幕間:瑠音の苛立ち
部屋の隅にある壁掛けの大型ディスプレイを見ながら、私はゲーム専用のソファに座り、既に高鳴る胸の鼓動を抑えるのに必死になりながら画面を凝視しておりました。
でも、それは仕方ない話ですわ。今私は、優汰様の隣を歩いているのだから。
名前呼びの件も一段落した私達は、皆でクエストを進めるべく高台から続く下り階段を降り始めましたの。
優汰様を中央に、右隣には沙和。その奥には喜世。私の左隣には千麻が並ぶこの状況は、ファンタジー・フォレスト時代からなんら変わらない。
でも、勿論今は大きな違いがありますわ。
それは勿論、恋焦がれる相手がこうやって隣にいるということ。
恋心を覚えたのはもっと前。まだ彼がアユとして一緒だった頃。
ただ、チャットでのやり取りや三人称視点がよりゲームらしさを感じさせ、どこか冷静になれていたのは確か。
だけれど、今は違いますの。
ゲームとはいえ手が届きそうな所に優汰様の顔があり、耳元から素敵な声が聴こえてくるんだもの。喜びと興奮を抑えるのに必死ですわ。
しかも……
──「え、えっと。瑠音さん、でいいかな?」
確認するかのように、ただ名前で呼ばれただけだったあの瞬間。私は心臓が破裂するかと思うくらいの、衝撃と甘美さを味わってしまいましたの。
嗚呼……もうその声を思い返すだけで、私は恍惚としてしまいそうになりますわ。
それなのに……何故私は、彼を呼び捨てにしてしまったのかしら……。
そのせいで、私は普段のように振る舞わないといけなくなるなってしまったわ。
せめて優汰様と呼んでいれば、私も千麻のように、淑やかに会話できていたに違いありませんのに……。
『るとっちー?』
……はっ。
突然、優汰様越しにこちらを見た沙和の声で、私は我に返りましたの。
「な、何かしら?」
『何かしら? じゃないってばー。折角優くんといるのに、なにぼーっとしてるわけー?』
心配そうな口ぶりのくせに、口に手のひらを当てながら目を細めにやりとている沙和。
間違いなくこちらの気持ちを察しての反応。だけれど、私はそれを咎められなかったわ。
だって……隣の優汰様が、こちらの様子を窺っているのだもの。
『大丈夫? 疲れてるなら、無理せずどこかで話でもする?』
「も、問題ありませんわ。少々考え事をしていただけ。気にしないでちょうだい」
『そっか。瑠音さんも、辛い時はちゃんと言ってね』
る、瑠音さん……。
その呼びかけを聞いただけで、私はまたドキリとしてしまいましたわ。
まさか、このようにお気遣いいただけるなんて……。
「え、ええ。そうしますわ」
気恥ずかしさをごまかすように、私は咄嗟に顔を背けましたの。
だって、一気に顔が熱くなってしまったんだもの。
ゲーム越しとはいえ、このような醜態を晒すなど耐えられませんわ……。
目を逸らした先にある神秘的な町並み。
それも素敵ではあるけれど、今本当に見たいのは優汰様のお姿なのに……。
『そういや、優汰は、どうしてフェイストラッキングをしようと思ったんだよ?』
『え? あ、その……笑わずにほしいんだけど……』
喜世が口にした疑問に、彼は少し歯切れが悪そうにで前置きをする。
ちらりと横目で優汰様を追うと、少し不安そうな顔をしていらっしゃった。
『おっけーおっけー! で? どんな理由?』
彼の表情から何かを察したのね。
沙和が、不安を払拭してもらうべく明るく振る舞うと、そちらをちらりと見た彼がゆっくりと事情を説明を始めましたの。
『えっと。昨日みんなが、僕とリアルでも会って遊びたいって言ってくれたでしょ?』
『はい。そうお伝えしましたね』
『うん。でも、実際に側にいるようになったら、生理的に嫌な気持ちになったりするかもしれないよね?』
『まあ、なくはねーな』
『でしょ? だったら表情だけでも変えられたら、きっとみんなもそういうのに気づけたりするだろうし。もし問題なかった場合でも、みんなと同じく声と表情を一緒に伝えられたら、色々心配をかけたりしなくって済むかなって』
私はその言葉を聞き、とても嬉しくなりましたわ。
優汰様が私達のために向けてくださる気遣いを、改めてはっきりと感じたのだから。
『ほんと。優汰君はお優しいですね』
「本当ね。私達のためにそんな想いを抱き、苦手な機械の設置まで頑張るなんて。どこまでお人好しなのかしら」
『そ、そんなことないよ』
言葉がきつくならないように気をつけつつ、柔らかな笑顔を心掛け彼を見ると、こちらに顔を向けた優汰様は気恥ずかしそうに笑う。
こちらの心の内を感じ取ってくれたのかしら。私はそれを見て、少し安堵しましたの。
『やっぱー、優くんのそういうとこ、さいっこうだよね!』
『ほんとだぜ』
『色々と大変でしたでしょうに』
『まあ、設置は大変だったけど。それより、この先どうやって食費を切り詰めていくかを考える方が大変かな』
……え? 食費を削る?
