第10話:重なるもの
少しでも変わろう。
そう意気込んだのはいいんだけど……この状況は、流石にどうなんだろう……。
夜道を走っている薄暗いバスの中。
一番後ろの席の窓側に座った僕の隣には、既に千麻さんが並んで座ってる。
今このバスに同じ高校の生徒はいないし、隣りに座っているだけなら全然いいんだけど……。
僕は視線を下ろし、僕らの影に隠れた彼女と僕の接点を見た。
通路側に無造作に置いていた手に重なっている千麻さんの手。
手の甲には、既に彼女の手の平から伝わる熱を感じてる。それもしっかりと。
彼女は恥ずかしさからか。反対の窓の方を向き、こっちに黒くて綺麗な後ろ髪を見せている。
この状況を作ったのは千麻さん。
だから、きっと大丈夫なんだと思うけど……。
手の温かさをしっかり感じるのに合わせ、僕の顔も赤くなっていくのを感じながら、ここまでのことを思い返していた。
◆ ◇ ◆
七時のバスがこの路線の最終バスなんだけど、大会が近くて夜まで頑張っている部活動以外はとっくに活動を終えているのもあって、後から現れた千麻さんと僕を含めて生徒はたったの四人。
しかも他の二人は友達らしい女子二人だったのもあって、千麻さんがいることにも気付かず話で盛り上がってたのは、状況的にかなり良かったと思う。
いよいよバスが到着して、僕は最後尾の左側の窓側に。千麻さんは右側の窓側に座り、他の生徒はもう少し前の二人掛け席に座った。
時間になり出発したバス。
よっつ目の停留所でさっきの二人は降りていき、結果として僕達だけになったのを確認したところで、千麻さんが隣に座り直した。
「これで、やっと二人っきりですね」
その声を聞いた時、僕はちょっとドキッとした。
だって、どこか恥じらいを感じる声色だったから。
でも、それは彼女の態度にも表れてたんだよね。
薄暗い中でもわかるくらい、眼鏡の下の顔を真っ赤にし、ちらちらとこっちの様子を窺っていた千麻さん。
「え、えっと。どうかしたの?」
様子がおかしいのが気になって、思わずそう尋ねると、千麻さんは一旦こっちを見た後、何も言わずにそっぽを向く。
そして、まるで変わりなんだと言わんばかりに手をゆっくりと重ねてきたんだ。
◆ ◇ ◆
あれから僕らの会話はなく、停留所を通過するアナウンスとバスのエンジン音が変わりに気まずくなりそうな空気を変えようと頑張っている。
僕だって流石にこれは恥ずかしい。
だけど、それでも手を振り払ったり出来ないのは、前に千麻さんが色々と口にした言葉を思い出したから。
──『ですが、そんなあなたの優しさや気遣いを感じたからこそ、私はアユという友達を強く意識するようになりました。そして、あなたと過ごしていくうちに、もっとあなたとの関係を大事にしたい。もっと側にいたい。そう思うようになったのです』
シャインズ・ゲートで初めて二人きりで話した日。
こう言ってくれた千麻さん。
──「えっと……恥ずかしくても、そこまでして、仲良くなりたいの?」
──「……そ、その……も、勿論、優汰君と、もっと親密になりたいと、思ってますよ? はい」
この間だって、彼女は僕にこんな言葉を口にしてくれた。
多分、今の行動はそんな思いの裏返しなんだと思う。
友達として親密になりたいって思っての行動だとしたら、今の千麻さんの行動は彼女にとって理に適ってる。
多分、彼女なりに友達として頑張ってくれてるんだから、ここで無理や手を振りほどくなんてしたくない。
ただ、沈黙はやっぱり恥ずかしい。
ど、どうしよう……ううん。どうにかしよう。
自分も変わるために頑張るって決めたんだから。
「千麻さん」
「え? あ──」
さっきお弁当箱を渡そうとした時と同じ反応をした彼女が、咄嗟に手を離したけど、僕はそれを掴み返した。
「……え!?」
「ち、千麻さんがこうしてたいっていうなら、そのままでもいいよ。流石に外だと恥ずかしいから、バスの中だけにしてほしいけど」
