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第3話 狼の嗅覚と、見えざる病

 光竜暴走事件の翌日。

 路地裏のジャンク屋には、奇妙な静けさが漂っていた。


「……いないな」


 僕は店の隙間から表通りを覗き込み、安堵の息を吐いた。

 あの派手な金髪の王女様アルミナは、幸いにしてここまで追っては来ていないようだ。まあ、王族がこんなスラムの吹き溜まりに足を踏み入れるわけがないか。


「おい、灰被り。今日は店じまいだ」


 店主のドワーフが、慌てた様子で鎧戸よろいどを下ろし始めた。

「どうしたの? まだ昼過ぎだよ」

「馬鹿野郎、お前こそ気づいてねえのか! さっきから店の周りをウロウロしてる奴がいるんだよ。衛兵じゃねえ……もっとヤバい、血生臭い連中だ」


 血生臭い?

 僕は眉をひそめた。その時だ。


 ドンッ!


 閉めかけた鎧戸が、外から太い腕一本で強引にこじ開けられた。

 悲鳴を上げる蝶番。

 隙間からねじ込まれてきたのは、灰色の毛並みに覆われた屈強な巨体と、鋭い三角形の耳。


「――見つけたぞ」


 低い、地鳴りのような声。

 そこに立っていたのは、身の丈二メートル近い**狼の獣人ウェアウルフ**だった。

 身につけているのは獣人連邦の軍装。肩には部族長クラスを示す「銀の牙」の階級章。

 その双眸は、獲物を追い詰めた肉食獣そのものだった。


「ひぃッ!? あ、灰牙隊はいがたいのザラフ隊長!?」

 店主が腰を抜かしてカウンターの下に潜り込む。

 ザラフ。その名は僕でも知っていた。獣人連邦きっての武闘派遊撃隊を率いる、生ける伝説だ。

 そんな大物が、なぜここに?


(殺気はない……いや、警戒されている?)


 ザラフは黄色い瞳で店内を見回し、僕を見つけると、鼻をヒクつかせた。

「……妙な匂いだ。魔力の匂いがまったくしねぇ。石ころか枯れ木みてぇだな、テメェ」

「よく言われますよ。用件は?」

「昨日の広場。光竜に泥をぶっかけて沈めたのはテメェだな?」


 見られていたか。

 僕は逃走経路ルートを目で探りながら、慎重に答える。

「人違いじゃないですか?」

「とぼけんな。俺の鼻は誤魔化せねえ。あの時、あの場にいた全員が『光』の魔術に見とれて思考停止してた中、テメェだけが冷静に『構造』を見てやがった」


 ザラフが一歩踏み込む。床板が軋む。

 圧倒的な質量と圧力。だが、彼は暴力を振るう代わりに、懐から革袋を取り出してカウンターに叩きつけた。

 ジャラッ、と重い音がする。中身は金貨だ。


「仕事だ、灰色の」

「……仕事?」

「ツラ貸せ。テメェのその奇妙な『眼』が必要だ」


 連れて行かれた先は、都市の外縁部に設けられた獣人連邦代表団の駐屯地だった。

 豪奢なホテルを借り切っている人間族とは違い、彼らは巨大な移動式テントを張って野営している。

 だが、その空気は重かった。

 焦燥と、腐臭に近いよどんだ気配。


「こいつだ」


 ザラフに案内された天幕の中には、数名の若い獣人兵士が寝かされていた。

 彼らの様子は異常だった。

 高熱にうなされているわけではない。全員、手足の一部が石のように硬直し、灰色に変色しているのだ。


「……石化病?」

「光国の治癒術師に見せたらそう言われた。だが、浄化魔術をかけても治らねぇ。それどころか悪化しやがった」


 ザラフが苦々しげに吐き捨てる。

「俺の部下たちだ。北の国境警備から戻ってきてすぐ、バタバタと倒れやがった。……おい灰色の、テメェにはどう見える?」


 僕は無言で兵士の一人に近づいた。

 石化した右腕に触れる。冷たい。だが、完全に死んでいるわけじゃない。

 目を凝らす。

 肉体の輪郭が透け、その奥にある魔力循環系サーキットが浮かび上がる。


(……酷いな、こりゃ)


