表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/31

第十四話 聖なる昼寝と新たなカルト

 王都は、混沌の三重奏に支配されていた。

 歴史的彫像がことごとく筋骨隆々のマッチョと化し、人々は存在しない「幸運のブタ」を血眼になって探し回り、街の至る所では不気味な光のオブジェが風景を歪め、不協和音を奏でている。

 アイリス分隊の作戦会議室は、もはや作戦を練る場所ではなく、次なる混沌を生み出すための、悪魔の孵化器と化していた。

 そして、その孵化器の中で、最後の、そして最も予測不能な卵が、今まさに孵化しようとしていた。


 ギルは筋肉の福音を広めに、テオは欲望の熱狂を煽りに、そしてジーロスは悪夢のイルミネーションを設置するために、すでにそれぞれの持ち場へと散っている。

 会議室に残されたのは、アイリスと、そして、自分の出番はまだかと、わくわくした顔で目を輝かせている、エルフの弓使いシルフィだけだった。

(…もう、これ以上の混沌は、私の胃が持ちません…)

 アイリスは、心の底から、そう願った。

 だが、彼女の脳内に響いたのは、無慈悲な、そして、どこまでも楽しげな、最後の神託だった。


『―――新人。最後の駒だ。シルフィに、伝えろ』

(…は、はい、神様…)

『お前は、王都のど真ん中で、一日中、昼寝をしていろ』

「……………はい?」

 アイリスは、思わず、素っ頓狂な声を上げた。

 聞き間違いだろうか。

 いや、聞き間違いではない。

 神は、今、確かに、そう言った。

 昼寝をしろ、と。

 それも、この混沌の坩堝と化した王都の、ど真ん中で。

 あまりに、意味が分からない。

 これまでの指令は、少なくとも、歪んだ形ではあれ、「混沌を生み出す」という明確な目的があった。

 だが、昼寝?

 それは、混沌ですらない。

 ただの、「無」だ。

(神様…! そ、それは、一体、どういう…!?)

『うるさい。黙って、伝えろ。これは、このゲームの、最も重要な、最終フェーズだ』

 ノクトの声は、絶対的な自信に満ちていた。

 アイリスは、もはや、思考を放棄した。

 彼女は、期待に満ちた目で自分を見つめる、純粋なエルフの少女に向き直った。

「…シルフィ」

「はい、アイリス様! 私の任務は、なんでしょうか! 虹色のお花畑を、探しに行くのですか?」

「…いえ。あなたの任務は、もっと、重要で、そして、神聖なものです」

 アイリスは、できる限り、厳粛な声を作った。

「―――あなたは、今日一日、王都の中央広場で、ただ、ひたすらに、眠りなさい」

「……………」

 シルフィは、きょとんとして、目をぱちぱちさせた。

 そして、数秒後。

 その顔が、ぱあっと、満開の花のように、輝いた。

「わあ! お昼寝、ですか! なんて、素敵な任務なのでしょう!」

 彼女の、超絶ポジティブな思考回路は、その、あまりに突拍子もない指令を、最高の褒美だと、完璧に、誤解した。

「分かりました! お任せください、アイリス様! 私、お昼寝は、とっても得意なのです! この任務、完璧に、遂行してみせます!」

 彼女は、元気よく、敬礼をすると、スキップでもしそうな、軽やかな足取りで、会議室を飛び出していった。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、これから一体何が起きるのか、全く予測できない、ただ、途方もない疲労感に包まれた、一人の聖女だけだった。