頬を掻きながら笑う優汰様の言葉に、私は沙和達と顔を見合わせましたの。
『は? 食費を削るって。どういう事だよ?』
『え? あ、その……えっと……』
喜世がそう切り込むと、彼は露骨にしまったという顔をする。
アユの頃からそう。やはり優汰様は隠し事が苦手ね。そういう正直な所も魅力的だけれど、今はその姿を見て喜んでいる場合ではありませんわね。
「優汰。白を切っても無駄よ。何があったのか素直に話しなさい」
丁度階段が終わった所で、私達は足を止める。
釣られて優汰様も歩みを止めると、バツの悪そうな顔で私達を一瞥すると、観念したかのようにため息を漏らす。
『その……実は、買ったカメラが思ったより高くって。それで、貯めてたお金もほとんどなくなっちゃって……』
『高かったって、幾らしたんだよ?』
『えっと、その……十五万くらい……』
『えーっ!? 十五万ーっ!?』
目を丸くした私より先に、驚きの声を上げたのは沙和だった。
勿論、喜世や千麻も同じくらいの驚きを見せている。
『一体どのようなカメラを買われたのですか?』
『確か、KANOONってメーカーのデジタルカメラだったと思う』
『はぁっ!? そこのメーカーのカメラって、シャインズ・ゲート非対応のやつじゃねーか!』
『そ、そうだったみたいだね。店員さんにシャインズ・ゲートでフェイストラッキングををしたいって言ったら、それを薦められたんだけど……』
『おいおい。それ、ボッタクられてるじゃねえか!』
『ご、ごめん……』
喜世が声を荒げたせいで、優汰様が落ち込み俯いてしまう。
『喜世。優汰君に悪気はなかったんです。責めるのは止めましょう』
『あ、わ、わりい……』
千麻のいう事はもっとも。優汰様を責めるのはお門違い。
そう。お門違いですわ。だけれど……。
……私の心に沸々と湧き上がったのは、彼を酷い目にあわせた相手への激情でしたの。
「優汰。そのデジタルカメラ。どこで買ったのか教えなさい」
『……え? どうして?』
「その店にクレームを申し出て、その店員に謝罪させるに決まっていますわ!」
普段以上にきつくなってしまった私の言葉に、彼がこちらに顔を向ける。
前髪で目は隠れているけれど、それでも戸惑いが浮かんでいるのは見え見え。
だけれど、もう私は怒りを抑えられませんでしたわ。
「いくら機械に疎いとはいえ、素直で正直者の優汰を相手に詐欺まがいの商品を売りつけるなんて! そのような不届き者に、この先ものうのうと接客業を続けさせるなど、神が許しても私が許しませんことよ!」
本当にありえませんわ!
店員も店員なら、そんな者を野放しにする店も店。
こうなったら麗杜家の権力を駆使してでも、絶対に後悔させてみせ──。
『だ、大丈夫だよ』
激昂する私を正気に戻したのは、困ったような優汰様の苦笑い。
『動画や写真を撮ったりもできて多機能だって言ってたし、折角だからそういった事にも使ってみるから』
『優くんってー、そういう趣味持ち?』
『ううん。全然。でも、普段の休みも大体家に籠もってることから、たまには風景でも撮るために、外に出るのもいいかなって』
そこまで口にした優汰様は私の方を見ると、
『瑠音さん。嫌な気持ちにさせてごめんね。でも、本当に大丈夫だから』
穏やかな口調でそう言い、小さく微笑んでくださりましたの。
「何を言ってますの!?」
そう言いたい気持ちを、私はぐっと飲み込みましたわ。
だって……優汰様の優しさが、心に染み渡っていたのだから。
店員の酷い態度にも腹を立てることもしなければ、私の心の狭さを責めることもしない。
ああ……。貴方様どこまでお優しい方なのかしら。
本当に素敵。素敵過ぎますわ……はっ。ここで呆けてはまた沙和に突っ込まれますわね。
「そ、そう。貴方がそれでいいのなら、別に構いませんわ」
必死に心を落ち着けようとしたせいで、私は普段のように澄まし顔で返すのが精一杯。
ですが、ここでまた取り乱しては麗杜家の恥──いえ。それ以前に、優汰様に悪印象を与えてしまうわかもしれないもの。
「それじゃ、行きますわよ」
『うん』
私は、浮かれた気持ちを悟らせないよう先に歩き出したのだけれど……一緒に隣を歩き出す優汰様を見て、顔の火照りだけは抑えられませんでしたの。
嗚呼、優汰様。素敵、素敵ですわ……。




