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「何かわかりましたか?」

 目を開けると、ノアがこちらを覗きこんでいた。辺りはいっぱいの書棚と、こちらを見つめるイヴ。

「私、絵本の世界にいました。でも、何もわかりません…女の子はずっと寂しそうに下を向いていて、王子様の姿はありませんでした」

「下を向いていた?」

 ノアが聞き返したので、ロティは頷きを返す。ずっと彼女は下を向いて喋っていて、悲しそうに見えたのだ。王子様の姿は、やはりぽかりと抜けてしまっているのだろうか。

「ロティ、もうひとつ質問です。君は、あの暗闇の部屋で、どうして僕の居場所がわかったのですか?」

「え?えっと…」

 ノアの突然の質問に、ロティは考えた。あの時、確か鈴の音が鳴ったのだ。そう、ノアに伝えた。

「僕は鈴なんか持っていませんでした。僕が持っていたのは、この本だけです」

 言いながらノアは、禁書の絵本を見せた。

「ところでロティ、僕が前に話した猫の鈴の話を覚えてますか?」

「え…?いったい何を…」

 ノアが言っているのは、ロロに鈴をつけた時に話していた事だろうか。確か、猫に鈴をつけたら、ネズミが猫の居場所がわかるようになったという話だったはずだ。思い出して、ロティははっとした。

「鈴の音…あの鈴の音は…もしかして」

「思えば、“彼”はいつも僕の店先にいましたよね」

「まさか、ノア。貴方は、ロロが…猫のロロが王子様だっていうんですか?」

「言うのです」

 ノアが指を一本立てて、にっこりとほほ笑んだ。正解、とでも言いたげだ。確かに、ロロを拾ったのも最近だし、貸本屋に本が置かれた時期とも一致するだろう。

 突然、ロティの隣の書棚からガタリと音が鳴り、そちらを振り返った。

「にゃあ」

「ロロ!」

 書棚の上から、小さな黒猫がこちらを覗いていた。首元には、紅いリボンに金色の鈴。まちがいなくロロだ。ロティが思わず手を伸ばすと、猫はその手の中に飛び込んできた。

「ロロ、どうして此処に…まさか君が本当に…?」

「にゃあ」

 猫なのだから当然だが、ロロはにゃあとしか鳴かない。しかし、連れてきた覚えは無いし、今この瞬間、突然この場に現れるなんて。

「ほら、ロロも“そうだ”って言っています。こんなところに、こんな小さな猫が突然現れるなんて、他に考えられません。おそらく、この本の題名は“女の子とネコの王子様”といったところでしょう。それに、ロティ。絵本の女の子は常に下を向いていたのでしょう?」

「は、はい…」

「背の低い、彼と会話をしていたから、ずっと下を向いていたのではありませんか?」

 ノアに言われて思い出してみると、確かに女の子は下にある、何かに話しかけているようにも見えた。それに絵本の自由な世界、あり得る事だ。王子様だと言うのだから、ロティはてっきり人間だと思っていた。

