そしたら私が出会ったあの女の子も出てこれないか…あるいは戻れなくなってたと思うんです」

 絵本の事を調べるきっかけとなった、あの女の子。ロティの目の前に突然現れて、いなくなった。ロティの問いに、ノアは軽く帽子を被ってから、ああ、と呟いた。その瞬間、目がきらりと光る。

「ロティ、その時、本を手にしていたのではないですか?」

「え?」

 そういえば…どうだったろう。いかんせん、その後の衝撃が大きすぎて、その前どうだったかは覚えていない。本を手にしていたような気もする。

「だったら、それはロティの力の方が発動していたのですよ」

「つまり…本を“読む”力ですか?」

「そうです。その絵本の女の子の声を、ロティは聞いたのですよ。女の子が余程必死だったのか、本を読む事のできるロティの力に縋ったのでしょう」

「そう…なんでしょうか…」

 そういえば、あの禁書の絵本を読んだ時、普通の本を読んだ時とはまったく違う反応だった。禁書の力と惹かれあって、能力が発動したのだろうか。ロティがそれを夢だと思ったのも、そのせいなのかもしれない。納得してノアを見ると、既に帽子を脱いでくるくると手でまわしていた。その目はいつものように、気力が薄い。やはり別人のように思える。

「そういえば、僕もあの後考えたのですけどね。あのイヴさんという修道士、死の呪いは本当はかけてないのじゃないかって思ったのです」

「え!?」

 突然話題を変えられたが、そんな事よりも気になる事をノアが言った。

「まあ、胡散臭くはありましたけど、仮にも聖職者ですからね。“死”の呪いというのは脅しじゃないかなと思ったのです。資産家は随分と高齢でしたし、突然死んだとしてもおかしくはありません。偶然そうなっただけとも考えられます…推測ですけどね」

「確かに…イヴさんはそんな事をする人じゃないと思います…」

 あんなに純粋に、本を愛していただけなのだから。しかしノアは、苦笑いした。

「それは…どうでしょうね。呪い自体は本物だったようですし…」

「傭兵達の不幸の呪いですか…?それもたまたまって事は…?」

「あるかもしれませんけど、実際に禁書には呪いが上書きされていましたし。タダで盗人を逃すとは思えませんし…。しかも僕達を暗闇の間に閉ざしたのも事実ですし」

「………確かに」

 本を純粋に愛するがゆえ、恐ろしすぎる。それは否定できない。

「しかし人の生死に直接関わるような術を、軽い上書き程度で施せるとは思えないのですよね」

「やっぱり難しいんですか?」

「僕は禁書作家ではないので、詳しい事はわからないのですけど。それが出来たなら、本を盗んだ時点で盗人を殺す事もできたのではないかと思うのです。それが出来なかったから、イヴさんは“不幸の呪い”という程度の術に留めたのではないかと」

「なるほど…」

 “イヴ”という人物は、予想以上に測り難い人なのかもしれない。見た目は綺麗な少年だったのだが、本当の年齢すらわからない。もしかすると、今回ロティ達が許されたのはたまたま運が良かっただけなのだろうか。そう考えると、今更ながらぞっする。

「本当に、人はみかけによらないんですね…」

「そうですね。あのシリル様も随分二面性があるようですし」

 アンだって、恋する顔は普段と違ってとても可愛らしいものだった。

「人は相手にする人との関係によって、その態度や性格が変わるものです。それぞれ被る仮面があるという事ですね」

「仮面…」

 言われてみれば、ロティもロロに話しかける口調と、他の人に話しかける口調は違う。アンの家に行けば緊張するし、貸資本屋では気が抜ける。それは、それぞれの関係と、距離感があるからだ。

「人によっては、それはなりたい自分であるかもしれないですね」

 ノアが目を伏せ、再び帽子に視線を落とした。

「僕も、本当はあんな怖い傭兵や修道士に立ち向かうだけの根性なんて、無いですよ」

「確かに、いつものノアからは想像もつきませんでした」

 都合が悪くなったら誤魔化したり、寝たりする事が多いノア。ロティが肯定すると、ノアは空笑いした。

「だけど、この帽子を被ると何故か、そういう想いは無くなるのです。真実に向かわなければと、そう思えるようになるのです」

「帽子の…力ですか?」

 ロティが問うと、ノアがにこりと笑った。

「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません」

「どっちですか」

「僕にもわからないです」

「じゃあ、憧れの本が側にあるから、ノアは頑張れるって事ですか?」

 ずっとノアが憧れ続ける“探偵”が側にいるから。そう思ってロティが首を傾げると、何故かノアは目を丸くして瞬かせた。

「…なるほど。それは考えた事がなかったです」

「え?」

 ノアの言葉の意味がわからずにロティが眉を潜めると、ノアは嬉しそうに笑ってロティの髪を撫でた。

「ロティ。君は何かの“中身”を引っ張り出すのが上手ですね。禁書の事も王女の事も、君がいなくては何もできませんでした」

「そ、そんなの…私が凄いんじゃなくて、能力のお陰でしょう?」

 禁書の力かもしれないという、ロティの“書物を読み取る”能力。みんな、結局それが目当てで、そしてロティにはそれ以外何も無い。我ながら情けないと、ロティは少しむくれて俯いた。

