第二十六話 クエスト1『彫像たちの修復』
「クエスト1、『彫像たちの修復』。クリア条件は、街中の彫像を元に戻すための、『芸術家の魂を癒す、魔法の塗料』の入手です」
アイリスが、ノクトから与えられた最初のクエストを告げると、仲間たちは、きょとんとした顔で、顔を見合わせた。
「魔法の、塗料…?」
「はい。その塗料の材料は、二つ。…『筋肉の獅子が流す悔し涙』と、『美の神のため息』。この二つを、調合することで完成すると言われています」
その、あまりに、詩的で、あまりに、意味不明な材料名。
テオが、真っ先に、口を開いた。
「ひひひ…。なんだそりゃ。要は、ギルの旦那と、ジーロスの旦那の、涙とため息ってことか? なぜ、そんなもんが、塗料になるんだ?」
「…分かりません。ですが、そう言われているのです」
アイリスは、首を横に振った。
彼女の脳内では、ノクトが、くっくっと、楽しそうに笑っていた。
『フン。ただ、後片付けをさせるだけでは、面白くないだろう。これは、奴らが自らの過ちを、自らの感情で、清算するための、儀式なのだよ。最高の、エンターテイメントだ』
(…本当に、性格が悪いですね、あなたは…)
アイリスは、涙目になっていた。
「姉御の、涙を、誘う…。なんと、罪深いことをしてしまったのでありましょうか…!」
ギルは、もはや、請求書のことなど、どうでもよくなっていた。
ただ、ひたすらに、自らの軽率な行動が、敬愛する姉御を悲しませてしまった、という事実だけが、彼の、単純な脳を支配していた。
「うおおおおおおおっ! 姉御ぉおおおおおっ!」
彼は、その場で、崩れ落ちると、子供のように、わんわんと、泣き出した。
その、あまりに純粋で、あまりに、暑苦しい、後悔の涙。
それは、床に、大粒の染みを作っていく。
その、ギルの、あまりに情熱的な、しかし、どこか滑稽な号泣劇。
それを、ジーロスは、扇子で口元を隠しながら、冷ややかに、しかし、どこか、物悲しい目で、見ていた。
(…ノン。…なんという、醜態だ…。自らの、芸術的失敗を、ただ、涙で、洗い流そうとは…。だが…)
彼の、脳裏に、自らが引き起こした、混沌の光景が、蘇る。
不気味な光のオブジェに、怯える、子供たちの顔。
不快な高周波に、眉をひそめる、老人たちの顔。
自分の、独善的な芸術は、確かに、人々を、傷つけた。
そして、何より、その、混沌の中心で、ただ一人、全ての責任を、背負わされていた、この、か細い聖女の、疲れ果てた、横顔。
(…僕の、芸術が…。聖女を、ここまで、追い詰めた…。なんという、醜態だ…)
彼は、自らの、芸術家としての、未熟さを、恥じた。
彼の口から、深くて、重い、ため息が漏れた。
それは、ただの、ため息ではなかった。
自らの、芸術への、絶望と、そして、それでもなお捨てきれない、美への渇望が、入り混じった、複雑なため息だった。
「…あ」
シルフィが、小さな声を上げた。
彼女は、ギルが流した涙が溜まった、床の水たまりと、ジーロスが吐き出した、ため息が、まるで、霧のように、漂っているのを、指さした。
「…涙と、ため息が…。混ざって、キラキラしています…!」
その言葉に、全員が、はっと、息をのんだ。
ギルの、純粋な後悔の涙と、ジーロスの、芸術的な苦悩のため息。
その、二つの、全く異なる、しかし、等しく純粋な感情が、空中で、混じり合い、まるで、オーロラのように、淡く、七色に輝く、不思議な液体を、生み出していたのだ。
「…これ、が…」
「…『芸術家の魂を癒す、魔法の塗料』…」
あまりに、詩的で、あまりに、馬鹿馬鹿しい、奇跡の瞬間。
テオは、その液体を、空き瓶に詰めながら、呆れたように、呟いた。
「ひひひ…。ったく、やってらんねえぜ、このパーティーは…」
◇
こうして、最初のクエストは、あまりにも、あっけなく、そして、あまりにも、シュールな形で、クリアされた。
だが、本当の地獄は、ここからだった。
「―――では、これより、彫像の、修復作業を、開始します」
アイリスは、王都の中央広場で、腕を組み、仁王立ちになっていた。
彼女の前には、布で覆われた、あの、巨大な、筋肉隆々の、英雄アレスター像。
そして、その両脇で、互いを、殺さんばかりの目で、睨み合っている、二人の男。
「…いいですか、二人とも。これは、罰です。あなたたちが、自らの手で、汚したものを、自らの手で、元に戻すのです」
彼女は、ギルとジーロスに、それぞれ、刷毛と、魔法の塗料が入った、桶を、手渡した。
「ギルは、あなたが、付け足した、余計な筋肉を、全て、元の、普通の姿に、戻しなさい」
「ぐっ…! この、完璧な肉体を、貧弱に…! 拷問でありますか、姉御!」
「ジーロスも、ギルの作業を、手伝いなさい」
「ノン! この、醜悪な作業を、僕にやれだと? それこそ、拷問だ!」
筋肉と、美学。
水と、油。
決して、相容れない、二つの混沌が、今、一つの、目的のために、強制的に、協力させられる。
地獄の、共同作業の、始まりだった。
「ああ、なってない! その、刷毛の、動かし方! もっと、こう、情熱を、込めるのであります!」
「うるさい、筋肉馬鹿! 君の、その、力任せの、雑な作業こそが、美を、汚しているのだ!」
「なんだと、この、もやし野郎!」
「言ったな、脳筋!」
二人の、罵り合いの声が、青空に、虚しく、響き渡る。
アイリスは、その、あまりに不毛な光景に、こめかみを抑えながら、この、史上最悪の後片付けが、一体、いつ終わるのかと、ただ、遠い目をするのだった。




