第二十五話 神の無慈悲な「褒美」
玉座の間は、静まり返っていた。
愉快犯ドミノは去った。
だが、その後に残されたのは、英雄譚の輝かしい結末などではない。
あまりに重く、あまりに現実的で、そして、莫大な数字が記された、一枚の「請求書」。
聖女アイリス・アークライトは、その場に、へなへなと崩れ落ちたまま、動くことができなかった。
自らが率いる、どうしようもない仲間たちが、この数日間で撒き散らした混沌の爪痕。
その、あまりに巨大な代償を前に、彼女の心は、完全に折れていた。
「―――そなたたち、アイリス分隊の、自らの手で。この、混沌の爪痕の、全てを、原状回復せよ」
国王レジスの、その、あまりに無慈悲な、しかし為政者としてはあまりに真っ当な王命が、彼女の頭の中で、虚しく木霊する。
それは、英雄に対する、褒美ではなかった。
ただの、罰ゲームだった。
彼女の、リーダーとしての、ささやかな達成感は、今、莫大な数字の請求書と共に、木っ端微塵に、砕け散った。
◇
その日の午後。
アイリス分隊の作戦会議室は、これまでで、最も、重苦しい空気に、包まれていた。
テーブルの中央には、あの、膨大な数字が記された、分厚い請求書が、鎮座している。
その、絶望的な紙の束を、アイリス分隊の面々は、それぞれの、いつも通りの、しかし、どこか、遠い目をして、眺めていた。
「…姉御…。申し訳、ありやせん…」
最初に、沈黙を破ったのは、ギルだった。
彼は、巨体を、これ以上ないほど小さく縮こまらせて、土下座していた。
「俺が、軽率に、街の彫像を、筋肉塗れにしてしまったばかりに…! このギル、万死に値するであります!」
「ノン! 悪いのは、僕だ!」
ジーロスが、その、土下座を、制した。
「僕の、あの、前衛的すぎる芸術が、民衆の、繊細な心を、傷つけてしまったのだ…。芸術家として、恥ずべき、失態だ…」
「ひひひ…。いやいや、どう考えても、俺のせいだろう」
テオが、乾いた笑いを浮かべた。
「俺が、存在しねえブタの噂なんぞ、流しちまったせいで、国の経済が、傾きかけた。…さすがに、やりすぎたぜ…」
「あのう…。私、ただ、お昼寝を、していただけ、なのですが…」
シルフィだけが、状況を、全く、理解していなかった。
初めて、だった。
この、混沌の化身たちが、自らの行いを、反省している。
その、あまりに貴重で、あまりに、奇跡的な光景。
だが、アイリスは、もはや、その奇跡を、喜ぶ気力さえなかった。
彼女は、ただ、虚ろな目で、天井を見つめていた。
その、彼女の脳内に、久しぶりに、あの、不遜な声が響いた。
『―――おい、新人。いつまで、お通夜ごっこを続けている』
その声は、どこまでも楽しげだった。
(…神様…)
アイリスは、か細い声で、脳内で応じた。
(…申し訳、ございません…。私の、監督不行き届きにより、王国に、多大な、損害を…)
『ああ、その件か。実に、見事な損害報告書だったぞ。あの財務大臣の、血の涙で書いたかのような数字の羅列、最高のコメディだった』
(コメディ…!?)
『国王からの罰ゲームも、なかなか、粋な計らいではないか。お前たちが、自らの手で、この街を、混沌の坩堝へと叩き込んだ。…ならば、その、混沌の爪痕を、自らの手で、元に戻す。…なんと、美しい、物語の結末だ。実に、費用対効果の良い、エンディングではないか』
あまりに他人事な、その物言い。
アイリスは、わなわなと震えた。
(コスパ…!? 人の、人生を、ゲームの、効率のように…!)
彼女の、心の叫び。
それを、ノクトは、せせら笑うかのように、続けた。
『新人。お前は、根本的に、勘違いしている』
彼は、立ち上がると、まるで、舞台役者のように、芝居がかった仕草で、両手を広げた。
『―――それは、罰ではない。褒美だ』
(…は、褒美…?)
『そうだ。お前たちが、あれほど見事な混沌を創り出したのだ。その功績に対し、俺から、最高の栄誉を与えてやる』
その、あまりに悪趣味な、宣告。
ノクトは、この、あまりに面倒くさい「後片付け」を、自らの、最高の娯楽のための、新たな「ゲーム」へと、昇華させることを、決意したのだ。
『これより、最終クエストを開始する。…クエスト名は、「王国復興」。…ふむ、芸がないな。…よし、決めた』
彼の、口元に、悪魔のような、笑みが浮かんだ。
『―――クエスト、「史上最悪の後片付け」。それが、お前たちに与えられた、最後の、試練だ』
アイリスは、立ち上がった。
その、虚ろだった瞳には、もはや、絶望の色はない。
ただ、絶対的な理不尽に対する、静かな、そして、底なしの「怒り」だけが、燃え盛っていた。
彼女は、分隊員たちに向き直ると、震える声で、しかし、確かな意志をもって、告げた。
「…皆さん。…聞いてください。…これより、私たちは、この、混沌の爪痕を、原状回復するための、作戦を開始します」
彼女の、その、リーダーとしての、決意の言葉。
分隊員たちが、はっ、と顔を上げる。
そして、彼女は、脳内に響く、ノクトの、あまりに悪趣味な、そして、あまりにゲーム的な、クリア条件を、告げるのだった。
「…作戦名は、『史上最悪の後片付けクエスト』。…三つの、試練が、我々を、待っています…」
聖女の、本当の地獄は、まだ、始まったばかりだった。




