第五話 情報こそが力なり
聖女アイリスが、迷子のエルフが引き起こした外交問題で精神をすり減らしていた、ちょうどその頃。
王都の一角では、一人の男が、この混沌を前にして歓喜の声を上げていた。
不徳の神官、テオ。
彼は、混乱に陥る街の様子を、まるで黄金の鉱脈でも発見した探鉱夫のような、ギラギラとした目で見つめていた。
「ひひひ…! ひひひひひ…! 面白い! 実に面白いじゃねえか!」
彼は、自らが経営する『聖女アイリス様ファンクラブ本部』の執務室の窓から、眼下に広がる阿鼻叫喚の光景を眺め、ほくそ笑んでいた。
道行く人々は、入れ替わった看板の前で途方に暮れ、騎士団の伝令兵は、目的地にたどり着けずに同じ場所をぐるぐると回り続けている。
情報の価値が、一夜にして暴騰している。
普段であれば誰もが無料で手に入れられた「パン屋の場所」という情報が、今や、金貨にも値する価値を持つのだ。
彼の、詐欺師として、そして商売人としての魂が、この状況を見逃すはずがなかった。
需要があるところに、供給を生み出す。
それが、ビジネスの鉄則。
「おい、お前ら! いつまで、ぼさっとしてやがる! 仕事の時間だぜ!」
テオは、やる気のないゴブリンの店員たちを叩き起こすと、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「まず、この街の、全ての店の、正しい場所をリストアップしろ! 一軒たりとも見逃すな! それから、城下のチンピラどもを全員集めろ! シルフィとかいう、あの歩く災害の、目撃情報を、片っ端から収集させるんだ! 情報は金だ! 一滴たりとも、取りこぼすんじゃねえぞ!」
数時間後。
王都の、路地の一角に、一つの急ごしらえの店が、その姿を現していた。
古びた木箱をカウンター代わりに、その上には、手書きの、しかし、どこか自信に満ちた看板が掲げられている。
『真実の道標・情報屋テオ』
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 道に迷った子羊たちよ! この俺様が、あんたらに、真実の光を授けてやろう!」
テオの、胡散臭い、しかし、どこか人を惹きつける口上が、響き渡る。
最初に、その店に吸い寄せられたのは、遠方の街から来たらしい、人の良さそうな商人だった。
「あ、あのう…。鍛冶屋を探しているのだがね。どうしても、たどり着けんのだ…」
「ひひひ…! 旦那、お困りのようだねえ」
テオは、にやりと笑った。
「あんたが探してる鍛冶屋は、今、『花の香りのパン屋さん』って看板を掲げてるぜ。だが、その情報は、タダじゃねえ。情報料として、銀貨十枚、いただきやす」
「じゅ、十枚!?」
「高いと思うかい? だが、あんたが、このまま一日中迷い続けて、商談を一つ逃す損失と比べりゃ、安いもんだろう?」
その、悪魔の囁きに、商人は、ぐっと言葉に詰まった。
彼は、震える手で、銀貨を差し出す。
テオは、その銀貨を、まるで宝石でも鑑定するかのように、光にかざすと、満足げに、懐にしまい込んだ。
テオの商売は、繁盛した。
彼の元には、様々な客が、藁にもすがる思いで、やってきた。
「うちの息子が、朝から帰ってこないんだ! どこかで見かけなかったかい?」
「ひひひ、人探しねえ。特別料金で、金貨五枚だ。俺の情報網に懸かりゃ、半日で見つけ出してやるぜ」
彼は、街のチンピラや、孤児たちを使い、独自の、情報ネットワークを、瞬く間に、構築していた。
やがて、彼の元に、最も金払いの良い、上客がやってきた。
シルフィの捜索で、完全に疲弊しきった、騎士団の一隊だった。
「…貴殿が、情報屋のテオ殿か。…単刀直入に聞く。エルフの、シルフィ様の、最新の目撃情報は、ないか」
隊長らしき騎士が、苦虫を噛み潰したような顔で、尋ねる。
「ひひひ…! あるぜ、旦那。とっておきの、極秘情報がな」
テオは、ニヤリと笑った。
「だが、あんたら騎士団様から、金を取るわけにもいかねえ。代わりに、一つ、頼まれてくれや。この俺様の、ささやかな商売。少しばかり、目をつぶって、ほしいんでねえ」
その、あまりに堂々とした、取引。
騎士は、一瞬、ためらったが、背に腹は代えられなかった。
「…分かった。…それで、シルフィ様は、どこに…」
「三十分前、アヴァロン大使館の屋根の上で、鳥の巣を直しているところを、目撃されているぜ」
「なっ…! なぜ、そんな場所に!?」
騎士たちは、血相を変えて、駆け出していった。
テオは、その背中を見送りながら、ほくそ笑んだ。
混沌は、金になる。
彼は、この状況を、心の底から、楽しんでいた。
そして、彼の、悪魔的な商才は、ついに、最後の、そして、最大のビジネスへと、その手を伸ばす。
彼は、店の前に、新たな、看板を掲げた。
『緊急開催! 次に看板が入れ替わるのは、どの店だ!? 大穴狙いで、一攫千金!』
愉快犯ドミノの、次なる犯行を予測する、賭博の開帳だった。
その、あまりに不謹慎な、しかし、あまりに刺激的な遊戯に、退屈していた王都の民衆が、どっと、彼の店へと、押し寄せた。
「俺は、次は、王宮の門だと思うぜ!」
「いや、騎士団の紋章だろ!」
テオは、その熱狂の中心で、山と積まれていく金貨を眺め、恍惚の表情を浮かべていた。
「ひひひ…! いいぞ、もっとやれ、ドミノ! あんたの芸術は、最高の金になるぜ!」
その日の、夕暮れ。
アイリスは、アヴァロン大使への度重なる謝罪と、シルフィの身柄引き渡し交渉という、あまりに重い責務を胸に、せめて一瞬の静寂を求めて裏通りへと足を踏み入れた時、その、信じがたい光景を、目の当たりにした。
熱狂に沸く、人だかり。
そして、その中心で、満面の笑みを浮かべて、金貨を数えている、仲間の一人の姿。
「…テオ…?」
アイリスの、か細い声。
「おお、隊長じゃねえか。見てくれよ、この、大儲け! これも、あんたの、その、ありがたい『聖女パワー』が、最高の混沌をこの街に運んできてくれたおかげだな!」
テオの、あまりに悪びれない、その笑顔。
アイリスは、もはや、怒る気力さえなかった。
彼女は、ただ、天を仰いだ。
(…もう、何も、考えたくありません…)
この国の、混沌は、外敵によってもたらされているのではない。
内側にいる、この、どうしようもない仲間たちによって、増幅されているのだ。
彼女は、その、あまりに絶望的な真実に、ただ、立ち尽くすことしか、できなかった。