「ロティ」

「ひゃあっ」

 と、突然、両頬を軽く抓られた。そのまま、強制的に顔を上に向かされて、楽しそうにほほ笑むノアと目が合う。

「でも、能力を連れてきてくれたのは君ですよ」

「そ、そんな人みたいな…」

 頬をがっしりと固定されて、ノアから視線を外す事ができない。ノアの蒼い目が近づいて、ロティは仰け反りたくなったが、逃げられない。

「そーんな事を言うお口はふさいじゃいますよ」

「!?ひゃあっ」

 言いながら目を閉じて唇を近付けたノアに驚いて、ロティは思いっきり、あらん限りの力を以て彼を突き飛ばした。

 派手な音を立てながら、ノアは椅子ごと床に頭をぶつけた。

「ぐえっ」

「性質の悪い酔っ払いみたいな真似は止めてくださいッ」

「そこまで拒否されたら流石に傷つきます…」

 心臓が激しく鼓動を鳴らして、頭の中が熱くて、たぶん軽く混乱している。

 ノアは頭をさすりながら、椅子を立てて座りなおした。ちょっとやりすぎたかとも思ったが、あれは絶対、ノアが悪い。また、ウブだなんだと、ノアにからかわれるかもしれないとも思った。しかし、心臓が急に暴れ出して混乱したのだから仕方ない。

「はぁ…ロティ。僕だって、この帽子がなくちゃ何も出来ていなかったかもしれません」

「え…?」

「だけどね、探偵をしようと思ったのは僕自身で、この帽子を力に変えたのも僕です」

 わかりましたか?と、ノアは言った。それは、能力を使ったのがロティ自身の力で、あの場で役立てたのもロティ自身の意思だと言う事だろうか。

 ロティだからこそ、能力をうまく使ってくれる…そういえば、シャルルもそんな事言っていた。

「能力は持っているだけじゃあ、意味はないのですよ。本も、持っているだけじゃあ意味がない…でしょう?」

「た、確かに…」

「アン様に好かれるのも、シリル様に信用されるのも、君自身の力です。だから、少なくとも僕には、君自身が必要なのです」

 結局、ロティの疑問には肯定も否定もしなかった。それでも、少なくともノアは、ロティを能力だけで見てはいないのかもしれない。それだけで良かった。

 そう思えば、心につかえていたトゲがまたひとつ、するりと抜けた気がした。なんて単純な心なんだろうと、自分でも呆れてしまう。だけど、嬉しいと思ってしまったのは、仕方無い。

「そういえば、依頼を持ってきてくれたのもロティですね。いやはや、ロティは女神ですね」

 よっ、女神!と言いながら、ノアは手を叩いた。そこまで持ち上げられては、逆に何か恥ずかしくて、からかわれているようで腹が立つ。

「そ、そんなの…ノアだって事件解決したり、嘘を暴くのがうまいじゃないですか」

 ロティがそう言うとノアはおかしそうに笑った。そんなに面白い事を言っただろうか。

 徐に、ノアは手遊んでいた帽子を頭に被った。

「当たり前ですよ。僕は探偵なのですから。探偵に嘘はつけないのですよ」

 言いながら、得意げにノアは笑った。半分くらいは禁書の力な割に、随分と自信満々である。しかし、半分は彼自身の力だ。だから、彼がかっこよく見えたのは、彼自身の力であり、その時少しだけロティとノアの距離に変化があったからなのだろう。

「そういえばおじいさんが、ノアには随分助けられたって言ってましたよ」

「何故ですか?」

「小さい私をどうして良いかわからなかったけど、ノアが私の面倒を見てくれたお陰で随分助けられたって言ってました」

 ロティ本人は、幼い頃の事はあまり覚えていないので、まるで他人事のような気がしたが、今でもその関係は変わっていないので、そうなのだろう。

「だからノアの事は信頼してるんだって言ってました」

「それは…釘刺しか何かですかね…」

「?」

 ノアの反応の意味がわからずロティが首を傾げると、なんでもない、と言う風にノアは手を左右に振った。

「買い被りすぎですよ。僕はただ、ロティと遊んであげていただけですから」

「あげてたって…」

「だってロティ、いつも僕のところに来ては本を読んでくれってせがむのだもの」

 そうだったろうか。しかし、確かに、ロティが昔読んだ記憶のある絵本は、ノアの声で再生される気がする。

「でも、シャルルさんもロティも、僕から見れば、その時からまごうこと無く“家族”でしたよ」

 ノアがにっ、と笑ってそう言った。

「…なんでノアがその事を…はっ…もしかして立ち聞き…!?」

 まるで昨日のシャルルとの会話を聞いていたかのような台詞に、ロティは狼狽した。

「探偵の性分です」

「探偵って言ったらなんでも許されると思ってるんですかっ」

 ノアはあははと笑っていたが、笑いごとではない。いつもいつも、ノアはロティの思わぬ事をしてくれる。“家族”だと言われた事は素直に嬉しかった。欲しい言葉を、ノアはいつも見つけてくれるのだ。

「では、僕達の関係も変えてみませんか?ロティ」

 突然、ノアがそう言って、ロティの鼓動が飛び上がる。まるで心を見透かされたような気がした。

「探偵と探偵助手。どうですか?」

 満面の笑みでそう言われて、ロティの鼓動が急激に落ち着いていくのを感じた。

「………嫌です」

「どうしてですか。今回、凄く乗り気だったのに…」

「今回限りです」

 わざとらしく泣きマネをして、ノアは上目づかいでロティを見た。そんな顔をしても全然可愛いとも、可哀想とも思わない。頭はある意味可哀想だと思ったが。しかし、そんなノアらしい惚けた態度を見て、ロティは日常を心から感じていた。

 まだ、ノアとの関係は、このままでいたいとロティは思った。それが安心できる距離で、ロティの好きな距離なのだから。



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