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第十七話 呪いの綻びと『神』の葛藤

 王城の最も高い塔。

 そこは、外界の混沌とは完全に隔絶された、一人の『神』のための、完璧な聖域。

 ソラリア王国第二王子、ノクト・ソラリアは、特注の椅子に深く身を沈め、目の前の遠見の水盤に映し出された、自らが創り出した地獄絵図を眺めていた。

 そして、腹を抱えて、笑っていた。


「面白い! 実に、面白いじゃないか、このクソゲーは! あはははは!」


 彼の、『神』の視点から見下ろす王都ソラリアは、今、彼の人生において最も上質なエンターテイメントと化していた。

 愉快犯ドミノが仕掛けた「オシャレないたずら」など、もはや誰も覚えていない。

 街は、もっと巨大で、もっと根源的で、そして、どうしようもなく馬鹿馬鹿しい混沌の交響曲に、完全に支配されていた。


 中央広場では、建国の英雄アレスターの騎馬像が、ギルによって完璧なシックスパックと力強い上腕二頭筋を授けられ、これまでとは比較にならないほどの力強いオーラを放っている。

 その周囲では、若者たちがそのポーズを真似て記念撮影を行い、新たなカルト的なパワースポットが誕生していた。

 商業地区では、テオがばら撒いた「幸運のブタのぬいぐるみ」のデマを信じ込んだ人々が、仕事もせずに、血眼になって存在しない幸運を探し回っている。

 その熱狂は、もはや一種の社会現象と化していた。

 そして、その全てを、ジーロスが設置した、見る角度によって風景が歪み、不快な高周波を放つ、悪夢のような光のオブジェが、不気味に映し出している。

 極めつけは、中央広場の噴水の縁で、すーすーと幸せそうな寝息を立てる、一人のエルフの少女。

 シルフィの、ただの昼寝は、今や「この混沌とした王都を鎮めるための聖なる儀式」と誤解され、その周りには巨大な人だかりができ、人々は静かに祈りを捧げている。


 筋肉、欲望、不協和音、そして、無。

 ノクトが、ただの暇つぶしと復讐心から盤上に配置した四つの混沌の駒。

 それらが、互いに干渉し合い、予測不能な化学反応を起こし、彼の想像を遥かに超える、醜悪で、しかし、どこまでも美しい、芸術的な光景を創り出していた。

 彼は、このカオスな光景の全てを、ポテチを片手に、高みの見物を決め込んでいた。

 最高の娯楽。

 最高の暇つぶし。

 彼は、このゲームが、永遠に続けばいいとさえ、思っていた。

 だが、その時だった。


 彼の身に、信じられない、そして、生まれて初めての異変が起きたのは。


 それは、本当に、ほんの一瞬の出来事だった。

 彼が、腹を抱えて笑い転げ、次のポテチに手を伸ばそうとした、まさにその瞬間。

 ふわり、と。

 まるで、体が、ほんの僅かに、軽くなったかのような、不思議な浮遊感。

「…ん?」

 ノクトの、笑い声が、止まった。

 なんだ、今の感覚は。

 彼は、自らの両手を、じっと見つめた。

 何も、変わらない。

 だが、確かに、感じた。

 それは、物理的な感覚の変化ではなかった。

 もっと、根源的な、自らの存在そのものに関わる、ルールの、揺らぎ。

 彼、ノクト・ソラリアは、この世に生を受けた瞬間から、一つの、絶対的な呪いに縛られている。

 初代国王が、魔王から受けた、子々孫々に続く執念深い呪い。

 太陽は、その肌を灼き、大地は、その肉体を腐らせる。

 彼の、この塔の一室こそが、彼の世界の全てであり、外界とは完全に隔絶された、安全な牢獄。

 その、絶対的な「ルール」が。

 彼を、この塔に縛り付け、彼の存在を定義していた、世界の法則そのものが。

 今、ほんの一瞬だけ、まるで、水面が揺らぐかのように、綻んだのだ。

 太陽光に、肌が焼かれる感覚が和らいだわけではない。

