第9話:歪であっても
え!?
はっとして思わず扉を見たけど、鍵が掛かっているみたいですぐに空いたりはしなかった。
「あら。誰もいないのかしら?」
だけど、向こうから聞き覚えのある女性の声がする。
名前は覚えてないけど、確か三年生を見ていた先生だったと思う。
「あ、はい。今開けます」
すぐさま返事をした千麻さんが、僕を見た後、カウンターに視線を移し目配せをする。
これ、隠れてってことだよね。
慌てて弁当箱をカウンターに置いた僕は、指示に従いリュックを持ってカウンターの下に潜り込む。
少しして、コツコツという足音の後、カチャッという軽い音と、扉の開く音が耳に届いた。
「お待たせしました」
「あら、長月さん。閉室の時間とはいえ、内側から鍵を掛けるなんて。一体どうしたの?」
「あ、はい。その、自分の鞄を整理しておりました」
「鞄の整理?」
先生の疑問ももっとも。理由としてはかなり不自然に聞こえるけど、大丈夫かな?
内心不安になりながら様子を窺っていると、千麻さんは落ち着いた口調で話を続けた。
「はい。あまり鞄の中を見られるのは好きではないもので」
「そう。ちなみに、あなたほどの生徒ですからそんなことはしないと思いますが。図書室の中でお弁当を食べるなどしておりませんよね?」
先生の声が、何かを疑うようなトーンに変わる。
しまった。図書室にあるまじきお弁当箱。それがカウンターにあれば、誰だってそう疑うに決まってる。
やらかしたろいう気持ちがより僕を不安にさせたけど、千麻さんの声は動揺すら感じさせなかった。
「はい。あれは図書委員の仕事に遅れそうだったため、慌てて鞄に仕舞い込んでいただけです。せめて帰りくらい、鞄が膨らまないよう仕舞っておきたかっただけで、他意はございません」
「……そうね。この一年以上、図書委員としても優秀な活動をしてきたあなたですもの。疑う余地などないわね」
千麻さんの言い分を耳にして、先生の声がどこか穏やかになる。
学校での成績もいいし真面目でもある千麻さん。だからこそ先生達の心象もいいし信頼も厚いのかな。
きっと僕だったら、こうはいかなかったと思う。
「先生は何かこちらにご用でしたか?」
「ええ。私は私用で先に上がるから、鍵は職員室にいる堂島先生に返してもらいたいの。よいかしら?」
「わかりました。この度は驚かせてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「いいのよ。女の子は誰だって、見られたくない物くらいあるもの。それじゃあね」
「はい。お疲れ様でした」
二人が会話を終えると、再び扉が閉まる音がした。
少しして、カチャリと鍵を掛ける音がしたけど、千麻さんはカウンターに戻っても、僕に何も言ってこなかった。
無言のまま、鞄にお弁当箱を片付けてるような音がしてしばらく。
「ふぅ……。もう大丈夫ですよ」
彼女は安堵のため息の後、そう言ってくれた。
ほんと危なかった。今でも心臓がドキドキ言ってるし。
額の汗を制服の袖で拭うと、僕はもそもそとカウンターの下から這い出し、千麻さんの脇に立った。
「本当に申し訳ございません。私の浅はかな策で、優汰君に危険な思いをさせてしまって……」
気落ちした千麻さんは、片付け終わったカウンターの上の鞄をじっと見つめている。
確かに驚いたし、緊張したのだって間違いない。でも。
「大丈夫だよ。確かに緊張もしたけど、ちょっと楽しかったし」
僕はそう言って、笑ってあげた。
「え? 楽しかったですか?」
千麻さんが顔を上げると、少し驚いた顔をする。
こんな事を言うと変に思われるかな?
