第8話:気まずい空気
「ん? 何だこの香り……」
何かが気になったのか。喜世さんが鼻をくんくんとさせる。
香り……あ。今淹れている紅茶の香りかな?
そう思っていると、千麻さんも眼鏡の下の目を閉じる。
「……これは……トマトの香りでしょうか?」
「あー! それそれ!」
正解! と言わんばかりに沙和さんが千麻さんを指差すと、喜世さんがはっとした。
「トマトの香りって……まさか!?」
喜世さんはそのままキッチンに歩いて行き、コンロに乗っている鍋の前に立ち蓋を開けた。
まだ温かいミネストローネから白い湯気が立ち昇り、周囲により強く広がるトマトの香り。
「おいおい、マジかよ……」
鍋の中の物を見た喜世さんが赤髪をがしがしと掻くと、両腕を組み僕に不満げな顔を見せた。
「優汰。これ、お前が作ったのか?」
「う、うん」
どこかキツく感じる圧のある声。小さい頃、先生に怒られた時のようなプレッシャーを感じて、僕はその場で萎縮する。
「まったく。お前、人の話を聞いてなかったのかよ?」
「人の話?」
「ああ。俺達はお前の食費を気にかけたから、飯を作りに来るって言っただろ?」
「あ、う、うん。それは、聞いてたけど……」
「だったら、なんでお前が飯を作ってるんだよ?」
「あ……その……ご、ごめん……」
じと目でこっちを見た彼女に、僕は何も言えなくなり俯いてしまう。
来てくれるみんなを、少しでももてなしたい。
僕にはそんな理由があったけど、確かにご飯を作りに来たのに作られてたら、嫌な気持ちになるよね。
こんな事もわからないなんて。やっぱり僕って駄目だな……。
「喜世。優汰を責めるのはお止めなさい」
気落ちした僕の側に、ゆっくりと瑠音さんがやってくると、僕の隣に立ちこっちを見た。
「優汰。貴方は何故、わざわざ料理を作ったのかしら?」
僕に向けられた彼女の目は、普段学校で見るよりも柔らかく感じる。
正直な気持ちを言ってもいいのかな……。
「優汰?」
「あ、ご、ごめん」
問いかけてくれた瑠音さんが、少し心配そうな顔をする。
そうだよね。折角こういう機会をもらったんだし、ちゃんと話してみよう。
僕は瑠音さんを安心させるように頷くと、喜世さんに向き直った。
「えっと、その……やっぱり、みんなが来てくれるんだし。せめてお昼くらい、おもてなししたいなって」
「だけど、それでお前の食費がかさんだら──」
「喜世。お黙りなさい」
僕に苦言を言おうとした喜世さんを瑠音さんはピシャリと一喝すると、彼女は改めて僕に申し訳なさそうな顔をした。
「優汰。悪かったわね。私達が急に家に来るなんて言い出したから、変に気を遣わせたわね」
普段学校で見せたことのない憂いある表情。こっちが勝手に気を遣っただけなのに、こんな顔をさせるのは友達として申し訳ないよね。
「ううん。元はと言えば僕が悪いんだし──」
「もうっ! 優くんはぜーんぜん悪くないかんね!」
と。僕達の会話に割って入ってきたのは、キッチンまで歩いてきた、むくれ顔の沙和さん。
彼女は喜世さんの前に立つと、両手を腰に当てふんっと鼻息ひとつ吐く。
「きよっち!」
「な、なんだよ?」
「せっかく優くんがあーし達のために頑張ってくれたんだよ? それなのに、すーぐそうやってぷんぷん怒ってさー」
「お、怒ってるわけじゃねーよ。ただ、優汰が──」
「言い訳無用! 罰として、きよっちは優くんの作ったご飯、抜きだかんね!」
沙和さんは毅然とした態度のまま、ビシッと喜世さんを指差すと、彼女はげっという顔をした。
「ちょ、待てよ! 理由はどうあれ、優汰が折角作って──」
「ご安心ください。私があなたの分も召し上がります」
後からやってきた千麻さんが、眼鏡をくいっと直すと真剣な顔でそう宣言する。
「お、おい。お前じゃ無理だろって。普段から少食──」
「あら? 私達がいるのをお忘れ?」
「そーそー。五人前が四人前になったくらいなら、ぺろりと食べちゃうもんねー」
