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「話が一区切りついた所で、良いですか?」
「え?」
ノアが最後の本を書棚に並べて、手をぱんぱんと払いながらそう言った。何時の間に話しが一区切りついたのだろう。
「構わないよ」
しかしシリルが許可したので、ロティもとりあえず、思考を中断させた。
「さっきから話している“アンヌ姉様の事件”って何の事ですか?アンヌ姉さまって、第八王女のアンヌ様の事ですよね?」
「あ…」
そういえばノアは何の事情も知らない。ロティはどう説明しようかと、慌てた。
「えーっと…。あれ、そもそもノアは何処まで知っているんですか?」
「シリル様がアン様の事が好きって話は一通り」
「いえ、それは直接関係は無いのですが…」
「シリル様がアン様と知り合った経緯はさっき聞きましたけど、なんでロティが絡んでくるのかはわかってないです」
にこにこと何故か楽しそうに笑っているノア。では、ノアは、事情もわからず、ロティとの関係もわからないまま、シリルを店に迎え入れたという事だろうか。突然、貴族の青年が現れたら、普通もっと驚くと思うのだが。
「君も協力してくれるなら、話すよ」
ロティが困惑していると、シリルがあっさりとそう言った。重要機密ではなかったのか。
「アンと知り合いで、ロティさんも信頼しているようだし」
シリルは言いながら、にこりとロティに微笑みかけた。
一連の出来事についてロティ達が話すと、ノアは神妙そうな顔をした。
「…ロティ」
「は、はい。何ですか?」
妙に重々しく名前を呼ばれて、ロティは背筋を伸ばす。ノアの真剣な視線が突き刺さる。
「どうしてそんな面白そうな事を僕に話さないのですか」
「え」
「狡いです。それこそ僕の出番じゃないですか」
なんで怒られているのだろうと、ロティは思った。何でって話したくてもノアはいなかった。
「お、面白くなんかないです。真剣で、大変なお話です」
「確かにそうです。だからこそ、僕の出番ですよ」
シリルが首を傾けながらノアを見た。
「どういう意味だい?」
「シリル様、貴方はとても運が良いという事です」
言いながらノアは、腰に吊っていたキャスケット帽の金具を外す。
「僕は探偵ですよ、シリル様」
しっかりと帽子を被りながら、自信満々にノアはそう言いきった。
「たんてい?なんだいそれは」
「あらゆる悩みや事件を解決する者です」
「な、なんだって…それは良い!」
ノアの胡散臭い言葉に、シリルは興奮気味にそう答えた。此処まできてロティがわかったのは、シリルはノアと波長が合うという事だ。厄介な事に。
「僕に依頼しますか?シリル様」
「するする。解決してくれたら謝礼は払うよ」
「有難うございます」
ノアはとても嬉しそうだ。今までの中で一番事件らしい事件で、大物の依頼者だ。ウキウキするのは当然だろうが…正直ロティは心配だった。ロティは彼の頼れる探偵らしい所を、今のところ見たことは無い。あの帽子だけが異様に主張してくる。
「では、サクサクと話しを進めましようか」
「頼んだ」
ノアは書棚の後ろから小さな椅子を引っ張ってきて、シリルの正面に座った。
「まずはロティ、君の力によると、相手の男は王女の誘拐を企んでいる、けしからん奴だという事ですね」
「そこまでは言ってません」
ロティの話しを聞いているのかいないのか、勝手に納得したようにノアは頷いた。
「だったら確実に黒だと僕は思いますよ」
「やっぱりかい?」
シリルが不安げに眉を歪めた。
「ロティの能力は僕も信頼しています。なので一度、彼は黒であると仮定して話しを進めましょう」
能力を信頼してくれるのは嬉しかったが、信用されすぎるのも少し怖いと、ロティと思った。
「大丈夫ですよ、ロティ。あくまで仮定の話しですから」
「ノア…」
にこり、とノアが微笑んだので、ロティはとりあえず安心した。しかしどうしてロティの心の内がわかったのだろう。
「話を進めます。此処で考えたいのは、“何のために王女を誘拐するか”です」
「何のために…誘拐ならやはり、金目当てじゃないのかい?」
「可能性は無しとは言えませんが、危険すぎる挙句に難易度も高すぎますよ。ただ金目当てなら、庶民街に住むお金持ち…アン様のような娘を狙った方が早いし、確実ですよ。アン様ならわざわざ籠絡せずとも、王女より楽に拐せますよ。だって王女なんか国中の騎士に守れますし、文字通り住む世界も違います」
そう言われてロティは貴族街を思い出した。人は少ないが、いくつもの壁に守れた、まさに世界の違う場所。
「言われてみれば…」
