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第十三話 不気味なイルミネーション

 塔の上の『神』、ノクトは、遠見の水盤に映し出された王都の光景に、満足げに頷いていた。

「フン。人の欲望を煽るのは、いつの世も最も効率の良い混沌の作り方だ。…さて、盤上の次の駒を動かすとしようか」

 彼の思考は、すでに次なる芸術家へと向けられていた。

 筋肉という名の物理的混沌。

 欲望という名の精神的混沌。

 盤上に撒かれた二つの混沌は、愉快犯ドミノが仕掛けた「オシャレないたずら」など、もはや誰も覚えていないほど、王都を鮮やかに、そして醜悪に塗り替えていた。

 だが、ノクトの復讐劇は、まだ終わらない。

 彼の神聖なるゲームのアップデートを妨害し、至高のポテチをトカゲの尻尾に変えた罪は、こんなものでは到底償いきれないのだ。

 彼は、アイリスの脳内に、次なる、そして、より悪趣味な神託を下した。


『―――新人。次のターゲットは、ジーロスだ』


(…はい、神様)

 アイリスは、もはや魂の抜け殻と化した表情で、脳内で応じた。

 彼女は今、作戦会議室で、仲間たちがそれぞれ引き起こしている大混乱の後始末に関する報告書を、ただぼんやりと眺めている。

 ギルが改造した初代英雄の筋肉像が、なぜか若者の間でパワースポットとして人気を博し始めている、だとか。

 存在しない「幸運のブタ」の目撃情報が、今や国境を越えて隣国にまで伝わり始めている、だとか。

 その、一つ一つの報告が、彼女の精神を、ヤスリのように削っていく。

 そこに、追い打ちをかけるような、神の指令。

 彼女は、もはや、何も考えたくなかった。

『いいか、新人。あのナルシストに、こう伝えろ』

 ノクトの声は、どこまでも楽しげだった。

『ドミノの芸術は、民衆に媚びすぎている。三流の仕事だ。真の芸術とは、見る者をただ楽しませるものではない。見る者の心を、ざわつかせ、不安にさせ、その日常に、不協和音を奏でるものでなければならない、と』

(…はあ)

『―――街の至る所に、不気味で、不協和音を奏でる、光のオブジェを設置しろ。それが、奴への、次なる指令だ』


 ◇


「―――素晴らしい!」


 アイリスが、死んだ魚のような目で、その指示を伝えた瞬間。

 光輝魔術師ジーロスは、扇子を、ぱん、と小気味よい音を立てて閉じ、まるで神の啓示でも受けたかのように、打ち震えていた。

「ノン! なんという、深遠なる芸術論だ! さすがは、我がプロデューサー、アイリス! 君は、僕の芸術の、本当の価値を、理解してくれているようだね!」

 彼は、アイリスの手を、芝居がかった仕草で、両手で包み込んだ。

「そうだ! そうなのだよ! 大衆に理解されるだけの、分かりやすい美など、もはや古い! 真の芸術とは、時に、人を傷つけ、時に、人を不安にさせる、劇薬でなければならない! この、退屈な世界に、一石を投じる、挑戦状でなければならないのだ!」

