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可愛い第二王子様だと思っていたのに、逃げられなくなりました

作者: 牧野ゆば
掲載日:2026/07/05

 フラれた。


 リーゼロッテ・マグノーリエ侯爵令嬢は、もう何度目かわからないくらい、こっぴどく相手の貴族令息からフラれていた。


「なんで、私のお見合いはこうもうまくいかないのかしら……」


 実家の庭園を眺めながら、榛色の瞳に物憂げな色を浮かべて、ティーカップ片手にため息をつく。馴染みの侍女が慰めてくれるが、リーゼロッテは気が気じゃなかった。原因に心当たりはあるが、それはリーゼロッテでは解決できないことだった。


 魔術国家であるブルーメ王国では、王侯貴族から平民に至るまで魔術が使えること前提だ。しかし、リーゼロッテは生まれてこの方一度も魔術が使えないままだった。時折こういった魔術を使えない人間を、魔力不全者、と呼ぶ。多くは平民や貧民の特性だが、侯爵令嬢であるリーゼロッテがそうして生まれたことを、父も母もよくは思っていないだろう。


 ただ、陰口で謗られながらも、リーゼロッテは逞しく社交界を渡り歩いていた。魔術が使えないなら知識で勝負だ、と、同年代の貴族よりも本を読み漁り。相手を楽しませる話術を身につけたり、体力や脚力を鍛えたりなど、およそ令嬢らしからぬ努力を続けていた。が、その甲斐も虚しく。婚約相手だけは見つからないまま十八の春を迎えたのがついこの間の話だ。もうこのまま修道女となってしまおうか、なんてことを両親に告げれば、露骨に嫌そうな顔をされる。一人娘がそんなことを言い出せば、無理もない反応だとリーゼロッテは苦笑した。


 せめて、王家主催の夜会にあと一度顔を出してから、将来のことは考えなさい。そう母親である侯爵夫人に宥められ、リーゼロッテは渋々夜会へと出席した。


 +


 絢爛豪華なシャンデリアの煌めきは何度見ても心が躍る。だが、リーゼロッテがその下を通る時だけいつも、魔力で灯されたシャンデリアは不気味に明滅するのだった。


 今宵の舞踏会は王家主催であり、まだ幼い王子が、王と兄王子の隣でくすくすと笑っている。齢は確か十一ほど、愛らしい笑顔の美少年はエリアス・ハルトリーゲルという。第二王子である彼は、この国きっての天才魔術師なのだと噂されていた。その桁外れの魔力のから第一王子を補佐する宮廷魔術師として嘱望されていた。ブルーメ王国は魔法・魔術を第一産業にしている国だ。第一王子は王となり、エリアス様が第二王子として国を支える。そんな美しい未来が王侯貴族たちの理想として語られていた。


 そんなエリアスは生まれた時に母を亡くし、乳母や使用人に育てられた悲劇の王子、と囁かれていた。嫌な噂をリーゼロッテは何度も耳にしており、幼い頃からお辛かっただろうと、リーゼロッテは勝手な親近感を抱いていた。


 いつものようにワルツが流れ、慣れた仕草でリーゼロッテは舞踏の相手と手を重ねる。一人、二人、と踊っていくけれど、相手は皆気まずそうにリーゼロッテから目を逸らしていく。魔力不全の呪われた令嬢、と社交界で囁かれているのを、リーゼロッテはよくよく知っていた。


「浮かない顔してるな、リズ」

「ラルフ」


 ラルフはモーン伯爵令息であり、幼馴染でもある美青年だ。リーゼロッテの魔力不全を昔から知っており、一緒に剣術の稽古をした仲でもある。


「また婚約者探しか、精が出るな」

「ただでさえ魔力不全者なんて人気がないの。売り手市場にいる間に、相手を見つけなきゃ。両親に申し訳ないもの」

「そうか。本当に見つからなかったら、俺が結婚してやろうか」

「もう! 冗談はやめてよ」


 踊りながらくつくつ、と笑って、ラルフはすまんと軽薄そうに謝る。だが、ラルフが自分の身を案じてくれていることを、リーゼロッテは理解していた。ひとしきり踊り終え、ラルフと別れると、どっと疲れが押し寄せた。