「じゃあ、王子様の願いは…?」

 ロティがロロに問うと、ロロはやっぱりにゃあ、とだけ鳴いた。

「ロティ、その猫も、本なのですよ」

「…!」

 毛は暖かくてふわふわで、鼓動も息使いも動く尻尾も、確かに“彼”は生き物だった。これも書物…ならば、ロティには、読みとる事ができるのだろうか。

 ロティは絵本を右手に持ち、左手でロロを包むように抱いて目を閉じた。


 先ほどと同じように、ロティの目の前には景色が広がった。女の子の横には、黒い影のようなものが見えた。形ははっきりとしない。とても小さな影だ。

「ねがいごとはなんだ?」

 女の子の目の前には、大きな山高帽を被った老人がいて、そう言った。

「願いは…」

 女の子は、隣の小さな影を見た。


 願いは…。


「王子様を人間にしてください…!」

 頭の中で聞こえた、声なき声。それは文字だったのかもしれない。声は無かった。でもロティの耳には確かに届いた。そして、ロティの口から代わりに出たのだ。

 ロティがそう言った瞬間、突然、ロロはロティの腕を飛び出した。強い光がロティの目を打ち、思わず目を閉じる。

「…!」

 それから、ゆっくりとロティは目を開けた。

「…ロロ?」

 目の前には、黒い髪の、男の子がいた。

 イヴよりも小さな、十歳くらいの少年だった。手足は細くて白い。髪は短くて真っ黒。少し吊った目は金色。そして首には紅いリボンに金色の鈴。鈴がちりん、と鳴った。

「うん、ぼくだよ。ロティ!」

 言いながら、少年は嬉しそうに笑い、ロティに抱きついた。

「ありがとうロティ!ぼくの願いを思い出させてくれて!」

「この展開は僕も予想できませんでした」

 感心したように言ったのは、ノアだった。ロティだって、いまいち展開についていけてない。突然目の前に現れた少年は、確かに猫っぽいし、ロロと同じ鈴をしていた。

「ロロ…あの、君が…絵本の王子様…なの?」

「うん、そうだよ。ぼくは猫の国の王子様なんだ」

 にこりと笑う、少年ロロ。とても可愛らしい、無垢な笑顔に思わず和んでしまった。

「どうして絵本からいなくなったの?」

「ぼくにもわからないんだ…」

 言いながら、ロロはロティから離れて目を伏せた。

「ぼく、ずっと、ずっと眠っていたんだ。もう、どれくらい眠ってたかわからない程ずーっと」

「本はずっとこの禁書庫で保管されていたからね」

 イヴが補足するように言った。

「だけどちょっと前にね、突然、目が覚めたんだ!ぼく、嬉しくなってこっちの世界にきたの」

「現実世界に…それがこの本の力…」

 絵本らしい、とても夢のある力だ。やはりロティが思った通りの力だったようだ。ロロの様子を見ていても、恐ろしい力の類ではないらしい。突然目が覚めた、というのは、傭兵達に本が盗まれ、本として誰かに読まれた事を指しているのだろうと、ノアが言った。

「だけど…それから元の世界に戻れなくなっちゃったの…僕は、そのときからずっと、ぼくの願いも思い出せなくなってて…寂しかったし、不安だったの」

 ロロは悲しそうに目を伏せながらそう言ったが、突然ばっと顔をあげてロティを見た。

「だけどね、ロティがぼくを見つけてくれた!」

 えへへ、と笑いながらロロは再びロティに抱きついた。少し照れるが、笑顔と、可愛らしい態度に和んでしまう。

「私が、君を拾った事?」

「うん。ロロって素敵な名前もくれた。ご飯も寝るところもいっぱいくれた」

 ただ可哀想だからと拾って、自分なりに可愛がって。本当は大した事などしていないのに、ロロが嬉しそうに笑って感謝してくれるので、ロティは涙が出そうになった。

「ロロ…私も、君に出会えてよかったよ」

「ほんとう!僕も」

 ぎゅーっとロロを抱きしめて、ロティはそのぬくもりを感じた。彼が本だなんて信じられない。

「でも、どうして此処の?」

「あのね、ぼく、何回か本の中に戻ろうとしてたんだけど、いっつも本をすり抜けちゃうの。すり抜けたらいっつも本の側で…」

「成程、本をすりぬけて、本の近くに出てしまう…だからうちの店によくいたのですね」

 ノアが納得したように、頷きながら言った。

「でね、今日もそうして本をすり抜けたら周りが真っ暗で!ぼく、びっくりして急いで走ったんだ。いつの間にか明るくなってて、でもわからない場所だからもう一度本を抜けてみたんだ。そしたら、ロティを見つけたの」

 あの暗闇の中の鈴の音は、ロロが走り去った時の音だったのか。偶然にしろ、ロティは助けられた事に感謝と感動を覚えて、再びロロをぎゅっと抱きしめた。

「ぼく、どうして帰れなくなっちゃったのかなあ…?」

「それはきっと、このお兄さんのせいですよ」

 ノアは笑顔で、イヴを指差しながらそう言った。

「師はお兄さんだなんて可愛い年齢じゃないですよ…」

 何故か、シモンがそう言いながら吹きだし笑いをした。

「お前ら纏めて本の中に閉じ込めてやろうか?」

 当のイヴは、にこにこ笑いながらそう言ったが、目が全く笑ってない。

 ロティはイヴの年齢というのが気になったが、口に出さなくて良かった、と思った。

「おそらく、“本の力”が発動中だから、戻れないのですよ。本の術が解けないのですよ」

「術…?」

 ロロが不思議そうに眉を歪めながら、ノアを見上げた。

「君は今まで自由に本の世界から出て、本の世界に戻れていたのですよね?」

「うん」

「つまりこの絵本は、ロロの意思によって発動し、解けるという事です。しかし、この本に、別の術がかけられる事になったわけです」

 そういえば、イヴが禁書に“呪い”と称した、別の何かを上書きしたのだと言っていた。

「ロロが本を飛び出した後、呪いも発動したのでしょう。呪いは本の術の一部になって、しかも持ち主の手に渡るまで解けません」

「元は盗られた禁書の力が、勝手に発動されないように施したものだったんだけどね」

 イヴが不機嫌そうにそう呟いた。無断で修道院から本を持ちだした場合、呪いが発動し、同時に本の力は全て呪いに依存する。既に本の力は発動している事になり、解除もできない。常に本の力が発動していたから、ロロは本の世界に戻る…術を解除する事ができなかったのだろう、とノアが言った。