「わざわざ王女を狙うからには、それなりの理由があると考えられます。たとえば…王家、王の独断でも決定できる何か」
「王の独断…」
シリルは考え込むように目線を床に落とし、口元に手を当てた。
「我が国の意思決定は議会がするものだし…王が簡単に決断できる事は少ないぞ」
「そうですね。王は最終的な意思決定はできても、議会の承認無しではほとんど何もできません。他には?」
「他…そうだな。敢えて言うなら、“王の評価紋”だろうか」
“王の評価紋”は、この国の商人にとって、とても大事なものだ。ロティやノアのような寂れた小さな店でも、それは関わりがある。まず、王の評価紋が無い者は、街で商売する事が出来ない。評価紋は上・中・下・特の四段階の評価があり、写本屋、貸本屋はこれの“下”にあたる。街で商売ができるという、一般的な評価だ。中となればそこそこ大きい商店で、上に至ると貴族街で商売する事もできるのだ。此処までは、評議会で評価が決定される。そしてアンの家は“特”の評価を頂いていると聞いた事がある。これは王や王室が独断で評価を下せるものであり、商人にとっては最大の名誉だった。何せ“特”とはつまり、王家御用達、王がもっとも気に入り信頼する店だという事なのだ。
「それは可能性がありますね」
「だけど、評価紋の嘆願なんてそれこそキリが無いってくらいにあるよ。その中から割り出す事ってできるのかな」
「…たとえば、普通に嘆願しても通らなそうなものなどありますか?」
「うーん、そうだな…傭兵…傭兵ギルド、とかかな」
「傭兵ギルド?」
傭兵ギルドは名前の通り、傭兵を雇うための組合組織である。ギルドにより強さの違いはあるが、これも評価紋は必要な“店”だ。
「上の評価を求めている傭兵ギルドがあって、珍しいなって思ったんだ。まあ随分やり手みたいだけど」
「確かにそれは珍しいですね。上ともなれば、貴族を相手にしたいという事でしょうか…貴族なら騎士を雇いますから、普通は認められないでしょうね」
「確かに議会でも反対の意見の方が多いよ。傭兵はならず者も多いしね…」
傭兵と聞いて、ロティは今朝のシャルルとの会話を思い出した。
「そういえば、傭兵雇うお金が高騰してるとかなんとかって、おじいさんが言ってました」
「どうも、そうらしいね。何か、周辺に厄介な盗賊が出没してるとかで、軒並みどのギルドもやられちゃったみたいで。…そういえば、その盗賊を唯一、高確率で退けられてるのが件の傭兵ギルドだ…」
シリルの目が、きらりと光った。カチリ、と何かがはまる音がする。
「そのギルドの傭兵は中々賃金が高いらしい」
「それで高騰、ですか。なるほど…」
ノアは言いながら、ゆっくりと目を閉じた。
「なら、おそらく、そのギルドが犯人ですよ」
「ええっ!?」
ノアの結論にロティが驚くと、ノアは満足げににっこりと笑った。
「良い反応ですね」
「か、からかわないでください」
「失礼。恐らく、盗賊と傭兵ギルドはグルですよ。元々、腕の立つ傭兵達だったのでしょう。それに傭兵の行動は熟知しているだろうし、盗賊もやりやすいでしょう」
ノアの説明と推理に、ロティは成程と納得せざるを得なかった。しかしシリルは眉間にしわを寄せた。
「そっちがうまく行っているなら、王女を誘拐する理由は無いんじゃないのかい?」
「時間の問題です。目立ちすぎる盗賊なんて、いずれ国に駆逐されます。その前に王室の評価が欲しいのでしょう」
「…とりあえず納得しよう。でも、仮に王女を誘拐して傭兵ギルドの名前を出せば、すぐにバレるんじゃないのか?」
「そんなものは他に嘆願があるものや金なんかを隠れ蓑にして、アレとコレとソレを認めろって言えば良いのです」
ノアの説明に、シリルは軽く頷きながら何かを考えているようだった。
「なるほど。君の説明はもっとものように聞こえる」
「有難うございます」
「で、証拠はあるのかい?」
シリルがそう聞いて、ノアはにこりと微笑んだ。
「もちろん、ありません。ただの推測です」
「じゃあ、駄目じゃないですか」
きっぱりと証拠は無いと言いきったノアに脱力しながら、ロティが返した。
「でも、確かめる方法はありますよ」
シリルの問いに、ノアはまたにこりと笑った。
その後ノアはシリルにひとつの助言をした。シリルはそれを遂行すると約束して、貸本屋を去って行った。
いつものように、二人きりになった店内で、ロティは不思議な気分を感じていた。
「なんだか今日のノアは凄かったです」
「これが僕の実力だよ」
何処から湧き出てくるのかわからない自信で、ノアは笑った。しかし今日のノアは、それに見合うだけの実力を示していたと思う。それがロティの心をもやもやさせていた。