 血管の中に、泥のようなノイズが詰まっている。

 それは病気というより、「異物混入」に近い。


「魔術的な病気じゃない。詰まってるんだ」

「詰まってる?」

「彼ら、北の国境で『魔力砂マナ・サンド』の粉塵を吸い込まなかったか? それも、かなり純度の悪いやつを」


 ザラフの目が驚愕に見開かれた。

「……なんでそれを知ってる? 北の砂嵐の件は、まだ公表してねぇ機密だぞ」

「体を見ればわかる。彼らの魔力循環は『風属性』主体だ。そこに土属性の魔力砂が入り込んで、フィルターみたいに詰まってる。流れないから固まってるんだよ」


 僕は兵士の胸元を指差した。

「光の治癒術師は『悪い魔力を消そう』として、外から光を注いだんだろう? それが逆効果だ。詰まってるパイプにさらに水を流し込んだら、破裂して固まるに決まってる」


「……理屈はわかった。で、治せんのか?」


 ザラフの声色が低くなる。試すような響きだ。

 僕は一瞬ためらった。

 これを治すには、魔術は使えない。むしろ、外科手術に近い荒療治が必要になる。


「治せる。ただし、魔術は使わない。物理的に『通す』」

「やれ」


 即答だった。

 僕は近くにあった細い鉄の棒――テントの補修用具だろうか――を手に取った。

 そして、兵士の石化した腕の付け根、魔力が滞留している一点ポイントを見定めた。


「ちょっと痛むよ」


 躊躇なく、鉄棒を突き刺した。


「ガァッ!?」

 兵士が跳ね起きようとするが、ザラフが無言でその肩を押さえつける。

 僕は突き刺した棒を、鍵穴を探るように微調整した。

 見えている。詰まったノイズの塊、その中心点。そこを突けば、せきが切れる。


 ――ここだ。


 指先に力を込め、一気に押し込む。

 パキン、と硬質な音が体内から響いた。

 次の瞬間、刺した場所からシュゥゥ……と黒い煙のようなものが噴出した。


「う、あ……?」


 兵士の荒い呼吸が、次第に整っていく。

 石のように灰色だった腕に、見る見るうちに血色が戻っていく。

 滞っていた魔力が再び流れ出し、肉体を活性化させ始めたのだ。


「……おいおい、マジかよ」

 周囲で見ていた他の獣人たちがどよめく。

「刺して治したぞ……」

「魔法も詠唱もなしでか?」


 僕は鉄棒を引き抜き、布で汚れを拭った。

「あと全員、同じ処置が必要だ。……言っておくけど、根本治療じゃない。体内の不純物を抜いただけだ。変なものを吸い込む環境そのものを変えないと、また再発する」


 ザラフは、血色の戻った部下の寝顔をじっと見つめ、それからゆっくりと僕に向き直った。

 その顔には、先ほどまでの威圧感とは違う、奇妙な敬意が浮かんでいた。


「……俺は魔術の理屈なんざわからねぇ。だが、鼻は利く。お前からは『嘘』の匂いがしねぇ」


 ザラフは大きな手で、僕の肩をバンと叩いた。

 重い。骨がきしむかと思った。


「気に入ったぜ、灰色の。名前は?」

「……レイ」

「レイか。俺はザラフだ。礼は弾む。金か? それとも女か?」

「どっちもいらない」


 僕はザラフの目を真っ直ぐに見返した。

 これはチャンスだ。

 故郷を焼いた「紫の光」。あの実験を行っていた男は、きっとこの都市の「上層部」に関わっている。

 そして明日から始まる大陸魔術会議は、その上層部が一堂に会する場所だ。


「情報と、パス(通行証)が欲しい」

「あぁ?」

「明日からの『大陸魔術会議』。あんたたち獣人連邦の代表団に、僕をスタッフとして紛れ込ませてほしい」


 ザラフは片眉を上げた。

 薄汚い無属性の少年が、世界最高峰の政治の場に入りたがる。普通なら笑い飛ばすところだ。

 だが、狼の将軍はニヤリと口の端を吊り上げた。


「面白い。変わり者だが、腕は確かだ。……いいだろう。俺の『補佐官』ってことにしてやる。ただし、派手な真似はするなよ? あの会議場は、古臭い狸ジジイどもの巣窟だ」


「わかってる。僕はただ、見たいものがあるだけだ」


 交渉成立。

 僕は握手を交わした。ザラフの手は分厚く、火傷のような古傷があった。


 これでチケットは手に入れた。

 光の王女アルミナ。

 獣の将軍ザラフ。

 役者は揃いつつある。

 そして明日、大陸の運命を決める会議が始まる――そこで起きる惨劇を、まだ誰も知らないまま。

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