 彼の、あまりに壮大な、そして、あまりに迷惑な芸術論。

 アイリスは、もはや、それを聞いている気力もなかった。

「…そうですか。では、お願いします」

「お任せあれ! この僕の、新たな芸術の扉を開いてくれた、君への感謝を込めて! この街を、最高の、悪夢の劇場へと、変貌させてご覧にいれよう!」

 ジーロスは、目を爛々と輝かせ、風のように、会議室を飛び出していった。

 彼の、芸術家としての魂は、これまでにないほど、燃え上がっていた。

 後に残されたのは、これから始まる、さらなる混沌の予感に、ただ、遠い目をする、アイリスだけだった。


 その日の、夕暮れ。

 王都ソラリアは、文字通り、悪夢に包まれた。

 ジーロスの、芸術テロは、これまでで、最も大規模で、最も、悪趣味だった。

 最初に、異変に気づいたのは、中央広場で、子供を遊ばせていた、一人の母親だった。

「…あら? なんだか、あの時計塔、少し、歪んでいやしないかい?」

 彼女が指さした先。

 王都の、シンボルである、巨大な時計塔。

 その、まっすぐであるはずの尖塔が、まるで、熱で溶けた飴のように、ぐにゃり、と、歪んで見えたのだ。

「え…? …いや、気のせいか…?」

 彼女が、目をこすり、もう一度見ると、時計塔は、元の、まっすぐな姿に戻っている。

 だが、今度は、隣の、王立劇場の屋根が、波打っているように見える。

 それは、ジーロスが、街の至る所に設置した、巨大な光のオブジェの、仕業だった。

 彼は、自らの光輝魔術の粋を集め、見る角度によって、その背後にある風景の形が、微妙に、そして、不気味に、歪んで見える、特殊な、光のレンズのようなものを、作り上げたのだ。

 王城の、屋根の上。

 大聖堂の、尖塔の先。

 そして、民家の、煙突の上。

 街の、あらゆる高い場所に、その、目には見えない、しかし、確かに存在する、歪みの発生源が、設置されていった。

 街行く人々は、自らの、視覚を、信じられなくなった。

「おい、今、向かいの家の壁が、呼吸しているように、見えなかったか…?」

「ああ…。俺は、さっきから、地面が、ゼリーのように、揺れて見える…」

 街は、まるで、シュールレアリスムの絵画の中に迷い込んだかのような、不安定で、悪夢のような光景へと、変貌していく。


 だが、ジーロスの芸術テロは、それだけでは終わらなかった。

 彼への、もう一つの指令。

『不協和音を奏でる』。

 彼は、その言葉を、文字通りに、解釈した。

 彼が設置した、光のオブジェは、歪みだけでなく、人間には、ほとんど聞こえない、しかし、確実に、精神を蝕む、「不快な高周波」を、放っていたのだ。

 キーーーーーーン、という、耳の奥で、微かに響く、金属音のような、不快な音。

 それは、人々の、心の、平静を、じわじわと、奪っていった。

「なんだか、今日は、やけに、イライラするな…」

「ああ。隣の家の、赤ん坊の泣き声が、いつもより、五割増しで、頭に響く…」

 街は、目に見えない、ストレスに、包まれた。

 道端で、些細なことで、口論を始める人々。

 理由もなく、泣き出す、子供たち。

 そして、その、不協和音は、この街で、最も、繊細な魂を持つ者たちに、最も、大きな影響を与えた。

 そう、芸術家たちだ。

 王立劇場の、オペラ歌手は、歌の途中で、突然、音程を外した。

「だめだ! 今日の、私の声は、美しくない!」

 宮廷画家は、国王の肖像画を描く途中で、筆を、叩きつけた。

「描けん! なぜか、線が、歪む!」

 ジーロスの、芸術テロは、皮肉にも、他の、全ての芸術を、殺していった。


 その、悪夢のような光景の中心で。

 ジーロスは、王城の、最も高い尖塔のてっぺんに立ち、自らが創り上げた、混沌の交響曲に、うっとりと、耳を澄ませていた。

「ノン! 素晴らしい! この、不快感! この、不協和音! 見る者の心を、ざわつかせ、不安にさせる! これこそが、真の、芸術だ!」

 彼は、満足げに、頷いた。

「どうだね、ドミノとやら! 君の、その、民衆に媚びた、分かりやすい混沌など、僕の、この、深遠なる芸術の前では、ただの、子供の落書きに過ぎないのだよ!」

 彼は、もはや、アイリスからの指令のことなど、忘れていた。

 ただ、ひたすらに、見えざる好敵手との、芸術論争に、勝利したと、信じ込んでいた。

 王都は、今や、筋肉と、欲望と、そして、悪夢のイルミネーションが支配する、巨大な、混沌のテーマパークと化していた。

 そして、その、地獄絵図の、最後のピースを、埋めるべく。

 一人の、天然エルフが、今、静かに、その出番を待っていた。

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