なんだか別人のようだとロティは思った。ノアとは長い付き合いだと思っていたが、彼のそんな面を知らなかった事がなんだか悔しい。
「そういえば、ノアは盗賊にあわなかったんですね」
「いえ、遭いましたし、襲われましたよ」
大変な事をさらりと言ってのけたノア。
「だ、大丈夫だったんですか?荷物全部奪われたとか…?」
「いえ。何も盗られませんでした。他の馬車や旅人はみんな荷物を奪われたみたいですが…」
ノアは欠伸をしながらそう言って、思い出すように目を宙に向けた。
「僕が持っているのは本だけだとわかったら、なんでか凄く怯えて、さっさと持って去れって言われたのですよね。不思議な事に」
ノアは港に新しい本を取りに行っていたのだから、確かにほとんど本しか持っていなかったのだろう。武器は何一つ持っていなかったろうし。
「それは不思議ですね…」
「ね。本に怯えるなんて、ロティみたいですよね」
そう言われて、ロティは折角忘れていた絵本の事を思い出してしまった。
※
騎士団が街周辺の盗賊を駆逐するという話が、街中で噂になりだしたのはそれから数日後の事だった。
ロティも街でその掲示を見て、急いでノアに知らせようと、貸本屋に入った。
「ノア、起きてください!」
案の定、ノアは店主席でぐうぐうと寝息を立てて眠っていた。こんな姿勢でよく、これだけ爆睡できるものだ。
「ふあ…盗賊討伐の報せでもありましたか?」
「そ、そうですけど…」
「だったら、そろそろですね」
起きたてのノアは、ロティが何も言わずとも、納得したように窓の外を見た。
すると突然、貸本屋の扉が勢いよく開かれた。
「ノア!君の言うとおりだったようだ!」
興奮気味に現れたのは、シリルだった。今日は青い花の刺繍の上着を着ている。
「ロティもいたのか、丁度良い」
「ど、どうしたんですか?」
いつの間にか名前が呼び捨てになっているが、それよりもシリルの焦りの方が気になった。
「ノアの言うとおりだったよ。すぐに盗賊達を討伐するように騎士にお願いして、街中に噂を流したら、馬車引きの男がまた姉さまに手紙を渡したんだ。逢瀬の日を次の満月ではく、二日後に早めたいって…!」
「二日後…」
騎士団が盗賊討伐に向かうのは、三日後という話だった。それよりも一日だけ早い日。
ノアはシリルの話を聞いて、満足げに頷いた。
「僕の読みは大体当たったって事でしょうかね」
「ああ、おそらく」
シリルは狭くて埃っぽい店内に、綺麗で上質な衣装が汚される事を気にもせず、ノアの目の前まで歩いてやって来た。
「まだ確かなわけではないが、奴は功を焦ったようだ。君の作戦通りに」
ノアがシリルに言った“確かめる方法”とは、この事だった。盗賊達の討伐に、王国の騎士団が出動するとなれば、如何な手練であろうともただでは済まない。そうなる前に、評価をあげなくては、此処まで高めた傭兵ギルドの名も意味がなくなる。もし馬車引きが犯人の一味だった場合、噂だけでも、性急に騎士が盗賊を討つという話を流せば、そちらの話も性急なものになるとノアは予想した。
「うまくいったものだな」
感心するようにシリルが言うと、ノアはキャスケットを被りながら笑った。
「それが探偵というものです。それに、本番はこれからですよ、シリル様」
シリルが真剣な顔つきになり、頷いた。
「ああ…。アンヌ姉さまを守らねばならない。しかし姉さまに話したところで、納得してもらえるだろうか…」
アンの言った事を気にしているのだろうか、シリルは僅かに視線を落とした。
「どうでしょうね。乙女心は海よりも深いものですし。悪党でも構わない!なんて言われたらまあ、僕たちは黙って応援するぐらいしかできないです」
「そんな…」
「本性を知れば、納得してもらえるかもしれませんよ」
「どうすれば良い?」
眉を歪め、悲痛な表情のシリル。ノアは帽子のツバを持って、少しだけ目深にかぶりなおした。
「王女様に納得してもらいつつ、守りつつ、ついでに一網打尽にしちゃいましょう」
射るような真剣な目つきで、ノアはそう言った。その目、その言葉を聞いて、ロティは事態が自分の身の程に合わないほど、深刻な事になっているのを感じた。この場にいる自分だけが、その大きさも、何も理解していない。
先ほどまで机に突っ伏して寝ていたのはいつものノアだったのに、シリルが訪れてからは別人のノアになったとロティは思った。ノアがこんなにも真剣な目、真剣な声色で話すのは見たことが無い。それに、彼はロティのわからない何もかもを理解しているようだった。
彼がわかっていて、自分がわからないという事が、ロティにとっては悔しかった。だからこそ、この事件の全貌を理解するまで見届けなくてはならないと、腹を括った。




