第16話:二人だけの
「え? どういうこと?」
さっきまでの状況から想像できない言葉に、僕は思わずきょとんとしてしまう。
い、いやだって。ここまでの流れで幸せを感じることってある?
僕にあったのは恐怖だけ。それは瑠音さんだって一緒だと思ったのに。
「あ、あの……」
こっちの言葉に、抱きしめられていた彼女がびくっとすると、しどろもどろになった後。
「わ、私も、まさか優汰様に抱きしめられるなんて、思っていなかっただけですわ……」
消え去りそうな囁き声でそう口にした。
抱きしめていると言われたら、確かにそう、だけど……。
改めて状況を確認すると、この状況って結構ヤバいかも?
耳元に聞こえる瑠音さんの息遣いだったり、横目に見るとすぐそこにあるどこか優しい香りのする綺麗な髪とか。なんなら制服越しに感じる温かさなんかまで感じちゃって、一気に自分の胸のドキドキが大きくなる。
「ご、ごめん!」
慌てて僕は両手を広げ、瑠音さんを解放する。
……って、あれ?
なんで彼女は離れようとしないの?
僕の状況なんて関係なしに、彼女の腕にぎゅっと力が入ると。
「私は、もう少しこのままでも……」
そんな予想外の言葉を口にする。
全くもって予想外すぎる瑠音さんの言葉に戸惑うものの、彼女は離さないと言わんばかりに僕を抱きしめたまま。
る、瑠音さんが大丈夫なら、僕が我慢すればいいだけ。
でも、本当にこのままのほうがいいの?
さっき緊張して汗を掻いていたけど、それが臭ったりベタついたりしない?
そういうのって嫌じゃないの?
広げた腕の行き場も含め、ただただ僕が困り果てていると。
「お嬢様。その辺になさらないと、有内様もお困りですよ」
いつの間にか彼女の背後に立った面条さんが、この光景にまったく動じていないと感じるくらい、冷静な声でそう口にした。
と、次の瞬間。
ばっと僕から離れた瑠音さんは、真っ赤な顔のままその場でコホンと咳払いをすると、くるりと背を向ける。
「そ、そのくらい、私も心得ておりますわ。優汰。そろそろ参りますわよ。付いてらっしゃい」
「え? う、うん。わかった」
さっきまでのは何だったのかと言わんばかりの変わり身。
あの早さで離れるなんて、本当は嫌だったとか?
いやでも、それだったらあんなことを言わないよね?
ということは、やっぱりああやって僕に抱きついてたかったのかな?
でも、僕なんかに抱きついて、いいことあるんだろうか?
流石にそんなこと、聞けはしないけど……。
結局、雷の音はあっさりと通り過ぎ、立ち込めていた暗雲も少しずつ薄くなっていく中。
僕は未だ晴れないモヤモヤした気持ちのまま、瑠音さんに言われるまま彼女の後に続いて公園を後にした。
◆ ◇ ◆
あの後、この間とは別の四人乗りの黒い高級車に乗り込んだ僕と瑠音さん。
運転席にはいつものように面条さんが座り、そのまま車は走り始めた。
僕達が公園を出る時、既に貴堂君の姿はなかった。
多分、瑠音さんの執事さん達に取り押さえられて、そのままどこかに連れていかれたんだと思うけど……。
「瑠音さん。貴堂君は?」
後部座席に乗っていた僕は、隣に座る瑠音さんにそう尋ねてみた。
ちらりとこちらを見た彼女は、小さなため息を漏らした後、何かを覚悟したかのようにこう口にする。
「どんな事情があったとしても、殺人未遂を犯したことに変わりはありませんもの。既に警察署に護送しておりますわ」
「護送……」
「ええ。貴方だけじゃなく、私にまで殺意を向け襲いかかろうとした。それは十分罪に値する行為ですもの」
……確かに、僕に対して向けられていた殺意は脅しのレベルを超えていた気がするし、瑠音さん相手には完全に襲いかかりに行ってた。
きっとそれは、罪になるだけのことなんだろう。
でも……。
僕は自分が狙われていたにも関わらず、それを責められるだけの気持ちを持てなかった。
あの反応を見る限り、きっと彼は沙和さんが好きだったんだと思う。
勿論、彼女はそうじゃなかったからこそ、お昼のタイミングで失恋してしまった。
だけど、その心の傷って簡単に癒せるものじゃないし、好きだからこそああなっちゃったんじゃっていう気持ちもある。
そして、そのきっかけとして、僕が存在していることも。
「……優汰」
少しだけ目を伏せていた瑠音さんが、僕の名前を呼ぶと、視線だけをこちらに向ける。
「いい? 貴方は被害者よ。同情は止めなさい」
「そ、そうかもしれないけど。でも、彼って高校一年──」
「関係ありませんわ」
僕の未練がましい言葉を一蹴した彼女は、もう一度ため息を吐くと窓の外を流れる夜景に目をやる。
「四月に入って以降、貴堂一吾は沙和に少しずつつきまとうようになったと聞いているわ。きっと好意もあったに違いないけれど、だからといって、縁を切られたことを理由に、罪を犯していい理由にはならない。温情をかければ間違いなく、私や貴方、そして沙和までも危険に晒すわ。恋心から殺意まで持ってしまうような相手はもう、手遅れなのよ」
……そうか。そうだよね。
瑠音さんの言う通りだ。僕が甘い気持ちを持ってしまえば、結局被害者が増えるだけだ。
それに、こうなったことを知ったら、沙和さんだってきっと傷つくに違いない。
「瑠音さん。今日の件って、沙和さんには……」
「話さないわ。あの子にとっては、今日の昼間に絶縁を言い渡した時点であの男との関係は終わっている。それ以上のことなんて、知る必要はないもの」
……そっか。良かった。
「優汰。そのためには──」
「うん。大丈夫だよ。僕はもう何も口出ししないし、今日のことだってなかったことにできるから」
「そう。いえ、そうなのだけど……」
真剣にそう返すと、ちらりと僕を見た瑠音さんが少しだけ何かを言い淀む。
え? そういう意味じゃないのかな?
でも、そうだとは認めてるけど……。
自然と首を傾げてしまった僕を見て、彼女が少し目を泳がせると、視線を合わせることなく高口にした。
「……なかったことにまでは、しなくていいわよ。ただ、私達の秘密にしてくれればいいだけ。できるかしら?」
……あ。そういうことか。
確かにこういうことは、戒めとして覚えておくべきってことだもんね。
「うん。わかった。二人だけの秘密でいいよ」
僕が真剣にそう返すと、瑠音さんはちらりとこっちを見ると、小さく微笑みまた車窓に目を向けたんだ。