追従するように瑠音さんや沙和さんの言葉を聞いて、喜世さんは何も言えなくなると苦虫を噛み潰したような顔をした。
……な、なんか僕のせいで、みんなの空気が悪くなってる。
このまま喜世さんがみんなと喧嘩別れしちゃうなんてことがあったら……。
「ま、待って」
思わずみんなを制止すると、四人が同時にこっちを見る。
こうやって真剣に見つめられると自分が場違いみたいで、変に緊張してきた。
でも、ちゃんと仲を取り持たないと……。
「あ、あの。その、き、喜世さん」
「な、なんだよ」
気まずそうな顔をしてる彼女。
僕なんかが何か言っていいのか。そんな不安をつばと一緒に飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。
「え、えっと……その。お昼を作っちゃったのは、僕が悪かったと思う。ごめん。それで……」
「それで?」
「そ、その……口に合うかわからないけど。よ、良かったら、一緒に食べてくれないかな?」
「は? いいのか!?」
「う、うん」
「えーっ!? なんでー!?」
目を丸くした喜世さんに頷き返すと、沙和さんが驚いた顔をする。
そ、そこまで驚かれる話かな? まあいいや。今はちゃんと説明して納得してもらわないと。
「その……さっき話した通り、折角みんなが家に来てくれたんだから、僕がもてなしたかったのもあるんだけど。料理を食べてもらう中で、みんなの好みとかを知れたら、次に来た時もっと喜んでもらえる物を作れるかなって……」
話していくうちに、こういうのって自分のわがままなんじゃないかって思ってきて、自信がなくなり声が小さくなる。それでも何とか伝え終えると、おずおずと皆の様子を窺う。
喜世さんは、僕の言葉に顔を背け、困り顔のまま頰を掻いている。
瑠音さんや沙和さんは、どこかまだ納得していないって顔をしてる。
そして千麻さんは──。
「折角優汰君が紅茶を淹れてくれたんです。飲みながら話しましょう」
先程までの気まずさなんてなかったかのように小さく微笑むと、両手に紅茶を手にすると流れるような動きでリビングに向かい始めた。
「あ。ぼ、僕も運ぶ──」
「だーめっ! 優くんはー、ちゃーんときよっちの答えを聞かないと。るとっちー。手伝ってー」
「はいはい」
両手にカップを手にし、急にころりと態度を変えた沙和さんの普段通りの笑顔を見て、やれやれと呆れながら、瑠音さんも残りのカップを手に持つと、一緒にリビングに向かう。
そして、キッチンには僕と喜世さんだけが残された。
彼女は未だ、気まずそうにその場に立っている。
やっぱり機嫌を損ねちゃったかな……。
不安で何も言えないまま、ただ喜世さんの返事を待っていると。
「本当に、いいのか?」
彼女がぽつりと口を開いた。
そっぽを向いたまま、ちらちらと様子を窺ってくる喜世さん。
「う、うん。喜世さんがよければ。あ、でも、もしトマトが苦手とかだったら、無理しなくても──」
「だ、大丈夫だって! 食べ物の好き嫌いは全然ねーから」
喜世さんがはっとしてこっちを見ると、慌てて僕の言葉を否定してくる。
良かった。そこで無理されてたらどうしようと思った。
「味の保証はできないけど、いい?」
「心配すんな。ただ、晩飯とかは俺達で作るし、食材もこっちで用意するか。そこは譲らねえ。いいか?」
「うん。わかった」
ほっとして自然と笑顔になった僕を見て、喜世さんがまたそっぽを向くと、顔を赤くしながら赤い髪をガシガシと掻いた。
あれ? どうかしたんだろう……あ。もしかして……。
「ご、ごめん。僕が笑うの、キモかった?」
「ち、ちげーって! 優汰は何も悪くねーから気にすんな! な?」
普段の堂々とした雰囲気なんて皆無の、喜世さんらしくない反応。
それが妙に心に引っかかったけど、大丈夫っていうなら信じないと。
「うん。わかった」
僕は想いがきちっと伝わるように、笑顔で返事をしたんだ。