そう思ったけれど、別に嫌味を言っているつもりなんてない。
「うん。なんかファンタジー・フォレストで遊んでた時を思い出したんだ。一生懸命高レベルの敵を避けて、新しいエリアに行こうとした時みたいだったから」
そう。なんか強敵を避けるために、必死にルートを考えたり隠れて移動してた頃に似てるなって思ったんだよね。
ナガツを始め、みんなはレベルも高かったから、きっとこんな楽しみ方をしてこなかっただろうから、こういう気持ちにならないかもしれないけど。
僕の言葉を聞いて唖然とした千麻さんが、ふっと微笑んでくる。
「本当に、優汰君には敵いませんね」
「え? どういうこと?」
「私は今、本当に失敗したと落ち込んでいたのですよ。それなのに、たった一言でこうやって私を笑顔にしてくださるんですから」
「そ、そんな凄いものじゃないよ。多分、僕が能天気なのかも」
「ふふっ。そういう所が優汰君らしいんですよ。勿論、良い意味で」
予想外の言葉に僕が戸惑いを見せると、それがおかしかったのか。
彼女が口元に手を当てくすりと小さく笑う。
その仕草が可愛かったのもあるけれど、それ以上の褒められ慣れてないせいもあって、僕は赤くなった顔をごまかすように目を泳がせ頬を掻く。
え、えっと……。
「そ、その。準備が終わってるなら、そろそろ帰る?」
「そうですね。また先生がいらっしゃっては大変です。そうしましょう」
僕がそう提案しながらちらりと見ると、千麻さんはまた小さく微笑んだんだ。
◆ ◇ ◆
「……今なら誰もいないようです」
「わかった」
先に廊下を覗き見た千麻さんがと一旦図書室に入り、入れ替わりで僕が周囲を警戒しながら廊下に出る。
一部電気が消灯していて普段よりちょっと薄気味悪い三階の廊下。
既に屋内の部活動は活動を終了している時間だけあって、足音すら少し響くように感じる。
そんな中、図書室を出た千麻さんが扉に鍵を掛けた。
カチャリという音が部屋にいた時より響いた気がして、また緊張感がぶり返す。
大丈夫、だよね?
周囲をキョロキョロと警戒していると。
「それでは、私は一度職員室に行ってからバス停に向かいますので」
彼女が声を潜め、僕にそう告げた。
「うん。乗るのは七時丁度の最後のバスだよね?」
「はい。では、手筈通りに」
「わかった」
「それでは、また後ほど」
「うん。それじゃ」
互いに頷きあった僕らは、互いに背を向け廊下を反対に歩き出した。
コツコツと遠ざかっていく千麻さんの足音。
先に階段に辿り着いた僕が降りる前に足を止めると、彼女も遠くで足を止め一度こっちを振り返る。
遠間から、小さく手を降った彼女に小さく手を振り返した僕は、そのまま一人階段を降りていった。
誰もいない階段もまた、廊下とは違う気味悪さがある……はずなんだけど。
僕の心は恐怖なんかより、何とも言えない胸の温かさでいっぱいだった。
理由はわかってる。
今、僕はこの高校に来て初めて、友達と学校生活を過ごせたのを、嬉しく思ったから。
……中学校時代、全くそういう経験をしなかったわけじゃない。
でも、中学二年のある時を境に、僕の環境は一変した。
学校で誰かが側にいて、笑顔で話をし、昇降口で手を振り別れる。
当たり前ではなかったけど、それでも存在していたそんな世界を中学で失って。
それでも辛かった中学生活を乗り切り高校に進学して、やっとまた憧れの世界を手にできる環境になった。
だけど、気づけばどこかで、また同じことが起きるんじゃって不安になって。
自分から行動できないまま、同級生と距離を置く日々を変えられなかった高校一年。
それが今。
本当に今、少しだけ変わった気がした。
──って。
何を感傷的になってるんだろ。まったく。
呆れ笑いを浮かべた僕は、一階まで降りるとまた廊下を歩き始める。
今があるのはたまたま。
あまり変な期待はしちゃダメだ。
ネットゲームでできた友達が、たまたまTOP4だっただけ。
僕が同級生だって知った今、それでもみんなと友達でいられるのだって、まだ四人が僕に興味を持ってくれているからなだけ。
休みやゲームの中で一緒にいる機会が持てたとしても、今のままじゃこの先こうやって学校生活を一緒に過ごせる機会なんて早々訪れない。
僕のことに嫌気が差して友達を止めることになったら、久々に感じられた友達のいる世界を失う。
……それだけは、嫌だな。
俯きながら歩いていた僕は、静かに顔を上げる。
そう。今のままじゃ駄目。
だからこういった歪な形であっても、一歩ずつ踏み出してみよう。友達との学校生活を。
そして見つけるんだ。
僕が変わるきっかけを。
自信を持ってみんなの隣にいられるようになるきっかけを。
結局、誰ともすれ違うことなく昇降口に着いた僕は、前庭に出るとほとんど星の見えない夜空を見ながら、一人バス停に向かったんだ。




