第二十四話 英雄たちへの請求書
ドミノが去り、王都には、一応の平穏が戻った。
筋肉隆々になっていた建国の英雄アレスターの騎馬像は、衛兵たちによって巨大な布で覆われ、そのあまりに暑苦しい肉体美を、一時的に隠されている。
存在しない「幸運のブタ」を探し回っていた人々も、ドミノの敗走と共に、まるで熱に浮かされた夢から覚めたかのように、それぞれの日常へと戻っていった。
ジーロスが設置した不気味な光のオブジェも、ジーロス本人が「僕の芸術は、常に進化するのだよ!」と、よく分からない理由で自ら撤去した。
シルフィの「聖なる儀式」も、彼女が目を覚ましたことで、自然と解散となった。
全ては、元に戻った。
その、はずだった。
「…アイリス。…よく、やってくれた」
王城の玉座の間。
国王レジスは、心底疲れ果てた、しかし、どこか安堵の表情を浮かべて、アイリスの労をねぎらった。
「あの、神出鬼没の愉快犯を、見事、退散させるとは。さすがは、救国の聖女だ。そなたには褒美を取らせよう」
「はっ! もったいのうございます、陛下!」
アイリスは、深々と頭を下げた。
彼女の心は、久しぶりに、晴れやかだった。
仲間たちの、常軌を逸した行動には、振り回された。
だが、結果として、王国を救うことができたのだ。
リーダーとして、少しは、役に立てたのかもしれない。
その、ささやかな達成感を、打ち砕いたのは、国王の次の一言だった。
「…と言いたいところなのだが…」
その言葉を合図に。国王の背後から、一人の男が、ぬうっと現れた。
ソラリア王国財務大臣、ボードワン卿。
その、痩せこけた顔は、血の気を失い、まるで、幽霊のように真っ白だった。
そして、その、震える手には、これまでアイリスが見たこともないほど、分厚い、羊皮紙の束が握られていた。
「…聖女、アイリス・アークライト殿」
ボードワン卿の、か細い、しかし、怨念のこもった声が、静かな玉座の間に響き渡った。
「…あなた様に、王国からの、ささやかな『褒美』を、お届けに、まいりました…」
彼は、そう言うと、その、巨大な羊皮紙の束を、アイリスに、ばさり、と手渡した。
一番上の、羊皮紙。
そこには、震えるような筆跡で、こう書かれていた。
『請求書』
「…へ…?」
アイリスの、口から、間の抜けた声が漏れた。
ボードワン卿は、その、血の気のない唇を、震わせながら、その請求書の内訳を、読み上げ始めた。
それは、地獄の黙示録のようだった。
「まず、第一項。ギル殿による、『王都内・歴史的建造物に対する、過剰な筋肉増強工事』に関する、原状回復費用。…建国の英雄アレスター像、慈愛の女神像、その他、歴代国王の胸像、三十一体…。その、あまりに冒涜的な改変により、各方面から寄せられた苦情、三百件以上…。修復のための、特殊な石材の輸入費、及び、ドワーフの石工への依頼料と、精神的苦痛に対する慰謝料を含めまして…金貨、五万枚」
「ご、ごまん…まい…!?」
アイリスは、眩暈を覚えた。
それは、彼女の、騎士としての生涯年収を、遥かに超える金額だった。
だが、地獄は、まだ始まったばかりだった。
「第二項。テオ殿による、『存在しない幸運のブタのぬいぐるみによる、大規模詐欺扇動事件』に関する、経済的損失補填費用。…宝探しに熱狂した民衆による、労働生産性の低下、商業活動の停滞…。その、経済的損失は、試算で、金貨、十五万枚。…ですが、まあ、こちらは、テオ殿が、その騒動で、莫大な利益を上げているようですので、そちらから、全額、徴収させていただきますが…」
ボードワン卿の、目が、キラリと光る。
だが、彼の、本当の怒りは、ここからだった。
「第三項! ジーロス殿による、『王都景観破壊、及び、精神汚染を伴う、悪趣味極まりない光のオブジェ設置事件』に関する、原状回復、及び、精神的苦痛に対する、集団訴訟の、慰謝料!」
彼の、声が、震え始める。
「あの、不気味な光と、不快な高周波のせいで、夜泣きが止まらなくなった赤ん坊、二百人! 眠れなくなった老人、五百人! そして、そのストレスで、夫婦喧嘩が絶えなくなった家庭、千世帯以上! 彼らからの、血の涙の、訴え! その、慰謝料の、総額!」
彼は、叫んだ。
「―――金貨、二十万枚でございますっ!!!」
「に、にじゅうまん…!?」
アイリスの、思考は、完全に、停止した。
だが、ボードワン卿は、まだ、止まらない。
彼は、最後の、そして、最も、巨大な請求書を、アイリスの目の前に、突きつけた。
「そして、最後に! 先日の、ドミノの予告状の夜! ギル殿が、王城の外壁を、物理的に引っこ抜いてきて、あなたの部屋と宝物庫の周りに、無許可で、増築した、あの、醜悪な要塞! あれの、撤去費用でございます!」
彼は、涙ながらに、訴えた。
「あれは、ただの壁では、ありません! 王家の魔術師たちが、長年に渉って幾重にも、古代の防衛術式を編み込んだ、城の、基礎部分! それを、無理やり、ひっぺがしたせいで、城全体の、結界バランスが、完全に崩壊! その、再構築のための費用は、もはや、とんでもない数字に…!」
彼は、震える指で、その、最終的な、合計金額を、指し示した。
そこには、アイリスが、生まれて初めて見る、恐ろしい桁数の数字が、記されていた。
国王レジスが、苦渋に満ちた顔で、口を開いた。
「…アイリスよ。…そなたたちの活躍がなければ、王都がどうなっていたか、分からん。…その功績は、確かに、大きい。…だが、この、物理的、金銭的な損害も、無視することはできん…」
彼は、深いため息をついた。
「…よって、王の名において、命ずる」
その、声は、重かった。
「―――そなたたち、アイリス分隊の、自らの手で。この、混沌の爪痕の、全てを、原状回復せよ」




