第2話 色彩の都と、路地裏の修復師
中立都市〈ルミナ・ヴィス〉。
大陸のほぼ中央に位置し、世界中の魔術、物資、そして欲望が集まる巨大な坩堝。
高さ五十メートルを超える白亜の城壁をくぐった瞬間、僕の視界は暴力的なほどの「極彩色」に塗り潰された。
「……眩しすぎる」
僕は思わず目を細めた。
街路樹は緑の燐光を放ち、空には風属性の浮遊船が行き交い、露店からは赤い火の粉と青い冷気が競うように溢れている。
ここでは「魔力」こそがインフラであり、ステータスであり、挨拶代わりだ。
灰土の静寂とは真逆の世界。
そして、灰色の僕が最も異物として浮き上がる場所。
「おい、そこの灰色。道端に突っ立ってんじゃねえよ、穢れるだろうが」
通りすがりの商人が、露骨に鼻をつまんで僕を避けていく。
すれ違う人々――人間族、獣人、エルフ――誰もが僕を一瞥し、すぐに興味を失うか、嫌悪感を露わにする。
無属性族への扱いは、ここでも変わらない。
彼らにとって僕は、風景のシミのようなものだ。
だが、それでいい。
誰の記憶にも残らないなら、動きやすい。
(まずは金だ。情報屋を雇うにも、今日眠る場所を確保するにも)
ポケットの中には、集落の焼け跡から拾ったわずかな硬貨しかない。宿代一泊分にも足りないだろう。
僕はフードを目深にかぶり直し、大通りを避けて裏路地へと足を踏み入れた。
表通りのきらびやかさとは裏腹に、路地裏には「魔術の失敗」が吹き溜まっている。
整備不良で黒煙を吐く魔導灯、光を失った看板、そして――店先で頭を抱える老人。
「ええい、クソッ! なんだって動かんのじゃ!」
古びた魔道具屋の店主らしきドワーフが、カウンターの上で何かを怒鳴りつけていた。
彼の目の前には、分解された「冷風扇」の残骸が散らばっている。風属性の魔石を使って冷気を送る、ありふれた生活魔道具だ。
「おい、そこのガキ! 邪魔じゃ、シッシッ!」
店主は僕に気づくと、油にまみれた手で追い払う仕草をした。
僕は立ち止まり、カウンターの上の残骸を一瞥する。
――見えた。
風の魔石から伸びる魔力回路が、三箇所で断線している。それだけじゃない。魔力の変換効率を決める「術式」の記述が、古すぎて今の魔力潮と噛み合っていない。
典型的な構造欠陥だ。
「……動かないのは当然だよ。回路のバイパスが逆だ」
通り過ぎざまに、独り言のように呟く。
店主の手が止まった。
「あぁ? なんだと、灰被り」
「その冷風扇、型番は古いが魔石はまだ生きてる。でも、今の季節の魔力濃度じゃ、その配線だと負荷がかかりすぎてショートする。右の端子と左の端子を、銅線で直結させれば動くよ」
店主は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「はっ! 魔力ゼロの無属性族が、魔導工学を語るか! この配線はメーカー推奨の……」
「メーカー推奨は『平時の魔力濃度』を前提にしてる。今は濃度が上がってるんだ。信じないならいいけど」
僕は再び歩き出そうとした。
だが、背後でカチャカチャと金属をいじる音がして――数秒後。
ブォォォォン……!