 踊り終えて一息つく。ぼんやりと人々を眺めていると、ふと、第二王子の方が気になって視線が王族の方へと向かう。給仕が王子へケーキを運んでいるのが見えた。その時。段差につまづいた給仕が、バランスを崩す。ケーキの乗った皿が宙に浮いた。


 危ない、と思った時には、リーゼロッテは彼の元へ駆け出していた。身を呈すようにケーキごと皿を受け止める。青色のドレスが白いクリームまみれになったが、エリアスに危害はなさそうだった。


「お怪我はありませんか、エリアス様!」

「だ、い、じょうぶ……」


 エリアスはまだ小さな手でぎゅっ、とリーゼロッテの手を握りしめた。丸く大きな瞳が、うるうると潤んで愛らしい。どく、どく、と心臓が音を立てて、彼の青い瞳に吸い込まれそうだった。相手は年端もいかない幼子だというのに、この瞳の美しさはなんなのだろう。リーゼロッテはしばらくエリアスの目を見つめてから、ふと、自分のしでかしたことに青ざめる。


「も、申し訳ありません。王族に許可なく触れるなど」

「いいよ、大丈夫。貴女はボクを守ってくれたのでしょう?」


 可愛いっ! と、リーゼロッテは思わず天を仰いだ。ふわふわした金色の髪、昼間の空のような透き通った青い瞳。エリアスは幼い頃に読んだ御伽話に出てくる王子様そのものだった。


「勇敢なお姉さま、あなたのお名前は?」

「リーゼロッテ・マグノーリエと申します、殿下」

「マグノーリエって、侯爵家だよね。……ねえ、堅いのはやめて。エリアスって呼んで」


 にこり、と微笑むその表情に胸を撃ち抜かれて、リーゼロッテは何度も首を縦に振った。


 +


 夜会での出会いから二年が経過した。エリアスはすっかりリーゼロッテを気に入り、ことあるごとに王宮へ彼女を招いていた。王宮の人間からも、リーゼロッテはエリアスの遊び相手と認識されていた。婚約相手選びに疲れた時、エリアスはいつもリーゼロッテのことを労ってくれる。その優しさに甘えたくなるほど、ブルーメ王国は魔力不全の貴族令嬢に冷たかった。


 エリアスの笑顔に癒されたい、そんな気分を抱きながら、リーゼロッテはエリアスの十三歳の誕生日を祝いに彼の部屋を訪れていた。


「リズお姉さま! 来てくださったんですね」


 天使のような無邪気な笑顔で、エリアスは両手を広げて歓待した。陛下は公務で忙しく、エリアスは普段この広い部屋で一人、勉学に励んでいるのだという。王族であるために話し相手も制限されているエリアスにとって、リーゼロッテは特別なのだとことあるごとに彼は語った。この二年間、魔術の使えないリーゼロッテを馬鹿にすることなく、エリアスは自分の好きな魔術について、キラキラした眼差しで語った。


「エリアス様。そう抱き付かずとも、私は逃げませんよ」

「えへへ。だって、お姉さま、温かくて安心するんだもの」


 腰のところにぎゅう、と抱きつく手のひらが、少しずつ大きくなっていくのをリーゼロッテは感じ取っていた。最初に会った時から二年も経てば、成長期の少年はすぐに大きくなる。対するリーゼロッテは十八から二十歳になり、そろそろ行き遅れと周囲から言われてもおかしくはない年齢だ。エリアスと語らう時間も楽しくはあるが、一刻も早くいい人を見つけなければいけない、という焦りが頭の片隅を占拠していた。