「…もう、知りません…」

 アイリスは、その場に、へなへなと、崩れ落ちた。


 ◇


 王都の中央広場は、混沌の縮図だった。

 ギルによって改造された初代英雄の筋肉像の前では、若者たちが、そのポーズを真似て記念撮影をしている。

 広場のあちこちでは、「幸運のブタ」を探し求める人々が、血眼になって、植え込みを漁ったり、噴水の水をかき混ぜたりしていた。

 そして、その全てを、ジーロスが設置した、歪んだ光のオブジェが、不気味な高周波を放ちながら、映し出している。

 その、混沌の、ど真ん中。

 噴水の、縁に。

 シルフィは、腰を下ろした。

「…ふあ…。なんだか、少し、眠くなってきました…」

 彼女は、大きなあくびを一つすると、その場に、ごろん、と横になった。

 硬い石の感触も、周囲の喧騒も、彼女にとっては、最高のベッドと、心地よい子守唄でしかなかった。

 すー、すー、と。

 穏やかで、幸せそうな寝息が、聞こえ始める。

 彼女は、眠ってしまった。

 この、世界の終わりのような、混沌の中心で、ただ一人、まるで、天国にでもいるかのように、安らかに。


 その、あまりに無防備で、あまりに平和な光景。

 最初は、誰も、それに気づかなかった。

 だが、やがて、一人の、宝探しに疲れ果てた老人が、その姿に、目を留めた。

(…なんだ、あの、エルフの娘は…。こんな、騒ぎの、ど真ん中で、眠っているぞ…?)

 老人は、訝しげに、彼女を見つめた。

 だが、その、あまりに幸せそうな寝顔を見ているうちに、彼の、ささくれだった心が、不思議と、穏やかになっていくのを感じた。

 そうだ。

 自分は、一体、何を、こんなに、必死になっていたのだろうか。

 存在するかどうかも分からない、幸運を追い求めて。

 この、エルフの娘のように、ただ、静かに、時の流れに身を任せる、という生き方も、あるのではないか。

 老人は、いつの間にか、宝探しを、やめていた。

 ただ、その、平和な寝顔を、じっと、見つめている。

 一人、また一人と、その、異様な光景に気づく者が、現れ始めた。

 彼らもまた、最初は、訝しげな顔をしていた。

 だが、やがて、その、穏やかな寝息と、幸せそうな寝顔に、自らの、荒んだ心が、洗われていくような、不思議な感覚に、囚われていった。

「…あれは、確か、聖女様の、お仲間の一人…」

「…そうだ。『森の乙女』の、シルフィ様だ…」

「…なぜ、こんな場所で、眠って…?」

 人々の、ひそひそとした、囁き声。

 その中で、一人の男が、はっと、息をのんで、言った。

「…まさか…。これは…『聖なる儀式』に、違いない…!」

 その、あまりに突拍子もない、しかし、どこか、説得力のある一言。

 それが、引き金だった。

「儀式…? そうか! あの、聖女様のお仲間が、ただ、昼寝をするはずがない!」

「この、混沌とした王都を、鎮めるための、祈りの儀式なのだ!」

「あのお方が、眠ることで、我々の、荒んだ魂を、浄化してくださっているのだ!」

 噂は、熱狂となって、瞬く間に、広場全体へと、広がっていった。

 人々は、もはや、宝探しなど、どうでもよくなっていた。

 彼らは、一人、また一人と、シルフィの周りに、集まり始めた。

 そして、その神聖な眠りを妨げないように、静かにひざまずき、祈りを捧げ始めたのだ。


 数時間後。

 王都の中央広場は、異様な、しかし、どこか荘厳な、静寂に包まれていた。

 噴水の周りには、巨大な、人だかりの輪ができている。

 その、数千の人間が、誰一人として、言葉を発することなく、ただ、静かに、祈っている。

 その、祈りの中心で。

 シルフィは、まだ、すーすーと、幸せそうな寝息を立てていた。

 彼女の、ただの「昼寝」は、今や、王国を救うための、「聖なる儀式」として、完璧に誤解されていた。

 新たな、そして、最も、平和的なカルトが、誕生した瞬間だった。

 その、あまりにシュールな光景を、塔の上のノクトは、水盤越しに眺め、腹を抱えて、笑い転げていた。

「面白い! 実に、面白いじゃないか、このクソゲーは! あはははは!」

 『神』の、復讐劇という名の暇つぶしは、今、その、最も予測不能なクライマックスを迎えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