心地よい風の音が、路地裏に響いた。
振り返ると、冷風扇は見事に再起動し、以前より力強い冷気を吐き出していた。
店主が目を見開き、口をパクパクさせている。
「う、動いた……? しかも、新品の時より静かじゃねえか……」
「言ったろ。構造の問題だって」
「お、おい待て! ガキ……いや、兄ちゃん!」
店主がカウンターを乗り越えて追いかけてきた。
その手には、銀貨が握られている。
「こいつを持っていけ。……あと、時間あるか? 倉庫に直せねえガラクタが山ほどあるんだが」
僕はフードの下で、小さく口角を上げた。
最初の足場が見つかった。
それから三日。
僕は魔道具屋の倉庫に寝泊まりしながら、持ち込まれる「ジャンク品」の修理を請け負っていた。
やることは単純だ。
魔力が詰まっている箇所を見つけ、チョークで印をつける。あるいは、効率の悪い回路を物理的に切断して繋ぎ変える。
僕には魔力がないから、魔術そのものは使えない。だが、「魔術が流れる道」を整備することはできる。
路地裏では、噂が広まり始めていた。
『触れずに直す灰色の幽霊がいる』と。
そんなある日の昼下がり。
店番をしていた僕の耳に、表通りからの喧騒が届いた。
人々の悲鳴と、何かが砕ける音。
「なんだ?」
店を出て、人だかりの隙間から大通りを覗く。
そこには、異様な光景があった。
「離れろ! 暴れているぞ!」
「誰か、鎮静魔術を使える者はいないか!?」
石畳の中央で、一頭の「光竜」がのたうち回っていた。
馬車馬ほどの大きさの、全身が結晶でできたような美しい竜だ。だが今は、その身体からバチバチと不規則な閃光を放ち、苦しげに咆哮している。
その傍らで、一人の少女が必死に杖をかざしていた。
「鎮まって……! お願い、光よ、彼を癒やして!」
眩いばかりの金髪に、純白のドレス。光輝王国の紋章が入った外套。
一目でわかった。高貴な身分の魔術師だ。
彼女は杖から極太の光線を放ち、竜を包み込もうとしている。高位の「治癒魔術」だ。
だが、僕には見えていた。
それが逆効果であることを。
(馬鹿か、あいつは)
竜の体内では、光の魔力が飽和して暴走している。そこへさらに純度の高い光を注ぎ込めばどうなるか。
コップの水が溢れるどころの話じゃない。器ごと砕け散る。
「やめろ!」
僕は人混みをかき分けて飛び出した。
少女――光輝王国の王女、アルミナ・ルクシアが、驚いたようにこちらを向く。
「な……何ですか、あなたは!? 危険です、下がって!」
「お前こそ下がれ! 殺す気か!」
僕は彼女の杖を掴み、無理やり射線を逸らした。
放たれた治癒の光は石畳を焼き、白い焦げ跡を残す。
「なっ……何をするのです! 私は治癒を……!」
「治癒じゃない、それは『過剰充填』だ! 見ろ、竜の鱗が白濁してる。光素中毒を起こしてるんだよ!」
アルミナと呼ばれそうなその少女は、ハッとして竜を見た。
確かに、竜の輝きは濁り、苦悶の声は悲鳴に変わっていた。
「そ、そんな……。でも、どうすれば……私の光は、最高純度のはず……」
「純度が高すぎるのが問題なんだ。今のこいつに必要なのは栄養(光)じゃない。排泄(影)だ」
僕は竜に駆け寄った。
熱い。暴走する光が皮膚を焼く。
だが、構造は見えている。竜の心臓部にある魔石が、過剰な光を溜め込んで赤熱している。
「おい、そこにある『泥』をよこせ!」
「は? ど、泥……?」
「路肩の泥だ! 早くしろ!」
王女が呆然としている間に、僕は自ら側溝の泥を素手で掬い上げた。
そして、躊躇なくそれを竜の眉間――魔石の位置に叩きつけた。
「ひっ!?」
周囲の観衆が息を呑む音が聞こえた。高貴な光竜に泥を塗るなど、不敬罪どころの話ではない。
だが、効果は劇的だった。
不純物である泥が触れた瞬間、竜の表面を覆っていた完璧な光の被膜に「ムラ」ができた。
行き場を失っていた光の奔流が、そのムラを出口にして、シュゥゥゥ……と蒸気のように抜け始めたのだ。
数秒後。
竜は大きく息を吐き、穏やかな琥珀色の輝きを取り戻して、その場にへたり込んだ。
「……助かった」
僕は泥だらけの手を払い、息をついた。
静寂が場を支配している。
王女アルミナは、口元を押さえたまま、信じられないものを見る目で僕を見ていた。
「光を……泥で中和した……? そんな術式、教科書のどこにも……」
「教科書には載ってないよ。現場の応急処置だ」
僕は彼女を一瞥した。
整った顔立ち。膨大な魔力量。そして、教科書通りの正しさに縛られた、窮屈な魂。
「あんたの魔術は綺麗すぎるんだよ。綺麗すぎて、受け入れる側の器を考えてない」
「き、綺麗すぎ……?」
「光は影がないと輪郭を作れない。……覚えといた方がいいよ、お姫様」
遠くから、衛兵たちの足音が近づいてくるのが聞こえた。
これ以上目立つのはまずい。
僕はフードを目深にかぶり直し、呆然とする彼女を置き去りにして、路地裏へと姿を消した。
これが、僕とアルミナ――後に「光の聖女」と呼ばれることになる少女との、最悪の出会いだった。
そしてこの騒動を、路地裏の影からもう一人、鋭い獣の瞳で見つめる男がいたことを、僕はまだ知らない。