 そんなリーゼロッテの悩みを知ってか知らずか、エリアスはこてん、と愛らしく小首を傾げて、いつものように青い瞳を潤ませる。


「お姉さま。お誕生日のプレゼントも嬉しいけれど……ボク、お姉さまに手を握ってほしいの」


 リーゼロッテのプレゼントした羽ペンを大事そうにしまい込んでから、エリアスはそう呟いた。


「手を……ですか」

「そう。とっても落ち着くから。……いけない?」

「いえ。エリアス様がそれで落ち着くなら……どうぞ」

「やったあ、ありがとう。リズお姉さま、だぁいすき」


 ぎゅ、と。かつては柔らかいだけだった手が、大きく、節張っているのに気がつかないふりをしながら、リーゼロッテはエリアスの手を握る。どくん、どくん。彼と接触した後、リーゼロッテの胸は決まって鼓動を早くした。欠けているものが、満たされるような、そんな充足感があった。彼が、もう少し大人だったら。自分の身分が、もう少し釣り合いの取れるものだったら。リーゼロッテはエリアスと手を重ねる度に、そんな不埒な考えが過ぎる。胸が高鳴るたびに、恋というにはあまりにも畏れ多い感情が込み上げる。侯爵令嬢は、その度にやましい考えを霧散させるように小さく頭を振るのだった。


「リズお姉さま?」

「いえ。……何でもありませんよ、エリアス様」


 うまく笑えているか、リーゼロッテにはわからなかったけれど。この、寂しがりの愛らしい王子を不安にさせてはいけない。いつものように彼の金色の髪を撫でながら、リーゼロッテは繋いだ手をぎゅう、と握り直した。

 

 +


 二十歳を過ぎたこともあり、リーゼロッテは両親から婚約者を決めるように今まで以上に促されていた。今まで避けていた年嵩の貴族などもその対象として含められるようになり、いよいよリーゼロッテはため息をつかない日の方が珍しくなっていた。


「メルダース辺境伯に、ヴィーデナー侯爵……ううん。そうよね、年嵩だからといって、悪い方では、ないでしょうし」


 自分のふわふわとした栗毛を指で遊びながら、見合い相手の名前を見ながらその評判を思い出す。悪い方ではない、とは言ったが、流れている噂は不穏なものだ。メルダース辺境伯は二人の妻と死別していて、ヴィーデナー侯爵は女遊びが派手な方だと。頭を悩ませ続けたそんなある日、思いもよらない知らせにリーゼロッテは目を見開く。


「ラルフが私と結婚したいですって……?!」


 直接言われたわけではないが、モーン伯爵家の紋章の刻まれた手紙にはそう書いてあった。願ってもない申し出だ、とリーゼロッテは泣きそうになる。きっと、彼なら行き遅れの侯爵令嬢とも夫婦になってくれるだろう。幼馴染であるため、リーゼロッテの魔力不全体質にも理解がある。家格が釣り合わないと両親は懸念するだろうが、そこはよく説得すればきっと、納得してもらえるだろう。

 そこまで考えて、リーゼロッテはふと、あの愛らしい笑顔を思い出す。


(……エリアス様に別れを告げなければ)


 結婚相手が決まった今、年下とはいえエリアスに会い続けることはできない。あの笑顔をもう近くで見ることができないのは悲しかったが、自分よりも似つかわしい姫君や令嬢はたくさんいるはずだ。言い訳をするように自分にそう言い聞かせ、暗雲が垂れ込める中、リーゼロッテはいつものように王城へ——エリアスの部屋へ向かった。