結局中途半端な事を言っている自分にちょっと情けなくなるけど、それでも僕なりに頑張れる範囲でなんとかしてあげたい。
そんな思いが伝わってくれたら……。
そう思っていると、千麻さんが顔を赤くしたまま苦笑する。
「あの……少し、痛いです」
「あっ! ご、ごめん!」
僕が勢いよく掴み返しちゃったせいだ。
咄嗟に僕が手を離し引こうとした瞬間、今度は彼女が僕の手を掴んだ。
「あ、あの。手は大丈夫です。ただ、できれば先程のように、その……手を添えさせていただけませんか?」
千麻さんが潤んだ目でこっちを見つめながら、そんな懇願をする。
ま、まあそれだったら……。
「え、えっと。わかったよ」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら小さく微笑む千麻さんに手を取られたまま、僕はゆっくりと二人の間の座席に手を戻した。
そして、また僕達を包みだすエンジン音。
街灯何かの明かりで時折はっきりと姿を確認できる千麻さんは、また脇で俯いている。
……き、気まずい……。
ただ、また手に感じ始めた熱が、僕の胸の鼓動をより強くさせてくる。
で、でも、千麻さんって、結構積極的なんだね。
お淑やかな雰囲気はそこまで変わってないけど、誰もいないバスの中とはいえ、こうやって手を繋いだりしてくるんだから。
「……やはり、現実は違いますね」
どこに目を向けていいかもわからず、何となく窓の外を見つめていると、千麻さんがぽつりとそう口にする。
え? 現実?
「どういうこと?」
僕が目を向けると、彼女は気恥ずかしそうな顔を少しだけこっちに向ける。
「は、はい。やはり、シャインズ・ゲートとは違うな、と……」
「シャインズ・ゲート……あ」
心当たり。
それは、みんなをTOP4と知った日に動揺してログオフした僕が、千麻さんと話したあの日のこと。
僕が気づいたのを察したのか。彼女はまた俯くと空いた手でゆっくりと眼鏡を直す。
「あの時も、私は緊張していました。仮想空間の中で手を重ね、優汰君が隣にいる現実を噛み締めながら」
「……え?」
あれ? ちょっと待って。
確かにあの時、僕は千麻さんと並んでベンチに座ってた。
だけど手を繋いだって記憶はないし、シャインズ・ゲートにそんなエモートもなかったはず。
「えっと。手を重ねたって、どうやったの?」
「並んで座り、手の位置を重ねただけです。あのゲームで、それ以上のことはできませんから」
ああ。だから妙に距離が近いって思ったのか。
ただ並んで座ってるものだと勘違いしてたけど、考えてみたらもう少し間を開けて座ったってよかったもんね。
「ですが、今はそれだけじゃないんです。隣で顔を見られるだけでなく、息遣いを感じ、手の感触やぬくもりも感じられる。それは癒やされると同時に、より緊張を煽るもの。それをひしひしと感じているんです」
「そ、そっか……」
現実をこうもしっかり突きつけられると、恥ずかしさが一気に加速する。
正直羞恥心が思考を遮ってきて、一体どう返事をすればいいか──あ。
「そういえば。千麻さんに、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「はい。何でしょう?」
突然僕がそう切り出したせいできょとんとした千麻さんに、僕はあの日の事を聞いてみることにした。
「シャインズ・ゲートで二人だけで話した時、千麻さんが何か言いかけたけど。あれってなんだったの?」
僕の質問を聞いた瞬間、おもいっきり目を瞠った千麻さんの顔が、今日一真っ赤になった。それこそ、ぽんっていう勢いで。
「あ、ああああ、あ、あれはですね。その、なんと言いますか……」
千麻さんが普段学校じゃ絶対見せないであろう慌てふためき方をしてるけど、もしかして聞いちゃいけない事だったのかな?
首を傾げた僕を見て、彼女はコホンと咳払いをする。
「あ、あの、私は、あなたの事をその……そう! す、素晴らしい方だとお伝えしたかったんです!」
え?