「大方そんなところだろうね」

 イヴもそれを認めて、ため息を吐いた。

「じゃあ…ロロの願い事が消えてしまったのは…?」

「それは…多分、単純な劣化だと思うよ。此処にある本は、みんな読まれる事もないもの達ばかりだからね。此処にきた時点で扱いが悪く、既に破損の激しい本もある。いつしか文字が消えてしまう事もある…だけど、その事に誰も気づかないのさ」

 確かに絵本は元々、劣化がひどいようで、文字も薄くて読みづらい箇所が多かった。

「ぼくも、時間が経ったから願いを忘れちゃったんだと思ったんだ…」

 言いながらロロは目を伏せる。書棚に仕舞われた大量の本を見渡すと、ロティは胸をぎゅっと掴まれるような感覚になった。同じように、大切な言葉が消えてしまった本達が、いくらあるのだろうか。

「ここなら劣化は進まない。そういう風に管理しているからね」

「イヴさん…」

 イヴはそういう本を守って行きたかったのだろうか。

「言葉が伝わらないのは悲しい…ぼくも言葉が伝わらなくて、本当に悲しかったから…ロティが泣いてても、ぼく、何も伝えられなくて…でも、ロティが僕の願いを思い出させてくれたから!」

 ロロが笑顔でそう言って、ロティはまた泣きたくなった。ロロはずっと、ロティの側にいて何かを伝えようとしてくれていたのだ。ここの本達も、何か伝えたくて言葉になったはずなのに。

「君は本当に、失われた言葉を見つけ出すのが上手なんだね」

 イヴの静かな声が聞こえて、ロティは彼を見た。

「イヴさん…」

「…約束通り、その本は君達にあげるよ。本は、誰かに見てもらうのが一番良いんだ。それに…」

 イヴがロロを見て、目を眇めた。

「本自身が君の側にいたいんだっていうなら、仕方ないね」

「うん、ぼく、ロティの側にいるよ」

 ロロが小さな手でロティの手を握ったので、ロティも握り返した。

「ありがとうございます、イヴさん。イヴさんは、本当に本をだいじにしてるんですね…」

「当たり前だよ。本は…ボクの人生の、ボクの一部なんだからね」

 言いながら本を見渡すイヴの目は、とても優しい色を灯していると、ロティは思った。

 ロティも、本は大好きだ。だけど、触れた事の無い本の事を考えた事なんて、なかったかもしれない。この目で見る事のできる本が、本の、人間の全てだと、何処かで思っていたかもしれない。本だって人間だって、いくらでも裏を隠しているのだと、ロティは思い知った。

 それでも。それでも好きでいる事ができるのだろうか。

「はぁ。それにしても疲れたよ。まったく厄介な事ばっかり。本当、外の世界って疲れる」

 イヴが腕をあげて気だるげに言った。

「師が大人げない事しないで、最初から交渉していれば話はもっと単純でしたよ。良い歳して嫉妬ですか」

「うるさいよキミ」

 シモンの愚痴っぽい言葉に、イヴが睨みをきかせた。

「嫉妬ですか?」

「キミもいちいち拾わなくてもいいよ」

 ノアの疑問の言葉は、ロティも気になっていた事だった。ロティが首を傾げると、イヴは、はあ、と深いため息を吐いた。

「ボクはシャルが司祭だった頃にはキミより詳しいけど、写本屋の…今のシャルはキミの方が詳しいからね。少し面白くないと思っただけさ」

 ボクより詳しい事があるなんて事が、とイヴは付けくわえた。イヴはとても嫉妬深い人のようだと、ロティは思った。シャルルと仲が良かった事はわかったが、その報復はちょっと恐ろしい。しかしイヴの気持ちは少しだけロティには理解できた。祖父であるシャルルは、ロティしか知らない事。それは、少しだけロティに自信と安心感を与えてくれたのだから。


 世界の広さに少しだけ怯えて、だけど、憧れて。楽しみでもあり、恐ろしくもある。

 それら全てを包みこめるほど、大きな人間になりたいと、ロティは思った。

そして、失われた言葉を見つけたい。


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