 第二王子の部屋を訪れると、エリアスがソファの上でぽろぽろと涙をこぼしていた。


「エリアス様!?」


 ギョッとして駆け寄ると、ぎゅう、と抱きしめられる。


「ねえ、リズお姉さま」

「は、はい……?」


 ばちり、と視線が合う。エリアスの青い瞳に魔力が渦巻いていた。くらり、と視界が眩む。


「他の男と結婚するなんて、嘘だよね」


 息を呑んだ。リーゼロッテの動揺に反応するように、ちかちかと、壁際の燭台が明滅する。


「どうして、知っていらっしゃるんですか」

「……リズのことはなんでも知っているもの」


 ぎゅ、と抱きしめられる格好のまま、エリアスに左手をとられる。絡めとるように指がくっつき、リーゼロッテの心臓がうるさく鳴り始める。


「あんなやつじゃなくて、ボクと結婚して? 絶対幸せにするから」


 薄暗い瞳が、ぐるぐると渦巻いているような錯覚。握られた手が酷く熱い。どく、どく、と心臓が脈打って、体の中の魔力が逆流している。酒に酔ったような酩酊感が、リーゼロッテの体の自由を奪っていった。


「あは、やっぱりキミはすごいよ、リズ。ボクの魔力を全部受け止めてくれるんだもの」

「何を、言っているのですか、エリアス様……!?」


 崩れるようにソファに倒れ、天井を見上げながらはく、はく、と息を整える。リーゼロッテの顔を覗き込んだエリアスは、子供らしくない微笑みで彼女を見下ろしていた。


「気づいていなかったんだね、リズ。キミは世にも珍しい魔力吸収体質なんだよ。こうやって手を繋ぐだけで……」

「っ……!」


 エリアスの指先から、膨大な魔力が流れ込んでくる。空っぽだった器が満たされていく感覚に、リーゼロッテは充足感を抱く。今までも、こんなふうに満たされた感覚があったのは、魔力が流されていたためだったとリーゼロッテはこの瞬間自覚した。


「魔力が強すぎて人を殺してしまうボクの余剰魔力を、キミが持っていってくれるんだ。手を繋いだとき、抱きしめた時。ボクの魔力をそっとキミに流し込んだけど……びくともしないんだもん、嬉しかったよ」


 初めて耳にする体質。魔術が使えない理由が、まさか、魔力を吸収してしまうせいだとは。リーゼロッテはその事実と、そして豹変したエリアスの態度に指先が冷えていくのを感じた。


「まあ、その負担で心臓がどきどきするのを、キミは恋だと思ったかもね」


 大人びた眼差しで、エリアスはくすくすと笑う。こんな顔をしたエリアスを、リーゼロッテは知らなかった。


「生まれた時に魔力過剰で母親を殺したボクが、この城の中でどんな風に見られているか、リズは知らないでしょう。お父様にもお兄様にも疎まれているボクを、キミだけは大切にしてくれた。……だから、好きになったんだよ、リズ」


 リーゼロッテの脳内で警鐘が鳴る。だが、すでに遅すぎた。エリアスは懐から小さな指輪を取り出すと、リーゼロッテにそれを見せる。


「これ、ボクが魔術をかけた指輪なんだ。受け取ってくれるよね」


 エリアスが跪いて、恭しくリーゼロッテの左手にキスを落とす。御伽話の王子にしては、些か剣呑な表情だった。据わった眼差しで、愛する女を乞う表情は、子供のそれではない。


「ま、じゅつ……?」

「そう。ボクから離れられなくなるようにする指輪。……リズは、ボクのだもの。お父様もお兄様も、リズの両親も、みぃんな説得してあるから、安心してね。将来の宮廷魔術師の結婚相手だって脅したら、みんな素直に言うこと聞いてくれたよ」


 呪いのような言葉が囁かれているのに、リーゼロッテは何も考えられない。するり、と。銀の指輪がリーゼロッテの薬指に嵌め込まれる。


「ボクもあと三年すれば成人だし、もう少し待っても良かったけど……他の貴族に取られそうだったから焦っちゃった。あは、うまくいって良かった」


 思考に靄がかかったように、エリアスの言葉がひどく恋しくてたまらない。満足げにエリアスはリーゼロッテを抱きしめると、甘く優しく呟いた。


「やっと手に入れた、リズ。リーゼロッテ。……ボクのお嫁さん」


 くすり、と笑う王子。彼と揃いの指輪がリーゼロッテの薬指で鈍く輝いた。

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