第6話:雰囲気
「……え?」
僕が質問を聞いて、みんなの疑問の声が重なる。
「優汰君。失礼ですが、あなたは壁ドンという言葉を聞いたことはないのですか?」
「う、うん。ないかな」
千麻さんがそう聞き返してくるってことは、これって有名な言葉なのかな?
語呂からすると家の壁をドンドンと叩く印象があるけど、瑠音さんがそれをお願いするっていうのも変な話だし、多分違うよね。
「いやいや。流石にマンガやドラマで目にしたりするだろ?」
「えっと、実はマンガとかドラマとか、全然見なくって……」
「そっかー。でもー、ツブヤイッターとかテックトックなんかで、そういうイラストとかマンガとか流れてきたりしない?」
「ご、ごめん。僕、SNSも全然やってないんだ」
「マ!? まさか優くんってー、仙人とか目指しちゃってる!?」
「さ、流石に、それはないけど……」
沙和さん達がここまで驚いてるけど、僕はみんなの反応を見て肩を落とし俯く。
なんとなくそんな気はしてたけど、やっぱり僕ってあまり普通じゃないんだなって痛感したから。
「それらを見ない理由は何かあるのですか?」
「もしかしてー、家めっちゃ厳しいとか?」
「う、ううん。そんなことはないよ」
「なら、どうしてなのかしら?」
「もしかして、一人暮らししてるのに関係するのか?」
勘所のいい喜世さんの言葉に、僕はギクッとする。
もちろん僕にはそうしてるだけの理由がある。だけど、それは僕に友達がいなかった過去を話すことになる。
……みんなが楽しもうとしてる時に、そういう話題はしないほうがいいよね。
「え、えっと。どちらかというと。勉強するのが好きだったから、そっちに夢中で」
笑顔で取り繕いながら、みんなにそんな事実めいた嘘を口にした。
勉強が嫌いってことはないけど、好きかと言われたらそこまでじゃない。
でも、勉強を頑張ってるのは事実だから。
「確かに優汰君は、一年最後の期末テストでも五十位以内に入っていましたよね?」
「う、うん」
「成績が優秀なのはその裏返し、というところかしら」
「そう、なのかな?」
「かもな。まあ、真面目は取り柄だし、悪いことじゃねーよ」
「そうそう! それだったら知らないのも仕方ないっしょ!」
僕の言葉を真に受けてくれたのか。それとも僕が気落ちしたのを気遣ってくれたのか。みんなは驚くほど素直に納得し励ましてくれた。
でも、このまま話してたらいつかボロを出しちゃいそうだし、話を戻したほうがいいかな。
「え、えっと。それで、壁ドンってどんな風にするの?」
僕が敢えて本題に話を戻すと、四人が互いを見合う。
「ま、ここは素直に実演したほうが早いかもな」
「そうだねー」
「沙和。ちょっといいか?」
「おっけー!」
喜世さんと沙和さんが立ち上がると、そのまま廊下の入口付近の壁の方に歩いて行く。
「じゃ、沙和は受けな」
「おっけー。どんとこーい!」
流れるように沙和さんが壁を背にして立つと、その前に喜世さんが立つ。
そして……喜世さんが文字通り、ドンッと片手を沙和さんの顔の側の壁に突いた。
「沙和……」
「きよっち……」
喜世さんが女子を誘うイケメンっぽい感じの、沙和さんがときめく女の子っぽい感じの演技を見せ見つめ合う。
へー。これが壁ドンかぁ。
二人がやるとすごく絵になってる。でも、きっとここまで近づくってことは、壁ドンは相当親しい人してじゃないとしなさそうだよね。
素直に感心していると、喜世さんと沙和さんが体勢をそのままに普段通りの表情に戻り、こっちを見た。
「とまあ、ざっとこんな感じだな」
「どーお? 優くん。壁ドンって何か伝わった?」
「うん。とりあえず瑠音さんに向けて、壁をドンッてすればいいんだよね?」
素直にそう返すと、二人がこりゃ駄目だと言わんばかりに、ため息と共に肩を落とす。
あれ? 違うの?
