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第二十三話 芸術家の涙

「…………いえ、特に、何も…」

 アイリスの、あまりに純粋な、「無」の答え。

 それは、愉快犯トリックスター・ドミノの、芸術家としての心を、完全に折った。

「…え…?」

 彼の、仮面の下で、間の抜けた声が、漏れた。

「…なにも…ない…?」

 彼の、膝が、がくり、と、折れた。

 芸術家としての、彼の、アイデンティティが、崩壊していく、音がした。

「…そんな…。そんな、馬鹿な…」

 彼は、わなわなと、震えながら、尋ねた。


「あの、筋肉隆々の彫像は…?」

「ただの筋肉馬鹿の暴走です」

「あの、存在しないブタを探す、狂気の熱狂は…?」

「ただの詐欺です」

「あの、不気味なオブジェは…?」

「ただの悪趣味です」

「あの『聖なる儀式』は?」

「ただの昼寝です」


 それらの答えに、ドミノは愕然とする。

「あれら全てが、無計画だと…!? ただの、思いつきだと、言うのか…!?」

 その、悲痛な叫びに、アイリスは、もはや、かける言葉も、見つけられなかった。

 彼女は、ただ、静かに、そして、少しだけ、哀れむような目で、彼を、見つめていた。

「…もう、いい…」

 ドミノは、ゆっくりと、立ち上がった。

 その、肩は、力なく、垂れ下がっている。

 彼は、仮面の下で、泣いていた。

 自らの、芸術の、完全な、敗北に。

「…この街は、私には、レベルが高すぎた…」

 彼は、そう言い残し、来た時と同じように、すうっと、影の中へと、その姿を溶かしていった。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、あまりに濃密すぎた混沌の爪痕だけだった。


 ◇


 その、あまりにシュールな決着の、全て。

 王城の最も高い塔で、ノクト・ソラリアは、遠見の水盤を通して、一部始終を眺めていた。

「…フン。三流が」

 彼は、鼻で笑うと、ようやく正常な回線でダウンロードが完了した、新作MMORPGの起動画面を満足げに眺めた。

「本物のカオスを知らなかったようだな」

 ノクトは、ドミノが王都を去る際に、悔し紛れに放っていた微弱な混沌魔術のデータを、慎重に、しかし、どこか楽しげに解析・保存しながら、ようやく届いた「超濃厚コンソメ味ポテチ」の袋を、小気味よい音を立てて開封した。

 彼の、完璧な引きこもりライフは、ようやく、その輝きを取り戻したのだ。


 だが、彼の解析は、単なる勝利の記念品集めではなかった。

(…面白い。この魔力の波形パターン…)

 ノクトの、ゲーマーとしての鋭い目が、ドミノが放っていた混沌魔術の、その本質を、見抜き始めていた。

(これは、ただの幻術や、破壊魔法ではない。世界の、法則そのものに、僅かな「揺らぎ」を与える、極めて高度な、概念魔術だ…)

 彼は、あの日の、あの、ほんの一瞬の、奇妙な感覚を、忘れてはいなかった。

 自らを、この塔に縛り付ける、「魔王の呪い」。

 その、絶対的な「ルール」が、ほんの僅かに、揺らいだ、あの、奇跡のような、感覚。

(…この、混沌の魔力が、俺の呪いに、干渉した…。偶然か? …いや、違う)

 彼は、水盤に、新たな、解析用の魔法陣を、描き出した。

 それは、彼が、これまで、決して、本気で向き合おうとはしなかった、自らの呪いの、構造解析のための、魔法陣だった。

 呪いを解き、外の世界へ出る。

 それは、彼にとって、自らの、完璧な引きこもりライフを、破壊しかねない、禁断の果実。

 だが、今、彼の心には、初めて、その果実を、味わってみたいという、微かな、しかし、確かな好奇心が、芽生え始めていた。

(…この、混沌の、魔力の、波形パターン…。そして、俺の呪いを構成する、古代の、魔術言語…。この二つの間に、何らかの、相関関係が…?)

 彼の、指先が、空中で、舞い始めた。

 それは、もはや、ゲームのコントローラーを操る、指の動きではなかった。

 自らの、運命という名の、最高難易度の、クソゲーに、初めて、本気で、挑もうとする、一人の、天才ゲーマーの、挑戦の、始まりだった。


 ドミノは、去った。

 だが、彼が、この王都に、意図せずして残していった、最大の置き土産。

 それは、街の傷跡でも、人々の記憶でもない。

 一人の、引きこもりの『神』の心に、植え付けられた、「外の世界」への、小さな、しかし、確かな、希望の種だった。

 その種が、やがて、この世界を、再び、そして、これまでとは、比較にならないほどの、壮大な混沌の渦へと、巻き込んでいくことになるのを、まだ、誰も、知る由もなかった。

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