「素晴らしい? 僕が?」
僕はそれを聞いて、また首を傾げてしまった。
自分にそう言われる要素なんてなうと思うし。
だけど、千麻さんは僕のそんな気持ちを否定するかのように、ぎゅっと僕の手を掴む力を強めた。
「はい。優汰君の優しさや気遣いは私達を本当に安心させますし、幸せな気持ちにさせてくれます。それは本当に素晴らしいことだと思いますよ。はい」
そうなのかな?
一緒にいたいと言ってもらえるって事は、彼女の言う通り。何かそういった気持ちを与えられてるのかもしれない。
ただ、そもそもそんな実感はないし、それが素晴らしいかと言われると何とも言えないんだよね。
すっきりしないまま空いた手で頭を掻く僕を見て、千麻さんは気持ちは落ち着いたのか。普段のような笑顔を向けてくる。
「ちなみに、優汰君は昔からこうだったのですか?」
「え? こうって?」
「昔から今のように、お優しくて気遣いもできる方だったのかなと」
昔から……。
──「有内君。あの……ありがとう」
その言葉を聞いてふっと頭に浮かんだ、おずおずとした女子が僕に伝えた感謝の言葉。
それが僕の顔を歪ませた。
あの時も自分なりに気を遣ったつもりはあったし、優しさを見せたから言われたのかもしれない。
でも……その言葉はもう、僕にとって辛さしか残してない。
「……どうか、されましたか?」
はっとした僕の目に映ったのは、千麻さんの少し心配そうな表情。
あ。こんなところでぼんやりしてる場合じゃなかった。
「あ、いや。昔から友達が少なかったし、そういう事を誰かに口にされたこともないんだよね」
「そうなのですか?」
「うん。だから昔のことって言われても正直わからなくって、ちょっと情けない気持ちになっただけ。ごめんね。心配をかけて」
「いえ。こちらこそ失礼しました」
千麻さんが、心底申し訳ない顔をして頭を下げてくれたけど、僕はそこにかける言葉を持ち合わせてなかった。
ちょっと、さっきのことを思い出したショックがあったから。
また僕達を包む気まずい空気。
それはさっきより遥かに重く感じるものの、今の僕にはどうしようもできない。
『次は、堀之江団地。堀之江団地でございます。お降りの方は、降車ボタンにてお知らせください』
と。そんな気まずい空気をごまかすように、次のバス停の行き先を示すアナウンスが流れた。
確か千麻さんの家は、このバス停が最寄りだったはずだよね。
僕の記憶の答え合わせをするように、千麻さんが少し名残惜しそうな顔で降車ボタンを押した。
「優汰君が降りるのは、もうひとつ先ですよね」
「うん。南葛橋小学校前」
「そうですか。今日は色々とご迷惑をおかけしてすいませんでした」
「ううん。お弁当の件で迷惑をかけてるのは僕だから。気にしないで」
「では、お互い様ということにしましょうか」
「うん」
僕達はそんな会話を交わすと互いに笑顔を見せたけど、彼女の笑みはちょっとぎこちない。そういう僕も表情が固い気がするけど、お互いそれに言及はしなかった。
そんな中、バスがバス停に停車する。
「では、また明日お会いしましょう」
「うん。それじゃあね」
「はい。失礼します」
立ち上がった千麻さんがきれいな会釈をすると、そのままバスを降りていく。
でも、すぐに家路にはつかず、バスが走り出すまで窓越しに互いを見る。
『発車いたします。足元の揺れにご注意ください』
アナウンスと同時に閉まるバスのドア。
バスがゆっくり走り出すと、外に立つ千麻さんが小さく手を振ってくれる。
僕も軽く振り返すと、ほどなくして彼女の姿は見えなくなった。
一人になった僕は、ふぅっとため息を吐く。
重い空気から解放された安堵感と、千麻さんを心配させるような表情をしても大丈夫になったことに。
僕の心に残る傷。
その痛みを久々にはっきり思い出した僕は、両腕で自分の体を抱きしめると、その場で身を小さくし、ぼんやりと外を流れる景色を見て、気持ちをごまかそうとした。
でも、それは車窓の景色のように簡単には流れていってくれなくて。
僕はその日。シャインズ・ゲートに入ることもなく、ベッドに横になったんだ。