僕が首を傾げると、声を上げたのはテーブルの前に立ったままの瑠音さんだった。
「優汰。言いたいことはわかるけれど、それだけじゃ駄目なのよ」
「あ、そうなんだ。何が足りないの?」
「雰囲気ですわ」
「雰囲気?」
「ええ」
僕が戸惑っているのをよそに、瑠音さんが急に両手を胸の前に組み、目を潤ませながら天を仰ぐ。
「突然少女を壁ドンしたのは、憧れの美男子。彼は逃さないと言わんばかりに腕で行く道を塞ぐと、ぐっと顔を近づけ彼女の顎に手を掛け自分に顔を向けさせる。気圧された彼女は近づいた彼に鼓動が高鳴り、そして──」
「流石にそれは高望み過ぎです。優汰くんも困りますよ」
どう考えても妄想の世界に入り込んでいた瑠音さんを現実に戻したのは、妙に落ち着きを払った席についたままの千麻さんだった。
た、確かに今のを再現しろって言われたら、僕も流石に困る。
顎に触れるなんて、ゲームの中だったらまだしも現実じゃ恥ずかしいし。
大体僕は彼女が思うような美男子じゃないんだ。雰囲気作りとはいえ、瑠音さんだってあそこまでの密接な感じを出されたら、流石に困るに決まってる。
「コホン」
夢から覚めたかのようにはっとした瑠音さんが、気まずい空気をごまかすように小さく咳払いをした。
「た、確かに、そこまでさせるのは優汰には悪いわね。ただ、多少雰囲気は作ってほしいわ。折角の機会なのもあるけれど、貴方に私の初めてを経験させるのだから」
「……え? 初めて?」
意外な言葉に素で反応しちゃった僕を見て、瑠音さんが腕を組むと、少し顔を赤らめそっぽを向いた。
「え、ええ。悪い?」
「う、ううん。そんな事はないけど、そも……初めての相手が僕でいいの?」
壁ドンの価値なんてさっぱりわからないけど、そういう体験を僕相手にしちゃっていいのかはやっぱり不安になる。
僕自身、そこまで初めてってことに拘りはないけど、みんながそうとは限らないし。
「え、ええ。構わないわよ。貴方も私も初めて。それでこそ等価交換ですもの」
「るとっちってば、カッコつけちゃってさー。さっきまで壁ドンしてしてーって感じに熱弁してたじゃーん」
「ほーんと。『絶対に貴方と触れ合う機会を頂きますわよ』、なーんて力説しといてよー」
瑠音さんの言葉に冷やかしを入れながら、テーブルに戻って来た二人がニヤニヤとした顔で彼女を見ると、瑠音さんがより顔を真っ赤にし「ふんっ」とそっぽを向く。
それを見て、瑠音さん以外の三人がお互いを見ると、クスクスと笑い出した。
「初めて云々はお互い様ーってことで置いとくとしてー。流石にるとっちの要求は高すぎだけどー、少しくらい雰囲気を出してあげてもいいかもねー」
「確かにな。壁ドンってのは男が相手に迫る時にするもんだからな。ま、優汰が本気で瑠音に迫る必要はねえけどよ」
「そうですね。少し真剣味を出してあげるくらいで良いと思いますよ」
改めて席に座った沙和さん達の言葉に、千麻さんも相槌を打つと、
「ま、まあ、私は別に、本気で迫っていただいても構わないのだけど」
肩に掛かった髪を片手で払った瑠音さんが、様子を窺うかのように片目を開けこっちを見る。
本気でって……流石にそれは良くないよ。僕達は、特別とはいえ友達でしかないし。
「そこまではしないよ。きっと本気の壁ドンは、瑠音さんの好きな人にしてもらったほうがいいだろうし」
正直、初めてを僕で経験したいっていうのはどこかくすぐったいし、同時に申し訳ない気持ちになる。
でも、多分どこかで経験しておくことで、この先そういう機会があった時に対応できるようにしておきたいって思いが瑠音さんにあるのかもしれない。
だからこそ、僕はそう気遣ったつもりだったんだけど。
それを聞いた瑠音さんは無言のまま、不満気に僕に白い目を向け。
「やっぱ優くんってやっさしー!」
「本当ですね」
「ま、当面は安心だな」
他の三人は、真逆の笑みを浮かべている。
……僕、何か変なこと言ったかな?
内心ちょっと不安になったけど、何となくこれ以上追及すると墓穴を掘りそうな気もして、僕はこれ以上何も言わないことにしたんだ。