 大地に触れたいという、衝動が生まれたわけでもない。

 ただ、自らを縛る、見えない鎖の、その締め付けが、ほんの僅かに、緩んだような。

 そんな、奇跡のような、感覚。


 ノクトの顔から、笑みが、完全に消えた。

 彼の脳が、『神』の領域にある、その情報処理能力を、フル回転させ始めた。

 原因は、何か。

 この、前代未聞の、ありえない現象の、トリガーは。

 彼の視線が、再び、遠見の水盤へと、吸い寄せられる。

 水盤には、相も変わらず、混沌の坩堝と化した王都の光景が、映し出されていた。

 そして、彼は、気づいた。

 この、混沌。

 愉快犯ドミノが仕掛けた「計画された混沌」と、アイリス分隊が生み出す「計算不能な混沌」。

 その、二つの、異質な混沌が、今、この王都で、衝突し、融合し、彼の想像を超えた、巨大な魔力の渦を、生み出している。

 その、混沌の渦が、この世界の、安定した法則そのものに、ほんの僅かな、しかし、無視できない「歪み」を生じさせているのだ。

 そして、その「歪み」が、奇跡的に、彼を縛る、呪いの法則にまで、干渉した。

(…まさか…)

 ノクトは、息をのんだ。

(この、下らない、悪趣味な、混沌こそが…。俺を、この牢獄から、解放する、唯一の鍵だと、いうのか…?)

 その、信じがたい、しかし、論理的な結論。

 それが、彼の、価値観の全てを、根底から、覆した。

 彼の目的は、もはや、ドミノへの復讐でも、暇つぶしでもなかった。

 彼の目的は、今、この瞬間、たった一つになった。

 自らの、運命を懸けた、呪いからの、解放。

 その、あまりに巨大で、あまりに個人的で、そして、あまりに切実な目的のために、彼は、この混沌を、終わらせるのではなく、もっと、利用し、もっと、解析し、そして、もっと、制御しなければならない。

 彼の、復讐劇という名の暇つぶしは、今、自らの運命を切り開くための、壮大な「実験」へと、その姿を変えたのだ。


 だが、その、希望の光と共に、彼の心には、もう一つの、全く新しい感情が、芽生えていた。

 それは、彼が、これまで感じたことのない、そして、感じようともしなかった、根源的な「恐怖」だった。

 呪いが、解けたら?

 自分が、この塔から、出られるようになったら?

 その時、自分は、どうするのだろうか。

 外の世界。

 そこは、彼にとって、未知の、そして、脅威に満ちた場所だ。

 太陽が輝き、大地が広がり、そして、無数の、理解不能な他人が、生きている世界。

 この、完璧に管理された、快適な聖域を捨ててまで、そこへ行きたいと、思うのだろうか。

 彼は、初めて、自らの、その矛盾した感情に、向き合っていた。

 外の世界へ出てみたい、という、微かな憧れ。

 そして、このまま、快適な引きこもり生活を続けたい、という、抗いがたい安逸。

 呪いを解くことは、この、完璧な聖域を、捨てることと、同義なのだ。

 彼は、その、あまりに大きな選択を前に、ほんの少しだけ、怖気づいていた。


 だが、彼の、ゲーマーとしての、魂が、その、わずかな迷いを、断ち切った。

(…フン。まだ、クリアもしていないゲームの、エンディングを、心配してどうする)

 彼の、口元に、いつもの、不敵な笑みが、戻っていた。

(まずは、この、クソゲーを、クリアする。…そして、その先に、どんな新しいゲームが待っているのかは、その時に、考えればいい)

 ノクトの、瞳に、新たな、そして、これまで以上に、危険な輝きが、宿った。

 彼の、本当の戦いは、まだ、始まったばかりだった。

 彼の人生における、大きな、そして、決定的な、ターニングポイントが、今、静かに、しかし、確かに、訪れていた。

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